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第七章 海への道
7-14 こけら族のルーツ
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「以前は……、とくにこの辺りでは、こけら族との共存はうまくいっていて、人間とのハーフもそこそこいたんだ。まあ、他の地域のことはよく知らないが」
帝国周辺で、こけら族由来の交易品の流通は、ほぼこのマリン港が中心だった。
後で知ったことだが、オアシスの町の真下に、たまたまこけら族の地下コロニーが広がっており、過去の地震により砂漠の下の岩盤が一部落ちたことで、本来なら水中を移動しないと行き来出来ないはずの海底民族と、陸地の人間の間で交流が始まったのだという。
「だが、そんな異種間の蜜月も、とある事件で台無しになった」
ジャズは無意識に舌打ちして、グローブのような手で頭をガシガシと掻いた。
「国境辺りを根城にした盗賊が、街道を通る商人を襲うだけでなく、事もあろうにこけら族の守り神を殺してしまったんだ」
「……守り神?」
セインが繰り返すと、ジャズが小さく頷く。
「正確には、こけら族と共生の関係にある蛟族だ」
蛟族は普段は蛇のような姿で、変化しても腰より下は鱗に覆われた蛇の姿のまま完全に人の姿にはならず、カテゴリー的には妖魔や妖獣の類である。
知能もそれほど高くなく、人の言葉を話すことができるのは、貴種である竜蛇と呼ばれる上位種のみだった。彼らは、例外なく、突然変異でしか生まれず、蛟族でありながら人妖の性質を持ち、高い知能を持ち合わせている。
「これは口伝でしか語られないが、こけら族は、人魚族と竜蛟の間に生まれた種族だと言われている」
心なしか声を潜めたジャズは、セインに顔を寄せてどこか内緒話のように囁いた。セインと彼等しかいない部屋にも関わらず、横にいるハンナもどこか緊張した様子であたりを見回すしぐさをした。
正直なところ、セインには信じがたい話だったが、彼らの様子を見るにまんざら眉唾な情報というわけでもなさそうだ。
人魚と人族が子孫を残すのは難しいが、同じ卵生の蛟族、しかも、その貴種の竜蛇であれば両方の特性を持ち、また知能の高い人魚族とも十分わかり合えだろう。
ただ、あくまで口伝であるため証明するものはない。また、今のこけら族が、人族や人妖、妖獣のように胎から産まれるのは、人妖となった竜蛇を祖としたことが由来とも考えられた。
「なるほど、こけら族と人魚族は仲が悪いと聞いていたけれど……そうか、人魚族からすれば、蛟族は下位の種族だから」
「そうだ……やたらプライドの高い種族だからな、人魚族としてはこの説を受け入れることは、とても認めることができないだろう。たとえ事実であろうと、な」
ちらっと妻を見て、ジャズはため息とともに話を続けた。
「話が逸れちまったな。まあ、ともかくこけら族にとって蛟族は切っても切れない間柄ってわけだ」
「そういえば、さっき共生って言ってたけど」
ジャズは「そうだ」と頷いた。
蛟族はそもそも群れを作らず、決まった巣を持たないうえに、繁殖できる雌はほんの一握りらしい。しかも、かなり体が大きくなり、やがて動けなくなっていくのだという。いつのころからか、こけら族がコロニーを作ると、自然と蛟族の雌が住みつき、定期的に卵を産むようになった。
その周りには数匹の小さな蛇がとぐろを巻いているが、彼らはどこからともなくやってきて、適当にいなくなるのらしく、定住するのは一匹の大きな雌だけとのことだ。
「あ……、そっか。人魚の卵ってもしかして」
「そうです、蛟族の卵です」
ハンナが頷く。
蛟族はたくさんの卵を産むが、そのほとんどが無精卵である。それが、いわゆる人魚の卵として流通していた交易品だったのだ。
「住処を与えたこけら族もまた、その蛟族がもたらす恩恵を受けていたのです。交易品としての収入源という側面だけはなく、もっと重要な……」
そこで一度言葉を切ったハンナは、無意識に目線を床に向けた。もしかしたら、その方向に彼らの息子の部屋があるのかもしれない。
こけら族にとって、蛟族がまさに守り神と呼ばれる理由がそこにあった。
「実は、こけら族には固有の病があり、生まれながらにして呼吸器に欠陥がある者がいるのです」
そう言ってハンナは首に巻いたスカーフをほどいた。そこには、鎖骨に沿って皮膚の質感が異なる部分があった。よく見ると、切れ目のようなものがあって、ぴったりと蓋をするように閉じているように見える。
「こけら族は、これのお陰で水の中でも長時間呼吸ができます。もっとも、人魚族と違ってせいぜい数十分というところですが」
人魚族は、逆に地上に長くいることが出来ない。呼吸はできるが、地上の重力に身体が馴染まず、体力、妖力ともに半減してしまうとのことだ。
「私たちは、この器官を得た代わりに、肺の機能が弱く、多くが虚弱体質で生まれてしまうのです。かつてはこの病のせいで、こけら族の半数以上が成人を迎えることができませんでした」
セインは何となく事の次第を把握した。
こけら族の祖である竜蛇の源流、蛟族の卵に宿る何らかの効能が、未熟で生まれた子孫の身体に効果を発揮したのだろう。彼らの話によると、こけら族と人間のハーフ、更に人の血が入ったクオータは、その病にかかる確率が高くなるとのことだ。
「あの子が生まれた時、すでにこけら族との交易は途絶えた後で、地上で生まれ育った私には、すでに何の伝手もありませんでした。両親もすでに亡くなっていましたし……」
ハンナが言葉を切ると、ジャズが補足するように続けた。
「……体の小さな子供のうちはまだよかったんだ。それが、成長するに伴い、だんだんと動けなくなって、いまではずっとベッドの住人だ」
ジャズはハンターの仕事をしつつ、必死になって人魚の卵を探したが、いずれもハズレだったという。そして、海水晶は殻から出せば数年で砕けてしまうので、すでに手に入る状態ではなかった。
「ひと昔まえなら、薬師が作る生薬に入っていた可能性もありましたが。今はそれもありません」
海水晶に未知の効能があるということで、一時期にわかにブームになったが、期待したほどのエビデンスも得られず、結局廃れて使われなくなった。大方、こけら族の血を引く者が、その薬で劇的に回復したのを見て、奇跡の薬などという噂でも流れたのだろう。
「そういえば、あの頃だったな。咲くはずのない季節に桃の花が一斉に開花して、大騒ぎになったのは」
「あれは高価な薬になると大量に仕入れた海水晶を、当てが外れたと怒って廃棄したため起こったと聞いたわ。あの後、その商人は騒動を起こしたとして国外追放になったと聞いてるけど」
なにも全部割らなくたっていいのに、とハンナは悔しそうにしている。海水晶は、殻の中ならば数年間は余裕で保管ができるため、卵の状態で残っていれば手に入れることも可能だっただろう。
「……え、あれ? ちょ、ちょっとまって。人魚の卵って、植物に特殊な影響を与えるってこと?」
「あ、はい。蛟族の水は、植物や土と相性がいいんです。もともと彼らは、土壌と水を司る竜族の眷属とも言われてますので」
セインはついぽかんとしてしまう。なにしろあまりに唐突に、求めていた答え合わせが出来てしまったのだから。
あれほどばらばらだったピースが、理路整然とあるべき場所へと、簡単に収まっていくのを早送りで見ているようだった。
かつて守護樹を蘇らせた美しい旅人は、人の世に紛れていたこけら族だったのだろう。そして、その手にあった不思議な水は、海水晶が宿った人魚の卵と呼ばれる、蛟族の卵だったというわけだ。
「お話、とても参考になりました。……けれど、申し訳ありません。この卵には、本当に海水晶はないんです」
ひとまずセインは、現状の誤解を解くことにした。
彼女が欲しがっているのは、飽くまで宝石入りの人魚の卵。そして、目の前の卵はハズレの卵なのだ。それを納得してもらわないことには、何しろ始まらないのである。
ハンナも今回は小さく頷いた。
慰めるようにジャズが彼女の肩を抱いている。
「ただ、実のところ、僕も海水晶の入った卵に興味が湧きました」
セインは悲壮感漂う空気を払うように、ことさら明るい声でそう言った。二人が顔を上げるのを待って、セインはにっこりと笑った。
「そして僕が必要なのは、海水晶ではありません。どうです? 協力してくださいますか」
帝国周辺で、こけら族由来の交易品の流通は、ほぼこのマリン港が中心だった。
後で知ったことだが、オアシスの町の真下に、たまたまこけら族の地下コロニーが広がっており、過去の地震により砂漠の下の岩盤が一部落ちたことで、本来なら水中を移動しないと行き来出来ないはずの海底民族と、陸地の人間の間で交流が始まったのだという。
「だが、そんな異種間の蜜月も、とある事件で台無しになった」
ジャズは無意識に舌打ちして、グローブのような手で頭をガシガシと掻いた。
「国境辺りを根城にした盗賊が、街道を通る商人を襲うだけでなく、事もあろうにこけら族の守り神を殺してしまったんだ」
「……守り神?」
セインが繰り返すと、ジャズが小さく頷く。
「正確には、こけら族と共生の関係にある蛟族だ」
蛟族は普段は蛇のような姿で、変化しても腰より下は鱗に覆われた蛇の姿のまま完全に人の姿にはならず、カテゴリー的には妖魔や妖獣の類である。
知能もそれほど高くなく、人の言葉を話すことができるのは、貴種である竜蛇と呼ばれる上位種のみだった。彼らは、例外なく、突然変異でしか生まれず、蛟族でありながら人妖の性質を持ち、高い知能を持ち合わせている。
「これは口伝でしか語られないが、こけら族は、人魚族と竜蛟の間に生まれた種族だと言われている」
心なしか声を潜めたジャズは、セインに顔を寄せてどこか内緒話のように囁いた。セインと彼等しかいない部屋にも関わらず、横にいるハンナもどこか緊張した様子であたりを見回すしぐさをした。
正直なところ、セインには信じがたい話だったが、彼らの様子を見るにまんざら眉唾な情報というわけでもなさそうだ。
人魚と人族が子孫を残すのは難しいが、同じ卵生の蛟族、しかも、その貴種の竜蛇であれば両方の特性を持ち、また知能の高い人魚族とも十分わかり合えだろう。
ただ、あくまで口伝であるため証明するものはない。また、今のこけら族が、人族や人妖、妖獣のように胎から産まれるのは、人妖となった竜蛇を祖としたことが由来とも考えられた。
「なるほど、こけら族と人魚族は仲が悪いと聞いていたけれど……そうか、人魚族からすれば、蛟族は下位の種族だから」
「そうだ……やたらプライドの高い種族だからな、人魚族としてはこの説を受け入れることは、とても認めることができないだろう。たとえ事実であろうと、な」
ちらっと妻を見て、ジャズはため息とともに話を続けた。
「話が逸れちまったな。まあ、ともかくこけら族にとって蛟族は切っても切れない間柄ってわけだ」
「そういえば、さっき共生って言ってたけど」
ジャズは「そうだ」と頷いた。
蛟族はそもそも群れを作らず、決まった巣を持たないうえに、繁殖できる雌はほんの一握りらしい。しかも、かなり体が大きくなり、やがて動けなくなっていくのだという。いつのころからか、こけら族がコロニーを作ると、自然と蛟族の雌が住みつき、定期的に卵を産むようになった。
その周りには数匹の小さな蛇がとぐろを巻いているが、彼らはどこからともなくやってきて、適当にいなくなるのらしく、定住するのは一匹の大きな雌だけとのことだ。
「あ……、そっか。人魚の卵ってもしかして」
「そうです、蛟族の卵です」
ハンナが頷く。
蛟族はたくさんの卵を産むが、そのほとんどが無精卵である。それが、いわゆる人魚の卵として流通していた交易品だったのだ。
「住処を与えたこけら族もまた、その蛟族がもたらす恩恵を受けていたのです。交易品としての収入源という側面だけはなく、もっと重要な……」
そこで一度言葉を切ったハンナは、無意識に目線を床に向けた。もしかしたら、その方向に彼らの息子の部屋があるのかもしれない。
こけら族にとって、蛟族がまさに守り神と呼ばれる理由がそこにあった。
「実は、こけら族には固有の病があり、生まれながらにして呼吸器に欠陥がある者がいるのです」
そう言ってハンナは首に巻いたスカーフをほどいた。そこには、鎖骨に沿って皮膚の質感が異なる部分があった。よく見ると、切れ目のようなものがあって、ぴったりと蓋をするように閉じているように見える。
「こけら族は、これのお陰で水の中でも長時間呼吸ができます。もっとも、人魚族と違ってせいぜい数十分というところですが」
人魚族は、逆に地上に長くいることが出来ない。呼吸はできるが、地上の重力に身体が馴染まず、体力、妖力ともに半減してしまうとのことだ。
「私たちは、この器官を得た代わりに、肺の機能が弱く、多くが虚弱体質で生まれてしまうのです。かつてはこの病のせいで、こけら族の半数以上が成人を迎えることができませんでした」
セインは何となく事の次第を把握した。
こけら族の祖である竜蛇の源流、蛟族の卵に宿る何らかの効能が、未熟で生まれた子孫の身体に効果を発揮したのだろう。彼らの話によると、こけら族と人間のハーフ、更に人の血が入ったクオータは、その病にかかる確率が高くなるとのことだ。
「あの子が生まれた時、すでにこけら族との交易は途絶えた後で、地上で生まれ育った私には、すでに何の伝手もありませんでした。両親もすでに亡くなっていましたし……」
ハンナが言葉を切ると、ジャズが補足するように続けた。
「……体の小さな子供のうちはまだよかったんだ。それが、成長するに伴い、だんだんと動けなくなって、いまではずっとベッドの住人だ」
ジャズはハンターの仕事をしつつ、必死になって人魚の卵を探したが、いずれもハズレだったという。そして、海水晶は殻から出せば数年で砕けてしまうので、すでに手に入る状態ではなかった。
「ひと昔まえなら、薬師が作る生薬に入っていた可能性もありましたが。今はそれもありません」
海水晶に未知の効能があるということで、一時期にわかにブームになったが、期待したほどのエビデンスも得られず、結局廃れて使われなくなった。大方、こけら族の血を引く者が、その薬で劇的に回復したのを見て、奇跡の薬などという噂でも流れたのだろう。
「そういえば、あの頃だったな。咲くはずのない季節に桃の花が一斉に開花して、大騒ぎになったのは」
「あれは高価な薬になると大量に仕入れた海水晶を、当てが外れたと怒って廃棄したため起こったと聞いたわ。あの後、その商人は騒動を起こしたとして国外追放になったと聞いてるけど」
なにも全部割らなくたっていいのに、とハンナは悔しそうにしている。海水晶は、殻の中ならば数年間は余裕で保管ができるため、卵の状態で残っていれば手に入れることも可能だっただろう。
「……え、あれ? ちょ、ちょっとまって。人魚の卵って、植物に特殊な影響を与えるってこと?」
「あ、はい。蛟族の水は、植物や土と相性がいいんです。もともと彼らは、土壌と水を司る竜族の眷属とも言われてますので」
セインはついぽかんとしてしまう。なにしろあまりに唐突に、求めていた答え合わせが出来てしまったのだから。
あれほどばらばらだったピースが、理路整然とあるべき場所へと、簡単に収まっていくのを早送りで見ているようだった。
かつて守護樹を蘇らせた美しい旅人は、人の世に紛れていたこけら族だったのだろう。そして、その手にあった不思議な水は、海水晶が宿った人魚の卵と呼ばれる、蛟族の卵だったというわけだ。
「お話、とても参考になりました。……けれど、申し訳ありません。この卵には、本当に海水晶はないんです」
ひとまずセインは、現状の誤解を解くことにした。
彼女が欲しがっているのは、飽くまで宝石入りの人魚の卵。そして、目の前の卵はハズレの卵なのだ。それを納得してもらわないことには、何しろ始まらないのである。
ハンナも今回は小さく頷いた。
慰めるようにジャズが彼女の肩を抱いている。
「ただ、実のところ、僕も海水晶の入った卵に興味が湧きました」
セインは悲壮感漂う空気を払うように、ことさら明るい声でそう言った。二人が顔を上げるのを待って、セインはにっこりと笑った。
「そして僕が必要なのは、海水晶ではありません。どうです? 協力してくださいますか」
応援ありがとうございます!
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