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二章
11話 パリディユス(8)
しおりを挟む「本日、貴女様のお世話を申し付けられました。サマンサと申します」
目鼻立ちの派手な女性が、ドレスの裾を持ち、膝を浅く曲げてニコリと笑う。
細い眉を上げ、笑顔を浮かべるサマンサと名乗った彼女は、ゆっくりと姿勢を正し、笑みを崩すことなくパリディユスを見つめて立っていた。
「パリディユス……です。どうぞ、よろしく」
パリディユスの姿を見て驚くことも蔑むこともなく、そのまま笑みを浮かべているサマンサに釣られるようにして、引き攣った笑顔を作る。
戸惑いを隠せないでいるパリディユスは、髪を触りながら、目の前に立つフィデスとサマンサへ交互に視線を向けた。
目が覚めて、一日の始まりとして鏡を確認する前に、彼らはやってきた。
ベッドから出て、鏡を見るためにドレッサーへ向かう途中、ガンガンといったドアノッカーの重い音が響くように鳴り、パリディユスが返事をする前に、鍵が開けられ扉も開く音がしたのだ。
突然のことに狼狽える暇もなく、ツカツカと靴音を鳴らし、神経質そうな顔をしたフィデスと、にこやかな彼女がやってきたのが、数分前のことだった。
「まぁ、素敵な響きのお名前。パリディユス様が過ごされていた南の方では、そういった響きを大切にしているお名前が多いのかしら」
「どう、でしょう。あまりキュクヌス帝国では聞かない名前が多いのかもしれません」
当たり障りなく答えたパリディユスだったが、内心はこの返答で合っていたのか、心配で堪らなかった。
自分自身の名前を口に出した時、性まで名乗ることなく名前だけに留めたのは、既に亡国となってしまった国名を出すことに躊躇いが生まれたからだ。
……昨夜、トリスティスから小馬鹿にされ、感情を揺さぶられてしまったように、彼女からも同じ反応をされてしまうのではと思うと、気が気ではなくて。
視線が泳がないよう、平常心を保とうとしているパリディユスをよそに、サマンサは「確かにそうね」と変わりない笑みを浮かべていた。
「彼女は、陛下の母君……前皇后陛下の侍女を務めていた者です」
「前皇后陛下の侍女として、主にドレス選びを行なっておりましたの」
眉を上げて笑うことが癖なのか、細い眉を上げたサマンサは豊満な胸に手を当て「どうぞ、色々お聞きになってくださいね」と言った。
友好的な言葉ばかりを発するサマンサが向ける表情こそ固くはないが、言動は全て、母国にいた使用人と同じものだ。
多分、彼女も知っているのだろう。
隣に立っているフィデスが、ここに来る前に教えた、パリディユスはそう思った。
「ドレス選びに関して、評判の良い方と聞いています。現在の流行も詳しい方ですので、それに合った仕立て屋や宝石商を紹介してくれるかと思います。陛下からも、一通り揃えて良いと聞いていますので、お好きなものを選ぶようにしてください」
「パリディユス様は皇帝陛下のお気に入りのようですわね? 私も気合が入りますわ」
「ええ、なんせ大切なコレクションですから。今の彼女は、何よりも陛下の優先事項がお高い方ですので」
フィデスの言葉に、サマンサは「なら、より着飾らなくては」と目を細め笑っていた。
二人の会話に付いていくことができず、聞いているばかりだったが、サマンサに対しては少しばかりの好感を抱き始めていた。
なぜだか、はっきりとはわからないが、パリディユスには彼女が良く見えていた。
何やら含んだ会話をしているにもかかわらず良く見えてしまうのは、隣にニコリともしないフィデスが立っているからか。それとも、母国を消して此処へと連れてきた恐ろしいあの男をはじめとする男たちでもなく、女性……同性だからかは定かではない。
パリディユスが出会ったキュクヌス帝国人は、まだサマンサを加えてたった五人。
人懐っこそうな表情を浮かべていたドゥルケは比較的優しそうだが、それでも、あの男の部下だとすれば、それが表面だけかもしれないと思わずにはいられない。
信用できる人なんていないのだろうけれど、その中で、彼女が誰よりも優しそうに見えたのは確かだった。
それは多分、サマンサのゆったりとした口調――悠然とした態度が、そう思わせているに違いなかった。どこか余裕のある佇まいに、安心感を感じているのだ。
しかし、それと同時に、パリディユスの目には違うものも映し、捉えている。
サマンサの好みだと言ってしまえば、そこで完結してしまうし、それが帝国の侍女として当然だと言われてしまえば仕方のないことだ。だが、彼女の侍女としての着飾り方に強烈な違和感を覚えたのは確かだった。
サマンサの派手な顔立ちに負けていない深い赤の口紅や、煌びやかで主張の激しいドレスと装飾品が、なぜか卑しく見えて仕方がない。……そんな、違和感が。
「それでは、僕は業務がありますので」
フィデスの言葉に、パリディユスは目を瞬かせた。
どうやら、思っていたよりも深く考えてしまっていたらしい。
「パリディユス様のことは、このサマンサにおまかせを」
「部屋の外に使用人を立たせておきます。仕立て屋や宝石商への連絡はその使用人を通すようにしてください」
そう言ってから部屋を出ようとするフィデスを見送るために、サマンサはパリディユスに背を向け、蝶々が羽を休ませるように、ゆったりとした動きで膝を浅く曲げた。
パリディユスはフィデスの背中を目で追うだけで、その背中が見えなくなるのを待った。……なんて声をかけて良いのかわからなかったからだ。
バタンと、扉が閉まる音がしてから姿勢を戻したサマンサは、パリディユスのほうへと振り返りながら胸元で手を一度叩き、小首を傾げた。
その動きに合わせて大ぶりのイヤリングがシャランと揺れる。
「フィデス書記官も業務に向かわれましたし、着替えましょうか。まずは、クローゼット内を拝見いたしますわね」
言葉と同様に、ゆったりとした歩みでクローゼットの前までやってきたサマンサは、ノブに手をかけた。彼女がそれを手前に引けば、キィッと、小さな音を立てて扉は開く。
そして、中を見た彼女は「フッ」と小さく笑った――気がした。
未だベッドのそばに立ち、ドレッサーに向かうこともできていないパリディユスからは、開かれたクローゼットの薄い扉が視界を遮り、サマンサの姿を一部隠していた。
だから、彼女がどんな表情を浮かべているのかは見ることができない。
それでも、耳に入ってきた声音からして、息を吐いたのではなく、笑ったというのは、なんとなくわかった気がした。
おずおずと、パリディユスは「どうか、しました?」と声をかける。
言葉が届いたであろうサマンサは、溜め息を吐き、顔をクローゼットから離すような仕草をした。
そこでやっと、パリディユスの目はサマンサを捉える。視界を隔てていたものから離れ、見えるようになったサマンサが、困ったような表情を浮かべていることに、パリディユスは気づいた。
「あまりこういったことを言いたくはありませんが……これを用意した方は、帝国の流行を把握していない方のようですわ」
「え?」
「パリディユス様がいらっしゃった国ではどのようなものが流行になっているか私は存じ上げませんが、今の帝国では私が着ているような、お尻にボリュームを持たせたセクシーなものが流行りですのよ」
頬に手を添え、困ったように細い眉を顰めたサマンサは、淡いピンクのベルラインドレスを手に取った。
「これは……そうですわね。まるで、デビュタントを控える幼い令嬢が好んで選び、着るドレスのよう」
サマンサは、手にしているドレスを自身の体にあてがうようにして笑っている。
「ベルラインを中心に何着も準備なさった方は、幼い子がお好きなのかしら? それとも、パリディユス様をデビュタント前のようなご令嬢とお間違えになったのかしら?」
ベルラインドレスが日常向きではないことは確かだけれど、パリディユスよりもかなり歳を重ねているであろうサマンサがあてがっても、若い人向けの色合いでこそあるが、決して幼い印象はない。
日常で着る……というのが幼い証拠、なのだろうか。
反応に困っているパリディユスが見えていないのか、サマンサは淡いピンクのドレスをしまい、別の物を取り出した。
「ああ、これなんてどうでしょう? 些かボリュームには欠けますが、落ち着いた色と装飾で、パリディユス様にはお似合いだと思いますわ」
にこやかな笑顔を浮かべている彼女が差し出したのは、パリディユスの目の色と同じ色をした、装飾の少ないコクーンラインのドレスだった。
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