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一章
8話 パリディユス(6)
しおりを挟む深い赤色の絨毯には、小花と蔓で作られた額縁のような模様があった。
群れて大輪を咲かしている小花とは違い、力強さを誇張させるような蔓は奥へと伸びるようなデザインで、それを辿るように視線を動かせば、絨毯と同色の閉め切られているカーテンと、その端で馬の尻尾みたいに揺れて見えるタッセルへと辿り着いた。
壁は、黄みがかかった白に見えた。
カスタードクリームよりも淡い色に重ねるように、暗いブラウンの腰壁があり、カーテンで隠されていない柱には、抽象的な絵画が飾られている。
左の壁一面には、隅に重ねられている真新しい薪と腰壁から突き出すように設置されている暖炉。その上には横に大きい抽象的な絵画が飾られていた。反対側、右の壁一面には、暗いブラウンの本棚が壁に埋め込まれるように設置されていて、中には本だけでなく鉢に入った植物や小さなイーゼルに立てかけられている絵画などの装飾品もまばらに並べられている。
そして、部屋に揃えられているローテーブルやベッドフレームをはじめとした家具達も暗いブラウンで統一され、室内には様々な色が存在しているにも関わらず、一体感のある室内となっていた。
「ここが、これからお前が過ごす部屋だ」
「……こ、ここが?」
「不満か? まぁ、急拵えの部屋だからな。狭いなどと文句があるなら、埃だらけの宝物庫に案内してやるが――」
「い、いいえ! 十分ですっ! とても、素敵で……」
そう、素敵な部屋だ。
床に打ち付けられてジンジンと痛みを帯びている背中も、ここに入るまでに与えられてきた男に対する恐怖も、それらが全て薄れてしまうほどに、パリディユスはこの部屋を気に入ってしまっていた。
今現在、逆さまに見えている光景ではあるが、それでも素晴らしいと思えるほど、パリディユスに与えられた部屋は十分立派な部屋だったのだ。
――ほんの少し前。
パリディユスは、男に投げられる形でこの部屋へと入った。
一定のリズムで歩いていたはずの男が立ち止まり、扉が開くような音がしてから、十秒にも満たない僅かな時間だったろう。気付いた頃には、彼女の体は勢いよく投げられ、宙を舞い、そして小花と蔓の模様が広がる絨毯へと打ち付けられたのだ。
そのお陰か、パリディユスは背中に広がるジンジンとした痛みに身悶え、か細い四肢を投げ出したままの状態で部屋を見渡していた。
「あの部屋で過ごしてきたお前からすれば、使用人が過ごすような部屋と変わりないだろうが」
「いえ、そんなこ……っう……」
男の言葉に、パリディユスは背中を庇うようにして上半身をがばりと起こす。
小さく呻き声をあげながら膝を折り曲げ、前屈みになるよう座り直すと、この部屋には男とパリディユスだけではなく、他にも人がいたことに気付いた。
それも一人ではなく、男の後ろに控えるようにして三人の男が立っていた。
「このまま、私がお前を虐げて、災いがどのように向けられるのか見ていてもいいのだが――私はそこまで暇じゃあないんだ」
クツクツ笑う男は、座り込んだままでいるパリディユスの髪を掴み、ぶちぶちと髪が抜け千切れる音を立てながら彼女を引き上げる。悲鳴をあげる間もなく、膝が浮き、片膝をつくような体制にさせられ、耳元で「だから、後は部下に任せることにする」と、少し厚みのある唇が触れてしまいそうなほどの距離で、抑揚のない言葉が囁かれた。
「逃げようなどと考えるな、私の可愛い小鳥よ」
*
「陛下がお帰りになられる前、早馬で戻った兵から軽い報告は受けていましたが、……まさか、ここまで白く美しいとは思いませんでした」
男が出て行った後、静寂を切るようにして口を開いたのは、手で覆い隠すようにして眼鏡を押し上げた男だった。
骨張った手がおろされてもなお、分厚いレンズは不透明。レンズには特殊な加工でもされているのか、目元がわからないようになっていて、どのような表情を浮べているのかはわからない。
それでも、パリディユスに向けられた言葉から、彼が驚いているのは間違いないだろう。
「でも、陛下も意地悪っすね? こんなおっそろしいくらい整ってる顔立ちの女の子の髪を、ギリギリギリって引っ張り上げちゃうんですもん」
乱れた髪をそのままに、両手を床についてへたり込んでいるパリディユスは、今さっき出て行った男の後ろに控えていた三人の男を見上げている。
神経質そうな眼鏡の男、幼い顔立ちの無害そうな笑顔を浮かべる男、そしてパリディユスと同じように陰気さが漂っている大柄の男。それぞれ服装や雰囲気、印象も違う。事務官、騎士、貴族だろうか。
――あの男のように、この男達も乱暴なことをしてくるのだろうか。
そう怯え、パリディユスは思わず視線を逸らした。床についている指が小刻みに震えている。先ほどまで、思っていた以上に良い部屋を案内されたことに喜んでいたが、今では、また恐怖心に襲われている。
感情の上がり下がりに追いつけていない心臓が苦しいのか、パリディユスの呼吸は浅く、そして荒かった。
俯き、肩を大きく上下させているパリディユスの前に、騎士服を身につけている男が腰を下ろした。
膝を肘置きに、顔を下に向けているパリディユスの表情を伺おうとしているのだろう。覗き込むように頭を下げ「オレ、ドゥルケ・シーミウス言います」と名乗った。
「キュクヌス帝国騎士団の第三部隊の部隊長で、主に帝国内一区間の警備を担当してて」
ドゥルケは黒の革手袋をした手を伸ばし、パリディユスの乱れた髪を一房ずつ分け目に沿って整えていく。革手袋に髪が引っかからないよう優しく指先で払うドゥルケは、パリディユスの淡い灰色の目と視線が合うと、榛色の目を丸くして口笛を吹いた。
「いやぁ、怯えていてもこの美貌……あのセルペンス男爵が霞んじゃうんじゃないですか? あの帝国一の美男子とも呼ばれてる――」
「シーミウス卿。あのナルシストが陛下よりも顔が良いと言っているのですか? 陛下への不敬罪として処理しますよ?」
「あー……フィデス書記官が仰ると、その、本当になりそうなので先ほどの言葉を撤回します。なのでそのペンをしまっていただけると……」
パリディユスから視線を逸らし、ドゥルケは眼鏡をかけた男――フィデスにヘラりとした笑顔をむけていた。
「さて、陛下より我々に任されたことですが――ああ、まず自己紹介を。私トリスティス・アルガと申します。陛下より公爵位を賜っており、えー……名ばかりではありますが宰相も務めております」
淡々と抑揚のない声で言ったトリスティスは、青い宝石が埋め込まれているカフスを気にしているのか、指でつまみクリクリと動かしながらパリディユスへと一礼をした。
「すでに亡国といえど姫君で有らせましたので、一応」
丁寧な口調で言っているが、カフスを執拗に触っているトリスティスの態度にパリディユスを敬っているような気配は微塵もない。どこか小馬鹿にしているような態度で「ええ、一応です」と繰り返していた。
「は、はぁ……」
「えー、早速ではありますが、陛下より承りました仕事に移らせていただきます。陛下ほどではありませんが、宰相であり公爵でもある私も忙しい身ではありますので悪しからず」
「わ、かりました」
恐怖、緊張といった感情で口の中が乾いているパリディユスの発した言葉は辿々しかった。
その様子に片眉だけピクリと動かしたトリスティスだったが、それに対して何か指摘をするわけでも対応することもなく節がはっきりしている指で、今現在パリディユス達がいる部屋の唯一の出入り口である扉を指し示した。
「えー……、まずこの部屋ですが、内鍵はございません。鍵は外鍵のみ、となっております。パリディユス様は我々と同じく一個人の人間ではございますが、此の度陛下のコレクションとなられましたので、それらと同じ対応を取るように、そういった指示を受けております」
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