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透のこと
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俺、北原透は高校2年生になる時、医大進学校として有名な高校から、都内の自由な校風の男子高に転校してきた。
周りは、俺が元の高校についていけなくて逃げてきたって思っているみたいだけど、俺がこの学校を選んだ理由は、祖父が持つマンションに近いから。ただそれだけ。
前髪は切りに行くのがめんどくさいから長いままだし、眼鏡をかけていつもスマホをいじっているからヲタクと思われているけど、それはスマホで小説を書いているからで。
それでも、成績は常にトップクラス。それもそのはず、前の学校は中高一貫だったから、今やってる2年生の授業はもう履修済みだからね、当然と言えば当然だね。
医大に進学しようとしていたのは、父母ともに医者だったから。
母は地方の医療法人の理事長の一人娘で、父は婿養子だった。
母は子どもの頃から病院を継ぐことを目標にしてきた人で、今でも実力で理事長になるんだって、バリバリ働いている。
父も医者の家系だけど、祖父の病院は伯父が継いでいて、父の歳の離れた弟の雅親叔父さんも一緒にそこで働いていて、父は学生時代に交際していた母と結婚して俺が生まれた。
父は野心もなく穏やかな人だった。家族が皆医者なので医者になったような人で、そうじゃなければ静かに小説でも書いて暮らしたかったそうだ。俺は確実に父の血を引いているね。
俺が5歳の頃、父は交通事故に遭い下半身不随となって車椅子生活となった。
小児科医だった父は、しばらくは外来の診察だけをしていたけど、やはり激務が体にこたえたのか体調を崩しがちで、徐々に自宅にいることが多くなり、医療系エッセイなんかを書くようになっていった。
父の部屋はタバコの匂いがして、俺は消毒液の匂いよりもそれが好きだったし、パソコンに向かって文章を打ち込む父の姿が好きだった。
それに、その部屋にはたくさんの本があって、子どもの俺には難しすぎるものもあったけど、なんでも自由に読むことができた。
そこにはまだ医学生だった雅親叔父さん(俺は雅にぃって呼んでるけど)も遊びに来て、俺に好きなミステリーをいろいろ勧めてくれた。
俺の今があるのはこの二人のおかげと言っても過言ではないね。
母は父のことをどう思っていたのだろう。すでに医師として働くこともできず、日がな一日家に引きこもっている無職の男を夫として見ることができたのだろうか。
母はほとんど父と顔を合わせなかったし、父にばかり懐く俺の扱いにも困っているようだった。
だけど、仕事ばかりでかまってくれないくせに、跡取りとなるために勉強することばかり強要する母親より、いつもそばに居て自由にさせてくれる父親に懐くのは当然だと思う。
けれど、小学校5年生の時に大好きな父は肺炎で呆気なくこの世を去ってしまった。
嵐の夜、車椅子で庭に出て、何かの拍子に転倒してしまったようで、翌朝ヘルパーさんに見つけてもらった時にはすでに体が冷え切っていた。すぐに入院して治療したが、目覚めることなく逝ってしまった。
庭には、祖母が遺した温室があって、母はそれを大切にしていた。ふだんは手入れを人に任せていたけど、時折一人で中に入ってしばらく出てこなかった。思い出にひたっていたのか、考え事をしていたのか、俺には知ることができなかったけど。
温室の戸は風で吹き飛んでいて、父はその前で倒れていたのだった。
父はまだ母のことを愛していたのだろうか。母もまた父の死に動揺し憔悴しきっていた。あの仕事人間の母がしばらくは何も手がつかなくなるほどに。
そんな母を見るのは初めてだったから、俺は子ども心にもこういう愛の形もあるのだとなんとなく思ったのだった。
それから俺は、母親が決めた中高一貫の学校に入るために受験勉強を始めた。5年生の終わりからじゃ遅いって言われたけど、たくさん本を読んでいたおかげか、受験でそんなに苦労することはなかった。
中学校に入学してからは、周りも皆医者を目指していたし、自分もこのまま医者になってこの病院で働くんだろうなぁ、と考え始めていた頃、母親が再婚した。
母は病院の経営のためだと言っていたけれども、新しい夫との仲は、そんなビジネスライクなものではなく、仲睦まじく見えた。
俺は、亡くなった父とは全く違うタイプのその男を、新しい父親だと認めることはできなかった。
周りは母親を取られた子どもが嫉妬しているだけで、俺が大人になればそのうちうまくいくだろうと思っていたようだけど。
俺は、母が父を裏切ったのが許せなかった。いや、亡くなった父なら、愛した妻が幸せになることを望んでいたかもしれない、実際そう考える人だったし。けど、俺はそんな父が哀れで悔しくてたまらなかった。
そして、ほどなくして母は男の子を出産した。俺の弟ということになる。俺は嬉しくもなかった。
まだ目もよく見えない耳もよく聞こえていない赤ん坊に「ほら、お兄ちゃんよ~」と話しかける母。俺には「優しくしてあげてね」と。これから母はこの子中心に生きるのだと、直感的に思った。
それからも母は年齢的なこともあり、育休を取ってその子に構いっきりだったし、俺のことは放っておいても大丈夫だと思っているのか、学校のことも成績のことも聞くことがなくなった。
その頃から俺は小説を書き始めた。簡単に投稿できるアプリの存在を知ったからだ。小説家になりたいわけじゃなかったけれど、自分だけの世界に篭りたいと思ったからだった。きっと父もこういう気持ちだったのだろう。
初めはミステリーを書いてみた。トリックと謎解きは上手くできたと思う。それを何作か書いて、次は怪異ものを書いた。人が得体の知れない恐怖に怯える、そんな話だった。
小さい頃、父の書棚にあった妖怪や怪異の本を夢中になって読んだことを思い出したからだ。
今になって思えば、完全犯罪とか怪異が人を襲うとか、今のこの生活がむちゃくちゃになってしまえばいいという願望の現れだったのかもしれないな。
その子の父親はよほど俺のことが邪魔だったんだろうな。そりゃ、懐きもしない血の繋がらない俺よりも、血の繋がった我が子を後継者にしたいと思うのは当然だろう。
俺が高校に進学したら、寮に入れようと言い出した。
俺の学校には遠方からの入学者のための寮があった。高校になると、通学に無駄な時間を割かずに済むようにと通学できる範囲でも入寮する生徒も多い。俺はそれでも良かった、きっとここにいるより居心地がいいだろうから。
高校に進学してから、周りは一層勉強に力を入れるようになって、他者との関わりは前よりも少なくなっていった。誰にも邪魔されない環境を手に入れて、俺は前よりも小説を書く時間が増えていった。
家を離れたことで、暗い願望が薄れ、客観的に書くことができるようになったのも良かったと思う。
以前に書いたミステリーの探偵と怪異を解決する高校生の二人を組ませて、「怪異探偵」として、新しい小説を書き始めた。それが人目を引いたのか、フォロワーも増えて、感想などももらえるようになっていった。
もう俺が医者になる意味などないだろう。後継者はいる。俺は自分の好きなことをしてもいいんじゃないか? と思うようになっていった。
まず雅にぃに相談した。父の弟で、俺も子どもの頃から可愛がってもらったし、父と同じで大の本好き、ミステリー好きだったからだ。
けれど、小説家になりたいわけじゃなかった。医者にはなりたくない、それがまず一番で、あとは仕事をしながら趣味で書ければいいと考えていた。
雅にぃは黙って話を聞いてくれた。
「わかった」と。
「だけど、それなら今の学校は辞めないといけないよ。それはいいのか?」
もうその段階なのか、とちょっと驚いた。肯定するでもなく否定するでもなく、次に進むための問題点を突きつけられた。
「学校にはなんの思い入れもないよ、友だちもいないし」
「いや、それはそれで心配だなー」
頭を抱えている。本当に心配なんだろうけど、俺としては特に問題とは思えなかった。
「辞めたとして、家には戻れるのか?」
「戻れないだろうね、医者にならない俺に価値はないもん」
努めて明るく言ったけど、
「そんなこというなよ」
雅にぃはとても悲しい顔をしている。父のことと重ね合わせたのかも知れないな、ごめんね。
「じゃあ、親父…おまえの祖父さんが持ってるマンションがある。今は俺が住んでるんだけど、もうすぐアメリカに研修に行くから、その間使ったらいいよ、近くに高校もあるし」
これからのことはとんとん拍子に決まった。俺の新しい生活が始まる。
それから、医者にはならないこと、学校を辞めて転校すること、家を出ることを母に話した。
相談ではない、事後承諾だ。
母親は、呆気に取られていたけれど、
「本当にそれでいいの?」
「うん」
「後悔しない」
「しない」
俺の顔を見て、しばらく沈黙した。そして柔らかく笑うと
「あの人に似たのね」
と。
俺は初めて母の前で泣いた。
俺のクラスには、新任で副担任の伊藤一真がいた。俺とほぼ同じ時期にこの学校に来たことで、なぜか俺に仲間意識を持っているようだった。何かと声をかけてくる。
孤立している俺を何とかクラスに馴染ませようとしているみたいだけど、迷惑でしかなかった。
俺は人間観察は好きだけど、積極的に他人と関わるのは苦手だったからだ。
先生は英語を教えていて(てっきり体育の先生かと思ってた)、バスケ部の顧問にも就いたようで、俺にかまってる暇なんてないと思うんだけどね。
屋上への鍵は壊れていて、こっそり入ることができる。以前は教師たちの喫煙所になっていたようで、俺は校内で一人になれるところを探していて、偶然そのことを知った。
その日も昼休みに屋上へ出ると、伊藤先生が煙草を吸ってた。
「校内禁煙ですよ」
無視しても良かったんだけど、それもそれで意識しすぎかなって思って、声をかけてみた。
「それを言ったら屋上への立ち入りも禁止のはずだぞ」
慌てもせずに言う。案外悪い人だね。
「ま、そうですけど。それなら先生2アウトですよ」
「あ、そっか。でも、俺が学生だった頃は先生たちここでタバコ吸ってたんだけどね」
確かに、今は嫌煙の時代だ。でも俺は嫌いじゃなかった。
「校内は禁煙だからって、目の前のコンビニの喫煙所で吸う方がよっぽど良くないと俺は思うんだけどな」
金網越しを下を眺めながら先生は呟いた。
「でも先生、ときどき煙草の匂いしてますから、どこでタバコ吸ってるのってなりませんか?」
「そう? 気をつけてたはずなんだけどなー」
クンクンと自分の匂いを嗅いでいる。
「あ、これみんなには内緒な」
と、唇に人差し指を当てた。
「はい、俺のことも見逃してくれるなら」
交換条件だ。
「北原にもそういうところあるんだね」
「隠キャは隠キャですけどね」
俺が笑うと、先生も目を細めて笑った。
こうして俺たちは秘密を共有することになったのだった。
周りは、俺が元の高校についていけなくて逃げてきたって思っているみたいだけど、俺がこの学校を選んだ理由は、祖父が持つマンションに近いから。ただそれだけ。
前髪は切りに行くのがめんどくさいから長いままだし、眼鏡をかけていつもスマホをいじっているからヲタクと思われているけど、それはスマホで小説を書いているからで。
それでも、成績は常にトップクラス。それもそのはず、前の学校は中高一貫だったから、今やってる2年生の授業はもう履修済みだからね、当然と言えば当然だね。
医大に進学しようとしていたのは、父母ともに医者だったから。
母は地方の医療法人の理事長の一人娘で、父は婿養子だった。
母は子どもの頃から病院を継ぐことを目標にしてきた人で、今でも実力で理事長になるんだって、バリバリ働いている。
父も医者の家系だけど、祖父の病院は伯父が継いでいて、父の歳の離れた弟の雅親叔父さんも一緒にそこで働いていて、父は学生時代に交際していた母と結婚して俺が生まれた。
父は野心もなく穏やかな人だった。家族が皆医者なので医者になったような人で、そうじゃなければ静かに小説でも書いて暮らしたかったそうだ。俺は確実に父の血を引いているね。
俺が5歳の頃、父は交通事故に遭い下半身不随となって車椅子生活となった。
小児科医だった父は、しばらくは外来の診察だけをしていたけど、やはり激務が体にこたえたのか体調を崩しがちで、徐々に自宅にいることが多くなり、医療系エッセイなんかを書くようになっていった。
父の部屋はタバコの匂いがして、俺は消毒液の匂いよりもそれが好きだったし、パソコンに向かって文章を打ち込む父の姿が好きだった。
それに、その部屋にはたくさんの本があって、子どもの俺には難しすぎるものもあったけど、なんでも自由に読むことができた。
そこにはまだ医学生だった雅親叔父さん(俺は雅にぃって呼んでるけど)も遊びに来て、俺に好きなミステリーをいろいろ勧めてくれた。
俺の今があるのはこの二人のおかげと言っても過言ではないね。
母は父のことをどう思っていたのだろう。すでに医師として働くこともできず、日がな一日家に引きこもっている無職の男を夫として見ることができたのだろうか。
母はほとんど父と顔を合わせなかったし、父にばかり懐く俺の扱いにも困っているようだった。
だけど、仕事ばかりでかまってくれないくせに、跡取りとなるために勉強することばかり強要する母親より、いつもそばに居て自由にさせてくれる父親に懐くのは当然だと思う。
けれど、小学校5年生の時に大好きな父は肺炎で呆気なくこの世を去ってしまった。
嵐の夜、車椅子で庭に出て、何かの拍子に転倒してしまったようで、翌朝ヘルパーさんに見つけてもらった時にはすでに体が冷え切っていた。すぐに入院して治療したが、目覚めることなく逝ってしまった。
庭には、祖母が遺した温室があって、母はそれを大切にしていた。ふだんは手入れを人に任せていたけど、時折一人で中に入ってしばらく出てこなかった。思い出にひたっていたのか、考え事をしていたのか、俺には知ることができなかったけど。
温室の戸は風で吹き飛んでいて、父はその前で倒れていたのだった。
父はまだ母のことを愛していたのだろうか。母もまた父の死に動揺し憔悴しきっていた。あの仕事人間の母がしばらくは何も手がつかなくなるほどに。
そんな母を見るのは初めてだったから、俺は子ども心にもこういう愛の形もあるのだとなんとなく思ったのだった。
それから俺は、母親が決めた中高一貫の学校に入るために受験勉強を始めた。5年生の終わりからじゃ遅いって言われたけど、たくさん本を読んでいたおかげか、受験でそんなに苦労することはなかった。
中学校に入学してからは、周りも皆医者を目指していたし、自分もこのまま医者になってこの病院で働くんだろうなぁ、と考え始めていた頃、母親が再婚した。
母は病院の経営のためだと言っていたけれども、新しい夫との仲は、そんなビジネスライクなものではなく、仲睦まじく見えた。
俺は、亡くなった父とは全く違うタイプのその男を、新しい父親だと認めることはできなかった。
周りは母親を取られた子どもが嫉妬しているだけで、俺が大人になればそのうちうまくいくだろうと思っていたようだけど。
俺は、母が父を裏切ったのが許せなかった。いや、亡くなった父なら、愛した妻が幸せになることを望んでいたかもしれない、実際そう考える人だったし。けど、俺はそんな父が哀れで悔しくてたまらなかった。
そして、ほどなくして母は男の子を出産した。俺の弟ということになる。俺は嬉しくもなかった。
まだ目もよく見えない耳もよく聞こえていない赤ん坊に「ほら、お兄ちゃんよ~」と話しかける母。俺には「優しくしてあげてね」と。これから母はこの子中心に生きるのだと、直感的に思った。
それからも母は年齢的なこともあり、育休を取ってその子に構いっきりだったし、俺のことは放っておいても大丈夫だと思っているのか、学校のことも成績のことも聞くことがなくなった。
その頃から俺は小説を書き始めた。簡単に投稿できるアプリの存在を知ったからだ。小説家になりたいわけじゃなかったけれど、自分だけの世界に篭りたいと思ったからだった。きっと父もこういう気持ちだったのだろう。
初めはミステリーを書いてみた。トリックと謎解きは上手くできたと思う。それを何作か書いて、次は怪異ものを書いた。人が得体の知れない恐怖に怯える、そんな話だった。
小さい頃、父の書棚にあった妖怪や怪異の本を夢中になって読んだことを思い出したからだ。
今になって思えば、完全犯罪とか怪異が人を襲うとか、今のこの生活がむちゃくちゃになってしまえばいいという願望の現れだったのかもしれないな。
その子の父親はよほど俺のことが邪魔だったんだろうな。そりゃ、懐きもしない血の繋がらない俺よりも、血の繋がった我が子を後継者にしたいと思うのは当然だろう。
俺が高校に進学したら、寮に入れようと言い出した。
俺の学校には遠方からの入学者のための寮があった。高校になると、通学に無駄な時間を割かずに済むようにと通学できる範囲でも入寮する生徒も多い。俺はそれでも良かった、きっとここにいるより居心地がいいだろうから。
高校に進学してから、周りは一層勉強に力を入れるようになって、他者との関わりは前よりも少なくなっていった。誰にも邪魔されない環境を手に入れて、俺は前よりも小説を書く時間が増えていった。
家を離れたことで、暗い願望が薄れ、客観的に書くことができるようになったのも良かったと思う。
以前に書いたミステリーの探偵と怪異を解決する高校生の二人を組ませて、「怪異探偵」として、新しい小説を書き始めた。それが人目を引いたのか、フォロワーも増えて、感想などももらえるようになっていった。
もう俺が医者になる意味などないだろう。後継者はいる。俺は自分の好きなことをしてもいいんじゃないか? と思うようになっていった。
まず雅にぃに相談した。父の弟で、俺も子どもの頃から可愛がってもらったし、父と同じで大の本好き、ミステリー好きだったからだ。
けれど、小説家になりたいわけじゃなかった。医者にはなりたくない、それがまず一番で、あとは仕事をしながら趣味で書ければいいと考えていた。
雅にぃは黙って話を聞いてくれた。
「わかった」と。
「だけど、それなら今の学校は辞めないといけないよ。それはいいのか?」
もうその段階なのか、とちょっと驚いた。肯定するでもなく否定するでもなく、次に進むための問題点を突きつけられた。
「学校にはなんの思い入れもないよ、友だちもいないし」
「いや、それはそれで心配だなー」
頭を抱えている。本当に心配なんだろうけど、俺としては特に問題とは思えなかった。
「辞めたとして、家には戻れるのか?」
「戻れないだろうね、医者にならない俺に価値はないもん」
努めて明るく言ったけど、
「そんなこというなよ」
雅にぃはとても悲しい顔をしている。父のことと重ね合わせたのかも知れないな、ごめんね。
「じゃあ、親父…おまえの祖父さんが持ってるマンションがある。今は俺が住んでるんだけど、もうすぐアメリカに研修に行くから、その間使ったらいいよ、近くに高校もあるし」
これからのことはとんとん拍子に決まった。俺の新しい生活が始まる。
それから、医者にはならないこと、学校を辞めて転校すること、家を出ることを母に話した。
相談ではない、事後承諾だ。
母親は、呆気に取られていたけれど、
「本当にそれでいいの?」
「うん」
「後悔しない」
「しない」
俺の顔を見て、しばらく沈黙した。そして柔らかく笑うと
「あの人に似たのね」
と。
俺は初めて母の前で泣いた。
俺のクラスには、新任で副担任の伊藤一真がいた。俺とほぼ同じ時期にこの学校に来たことで、なぜか俺に仲間意識を持っているようだった。何かと声をかけてくる。
孤立している俺を何とかクラスに馴染ませようとしているみたいだけど、迷惑でしかなかった。
俺は人間観察は好きだけど、積極的に他人と関わるのは苦手だったからだ。
先生は英語を教えていて(てっきり体育の先生かと思ってた)、バスケ部の顧問にも就いたようで、俺にかまってる暇なんてないと思うんだけどね。
屋上への鍵は壊れていて、こっそり入ることができる。以前は教師たちの喫煙所になっていたようで、俺は校内で一人になれるところを探していて、偶然そのことを知った。
その日も昼休みに屋上へ出ると、伊藤先生が煙草を吸ってた。
「校内禁煙ですよ」
無視しても良かったんだけど、それもそれで意識しすぎかなって思って、声をかけてみた。
「それを言ったら屋上への立ち入りも禁止のはずだぞ」
慌てもせずに言う。案外悪い人だね。
「ま、そうですけど。それなら先生2アウトですよ」
「あ、そっか。でも、俺が学生だった頃は先生たちここでタバコ吸ってたんだけどね」
確かに、今は嫌煙の時代だ。でも俺は嫌いじゃなかった。
「校内は禁煙だからって、目の前のコンビニの喫煙所で吸う方がよっぽど良くないと俺は思うんだけどな」
金網越しを下を眺めながら先生は呟いた。
「でも先生、ときどき煙草の匂いしてますから、どこでタバコ吸ってるのってなりませんか?」
「そう? 気をつけてたはずなんだけどなー」
クンクンと自分の匂いを嗅いでいる。
「あ、これみんなには内緒な」
と、唇に人差し指を当てた。
「はい、俺のことも見逃してくれるなら」
交換条件だ。
「北原にもそういうところあるんだね」
「隠キャは隠キャですけどね」
俺が笑うと、先生も目を細めて笑った。
こうして俺たちは秘密を共有することになったのだった。
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