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第三章 彼女の嘘

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「詩音を?なんでまた」
 結衣は机の上に肘をつき、頬に手を当てた。
「ほら。私、詩音と一緒にいること多いでしょ。最近、なんていうのかな、おかしいのよ。好きなコスメの話をしても上の空っていうの。いっつも何か考え込んでいるような感じでさ。なんかあったのって聞いても、はぐらかされるっていうか。何も無いよって、けろっとした顔で答えるの。本人がそう言うなら、まあいっかとか思っていたんだけど」
 そこで結衣は口ごもる。
「どうしたんだ」
「いや、あのね」口をきゅっと結んだあとで、意を決したように彼女は口を開いた。「見たんだ。詩音が、直樹と一緒にいるところ」
「…ああ、なるほど」
 雄吾は内心、納得がいった。彼女が自分の態度を伺うような様子だったのは、それを話すことをためらっていたのか。

 雄吾は彼女に、直樹と詩音の関係を自分も知っていることを伝える。「なあんだ、知ってたのか」と、結衣は息をついた。
「でもさ。雄吾、良いの?」
「良いのって。何が?」
「雄吾が詩音のことを好きだってこと。知ってる」
「やっぱり結衣も知ってんのか」
「知らないと思ってるの、あんたらぐらいだよ。あの子、疎いしそういうの」
 直樹もそう言っていた。それだけ、自分の態度はわかりやすかったのだろうか。しかし、当の本人には知られていないだろうということに、少しだけホッとする。
 雄吾は肯く。「まあ、なんていうか、その。もう良いんだよ、別にさ」
「へえ。引きずったりしてないの?」
「引きずった方が良いのかよ」
「そんなわけじゃないんだけどさあ」結衣はなぜか、弾むような声色だった。「でも、良いと思うよ。なんだかんだ、そういうところあるよね、雄吾って。潔《いさぎよ》い?男らしい?そんな感じ。ほら、四月にさ、私と詩音をセイムズの先輩達から助けようとしてくれたし」
「…あれは忘れてくれないかね」
 若干熱くなる顔を覚ますように、雄吾は自分が頼んだアイスコーヒーを二度三度飲み込む。
「でもさ、百パー割り切れたのかって自信持って言えるか不安だけど。この先ふとした時に、思い出すかもしれないから」
「そりゃまあ、そうじゃん?仮にも、好きって思いを抱いていた相手なわけでしょ。むしろすぐに割り切れるんだったら、それはそもそも好きじゃなかったか、もしくは」
「もしくは?」
「憧れの存在だったか、どちらかかな」
「同じようなもんじゃないのか」
「全然。憧れは、好きってより敬うって意味が強いの。高嶺の花って、まさにそれ」
 高嶺の花。雄吾の脳裏に、詩音の顔が浮かぶ。
「だから、引きずっても恥ずかしいものじゃないよ」
「そうかな」
「そうよ」
 結衣はうんうん肯く。彼女の両の耳たぶから垂れ下がる、小さなパールが装飾されたドロップピアスが、ゆらゆらと左右に揺れた。「とにかく」と、雄吾は話を戻した。
「あいつらの関係と、詩音がおかしいってこと、何か関連があるのか」
 結衣は口をへの形にする。
「なんか、私の中での感覚なんだけど。詩音がおかしくなったの、直樹と付き合いだしてからな気がするのよ」
「直樹と?」
「うん。あの二人、二週間前だっけ。付き合いだしたの」
 二週間前。直樹は先週あたりからの交際だと…あいつ、適当なことを言っていやがった。
「雄吾?」
「あ、悪い」頭を切り替え、雄吾は結衣の発言と彼女の思惑を察した。「つまり結衣的には、直樹が詩音をDVか何かしているんじゃないかって、そう思った訳か」
「…まあ、うん」
「結衣?」
「ごめん、そう。そうなの」
 なるほどな、と雄吾は思った。今日、部室前で結衣と鉢合わせた時、彼女は何やら思い詰めた顔をしていた。あれは、直前に出て行った直樹と詩音の様子を伺う予定だったのだろう。
 そうして彼らを見張っていたところで、今度は自分がやってきた。そしてあろうことか、直樹の家に侵入したのだ。驚きつつも、何かしら事情があるのだろうと思い、結衣はあの場所で待機していた。そんなところだろう。
「でもさ」
 雄吾は口を挟む。詩音の様子がおかしかった。それは、"直樹との関係が原因ではない"。雄吾は…結衣もまた、その可能性を感じていた。

 結衣は神妙な顔つきで、雄吾を見る。
「詩音達が永塚さんを殺した。それで、詩音は…」
 雄吾はそこまで言っておきながら、少しだけ違和感を覚えた。結衣も肯く。同じように思ったようだ。
「でもなんで永塚さんを…」
「なんとでも理由は考えられそうじゃない?例えば、永塚さんからあの子、しつこいアプローチを受けていたとか。我慢できなくて、つい…だなんて」
「それは違うんじゃないかな」
「なんで?」
「ほら。永塚さんって絵美さんのことが…」
 雄吾は、今日の部室での会話を思い出した。
「どうしたの?」
「あ、いや。とにかく永塚さんって、絵美さんのこと、好きなんだろ」
「うーん。そうだけどさ」そこで結衣は唸る。かと思いきや、「知ってる?」と彼女は口にした。
「先月末頃に永塚さん、絵美さんに告白したらしいよ」
「え、そうなのか」
 先月末というと、詩音らが付き合ったという二週間前よりさらに前だ。
「で、結果は?」
 そう聞けども、雄吾の中では既に答えが分かっていた。
「撃沈も撃沈。あ、永塚さんがね。そりゃそうだよね」
「…今日部室で絵美さんと話したけど、そんな感じ全くしなかったんだけどな」
 いつも通りのマイペースな様子だったことを話すと、結衣は息をついた。
「当たり前じゃん。そんな、おおっぴらに言うことでもないし。流石の絵美さんも、ペラペラ話すには忍びないみたいね」
「でもさ。だからって、永塚さんもすぐに他の人にアプローチするかな。しかも同じサークル内でなんて」
「いやぁ、どうだろ。永塚さんってサークルの女子人気皆無なの、知ってるでしょ。性格はきもいし、考え方も口調も下品だし。女子と話すとき、全身をじろじろ見てくるんだよ」
「YHクラブ、ああいう人いないから目立つよな」
「そうそう。それに、整ってる子と整ってない子で態度もまるで違うの。そんな人だし、絵美さん好きって公言してても、可愛い子だったら、誰でもエッチしたいって思ってんじゃないの。脳内、そういうことしか考えてなさそうだもの」
 憤慨する結衣の目を、雄吾は見れなかった。昨日自分も、詩音を性の対象として想像していたなんて、口が裂けても言えなかったし、男子大学生なんて皆、そのことばかり考えているよ…なんてことも、死んでも言えなかった。

「とにかく。雄吾は直樹の目線で、永塚さんの死体を直樹の自宅で見たんだよね」
「うん。でも、あいつの家に無かったんだよ、死体」
 うーんと結衣は唸った後で、少しだけ鼻を鳴らした。
「ずっとバスルームにある訳ないよ。多分もう、どっかにやってるって」
「そうかなあ」
 しかめ面の雄吾に、結衣は「貸して」と手を伸ばした。
「何を?」
「レシート。盗んだやつ」
「だから盗んだんじゃないって」
「冗談、本気にしないでよ。ほら」
「はい」
 雄吾はズボンのポケットから、直樹の家で見つけたレシートを結衣に渡した。彼女はそれを人差し指と中指でつまむと、表面の記載をじろじろと見る。
「群馬県安中…」
「ああ、そこは詩音の実家があるところだよ」
「へえ、詳しいんだ」
「入学式の時に話したからさ。俺も群馬で、気が合って」
「ともかく」結衣は雄吾の発言を遮り、レシートの内容をそのまま雄吾に見せる。「二人、永塚さんの死体をこのあたりで捨てたり、埋めたりしたんじゃないのかな」
「…やっぱり、そう思うよな」
 雄吾も同じ考えだった。レシートの時刻から、『成り代わり』をした後、彼らは群馬県まで向かったのだろう。
 今日は二人とも大学に顔を出しており、午後には再度『成り代わり』をして、直樹の家に永塚の死体が無いことが分かった。
 となれば、永塚の死体は彼らが群馬に運んだとしか思えなかった。
「あのさ」結衣からレシートを受け取ると、雄吾は自分の考えを彼女に伝えた。「俺、この後ここに行ってみようかって思ってるんだけどさ」
「私も行く」話の途中で、結衣は食い気味に述べる。「私も、ここまで来たらあの二人の事情を知っておきたい。ほら、乗りかかった船ってやつ」
「そんな興味本位で…」
 そこまで言いかけたところで、雄吾は口をつぐんだ。結衣の表情、目が、好奇心や冗談から言っているとは思えない程に真剣味を帯びていた。
「知りたいの」再び、彼女は言う。「詩音の友達として」
 雄吾は察した。結衣と詩音は仲が良い。それこそ、雄吾と直樹の間柄のような。その相手がそうではないかと疑いつつも、心のどこかで、望みを捨てきれていないのだろう。親友の無実という望みを。

 雄吾は肯いた。
「分かった。一緒に行こう」
「どこに行くの?」
 りんと、鈴の音が鳴ったのはその直後だった。雄吾と結衣は声がした店の入り口方向に顔を向けて、思わず絶句した。

 そこには、詩音が立っていた。
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