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第三章 彼女の嘘

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「二人して、これからどこかにお出かけ?」
 空色で半袖のワンピースに、彼女が好きだという絹でできたトートバッグ。歩くたびに編み込みの入った後ろ髪がちらちらと左右に揺れて見え隠れする。

 詩音は、彼らの座るテーブルまで近寄ってきた。
 雄吾は彼女の質問に、すぐさま返答できなかった。
 彼女は確か、直樹と一緒にいたはずだった。
 どうしてここに。
「よ、詩音」落ち着かない様子の雄吾と違い、結衣はまるで彼女の登場が予定調和であったかのように、平然とした態度で彼女に応対する。「雄吾と二人で、来週の旅行でやる催しで使う、備品の買い出しに来てんの」
「催し?なんかやるんだっけ?」
「えーっとほら。二日目の最後にやる、四年の先輩方の送別会的なやつ」
「ああ、そのこと」
「色紙とか、ペンとか。さっき部室に行った時に、絵美さんに頼まれちゃって。ね、雄吾?」
「え。あ、っつ……そ、そうだよ」
 二人の会話をぼけっと聞いていたところ、テーブルの下で結衣に思い切り、足の甲を踏まれる。じんじんとした痛みに耐えながらも、どうにか雄吾も笑顔を作ることができた。
「あー、そうなんだ。大変だね」
「どうってことないよ。絵美さん、いつもこうだもの」
「あ、ああ。まあ、そうだな」
「それで今は?」
「今は、えーっと、そう。ちょっとばかし休憩中なの。少しは買えたから」
 雄吾をちらりと見た後に、結衣は自分の鞄の中から、雑貨屋の袋を取り出した。
 雄吾は内心感嘆する。彼女はアドリブなのだ。よくもここまで即興で、しかも違和感を与えずに話せるものである。彼女に合わせる形で、雄吾もこくこくと頷いた。
「そっか。二人ともお疲れ様」
 詩音はにこりと微笑む。まさに天使―実際の天使は、イメージとは程遠い様相だったが―である。所作の一つ一つに可愛さを感じてしまう。もやりとした感情が、己の心に産まれる。雄吾はなるべく考えないように、テーブルの上の水を飲んだ。
「ところで、直樹はいないの?」
「どうして直樹君?」
「なんかさっき、二人で部室を出て行ったって観月さん達が言ってたからさ」
 バイト?と訊く結衣に、詩音は肯いて返した。
「うん。今日はてっぺんまでだってさ」
「そんなに長く?」
 詩音はちらりと横目で雄吾を見て、すぐに結衣に視線を戻した。それから自身と直樹との関係について両者とも知っていることを察したようで、「そうなの」と眉をハの字にした。
「もっと会いたいでしょ」
「ただ、向こうには向こうの生活もあるし」
「それはそうだけど。…詩音のとこ、男子禁制だっけ?」
「え?あ、うん」
 詩音は成都大の学生寮に住んでいる。女子専用の宿舎のため、男子学生を含む異性を連れ込むのは原則禁止という扱いになっていた。
「じゃあ二人きりってのもあまり?」
 詩音はこくこくと首を縦に振る。
「まだ付き合い始めってのもあるから」
「直樹の家には、行ったりするの?」
 ぐいぐい攻める結衣。積極的なところをみると、恐らく前から気になっていたのだろうが、聞くに聞けなかったのだろう。詩音は首を横に振る。「彼、バイトもあるし。あまり行ってないかなあ」
「えー、なんかそれだと少し寂しいね」
 まあね、と詩音は俯くも「でも、いつでも会えるから」と、再び笑みを浮かべる。
 彼女の発言一言一言が、心に棘のように突き刺さる。さっき結衣にはあんなことを言ったくせに、なんだかんだ未練たらたらではないかと、自分の器の小ささに改めて舌打ちをしたくなった。
 それから詩音は結衣の隣に座った。アイスカフェオレを頼むと、両肘をテーブルの上につき、にやにやと結衣と雄吾を交互に見る。
「な、なによ」
「お似合いだなぁって」
「はあ?」
「結衣と雄吾君」
 何を言い出すものかと思えば。詩音はふふっと笑った。
「前々から思ってたんだ。二人、付き合っちゃえば良いのにって」
 まるで先程結衣に質問攻めされた仕返しのように、意地の悪い笑みを浮かべる詩音。
「やめろそういう冗談は」
「そうだよ。なんでこいつと…」
 二人に否定され、詩音はしょんぼりと眉尻を下げた。
「先はまだ長いかな」
「え?」
「たまに、直樹君と話すの。ダブルデートってやつ、してみたいねって」
 憧れがあると、目をキラキラと輝かせる詩音。雄吾は、いい加減にしてくれと叫びたくなった。
「それは別の人達にお願いしてよ。ほら、観月さん達とか…他にも学部の友達とかさ」
「えー。サークルの同期同士でやるから気楽なんじゃない。それに一番仲良い間柄でやりたいじゃん」
 淡々と返していた結衣も、うんざりした表情だ。詩音は完全にお花畑なようで、それでもふんわりとした笑顔を二人に向けた。
「だから、き付けてごめんね。とにかく、良い人がいたら教えてね。全力でサポートするから」
「ありがと。と、今は言っておく」
 やれやれと肩をすくめる結衣。雄吾が限界を迎えそうになったところで、詩音はふわぁと口を抑えながらも欠伸をする。
「あんた、眠いの?」
「え、まあうん」生返事をした後に「あんまり眠れてなくて」と、詩音は目を擦る。
「これからうちに来る?寝て良いよ」
 詩音は呆れ顔で「何言ってんの。雄吾君と買い出し途中なんでしょ」と返す。結衣はそうだったそうだったと頭を掻く真似をするが、内心しまったとでも思っているようで、その手の動きはぎくしゃくしていた。嘘の綻《ほころ》びを詩音に気付かれてはいけないこの状況。雄吾もまた、手に汗握る。
「それに結衣の家の布団、二階部分のロフトよね。私寝相悪いからなあ」
「大丈夫、救急車呼べば良いんだから」
「落ちる前提なの笑うんだけど」
 何言ってんのーと談笑する二人を見ていて、雄吾はハッとした。好都合である。自分が直樹に『成り代わり』をして、見たあの光景。昨夜のあれはなんだったのか。あの後どうしたのか、どうにかして聞けないだろうかと思った。
「詩音、夜になんかあったのか?」
 有言実行。雄吾は、それとなく聞いてみた。結衣も察して、うんうんと肯く。詩音は少々渋い顔をしていたが、「用があったの」と一言。
「用?夜に?」
「う。うん」
「まさか、直樹も一緒?」と結衣。
「まあ…そんな、とこ」
 詩音は人差し指でこめかみのあたりを掻く仕草をする。「なんというかな。ドライブデート?だったの」
「うわ、ロマンチック!どこに行ったの?」
 両手を合わせて、大袈裟に高い声を上げる結衣に、詩音は少々たじろぎながらも、「江ノ島」と答えた。
「朝焼けを見てきたの。もう良いでしょ、私の話は!」
 おしまいおしまいと胸の前で両腕を交差させ、詩音はバツの字を作った。結衣はいたずらっ子のような表情を浮かべながら、舌を出した。

 その後は講義がどうとか、サークルの旅行がどうとか。他愛もない雑談を三人で話し続けた。三十分程度だっただろうか。バイトの時間が迫ってきたとかで、詩音は頼んだカフェオレを一口だけ飲んで、そのまま店を後にした。
「あんた大丈夫?」
 結衣の自分を心配する声を聞いて、雄吾は体の力を抜いた。口を開いた風船のように、ぐんにゃりと椅子の背もたれに寄りかかる。力が入らない。
「なんていうんだろ」
「え?」
「やったことないけどさ」
「うん」
「今、フルマラソン走った後ぐらいの疲労感」
 雄吾の言葉に結衣もまたはあと深く息を吐いた。
「そうね。すっごい疲れた」
 それから彼女は、肩を何度か回す。しかしまあ、振り返ってみると、大半が彼女の話術のお陰だったのではないだろうか。「すごいよ」と、雄吾は結衣を賞賛する。
「さっきの雑貨屋の袋、あれは?」
「ああこれ?私ここの店でよくピアス買うんだけど。袋が可愛いし、丈夫だしで捨てられないの。だからエコバッグ代わりにいつも入れてるだけ」
「はぁー、よくもそれで即興できたな」
「私、こういうの得意かも」
「詐欺師に向いてるんじゃないか」
「ちょっと。そんな言い方無いんじゃない?」
 頬を膨らませる結衣に悪い悪いと謝りを入れた後で、「とにかく」と雄吾は軽く咳払いをした。
「色々と、分かったな」
「うん」緊張した面持ちで、結衣は強く頷く。
 詩音は直樹と一緒に、群馬へ行ったのだ。
 それから…彼女は雄吾と結衣に嘘をついた。雄吾は改めて、直樹の家にあったレシートを両手で広げる。
 これがある限り、彼らが向かった先は江ノ島ではなく、群馬県であることは間違いなかった。山に囲まれたあの場所で、海辺の朝焼けを見ることはできない。
 雄吾は昨夜見た、永塚の死体を脳裏に思い浮かべた。

 うつろな瞳に、だらんとした全身。

 彼の骸は、詩音と直樹の手で、昨夜その場所に運ばれた。
 彼女の嘘は、そのことを強く示唆していた。
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