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第三章 彼女の嘘
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しおりを挟む「驚いた」
結衣は興奮しながら、隣の雄吾を見つめた。
「言ったろ。そうなるって」
「話に聞いていても、実際にやるとね」
数分前。雄吾は結衣に成り代わっていた。彼女から一度、『成り代わり』を見ておきたいと言われたが故のことだが、彼女の信頼を得られると考えると、断る道理はなかった。
「性別関係なく成り代われるんだ」
「ああ。それは確認済み」
「確認?」
「天使に」
ぶっ、と結衣は吹く。「何?わざわざ聞いたの?女になれるかって?」
「悪いかよ。いっ…」
そこで頭に、ズキンッと鋭く強い痛み。雄吾は反射的に、右手で頭を抑えた。
「大丈夫?」
「え、ああ。これをした後、少し痛むんだよ」
もう三回目にもなるが、慣れそうにない。継続しないだけマシなのだろうか。
ちょっと待ってねと、結衣は後部座席に置いていた自分のカバンから、花柄のポーチを取り出す。チャックを開け、中からフィルムに包装された薬を取り出した。
「頭痛薬だけど。いる?」
「え、ああ。いや」少し考えたが、雄吾は首を横に振った。「すぐにやむし、大丈夫だよ。それに、薬の効果が出る前に、やんじゃうと思うしさ」
「ほんと?」
「うん」
怪訝な表情だったが、無理強いするものでは無いと判断したのか、結衣はポーチに「それならしまっちゃうね」と薬を入れ直した。
雄吾は「悪い」ともう一度謝る。親切心はありがたかったが、事実今口にしたことと、単なる頭痛じゃないだけに、効果は期待できなかった。
「それで」結衣はポーチをカバンに薬をしまった後に、雄吾に尋ねる。「話を戻すけどさ。雄吾、女になれるって聞いたんだよね。天使はなんて言ったの」
「実際にやってみると良いって」
「それ、確かめたって言えなくない?」
「でも否定はされなかったし、できるんだとは思っていたからさ。事実、成り代われただろ」
雄吾は結衣に成り代わった後、彼女のまま車を出て、後部座席に乗り込んだ。それから座席を最大まで倒す。成り代わり前に、二人で決めていた「成り代わりを証明する行動」だった。
そうしてから、指を鳴らした。雄吾の意識は月の引力に引っ張られるように、本当の自分の体へと戻った。
今回の『成り代わり』は、それだけだった。一日二回限定の能力。若干のもったいなさも感じたが、それ以上に得るものがあった。
「目覚めた瞬間、時間が飛んだようだったよ。瞬きをするために一度瞼を閉じて、次の瞬間には『成り代わり』が終わってた」
「そうなると、成り代わられたって実感は無いってことか」
雄吾のその質問に、結衣は「そうなんだけど」と煮え切らない口調をした。
「『成り代わり』が終わった後ね。一秒、また一秒って経つたびに、雄吾が成り代わっていた時の情景が頭に入ってきたの」
天使が言っていた、後で記憶を繋ぎ合わせる手間がある都合からなのだろうか。「雄吾の記憶」は、『成り代わり』をした相手の頭に、遅れてやってくるようだ。
「じゃあ、『成り代わり』のことを知っている人間には、自分がそうされたってわかるわけなんだ」
「ええ。でも、そもそも『成り代わり』なんて、知っているどころか信じる人がいるのかって話ね」
雄吾は目の前でそう宣う該当者の顔を見て、心の中で苦笑する。
「他にわかったこと、ある?」
「あとはやっぱり、『成り代わり』中の自分の体の動向が知れて良かった。俺、ピクリとも動いてなかったよ。まさしく、抜け殻だった」
抜け殻。天使も、最初に挙げた条件でそう言っていただろうか。雄吾は自然と蝉の抜け殻を思い浮かべた。電信柱や自宅アパートの壁。そこかしこで最近、目にするようになってきた気がする。あと数日もすれば、日中は成体の鳴き声が響き渡るに違いない。
「入れ替わっているんじゃなくて、あくまで『成り代わり』ってことね」
雄吾は肯いた。「いずれにせよ、これで分かっただろ。『成り代わり』が本当にできるってこと」
「もちろん。あんたを信じるよ」
結衣ははっきりと、語尾を強くしてそう述べた。真剣な表情で、彼を見つめる。ここに来る途中の、彼女の告白と相まって、雄吾は少なからずドキッとした。
彼女の態度は何も変わっていない。故に、雄吾もまた、同じように態度には出さないことに努めている。しかしやはり、少しは意識してしまう。
結衣とは、成都大に入ってから親しい間柄だった。
きっかけは、あの食堂での騒動だった。雄吾としては、格好悪いところを見せることになったあの出来事は、詩音だけではなく彼女とのつながりも作ったことになる。
それからのYHクラブでの生活は直樹、詩音と共に彼女とずっと一緒だった。楽しかったし、居心地も良かった。
もしも、彼女と恋人同士になったとしたら、今の関係はどうなるのだろうか。
今までどおりというわけにはいかないのだろう。直樹と詩音は、その懸念を顧みずに今に至り、挙句の果てに法に触れることまでやってしまっている。自分だけ…自分達だけが関係維持に努めても、仕方がないのかもしれない。
続けて思い浮かぶのは、昨日の夕方の、部室棟での絵美との会話である。節操が無いと、あの時は自分を恥じたが、節操が無いからなんだというのだ。誰に何を恐れているのだ。
自分が詩音を好いていることは、サークルの皆に知られていると、「ひのき」で結衣が言っていただろうか。つまり…つまりは、そのなかであって、おいそれと他の女へと目を向ける。その場合の、他人からの自分の評価。高いものになるとは思えない。
自分はそのように評価されることを恐れているのだ。そのことに雄吾は、はたと気がついた。
詩音の存在は、未だ自分の心を縛り付けている?
詩音とは無理だよ。
しかしそれは、今も恋しているから…等といった甘酸っぱいものではない。自分の心を縛る鎖を、緩めたいがための言葉を吐いたのは、そう思っている何よりの証拠ではないのか。
「さて、どうしよっか」
どきりと、心臓が蛙のように跳ねた気がした。硬直した体、そのまま首を結衣に向ける。ぎぎぎと、錆びたロボットのように音が鳴りそうな、ひどく緩慢な動きになった。結衣は気にもせず、ダッシュボードの上に置いていた帽子を、空色のネイルがついた人差し指でつつく。
「ここにいても、意味無いよね」
雄吾は、前方に顔を向けた。ぎぎぎ。彼女の目が見られなかった。もしかすると。本当にもしかすると、結衣はこのまま、どこかに泊まりたいとでも思っているのかもしれない。自分なんかと…と思いもするが、今日の結衣の言動からしてみても、彼女は自分に好意を抱いているのだから。
しかし、つい今程考えていたこと。
詩音に好意を抱いている自らの考えが、切れかけの電球のように、頭に一瞬映っては消える。
「帰ろっか」
「えっ」
「東京」
雄吾が呆然としていると、「明日も講義があるでしょ」と彼女は大きく伸びをした。
「どうしたの?」
「あ、いやなんでも…」
そこで、雄吾は結衣を見つめた。彼女もまた、雄吾のことを見つめていた。凛とした表情。少し、つりあがった瞳。ほんのりと、狐を彷彿とさせる。可愛げはあるが、性格がきつそうとか、気が強そうとか、サークルの男連中は、結衣のことをマイナスな印象で捉えがちである。しかし実際は冗談も言うし、よく笑うし、お洒落が好きで、情に熱いところもある。
考えると、雄吾にとってサークルで一番気兼ねなく、仲が良いと言える異性は、彼女に違いなかった。
「なに?」
「あ、いや」心を見透かされているかのように思えた雄吾は動揺を悟られぬよう、ハンドブレーキに置いた手に力を入れる。「帰るか」
「うん」
そのまま、汗ばむ手でハンドブレーキを「D」にうつしていく。ガチャ、ガチャ。ゆっくりとそうした気はなかった。
しかし、スローモーション。
彼自身、無意識のうちに、そして緩やかにそれをおこなったように思えた。
対して、隣から近づいてくる結衣の顔、そして彼女の唇。それは、ひどく俊敏だった。相対的にそう思えただけなのかもしれないのだが、それでも。
その時その瞬間、雄吾は時が止まったかのように思えた。
永塚辰馬の遺体が発見されたのは、そのちょうど四時間後のことだった。
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