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第一章 鷺沼崇の場合
六 ◯鷺沼 崇【 1月10日 午後5時15分 】
しおりを挟むスカイタワー。それは二年前「日本で一番高い建物」として建設され、二年経った今では、東京を来訪する観光客にとって一つの名所となっている。
愛彩、コモレビらがある繁華街は西街という地名だが、その西街から目と鼻の先に位置するその建物は、空の塔というその名のとおり、地上から頂上を認識できない高さである。エレベーターで地上六十階まで上がった通常の展望台からの眺めはもちろんのこと、その更に三十階ほど上空にある特別展望台からの景色は、東京全体をどこよりも遠くまで見渡せることができ、これまた絶景である。
スカイタワーシティホテルは、そんなスカイタワーの完成後に隣接して建設されたシティホテルだった。昨年春に完成し、まだ建設されて一年も経っていない、四十階建ての新築の建物である。
ホテルの名称と立地から、スカイタワー目当てで来訪する観光客を捕まえるために建設された、と言っても過言ではないだろう。なんと言ってもその好立地と部屋数。スカイタワーから歩いて一分もかからない場所にあり、八百を超える部屋数が用意されている。
柳瀬川和彦は、このホテルの警備を委託された株式会社「パートナーガード」で働く、警備員の一人だ。年齢は三十歳。配偶者には、彼より五歳歳上の柳瀬川春子がいる。共働きで、二人の間に子はいない。郊外に二十年ローンを組んで購入した一軒家に二人で住んでいる。これまたいたって普通の、どこにでもいるようなサラリーマンである。
そんな善良な一般人である柳瀬川を亡き者にするため、俺はホテル近辺に赴いた。それは一月十日、日も暮れかけた午後五時頃のことであった。
件のホテル目の前にある喫茶店の窓から、ホテルの入口を見つめる。
三日前に受け取った段ボール箱に入っていた手紙は、表裏両面刷りとなっていた。表面には脅迫内容が書かれており、裏面には殺す対象である柳瀬川の詳細な情報、またそれ以外が書かれていた。
その情報によると、パートナーガードによる警備体制は、ホテルを上下二つに分け、一階から二十階まで、また二十一階から四十階まで、それぞれ一人の警備員が巡回するそうだ。肝心の柳瀬川は、一月十日の午後五時半から、ホテル上半分の警備を担当するそうであった。
この情報が正しいのかどうか、疑問には感じるが、脅迫状で殺害しろと示してきた開始時刻と一緒だし、何より脅迫者は俺に柳瀬川を殺せと命令してきているのだ。ここで嘘をつくことに、何かメリットがあるとは思えない。
(それにしても…)
今、俺が背負っているリュックサックには、脅迫状と拳銃、そして包丁が入っていた。つまり七日に受け取った段ボール箱に入っていた一式がそのまま入っている。
柳瀬川を殺害するにあたって、脅迫者は俺に対し、奇妙な条件を五つ突きつけてきた。手紙の裏面に記載された柳瀬川の情報の「それ以外」の部分にあたる内容だ。
『次の五つは、対象を殺害する際の条件である。一つでも達成できなかったものがあった場合、殺害は失敗に終わったとみなし、お前の罪を公表し、報酬も渡さない。
一、殺害の瞬間を誰にも見られてはいけない。
二、その場に自分がいたと分かる痕跡は極力残さないこと。
三、同梱した拳銃を使用し、殺害すること。包丁は殺す対象には使用してはいけない。
四、拳銃には弾丸が一発装填されている。殺す対象以外の人間に発砲してはいけない。
五、同梱した物は全て所持して事に及ぶこと。特に包丁は、対象を殺害する時は肌身離さず持っていること』
一つ目と二つ目の条件。殺害する瞬間を目撃されないようにすることや、自分がやったという証拠を残さないようにすること、これは分かる。自己顕示欲が強い人間ならともかく、普通の人間ならそんなことが無いように実行するだろう。無論、俺は後者の人間だ。
また、四つ目の条件については、一発しかない弾丸を無駄にするな、チャンスは一度のみだ、ということを伝えているだけだろう。
奇妙なのは三つ目、そして五つ目の条件である。俺はリュックサックに入っている拳銃、そして包丁のことを考えた。
柳瀬川を殺す際にはこの拳銃を使って、つまり銃殺しろということになる。しかし包丁、これを殺害に使うなとは、どういうことなのか。そうであれば、何故一緒に送ってきたのだろう。
加えて、脅迫状も含め、殺害の際に送られた物全てを持ち歩けとは一体。使えない包丁をわざわざ目出しして「所持しておけ」というのも、理解ができない。
…と、まあ。脅迫者の真意は分からないことばかりだった。しかしまあ、頭を働かせることが大嫌いな俺にとって、それを更に小難しく考え、より複雑な話に持っていくことはしたくなかった。
そもそもこの疑問たちを解消するための正答なんて、どんなに考えても結局は仮説。送り主に直接聞かなければ分からない事である。今の俺は、脅迫状の条件に従い、柳瀬川を殺す。そうすれば大金が手に入る。それだけ理解していれば良い。
「ふう」俺は目の前のコーヒーを飲み干した。
そんなことよりも。雑念を振り払うように首を振る。その柳瀬川はいつやってくるのだろう。手紙によれば、あと三十分も経つうちにホテルにやってくるというが、本当かどうか疑わしくなってきた。
手紙の裏面末尾には、肩より上までの柳瀬川と思われる人物の写真が載っていた。色白で一重の瞼に切れ長の目、目にかかる程度に伸びた前髪、そして伸びた顎。不細工とまで言わないが、お世辞とも美形とは言い難い顔面である。午後四時過ぎからホテル入口を見張っているが、そういった人物は見当たらない。ホテルへ入る人物の数はまばらというか、さっきから殆どいないため、見逃すことなんてあり得ない。そのような人物が俺の目の前に現れるのか、果たして…
そんな頭によぎった不安は、数秒後にかき消された。お目当ての人物が目の前に姿を現したのだ。
百七十センチメートルを少し超えた程度の背丈をしており、若干の猫背。そんな男が、のろのろとホテルの中へ入って消えた。少し遠目ではあるが、写真とほぼ同じ顔。間違いない、あれが柳瀬川和彦に違いない。
殺す対象が実際にいることに安堵した。人を殺すというのに安堵するとは中々ミスマッチでお笑い種だが、もう後戻りできないところまで来ている。そのため無意識のうちに、常識的な感覚が麻痺しているのだ。
「…よし」
時間を少し置いて、ホテルの中に入り込むとしよう。興奮からか震える体を落ち着かせるように、周囲に分からないよう、ゆっくりと深呼吸をした。
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