11 / 12
二章
10話 ユリア(1)
しおりを挟む「今日もお疲れ」
「あー。もうくたくたぁ。今日も今日とて、侍女さまがたのご気分指示にはついていけないんだけど」
「ほんとそれ」
ため息を吐き、丸めていた背を伸ばしながら歩いている二人の女性は、仕事中にきく声よりも何トーンも低い声音で業務の愚痴をこぼしていた。
時折、肩を押さえ腕を回し、首を鳴らして歩く。そんな彼女たちから三歩後ろを歩いているユリアにも、バキバキといった音は聞こえて来ていた。
「肩やばい」
「あの馬鹿でかい窓の掃除担当からいつ変えてもらえるんだか」
「ずっと腕を伸ばしてるのもきついのよね」
ユリアもそれに習うようにして、歩きながらグイッと首をひねれば、パキッと軽快な音が鳴った。思っていたよりも大きく響いた音に目を丸くしたユリアだったが、なんだか少し疲れが和らいだように感じ、肩も回して肩甲骨あたりの骨も鳴らす。
ゴリゴリとした音が鳴り、ついでに少しばかり痛む腰を両手の親指で押すようにして伸びれば、全身の倦怠感がわずかに解消されたようにも思えた。
小さく息を吐きながら、頭につけた三角巾を外して大雑把に畳み、過酷な業務を終えたその後は『女子寄宿舎』へ寄り道することなく向かうのが、ここ数日のユリアに身についたルーティンだった。
つい最近、ユリアはキュクヌス帝国の皇城に勤める下女となった。
現在、女主人のいない皇城では、皇帝陛下の乳母である老女をはじめとした子が成せる年齢を過ぎた熟年女性数人以外、みな下女として雇われている。
未婚である皇帝陛下の子を孕らないための措置として、妙齢の女性は彼から遠い場所で働かせているらしく、担当場所はどこも皇帝陛下の私的な場所からは遠い場所に割り振られる。……しかも、業務は過酷。
本来なら、皇城勤めといえば貴族令嬢や夫人が喉から手が出るほど欲しがる地位だ。
皇族の近くで働くのが一種のステータスであったり、場合によっては他国の高位貴族や王族に見染められることだってある。しかし、現在のキュクヌス帝国では、ような場所とはいえない。女主人が不在のいま『貴族令嬢はお断り』とされている場所だ。
つまり、下女として働いているのは賃金の高さにやってきた平民か、騎士や城勤めの男性を狙う女狐みたいな野心を持った人たちである。
……とはいっても、それなりに選別はされているのは確かで。あまりにも教養というよりも常識がなさすぎると、偶然通りかかった皇帝陛下によって、物理的に首を切られてしまうこともある物騒な職場である、のだが――。
「今度の休みの日、予定空いてたりする? 次の給金は多くしてくれるらしいし、新作のメイク用品でも買いに行かない?」
「空いてる空いてる! 実は狙ってるワンピースを誰かに取られちゃう前に買っちゃいたいんだよね」
「そういえば、この間さー」
「聞いてよ、今日の担当場所が――」
ユリアは、この下女たちの雰囲気に溶け込めないでいた。
前を歩く二人だけではなく、従業員用の出入り口からぞろぞろと出てきた同じ制服を着ている女性たちが、女子寄宿舎までの道を談笑を交えながら歩いている。
「今度、いい感じになっている騎士の彼とデートに行くんだけど」
「え! そうなの!?」
「あたしは、厨房でコックやってる人ー」
恋愛話に花を咲かせている群れの中で、一人ぽつんと歩いているユリアだけが異様に見えてしまうところを「あ! リズたち同じ時間だったんだね!」と風を切るように追い越してバタバタと駆け寄っていく人もいる。
もっと、厳かで殺伐としていた場所だと思っていたのに……。
その言葉を口に出すことなく、ユリアはただ、荒れた手で拳を作っていた。
いつの日か、一際目を引く宝石のようだと喩えられた青い瞳を閉じるユリアの顔には、そこはかとない憂いが浮かんでいた。
*
寄宿舎は、どこの棟も外装や内装にあまり変わりはない。
食堂と大衆浴場と共有トイレ。
居住スペースは三人一部屋で、ベッドとデスク、小さなクローゼットがそれぞれにあてがわれている大変質素な部屋だ。
女子寄宿舎では、好きなように飾り立てるような人が多いけれど、支給されたそのまま何も増やすことなく使用している人もわずかながらにいる。
ユリアは後者だった。
クローゼットには必要最低限の服しか入っておらず、デスクには毎晩塗っている軟膏クリームと革製の日記帳があるだけで、それ以外の私用品はない。
可愛い便箋ひとつ、引き出しには入っていない。
同室の女性二人がそれぞれ好きに飾り立てているからか、ユリアのテリトリーは支給されたそのままのはずなのに、なぜかそれ以上に質素で、その場所だけポッカリと生活感がなかった。
なんて、ひどく寂しい空間だろうか。
日勤の下女が溢れかえっている寄宿舎のエントランスを抜け、部屋へと戻れば、先に帰っていた同室の女性二人と鉢合わせる。
横に並んだベッドに腰掛け、業務の愚痴を言い、次の休みについての話をしている。
普通ならば会話を中断して「おかえり」とか「お疲れ」とかあるのだろうが、彼女たちはユリアを一瞬だけ見てまたお互いの会話に戻る。
ユリアも声をかけようとしないからか、部屋に入って真っ直ぐに自分のデスクに三角巾を置き、エプロンを外して椅子に掛けた。そして、そのまま食堂へ向かって早めの夕食をとり、浴場で湯に浸かり、日記を書いて寝る、というルーティンをこなすのだ。
今日も、その予定だった。
業務上で同僚と言葉を交わす以外に誰とも言葉を交わさず、ただただ同じ毎日を繰り返していくことが、自分の贖罪だと思っていたユリアに、変化をもたらしたのは同室の二人が交わしていた変な会話だった。
「そういえばさ、今日の担当した場所で偶々聞いちゃった話なんだけど」
「えーなになに、あの愛人が誰だかわかった話とか?」
「いやいや。さすがにそれは聞けないって」
「じゃあ、あのセルペンス男爵の――」
「それでもなくって。……皇帝陛下が、南にある国を攻め落として帰ってきたらしいんだけど、なんでもそこから王族の、しかも女を連れ帰ってきたらしいの」
「えー!? ベスそれ本当!?」
「しー!! アンナってばあんまり大きな声出しちゃだめ! で、で、侍女を選別するって会話が聞こえてきちゃったの」
口元を隠し声にならない叫びをあげているアンナと、ユリアの方をチラチラと気にしているベスは、言葉を続ける。
「決まるまでは、侍女さまがたが交代で付くらしいんだけど、年齢の近い人をつけることを考えてるらしいから、あたしたちから選ばれるかもしれない」
「そしたら、皇城内の侍女部屋が使えるんでしょ!? やばい、選ばれたい!」
……選ばれるわけがない。
そんな言葉が、ユリアの喉元まで出かかっていた。
王族ともなれば、貴族女性が侍女となるのが普通だ。実際、皇城にいる侍女は皇帝陛下の亡くなられた母君の元侍女であり生まれは貴族。平民が侍女に選ばれるなんて話を、ユリアは聞いたことがなかった。
どうせ、どこかのご令嬢が決まるでしょうに。
くだらない話を聞いてしまったと、部屋を出ようとした時だった。
「そういえば、南にある国って、どこ?」
「えぇと、なんて言ってたっけな。確か、ウルペース国、だったかな。ほら、貴族が旅行によく行くっていう」
「えぇ!? 本当!? お金貯めたら行こうと思ってたのに……。皇帝陛下が進軍したんじゃ、焼け野原になってるじゃん」
ユリアは聞こえてきた国名に、目を大きく見開かせた。
呼吸が止まり、音も止まってしまったかのように感じ、平衡感覚も失いかけた。
ぐるぐると頭の中を巡るのは、友人として慕っていた女性のこと。
あまりにも眩しい存在だったのに、他国に住まうユリアを友人といい、ウルペース国へと嫁いでも細々とした交流を続けていた美しい人の顔が、ユリアの中で思い出されていた。
皇帝陛下が、また国を攻め落としたというのは耳にしていたが、まさか、彼女の国だとは思いもしなかった。
ユリアは、よろよろとしながら部屋を出る。アンナとベスから向けられる怪訝な視線は、全く気にならなかった。そして「なんか様子変じゃない?」「もしかして、交流でもあったんじゃない?」とか、そんな言葉もユリアの耳には届かなかった。
「いや、でも、ずっと表に出てなかったお姫様らしいけど。そうでもなきゃ、あたしら下女から選ぶとか書記官さまも言わないだろうし」
「まぁ元お貴族さまのユリアだったら交流あったんじゃない?」
「あー……、そゆこと」
部屋を離れ、足元がおぼつかなかったからか何もないところで躓いたユリアは、そのまま体を壁に預けるようにして、もたれかかっていた。
手紙で交流をするのにも憚れる身となってしまったユリアに、また友人と交流ができる運が巡って来たのだと、彼女は喜び、そして友人だけが生き残ってしまったことにこの上ない悲しみを覚えた。
あの皇帝陛下が連れ帰ったとされる王族の女性とは、きっと、彼女に違いない。
ユリアの知る彼女の美しさは、目が眩んでしまうくらいのものだったから。あの皇帝陛下すらをも魅了し、無理やり連れられてきたのだ。
……なんて、お可哀想な人だろう。
愛する人がいた国を失い、自暴自棄になってしまっているであろう友人を支えられるのは自分しかいないと、ユリアは強く思い、そして、侍女に選ばれるよう、また明日から業務に励まなくてはと奮起した。
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。
星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。
グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。
それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。
しかし。ある日。
シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。
聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。
ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。
──……私は、ただの邪魔者だったの?
衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。
石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。
自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。
そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。
好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。
この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる