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第五章 「成り代わり」の終わり

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 死体の処理は、次のとおりだった。
 まず、深さ1メートル、半径0.5メートル程度の穴を掘る。その後、山本の死体を袋からだし、その穴に入れる。それだけ。
 それだけとはいえども、その程度の穴を掘るには、かなりの労力がかかる。しかし、やるしかなかった。
「さあ」詩音は絵美に、持ってきていた鉄製のシャベルを渡す。「お願いします」
「私一人でやるの?」
 絵美は目を丸くさせる。何を今更、と詩音は呆れ顔で絵美を見た。
「そういう手筈てはずだったじゃないですか。絵美さんは穴を掘って死体を埋めるって」
 本来は直樹もその一員だったが、彼はいない。彼女一人でやってもらわないといけない。
 それでもなお、きょとんとする彼女に、詩音は内心苛立った。が、あえてその感情は露わにせず、詩音はにっこりと、大きく笑顔を作った。
「早くしてください。ね?」
「あ、ええ」
 絵美は詩音のシャベルを受け取ると、ぎこちない様子で穴を掘り始めた。何はともあれ、ふうと息を吐き、ちょうど近くにあった岩の上にハンカチを敷いて座る。虫除けスプレーでもう一度体中を清めると、何故かすっきりしたように思えた。

 ざくっ、ざくっ、ざくっ。

 シャベルが土を掘る音。幼い頃は砂場遊びでよく聞いていた、軽快な音。何気なく仰ぐと、高い木立の間、少し開けた空間に見えるは夜の闇。ぽつぽつと、まるでふりかけのように散らばった星達。
 あの一つ一つが、地球のように生物の住む星なのだと、昔通っていた中学の先生が宣っていた気がする。何故か、今はどうでも良いことばかりが頭に浮かぶ。本心では、目の前の現実から目を背けたいのかもしれない。

 ざくっ、ざくっ、ざくっ。

 穴はみるみるうちに大きくなっていく。絵美は一心不乱に、シャベルの先を地面に突き刺し、土を穴の外に放り上げる。
 詩音は泥だらけになっている絵美の顔を見つめた。彼女も不憫だと思う。しかし同情しても、こうなってしまった過去は変わらないし、消えもしない。もう、それを周りから知られないようにすることしか、私達にはできない。
 半分まで掘り進めたところで、絵美は泣きそうな表情をして詩音を見た。無理もない。こんな肉体労働、普段やるわけがない。彼女の柔そうな腕をじいっと見た。それから、詩音は己の腕へと視線を移す。絵美と同じか、それ以上に白く、細い。私も大概ではあるが。

 ざくっ、ざくっ、ざくっ。

 絵美は必死に掘り進める。詩音はただ、その姿を見つめているのみ。シャベルが土にささり、ガガガッとくぐもった音。繰り返し、繰り返し。
 長い時間、経った気がする。詩音は汗をもう一枚のハンカチで拭いながら、横に置いてある山本の死体に目を向けた。少し前に保冷ボックスから、出して置いていた。もう、冷やす必要がないからだ。この状況ならむしろ、少しでも早く腐らせた方が良い。周囲から漂う草木の緑臭さは、腐臭を感じさせることはなかった。

 ざくっ、ざくっ、ざくっ。

 更に数十分。穴はもう、人一人寝そべることができる程度までに大きくなっていた。穴の淵あたりに座る詩音と、穴を掘る絵美との間の高低差は、1メートル弱はあるだろう。
 あと少しで、完成する。
「もうすぐ終わりそう」
 詩音は微笑んで、絵美に呼びかける。彼女はそこで手を止めて、シャベルを地面へ縦にまっすぐ突き刺す。それから先程の詩音同様に、空へと顔を向けた。
 少しの間、絵美はそうしていただろうか。
 おかしな状況だった。一体どうしたと尋ねようとしたところで、彼女は思い詰めたような表情を詩音に向けた。それから、一言。
「この人。本当に詩音が殺したの?」
 絵美は山本の死体を指差した。
 彼女の質問の意図がわからなかった。そんなこと、わかっているだろうに。誰が山本を殺したのかだなんて。何故、今このタイミングで。
「どうしたんです。そんなこと」
「いや、ええと」絵美は首を横に軽く振る。「なんでも、いや、その」
「煮え切らないですね。一体なんなん…」
 そこで詩音は、彼女との会話の中にあった、ちょっとした違和感に気付いた。
「なに?」
 絵美は首を傾げる。詩音はその違和感を払拭するために、彼女にそれこそ、何気なく聞いてみた。
「どうして」
「えっ」

 シャベルが倒れ、掘っていたばかりのふかふかな地面に倒れ込んだ。縦に突き刺したそれは、思ったよりも深く刺さっていなかったようだ。
 絵美の顔色は、真っ白に変わっていた。その後、もう一度、いや二度。首を傾けた。
「どうしてって…」
「だっていつもはしおりん、じゃないですか」
 自分の名前は「しおん」だというのに、語呂が良いからと彼女はそう呼ぶのだ。他人に独特のあだ名をつける癖。それは、サークルの全員が知っていて、かつ慣れていた。
 彼女が、自分の名前をそのまま呼ぶというのは、珍しいことのように、詩音は思えた。
「何を言っているのかな」絵美は狼狽えていることを隠すかのように、ふふふと笑い出した。「詩音と呼ぼうが、しおりんと呼ぼうが、私の気分でしょ」
「まあ、それはそうですけど」
 絵美はシャベルを拾い上げ、ごめんねと土に突き刺す。
「早くやんないとだったね。駐車場にいるひでぽんも、待ちくたびれちゃうだろうし」
 シャベルを持ち上げ、作業に戻ろうとする彼女を、詩音はまたも静止させた。いや、そうせざるを得なかった。
「何を言っているんです」
「何をって?」
「ここへは、私と絵美さんの二人だけで来たでしょう?」
「え、帰りはひでぽんが運転じゃ」
 絵美はそこで言葉を切る。そして何かを察したのか、口を半開きにして、その場で動かなくなった。が、次の瞬間、彼女は、表情無く詩織に顔を向けた。そんな彼女は、普段からよく知っている彼女の雰囲気とは一切異なっていた。
 徐々に大きくなってくる胸の鼓動。詩音は唇を震えさせながら、次のとおり彼女に聞いてみた。我ながら、馬鹿げた質問だ。しかしその時の詩音は、それを聞かずにはいられなかった。
「あなたは、本当に絵美さんなんですか」
 絵美は目が飛び出そうなくらいに瞼を見開く。しかしその後、何かを悟ったように柔和な表情を詩音に見せた。
「詩音」
 また、詩音。
 絵美は、もう間違いを隠すことも無い。
「永塚さんの死体が、見つかったよ」
「そんなこと知ってますよ」
「君が、直樹と一緒に彼を殺したんだ。そうだろ」
 詩音は目の前の彼女の全身、顔へと視線を移していく。いくら見ても、絵美にしか見えない。しかしやはり、雰囲気も、口ぶりも、何もかも違う。
 目の前の女は絵美ではない。別の、誰か。
 絵美はシャベルを、地面に投げ捨てた。
「もう終わりだよ。ここには、じきに警察も来る。こんなところで、こんな恐ろしいことをする必要なんて、無い」
「…だから」
「もう、やめよう。やめて良いんだ」
「だから、あんたは誰なのよ!」
 思わず叫んでしまっていた。
 彼女は詩音を見つめた。知っている顔なのに、まるで知らない顔。絵美を名乗る、絵美の姿をした何者か。ぞわりと、もの言えぬ恐怖に鳥肌が立った。
 絵美は口をきゅっと結ぶ。その後、にこりと笑って言った。

「俺は、立花雄吾だよ」
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