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第三章 彼女の嘘

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 直樹は、観月がよく座っているソファの上に座っていた。それから、入口に立ったままでいる雄吾に手を振った。
「直樹…」
「待ちくたびれたよ」
「待ちくたびれたって」そこで雄吾はあえて、先程観月達から聞いたことは伏せて聞いてみることにしてみた。「俺を、待ってたのか」
 直樹はゆっくりと一度肯く。雄吾は恐る恐る、靴を脱いで室内へと足を踏み入れた。
「俺は別に、直樹に用事無いんだけど」
「じゃあ、雄吾はここに何しに来たんだ?」
「探し物。パスケース、無かったかな」とわざとらしく周りに視線をきょろきょろと向けて、返す。
「それならほら」
 直樹の方を向きつつ、直樹から投げられた物を反射的に両手で受け取る。探していたパスケースだった。
 ちらり、中身も見る。免許証が一枚。昨年の夏前に取得したグリーン免許。固い表情をした自分の写真は、間違い無く自分のものだった。
「これ…」
「鍵付き戸棚に保管されていたよ。櫻子さんだろうな。あの人にお礼を言っておけよ」
「いや、そうじゃなくて」雄吾は直樹の顔を見る。「なんでお前が今、これを持ってた?」
「今日ここに来た時に忘れもんをした気がしてさ。さっき、戸棚を探っていたら、偶然それを見つけたんだよ。どうせお前に会うだろうから、持っておこうかなって思っただけだよ」
 直樹は表情を変えずに、淡々と述べた。
「…探し物は見つかったのか」
 彼は大袈裟に肩をすくめた。「どうやら、忘れたもんなんて、無かったみたいだった」
 なんだか釈然としない言い方。雄吾はひとまず、会話を続けることにした。
「それで。俺を待ってた理由は?」
「え?」
「えっ」
「理由?」
「さっき直樹、自分で言ってたじゃん」
「ああ。いや」直樹は頭を掻く。「実は大した用事じゃなくてさ。今日お前と会えなかったから。少し、顔が見たかったんだ」
「それはまた、なんで」
 そこで直樹は、少しだけ俯いた。
「直樹?」
「いや、あのさ。昨日あんなこと、俺言っただろ」
 昨日。目の前の男と昨日話したことなんて、一つしかない。直樹は顔を上げた。
「最初はさ、俺は隠さず言うべきだって思ったよ。でもさ、それじゃお前の気持ちを考えてなかったかなって。だから気になって」
 余計なお世話。頭にその言葉が浮かぶも、口に出すことは控えることにして、息をふぅと吐く。「別に気にしてないよ」
「ほんとか?」
「ああ。それに、お前から昨日聞かなかったとしても、後々知ることになっただろうしさ」
「…まあ、それもそうか」
「でもそれなら、普通連絡ぐらいしろよ。もし、俺がここに来なかったら、待ちぼうけだったぞ」
「はは、まあな」
 直樹は苦笑いを浮かべつつ、煙草の箱と一緒に取り出した、安物のライターを点けようとする。が、ジジッと微かに火花が散るだけだ。「おかしいな。オイル切れかな」
「部室で煙草を吸うと、絵美さんが切れるって。あの人、大の嫌煙家だし」
「そうだった、そうだった」
 直樹は慌てて、煙草とライターをズボンのポケットに入れる。

 やはりおかしな態度である。なんというか、落ち着きがないというか、そわそわしているというか。
 そこで、直樹のスマホが震えだした。直樹はソファに置かれたそれを即座に掴み上げ、画面を見る。すると、彼の顔の血の気がさあっと引いたように白くなった。
「直樹?」
 雄吾が彼の名を呼んだのと同時だった。直樹は突然、座っていたソファから立ち上がる。
「俺、そろそろ行かなきゃ…」
「え?」
「ま、また今度話そうぜ。じゃあな」
 そう口にしながら、スマートフォンを右ポケットに入れる。そのまま部室を出ようとした直樹を、「待てよ」と雄吾は呼び止めた。
「訊きたいことがあるんだけど」
「なんだよ」
 足を止めて言葉を返しながらも、視線は部室の外を向いている。理由はわからないが、一刻も早くこの場を離れたい様子。このまま行かせてやってもよかった。しかし今の、直樹と二人きりの状況。探りを入れてみるには、絶好の機会に思えた。
「直樹は今日、永塚さんと連絡をとったりしたか」
 雄吾の質問に対して、直樹は想像以上に反応した。
「永塚さん?俺からはとってねえし、あの人から連絡も無かったな」
 声が上擦りながらも、直樹はしどろもどろに首を横に振る。白を切るのは予測できた。心がざわついた雄吾は、次なる攻撃として、ポケットからスマートフォンを取り出した。
「そ、それは?」
「あの人とさ。全然連絡がとれなくて」画面を直樹に見せたまま、雄吾は通話アプリを開く。「ほら、こうやって電話をしても」
「やめろ!」
 部室内に大きく響いた。直樹はふうふうと息を荒げながら、はっとして両手を挙げた。
「悪い。つい、大声が出ちまった」
「いやそれはいいんだけど」気を取り直しつつ、雄吾は直樹に訊く。「やめろって?」
「いや。なんでも…ない」
 しどろもどろにする直樹を前に、雄吾は親指で画面に表示されている通話ボタンを押した。
 部室の中、バイブレーションの音が微かに聞こえてきた。ブーブー。二人とも、思わず無言になる。音の発生源は、雄吾の目の前、直樹のズボンの左ポケットから聞こえてきた。
「どうしたんだ。鳴ってるぞ」
「いや、これはその」直樹は目を泳がせながらも、「別に、良いんだ。でなくても」
 そんな彼に雄吾は近付くと、彼のズボンの左ポケットに手を突っ込んだ。
「何をするんだよ!」
「これ」
 雄吾が直樹のポケットから取り出したものを見て、彼は顔を青ざめる。それはスマートフォンだった。海外の有名なサッカーチームのロゴ入りのケースに入れられたもの。バイブレーションの源は、これだった。
 画面には「立花雄吾」と表示されている。
 雄吾は、目の前で愕然とする直樹を睨んだ。
「なんでお前が、永塚さんのスマホを持っているんだ」
「返せよ」
 直樹はスマートフォンを雄吾から半ば強引に奪い取り、それを持った手を背中側、雄吾の死角へと回した。「あの人に頼まれたんだよ。スマホを部室に忘れたから、取りに行ってくれないかってさ」
「永塚さん本人がくればいいじゃないか」
 雄吾を直樹はキッと睨む。「俺だって、あの人から頼まれたから、ただ取りに来ただけだ。理由なんて知らねえよ」
「そっか」納得するそぶりをしつつも、じゃあと雄吾は両掌を合わせた。「それなら俺が返すよ。あの人に俺、用があるからさ」
 雄吾が手を伸ばすと、直樹は大袈裟に首を横に振った。「いや、良い。俺が頼まれたことだから、俺が私に行く。おせっかいはやめろ。迷惑だから」
「迷惑だって?」
 彼の変な態度と言葉に、良い加減頭にきた雄吾は、勢いに任せて、それに触れることにした。「そんな、断るなよ。なんだか別の理由…裏があるように思いかねない」
「それって、どういう意味だよ」
「言葉のまんまさ。本当に、永塚さんに返すってためだけに、それを持っているのかなって」
「お前、なにを言って…」
 唖然とした表情の直樹だったが、その後すぐにははあと何度か肯いた。「なるほどな。わかったぞ」
「は?何が?」
「お前、やっぱり気にしてるだろ、詩音のことで。だから、そうやってやっかみを吹っかけてくるんだな」
「なんだと?」雄吾は自分の顔が火照るくらいに熱くなるのを感じた。
「残念だったもんな。詩音と付き合いたい一心で、同じサークルに入ったくらいなのに」
「お前…」
「俺のこと、憎いだろ。え?でもな、あの女は俺がもらっちまったよ。お前がしてきただろう妄想は、この先俺がじっくりと味わって」
 気付くと、部室の外の廊下で、頬を抑えながら直樹が尻餅をついていた。じんじんと痛む自分の拳。無意識のうちに、どうやら彼を殴ってしまっていた。
「図星かよ。カッコつけやがって」直樹は立ち上がり、ぱんぱんっと尻をはたく。「殴るのはアウトだろ」
 どの面下げてその口がきけるのか。またも拳を振りかざそうとしたところだったが、次の彼の挙動に、思わず雄吾はその動きを止めた。
 彼は口に人差し指を当てていた。それから次に「喋るな」と、声に出さずに口だけで示す。
 彼のその人差し指は、ぶるぶると震えていた。
 呆然とする雄吾をそのままにして、直樹は吐き捨てるように…それこそわざとらしく、ソファを指差した。
「頭冷やしてから帰れよ、そこで。俺はもう帰るよ」
「直樹、お前…」
 くるりと体を反転させた彼に声をかける。すると直樹は片手を上げ、左右に少し揺らす。「殴ったことは、一つ貸しにしといてやるから」
 恩着せがましく直樹はそう言うと、非常階段につながる扉を開け、その場を去っていった。
 少しの間、雄吾はその場に立ちすくむ。
 彼には聞きたいことがあった。しかし足が動かなかった。
 突如、下半身の力が抜ける。眩暈がする。なんとか堪えつつ、腕時計を見た。午後七時まではあと、十分。少しばかり、彼の言うとおりソファで休んでも良いかもしれない。
 よろよろ近寄ると、ソファの尻を埋める部分、紙が二枚折りにされて、挟まっていることに気がついた。座り込みつつ、雄吾はそれを手に取る。
 広げてみると手のひらサイズ程度の大きさ。何かしらの講義の出席表のようだ。空いたスペースに、小さくも書き殴ったかのような文章が、ボールペンで書かれていた。なんだろうかと見たところで、思わず雄吾は目を見張った。

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