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第五章 「成り代わり」の終わり

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 今の自分は、うまく笑えているだろうか。
 驚愕する詩音。絵美、いや、『成り代わり』をした雄吾は、緊張からか唾をごくりと飲み込んだ。
 バレてしまった。まさか、たった一言。その言い間違いに、彼女が気付くなんて。
 しかし、そうだとしてもこの場所に上手く…絵美に『成り代わり』をして、来ることができたのは本当に良かった。

 どのタイミングで『成り代わり』をするか。

 それが一番のポイントであり、課題でもあった。
 絵美の家を訪れた詩音は「絵美さんは行きのドライバー」と話していた。もしも運転中に『成り代わり』などすれば、惨事を引き起こすことになりかねない。
 地図アプリのカーナビ機能を使えば、おおよその時間は分かる。しかしその時間どおりに到着する訳がない。いくら一度、雄吾自身その場所を訪れていたとしても、運転者によって速度も違うし、感覚では不可能だ。
 そこで雄吾が思いついたのが、無料で使える位置情報通知アプリだった。
 存在は知っていたが、実際にそれを使ったことはない。物は試しということだったが、上手くいったようだ。
 絵美の家で、彼女に『成り代わり』をしていた雄吾は、痕跡が残らぬよう、自分のスマートフォンで良さげなアプリを探し出す。目星がついたところで、絵美のスマートフォンを開く。顔認証のロック。、難なく解除することができた。
 見つけたアプリは期待値以上で、十分おきに一度、指定した別のスマートフォン上の親アプリへと、住所情報を送ってくる。親アプリは、もちろん雄吾のスマートフォンに入れた。
 あとは、待つだけだ。
 その後、0時になって二時間と少し。彼女達が中之獄神社に着いた。恐らく妙義山へと向かい始めたところを見計らい、『成り代わり』をしたという訳である。
「そっか、直樹はいなかったのか」
 よいしょ、と雄吾は自分が掘っていた穴から這い出て、詩音から少しだけ距離をとった。詩音は立ち上がり、息をつく。
「どういうこと。あなたはどう見たって、絵美さんよ。なのに、雄吾君だなんて。女装にしても、全然…」
 それなのに、絵美の姿で雄吾と言われ、詩音は納得してしまっていた。目で見える事実との矛盾を脳内で解消できず、気分が悪くなりそうだった。
「天使」
「は?」
「俺は天使から、他人に成り代わる力をもらったんだ」
「何を、言っているの」
「数日前、天使と名乗る男がうちにやってきた」
 それから雄吾は、次のとおり話をした。
 天使は「人の望みを正しく叶える」ための調査をしていると。
 調査では、無作為に選ばれた人間が調査対象になると。
 選ばれた人間の望みを一つ、叶えてくれるのだと。
 突然の荒唐無稽こうとうむけいな話に、詩音は首を傾げた。
「じゃあなに?それをして今、雄吾君は絵美さんに成り代わってるってこと?」
「ああ」
「そんな作り話みたいなことってある?」
「あるよ。君の目の前に」
 雄吾が肯くと同時に、詩音は大声で笑い出した。「あーおかしい」と、腹を抱えて。
「俺がこうして、絵美さんに成り代わっているのはさ」
「うん、うん」
「君達に罪を償って欲しいからなんだ」
「罪、ですって?」
 詩音の笑みが消える。構わず、雄吾は「永塚さんに、あとそれ」と絵美の腕を上げ、細く白い人差し指で、彼女の隣にある死体を指差した。「山本だよな」
「そうね」
 山本。見るも無惨な状態の彼を見て、雄吾の頭には、この前のコンビニではなく、高校時代の彼の顔が浮かんだ。あの陽気で明るい性格だった彼とはもう、会話することができない。拳をぎりりと、強く握った。
「二人を殺した、その罪だよ」
 雄吾がそう言ったところで、詩音は隣の山本の死体に目を向けた。それから「ごめんね」と、パックに入った彼の首を両手で持ち上げた。
「彼はただ、運が悪かっただけ。彼が、私達がここへ来たことを、ぺらぺら喋ったりするもんだから。昨日の昼、ここに来た時に殺したの。ボロが出る前に処理しないとだったから、急いで」
「ふうん…」
「でも」そこで彼女の表情は一変した。山本の首を置き、その鋭い視線を雄吾に向けた。「あいつの償いなんて、駄目よ。あいつは殺されて当然だったんだから」
 永塚辰馬。
 あいつとは、彼を指しているのだろう。
「君や直樹がどうして、永塚さんを殺してしまったのか。それは、絵美さんに関係することなんだよな」
「どうしてそう思うの?」
「詩音、絵美さんの家に来ただろ。その時…」
「ああ」腕を組んで考え込んでいたが、えっ、と小さく声を上げ、怪訝な表情を雄吾に向ける。「あの時の絵美さん、雄吾君だったの」
「訳ありでね」
「どおりで。そっか」納得するように、彼女は目を細めた。「会話が変だと思った。それならお父さんの件も頷けるわ」
「お父さんの件?」
「絵美さんのお父さん、今は日本にいるって聞いてたから」
 聞けば、彼女の父親が単身赴任先の韓国で働いていたのは、昨年までだという。今は日本で働きつつ、時々韓国に出張しているそうだった。
「知らなかった。それなら確かに、変だと思うよ」
「うん。でも、目の前にいるのは、どうみても絵美さんだったもん。まさか『成り代わり』なんか起きてるだなんて、思いもしないでしょ、普通」
 そりゃそうだと思いつつ、雄吾は話を元に戻した。
。絵美さんの家で、君はそう言ってた」
「言ったっけ?」
「とぼけるなよ」
 雄吾の言葉に彼女は鼻を鳴らした後で、肩をすくめた。
「まあ、そうね。発端が絵美さんってことは間違いないけど」そこで詩音は一人、かぶりを振った。「でも、結局のところ。永塚は死ぬ運命だったかも。だって、あいつは女の敵だったもの」
「エネミーのことなら、俺も知ったよ」
「話、早いのね。きっかけはそれ」ふうと大きく息をついた詩音は、虚ろな表情を浮かべた。
「あいつが絵美さんに好意を抱いていたのは、知ってた?」
「まあ、当然よね」
「あいつが告白したってことも?」
 雄吾が肯くと、詩音はうええと舌を出した。
「『俺と一緒になる運命なんだ』だって。きもいよね。当然絵美さんは断ったわけだけど。それを快く思わなかったあの男は、計画してた。来週の旅行で、絵美さんにその、乱暴しようって」
 雄吾は何も言わなかった。事情は既に知っていただけに、先を話すのは、彼女の役目だと思った。
「それを知ってね。直樹君を連れて、部室にあいつを呼び出したの。あの時の私、相当頭に血が上っちゃってたみたい。
 それが三日前の夜。鍵が閉まって、誰もいなくなった部室棟に。鍵は、直樹君が無理矢理ね。壊しちゃった」
 そういえば観月が言っていただろうか。夜中に部室棟の扉の鍵が壊されていたらしいと。
「永塚は私達が呼び出した時刻に、気色の悪い笑顔を携えてやってきたわ。直樹君がいたせいか、露骨に機嫌が悪くなったんだけど。多分、下心でもあったかしらね。
 その態度で、言葉が止まらなくなった。あんまり覚えていないけど、矢継ぎ早にあいつを罵倒した気がする」
 みるみるうちに、永塚の表情は険しくなったらしい。
「永塚さん、あんな性格でしょ。私に色々言われて、プライドが傷つけられたんでしょうね。俺は悪くない、悪いのは自分を受け入れなかったあいつだなんて。言い訳がましく、そんなことを言っていたかしら」
「…それからどうなったんだ」
「あいつは逃げようとした。それを追って」
 そこで彼女は言葉を詰まらせた。
「追って?」
「ええ、うん。非常階段のところね。私達…いや、直樹君と永塚とで、取っ組み合いになって」
「まさかそれで…」
「そ。直樹君が、あいつを突き落としちゃったの」
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