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第二章 成り代わり

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 ちゃりんと軽快な音がしたかと思えば、同時に針を刺すような痛みが、雄吾の頭を襲った。
 ぱちぱちと、繰り返し瞬きをしたあとで、右手を目の前で、ひらひらと表裏確認する。腕やら脚やら、体の色がほんのりと褐色だ。自分の体ではない。直樹の体。明るいせいか、その違いをしっかりと認識できる。

 またも『成り代わり』は成功したようだ。

 雄吾は外にいた。前方にはさっき見たばかりの、直樹の部屋の白い玄関扉。下方へ視線を移すと、足下に鍵が落ちていた。ドアポストにあった合鍵と同じ形状。先程の音は、『成り代わり』直前まで直樹が持っていた鍵が、地面に落ちた音だったのだろう。まさに、彼は玄関扉を開けるところだったのだ。
 安堵と同時に疑念が湧く。何故、直樹はここに戻ってきたのか。まさか、自分の侵入に気付いたから?
 そこでもう片方の手で持っていたスマートフォンが、ぶるぶると震えた。画面を見ると、詩音からの着信だった。

 財布、見つかった?

 雄吾は、彼がここに戻ってきた理由を理解した。単に直樹は、財布を忘れていたことに気付いたため、取りに戻っただけだった。
 人騒がせなと雄吾は思うも、こうして悠長にしてばかりはいられなかった。今、自分の体は直樹の部屋にある。そこから出ない限りは、安心なんてできないのだ。
 しかし、このまま己の体を運ぶことはできなかった。『成り代わり』中の経験や記憶は、その相手の記憶として切り張りされると、天使は言っていた。つまり、自分の部屋から雄吾の体を運んだという記憶を、直樹が持つことになるのだから。
 そこで雄吾は一度、アパートの敷地から出ることにした。競走馬並みのダッシュ。彼のバイト先の方面へと向かう。
 バイト先へ向かう途中で、詩音が立って待っているのが見えた。彼女は雄吾…いや、直樹の姿を見ると、白く細い腕を上にあげ、左右に振る。
 雄吾は彼女に近付きつつも、右手を「指パッチン」の状態にして、掲げる。彼の挙動に、目を丸くさせる詩音。雄吾はそのまま、指を打ち付けた。

 目の前の光景が、歪んでいく。
 溶け始めの氷みたく、詩音ごとどろりと崩れ落ちる。

 瞬きをゆっくりと一回、二回。すると、視界に映る情景は直樹の部屋になっていた。
 ずきんずきんと、またも痛む頭。覚束ない足取りで、雄吾は玄関へと向かう。早くここを出なければ。時間稼ぎのために離れたわけだが、猶予はそこまで長くは無い。玄関扉を開けて、持っていた合鍵を使って扉を閉める。それから、雄吾はドアポストに鍵を入れた。ことんと小さな音を立てて、合鍵は元あった場所に納まった。
 もわりとした暑い空気を肺にたっぷりと入れつつ、雄吾は直樹のアパートを後にした。離れていく間も、直樹の姿は現れない。逸る気持ちを抑えつつ、雄吾は直樹のアルバイト先がある方面とは逆の道を進んでいく。曲がり角を曲がったところで、立ち止まった。
 ここまでくれば、安心だろう。そう思ったところで、全身の力が抜け、民家の壁にもたれかかった。
 息を整えながら、雄吾は先程の『成り代わり』を思い返す。

 嘘でも夢でも無かった。
 改めて、とんでもない力である。

 しかし今日はもう使えない。確か、最初にした『成り代わり』は、午前0時を過ぎていた。一日二回まで。次に使えるようになるのは、その時刻を過ぎてからである。
 しかし、今日はもう『成り代わり』をする用事も、必要も無かった。深呼吸したところで、彼はそれに気づいた。
 ズボンのポケットに、直樹の部屋で見つけたレシートが入っていた。慌てていたこともあり、そのまま持ってきてしまったのだ。
 返すに返せない。これは、持っておくしかない。雄吾はレシートを再度ポケットに入れ直し、自転車を置いた近くの公園まで歩く。その道程で、今度は匿名のショートメールのことを思い浮かべた。
 送り主は誰なのだろう。改めて番号を見るも、やはり知らない番号だ。助けられたわけだが、その人物は、雄吾が直樹の部屋に侵入するところを見ていたということになる。それを知っているにもかかわらず、雄吾を助けた理由。それがわからなかった。
 もやもやを抱えたまま、公園に入る。が、端に停めていた自分の自転車が無くなっていることに気がついた。
 鍵をつけていたし、高級な自転車でも無い。しかし無いということは、誰かに盗まれたのだろうか。
「雄吾」
 呆然としていたところ、背後より彼の名前を呼ぶ声がした。振り返ると、そこには雄吾の自転車を押す、女が立っていた。白のショートパンツにブラウンのシャツ。キャスケットを被った後頭部のあたりから、柔くカールされた茶のポニーテールがぴょこんと出ている。
 雄吾は彼女を知っていた。もちろんだった。彼女は雄吾と同じ成都大に通っていて、今日も会ったくらいだから。
「結衣」雄吾は彼女の名を呼んだ。「ここで何をしているんだ」
 柳沢結衣は雄吾の問いに応えることなく、口角をゆっくりと上げた。
「直樹の家、勝手に入ってたでしょ」
「…それは、その」
「今更隠すこと、無いって。だって」しどろもどろの雄吾に向かって、結衣は次のとおり、彼に告げた。「ショートメールを送ったの、私なの」
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