殺人計画者

夜暇

文字の大きさ
上 下
6 / 76
第一章 鷺沼崇の場合

四 ◯鷺沼 崇【 過去 】

しおりを挟む
 
 その日、ちづるには俺の家にいてもらうようにお願いした。柄でも無いが出会って一年の記念として、少し高価なケーキを買っていた。それを何も知らない彼女に見せ、驚かせるつもりだった。
 しかし先に家にいるはずの彼女から「おかえり」と声が返ってこない。部屋の電気も消えている。どうしたものかと玄関を開け、室内に入ると、部屋の真ん中で一人、床に座っている彼女の姿が目に入った。
 ちづるは茫然自失な状態であった。俺が帰ってきたことにも気づいておらず、頬には涙が通った筋が二本、描かれていた。どうやら俺が帰ってくるまで泣いていたらしい。
「なあ、どうしたんだよ」
 正気に戻そうと肩を揺さぶった。その瞬間、彼女は俺の手を強く払いのけた。目は悪鬼のような眼差しになり、鋭く俺を睨んでいる。そして言った。
「崇…借金あったの?」
 一瞬思考が停止した。どうして、ちづるがそれを。
 俺は彼女には悟られないように、コモレビからの書類や連絡、そのほか借金返済に関するものは全て捨てていた。そのため足が出るようなヘマはしていないつもりだった。
「な、なんでお前。それを」
「さっきね。コモレビの…いや、コモレビっていう会社の檜山さん、だったかな。その方がここに来たの」
「えっ?」
「なんかね。その方、最近崇から連絡がこないから、心配になったんだって。あたし、何のことかわからなくて。聞いてみたら、あなたの借金のことを教えてくれて…」
 しまった。俺は壁にかけられているカレンダーを見る。そういえば、もう今月の返済期限を過ぎてしまっていた。
 基本的に返済期限の超過は契約違反の対象であるが、万が返済が間に合わない場合は、担当の檜山に連絡を入れなければならない。その約束だったというのに、最近は仕事が忙しくすっかり頭から抜け落ち、連絡を入れていなかったのであった。
「ち、ちづる。これは、その」
 何とかして言い訳をしようとした時、ちづるはぼそっと小さく、独り言のように言った。
「私、借金する人と隠し事をする人、本当に嫌いなの」
 首を軽く振りながら、身震いする。そして、彼女はさらに続けた。
「崇がそんな人だとは思わなかった。私たち…もう終わりにしよう」
 その言葉を聞いた時、脳内に雷が落ちたかのように、頭の中で何かがピシャリと弾けた。
 何だ、その言葉は。俺は借金までして、お前を助けてやったんだ。それなのに、恩を仇で返すようなことを言いやがって。
 ——そう思ってから次に意識がはっきりした時には、俺の手は血に染まっていた。
 目の前には腰を抜かし、恐怖に震えながら怯える目で俺を見上げるちづるの姿があった。肩は斜めに大きく割れ目ができており、真っ赤な血が流れ出ている。俺はキッチンにあった包丁を無意識に手に取り、彼女を切りつけていたのだ。
 それからは早かった。どうやら俺に切りつけられた際、ちづるは大きな悲鳴を上げていたらしい。その声を通りすがりの警察官に聞かれ、室内の現状から俺はその場で拘束された。
 一年目の記念として買ったケーキは、この騒動によりぐちゃぐちゃに潰れ、もはや原型を留めていなかった。


 一週間後。
 騒ぎを大きくしたくないという彼女の希望により、俺は罪に問われることはなかった。しかし、この一件は俺の会社に話が及んだ。次の週末に、上司より退職してほしい旨を伝えられた。
 情けというべきか、表向きでは自主退職という扱いにしてもらえたのだが、厄介払いをしたいという会社側の思惑が見えた俺は、怒りに任せて会社で暴れた。そのせいで少額だが貰えるはずであった退職金も貰うことができず。また、当然ではあるがちづるも俺のもとを去って行った。俺は必死で謝り引き止めようとしたが、あれだけのことをした後では、何を言っても暖簾に腕押しだった。
 加えて示談に収める要件として、俺は今後の接触も禁じられた。俺は彼女へ罪の償いもすることができなくなってしまった。結果として、俺には何も残らなかったのである。
 …いや、一つだけ残ったものがあった。
「鷺沼さん。あんた返済遅れるなら遅れるで、きちんと連絡するのがルールってもんじゃないですかね」
 退職した次の日、追い討ちをかけるように、数人の部下を連れて檜山は俺の家にやってきた。開いた玄関の扉に手をかけ、ぬうっと室内に入ってくる。
 この悲惨な状態の要因となったその男を見た瞬間、俺は我慢できず、檜山に食って掛かった。そうはいっても体躯の差が激しい自分と檜山とでは、勝者は歴然だった。簡単にあしらわれ、そのまま床に叩きつけられる。
「私のせいにされても困りますね。そもそも、あんたが返済期限を忘れていたことが原因であって、いつもどおりきちんと返済していれば、こんなことにはならんかったでしょうに」
 おそらく檜山はこういったことに慣れているのだろう。彼は淡々と正論を述べる。
「それでも!あんたが家に来ることがなければ、俺はまだちづると…それに仕事だって!失うことなんて…!」
 頭では分かっていても納得することができず、ただ感情のまま叫ぶ。そんな自分が、より一層無様に思えた。
「鷺沼さん」檜山は俺を解放した後、まるで俺の耳に響くよう、一音一音はっきり発音して言った。「あんたが借金のことをその彼女さんに隠していたことは、あんた自身の事情であって、私らは知らぬ存ぜぬなんですよ。分かっていないようなんで、敢えて言わせてもらいますがね、私らとあんたの関係は、金を貸す。そして借りる。それ以上の何物でもないんですよ」
 そう。檜山からしてみれば、金を返済期限までに返さない俺は悪者であり、その悪者がどうなっても関係ないことなのである。
「毎月の返済金額、下げても良いから払ってくださいよ。うちとしてはちゃんと払ってもらえればそれでいいんだから」
 そう言ってから、俺の肩をぽんぽんと軽く叩いた。笑顔ではあったが、目は笑ってはいなかった。
「これからもよろしく頼みますよ、鷺沼さんはお得意様なんだからねえ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

パラダイス・ロスト

真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。 ※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。

無限の迷路

葉羽
ミステリー
豪華なパーティーが開催された大邸宅で、一人の招待客が密室の中で死亡して発見される。部屋は内側から完全に施錠されており、窓も塞がれている。調査を進める中、次々と現れる証拠品や証言が事件をますます複雑にしていく。

聖女の如く、永遠に囚われて

white love it
ミステリー
旧貴族、秦野家の令嬢だった幸子は、すでに百歳という年齢だったが、その外見は若き日に絶世の美女と謳われた頃と、少しも変わっていなかった。 彼女はその不老の美しさから、地元の人間達から今も魔女として恐れられながら、同時に敬われてもいた。 ある日、彼女の世話をする少年、遠山和人のもとに、同級生の島津良子が来る。 良子の実家で、不可解な事件が起こり、その真相を幸子に探ってほしいとのことだった。 実は幸子はその不老の美しさのみならず、もう一つの点で地元の人々から恐れられ、敬われていた。 ━━彼女はまぎれもなく、名探偵だった。 登場人物 遠山和人…中学三年生。ミステリー小説が好き。 遠山ゆき…中学一年生。和人の妹。 島津良子…中学三年生。和人の同級生。痩せぎみの美少女。 工藤健… 中学三年生。和人の友人にして、作家志望。 伊藤一正…フリーのプログラマー。ある事件の犯人と疑われている。 島津守… 良子の父親。 島津佐奈…良子の母親。 島津孝之…良子の祖父。守の父親。 島津香菜…良子の祖母。守の母親。 進藤凛… 家を改装した喫茶店の女店主。 桂恵…  整形外科医。伊藤一正の同級生。 秦野幸子…絶世の美女にして名探偵。百歳だが、ほとんど老化しておらず、今も若い頃の美しさを保っている。

アザー・ハーフ

新菜いに/丹㑚仁戻
ミステリー
『ファンタジー×サスペンス。信頼と裏切り、謎と異能――嘘を吐いているのは誰?』 ある年の冬、北海道沖に浮かぶ小さな離島が一晩で無人島と化した。 この出来事に関する情報は一切伏せられ、半年以上経っても何が起こったのか明かされていない――。 ごく普通の生活を送ってきた女性――小鳥遊蒼《たかなし あお》は、ある時この事件に興味を持つ。 事件を調べているうちに出会った庵朔《いおり さく》と名乗る島の生き残り。 この男、死にかけた蒼の傷をその場で治し、更には壁まで通り抜けてしまい全く得体が知れない。 それなのに命を助けてもらった見返りで、居候として蒼の家に住まわせることが決まってしまう。 蒼と朔、二人は協力して事件の真相を追い始める。 正気を失った男、赤い髪の美女、蒼に近寄る好青年――彼らの前に次々と現れるのは敵か味方か。 調査を進めるうちに二人の間には絆が芽生えるが、周りの嘘に翻弄された蒼は遂には朔にまで疑惑を抱き……。 誰が誰に嘘を吐いているのか――騙されているのが主人公だけとは限らない、ファンタジーサスペンス。 ※ミステリーにしていますがサスペンス色強めです。 ※作中に登場する地名には架空のものも含まれています。 ※痛グロい表現もあるので、苦手な方はお気をつけください。 本作はカクヨム・なろうにも掲載しています。(カクヨムのみ番外編含め全て公開) ©2019 新菜いに

失せ物探し・一ノ瀬至遠のカノウ性~謎解きアイテムはインスタント付喪神~

わいとえぬ
ミステリー
「君の声を聴かせて」――異能の失せ物探しが、今日も依頼人たちの謎を解く。依頼された失せ物も、本人すら意識していない隠された謎も全部、全部。 カノウコウコは焦っていた。推しの動画配信者のファングッズ購入に必要なパスワードが分からないからだ。落ち着ける場所としてお気に入りのカフェへ向かうも、そこは一ノ瀬相談事務所という場所に様変わりしていた。 カノウは、そこで失せ物探しを営む白髪の美青年・一ノ瀬至遠(いちのせ・しおん)と出会う。至遠は無機物の意識を励起し、インスタント付喪神とすることで無機物たちの声を聴く異能を持つという。カノウは半信半疑ながらも、その場でスマートフォンに至遠の異能をかけてもらいパスワードを解いてもらう。が、至遠たちは一年ほど前から付喪神たちが謎を仕掛けてくる現象に悩まされており、依頼が謎解き形式となっていた。カノウはサポートの百目鬼悠玄(どうめき・ゆうげん)すすめのもと、至遠の助手となる流れになり……? どんでん返し、あります。

ダークランナー

不来方久遠
ミステリー
それは、バブル崩壊後による超不況下の頃だった。  元マラソン・ランナーで日本新記録を持つ主人公の瀬山利彦が傷害と飲酒運転により刑務所に入れられてしまった。  坂本というヤクザの囚人長の手引きで単身脱走して、東京国際マラソンに出場した。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

処理中です...