流れゆくとき

刀根光太郎

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たまたま刻んだ思い出

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 七月半ばのとある休日。
今日は日差しが強く、気温が30℃を越えている。
黒い髪が太陽光の熱を吸収する。暑い。

 しかし不思議とふるさとよりは涼しい気がする。
土地による特徴なのか、歳をとったからなのか、
原因は定かではない。

 高い建物の陰。
場所によってはその建物が強い風を起こす。
そういう所ではお昼を食べた後、外で休憩するもよし。
トラブルさえ起こらなければ快適な場所だ。

 電車に乗ると休日のため恋人同士がそこそこいた。
それを見て悲しい感情が湧き上がった。

 僕は都内近郊のとあるマンションに来ていた。
一か月前から彼女と連絡が取れなくなっていたからだ。
203号室。表札の前で停止する。名前は書かれていない。
物騒な世の中になったものだと少し寂しく感じた。

 僕はノックして家に入る。
短い廊下を歩いてドアを開けた。
疲れている女性がテーブルに腕を置き、背を向けて座っていた。
部屋に段ボール箱がいくつもあった。
なにも言わずに引っ越す気だったらしい。

沙弥加さやか……」


 彼女は怒っているようだ。
僕はどうしても理由を知りたかった。

「どうして連絡をくれないんだ……僕が怒らせるような事をしたのか?」

「約束……したのに」

「約束?」

「さようなら。龍之介……」

「あ……」

 なんの約束か分からない。まるで思い出せない。分からないからこそ、こんな僕に愛想が尽きたのだろう。

「忘れないから。龍之介……さようなら」


 その言葉は悲しんでいるように聞こえた。
僕はそれ以上踏み込めない。異様に怖かったからだ。
そのままなにもできずに帰宅した。


 僕は会社で浮いた存在になった。仕事が手に付かない。
以前のようなコミュニケーションができなくなった。
そして、僕は会社を辞めた。





 それから。
ポジティブな事を考えても何度も同じ道に戻ってくる。
そこから抜け出すために旅をしようと思った。
大袈裟なものではない。ただの思い付き。
故郷に帰る途中、ちょっと寄り道をするだけだ。


 気が付くと十一月になっていた。
時が流れるのが年々早くなる。
大きめのリュックサックを持って立ち上がる。

「いってきます」

 誰もいない部屋で一人呟いた。





 電車の座席から窓の外を見る。
カタンコトンと一定のリズムを奏でる。それが不思議と心を落ちつかせる。
窓際に座り、揺られながら変わりゆく街並みや山々を目に焼き付ける。
なに気なく、会社勤めの頃を思い出していた。

 都内近郊は近場に必要な物が揃っている。
飯屋、電車、コンビニ、どこも人ごみに溢れている。
誰しもどこか冷たいが、不快ではない。

 過去に電車で人が急病で倒れたところを見た。
一人か二人が手を差し伸べただけで、
ほとんどは自分の手元に持っているものに夢中だ。
彼等が驚いたのはその人が倒れた直後だけ。

 昔はそれに驚いた。でも今ならなんとなく分かる気がする。
様々な理由があると思う。

 余裕がない。自分のことで精一杯。
生きるために仕事を優先しなければならない。
心配はしているが、関わりたくはない。
下手に自分が動かずに率先して動ける者に任せた方が安全だ。
そんな感じだと勝手に思っている。

 それに倒れた後、なんとか立ち上がった人は「大丈夫」だと言った。
本当に大丈夫なのか、人に迷惑をかけたくないのかはその人にしか分からない。
周りもそれを察しているから最低限の人数に任せているのかもしれない。

 ここまで考えてた後、冷たいといったのとは違う気がした。
恐らく最初に手を差し伸べた人がいなければ、
別の誰かが立ち上がっただろう。そう信じているからだ。



 そんな感じでボーっとしていると女性から声をかけられた。

「ご一緒しても?」

「え……あ……はい。どうぞっ」


 落ち着きのある和服に身を包んだ顔の整った女性。
黒く長い髪。第一印象は清楚。
その黒い瞳はどこか人を引き付ける力強さがあった。

 彼女は目の前に座る。不自然だった。
僕は人が少なかったので対面式の座席にいた。
まだ席は空いており、どこもガラガラ。
なのにも関わらず、わざわざここに座ったのである。

 疑問に思いながらも彼女を見つめるとクスっと笑う。
可愛らしかったが、同時にミステリアスな感じだった。
沈黙に耐えきれず、適当に話しかけた。

「あ~……これからどこに?」

「分からぬ」

「え?」

「特に考えてない」

「あ……ええっと……ぼ、僕龍之介って言います」

 反射的に自己紹介をしてしまった。

「童はキミ」

 それ以上彼女はなにも言わなかった。
急に話しかけられたので話題が出てこない。
なんとかしようとしたがやっぱりだめで思いつかない。


「キ、キミさんですか」

「龍之介はどこへ?」

「一応、諏訪の森自然公園に行ってみようかと。富士山が見えるらしいですよ」

「ふじが……それは絶景だろうな。ご一緒しても?」

「え、ええっ。もちろん良いですよ!!」


 彼女はどこか懐かしそうに外を見た。そこで会話が途切れた。
なんとなくだがそっとしておいた方が良いと感じたからだ。
沈黙が続いたが居心地が悪いとかはなかった。
むしろ心地良いとさえ思った。

 しばらく横顔を見た後、僕も外の景色を楽しんだ。
電車を数本乗り換えて富士山駅に到着した。


 赤い鳥居を通り、外へ出る。
長い事電車に乗っていたので、大きく背伸びをした。

「気のせいかもしれないけど、空気が澄んでて気持ちいい」

「そういう直感は大切にするべきだな」

 案内板を探す。どうやら駅から公園はそこそこ遠いようだ。
下調べはほとんどしていないので手際が悪い。

「すみません。ええっと、バスは……」

「せっかくだ。ぶらぶらと歩くのも良いではないか。龍之介が嫌でなければだが……」

 その言葉を聞いてハッとした。
せっかくなのでこの土地を楽しもう。

「……そうですね。たまには良いかもしれません」

 所々に鳥居があった。
雰囲気は地元と似ているが、やはりその土地の文化が残っている。

「どうしてこんなに鳥居が多いんだろう?」

「知りたいか?」

「知ってるんですか!! 是非!!」

「ふふ、教えぬ」

「え……な、なんでですか?」

「なんとなく」

「く~。いいですよ。自分で調べます」

「調べてどうする?」

「え? そ、それは……調べると知識が身に付きますよっ。こ、後学のためにも……」

「ふむ。確かに知識は身に付く。それはとても良い事だ。だが……なぜ目の前にあるそれを見ない?」

「え……」

「生きてる間。それはいつ使う? 知識を誰かに話したいのか? だがその知識は誰でもいつでも調べられるだろう」

「た、確かにそうですけど……」

「今の世はネットでほとんどの事は書かれている。
しかし、自身が感じたものは何処にも書かれておらぬ。お主だけのものだ」

「……」

「難しく考える必要はない。初めてを楽しめ。ただあるがままを感じれば良い。
分からない事もお主の一部」

 不思議とキミさんの言う事を実践したいと思った。便利なのは良い事だ。
でも、今は効率を捨てて、テクノロジーから少し離れて自由気ままな旅を楽しもうと思った。

「じゃあ。行き当たりばったりで行きましょうか」

「そのいきだ。今を存分に楽しもう」

 今回の思い出は写真にも残さない。
行きたくなったらまた来ればいい。
国道をわざと通らずに裏道を歩く。
道が分からなくなり戻ったりもした。

 そんな些細なことがたまらなく面白く。ワクワクした。

 辺りを見渡すと一戸建ての家が多い。
年季が入っている。しかし、新しい建物も沢山あった。

 黄色や赤に染まった木々が季節を感じさせる。
綺麗な青い空を見ながら周辺の景色を堪能した。

 一匹の三毛猫が横切る。
ノラ猫のようだ。珍しいと感じた。
こちらに気が付くと、そそくさと民家の庭に逃げ込んだ。

 歩いていると突き当りに来た。

「どうする?」

「細いけど真っすぐ進めるみたいですね。行ってみたいです」

 なんとなくだが、周囲の空気が変わった気がした。
今までは地元にもありそうなだった。
しかし、ここからは特別な感じがした。

 巨大な木々が並んでいた。
人や車は通っているが少し怖いと感じた。
高い木が日差しを遮っているからだろう。

「一人じゃなくて良かった」

「意外に怖がりなんだな」

「からかわないでくださよ~」

 キミさんは優しく微笑んでいた。ふと意識をする。
木にこびりつくこけ。太い幹を見つめる。

「この木は一体どのくらい生きているんだろうか」

「ずっと前だよ。お主が生まれるよりもな」

 その偉大さに敬意を感じながら歩いていると広場を見つけた。
そこには僕と同じく歩いている人が沢山いた。子供が広場でのびのびと遊んでいた。

「いいですね。こういうの」

「そうだな」

 ある時、僕は目を見開いた。
緑や赤、黄色く染まる木々の遥か向こう側。
白く高い山が顔を覗かせた。

「あれが富士山……きれいだ……」

 座って見惚れていると、
追いかけっこをしていた子供がこちらに逃げてきた。
危ないと思った矢先、子供が僕に引っかかり転んだ。

「大丈夫かい?」

 驚いた様子。頑張って立ち上がる。
親はすぐ立ち上がったのを見たのか近づいて来ない。

「おじさん……ごめんなさい」

「ご、ごめんなさいっ」

 しっかりと謝れる良い子たちのようだ。

「気を付けてな。それとあんまり親から離れちゃだめだぞ」

「うん」

「バイバイおじさん」

 手を振って母親の近くに走っていった。
子供たちの体を動かしながらの話に親は首を傾げていた。

「かわいらしい子供たちだな」

「……なにも考えずにただただ遊んでた頃が懐かしい……」

「戻りたいのか?」

「そう思った事もあります。ただ、戻ったところで結局歳をとる。
何度戻ろうと、また同じ結果を歩みそうで……」

 自分で言っていて少し笑ってしまった。
人の本質はそうそう変わるものではない。
あるがままを受け入れなければいけないのだと。
今更ながらに気が付いた。

「なら、今のままで……今まで出会った人たちを忘れないように……」


 辺りが赤く染まっていく。なぜだか少し寂しい気持ちになる。
同時に沈みゆく夕日を美しく思った。

「あっ……泊まる場所を考えてなかった。急いで戻りましょう」

「このままキャンプはどうだろう」

「それもいいですね」

 すっかりと日が落ちた。辺りが暗闇に包まれる。
夜空を見上げ、星を眺めた。

「きれいですね……」

 月と雲が調和し、見事な星空を作り出していた。
鞄から食べ物を取り出した。

「キミさんどうぞ」

「ありがとう、龍之介」


 月明かりが空を見上げる彼女を照らす。思わずその光景に見惚れてしまった。
彼女はいったい何者なのだろうと、今更ながら疑問を覚えた。

「あの……」

「ん?」

「どうして僕に声をかけたんですか?」

 彼女は優しく笑う。

「声をかけてほしそうだったからな」

「そ、そんな顔してました?」

「ああ、そんな顔をしていたよ」

 照れくさくなり話題を変えた。

「キミさんは……いえ、なんでもないです」

 どこの出身か聞きたかったが、今はこの静寂な夜を感じたかった。
キミさんが僕の鞄からお酒を取り出す。月を肴にそれを飲んだ。

 気が付くと朝日が昇っていた。日差しと鳥の鳴き声が心地よい。

「次はどこへ?」

「観光スポットを回った後に四国を巡って。最期に九州に行こうかと思ってます」

「一度は行ってみたかった場所か?」

「そうですね。旅行にはずっと行きたいと思ってて。この際楽しもうかと」

「ふふ、存分にな」

 この地に長く住んで居そうな人達や駅員さんなどにおすすめを聞いた。
河口湖や河口浅間神社、忍野八海、富岳風穴に行った。
そこでは非日常が飛び込んでくる。

 湖に反射する富士の山。紅葉がそれを際立てる。
空に浮いているような鳥居と背後の富士が重なり、とても美しい。
古風の建物と自然が調和していた。八つの池を巡る。

「なんだか不思議な生物でも居そうだ……上手く言えないけど」

「龍之介がおるぞ」

 池に僕が反射していた。彼女は口角を吊り上げていた。
意外にも冗談を言うようだ。

「キミさんもいますよ」

「不思議だな」

「え? あ、そ、そうですね」


 鳴沢氷穴・富岳風穴が個人的には一番驚いた。神秘的な光景が広がった。
他の観光客も笑顔と驚きが混じった表情を浮かべていた。
僕は夢のような時間を体験した。





 帰る為に駅へと向かう。行きと帰りではまた景色が違って見えた。
その前に温泉を堪能した。体を流した後、湯に浸かる。

「ふぅー」

「いい湯だな」

「ですねー。温泉はいつだって最高ですね」

 近くにいた老人が話しかけてきた。

「観光ですかな?」

「はい。これから帰るところです。とても素敵な場所でした」

「それは良かったのぉ。じゃが、あまり長くはいかん。気を付けるのじゃぞ」

「お気遣い、ありがとうございます」

 老人はキミさんの方を一瞬見て去っていく。湯から上がるとコーヒー牛乳を飲んだ。

「っぷはぁ~」

「良い飲みっぷりだな」

 キミさんもそれを美味しそうに飲み干した。





 四国へ到着した。八十八ヶ所巡礼をする。
ここでも道中で会う人達におすすめを聞く。

 諏訪神社や大山祇神社、高屋神社、
その他にも鳴門の渦潮や松山城、石鎚山、桂浜、父母ヶ浜など、数え切れない観光スポットに行く。

 歩くだけで楽しいと感じた。林道の木漏れ日が幻想的だ。
小鳥のさえずり、虫の鳴く音色、
川のせせらぎ、土地が違えばそれ等も違うように聞こえた。
触れ合う人々は皆暖かかったように思えた。

 37年間生きたが、まだまだ発見の連続があった。
いや、きっとそれは身近にもあったはず。
それに気が付けない程に疲れていたのだ。


 ある日、雨が降った。雨宿りをする。

「急にきましたね。しばらく足止めですかね」

「そう残念そうな表情をするな。童は好きだぞ。音、空気、風、香り、全てが心地よい……」

 目を閉じて雨音に耳を傾けた。確かに心地よい音色だ。
そんな時、三毛猫も雨宿りにきた。

「あ、猫だ」

「珍しい……」

「富士駅以来ですね」

 猫が近寄ってきたのでタオルで拭いた。

「ふむ。と名付けるとしよう」

「アハハ。定番ですね」

 




 大晦日。明神岬を楽しんだ後に生石公園に来ていた。
初日の出を拝むためだ。

 夜の静寂。澄んだ空気が心地よい。
ある時、変化が起きた。少しずつ。ゆっくりと。空や大地、海に灯がともる。

 朝とも夕方とも分からない明かり。
同時に暖かさが体中に浸透していく気がした。

 太陽は上昇する度に光が強くなっていく。
次第に赤い光が変わっていく。
その光景にただ魅入られた。言葉が見つからないほどに神々しい。
そんな時、なにかが頬をツーっと流れていく。

「あれ? なんでだろ。急に……あれっ……」

 悲しかったのか。それとも感動したのか。
それは決して止まらない。ひたすらに涙が零れ落ちた。
キミさんはなにも言わなかった。
ただ、ずっと僕の傍に居て優しく見守ってくれた。





 電車がガタゴトと規則的に音を鳴らす。
座っていると子供が話しかけてきた。

「おじさん、どこに行くの?」

 なんと回答するか悩んでいた時、母親らしき人物が立ち上がり謝ってきた。
隣に座っていた男にペコペコと謝っていた。

 隣の人は若かった。しかし、優しい人でムッとすることもなく、
困った表情を浮かべながらも笑顔で二人を許した。僕の逆側に座っているキミさんが言う。

「勘違いされたな。まあ、気にするでない。こういう事はよくある」

「気にしてませんよ。子供のやった事ですし」

「しっかりと謝れる良い親だったしな」

「アハハ。ですね……」


 その後も兵庫、鳥取、島根、広島、山口を巡りながら九州に入った。
いつのまにか三月末になっていた。
トンネルを越えると懐かしい景色、香りが僕を包み込む。
とある田舎で下車する。

 駅を出ると安心する景色が広がっていた。
町に多少変化した部分はあった。
でも芯は変わっていない。ここが僕のふるさとだ。

 道端の花、建物公園に至るまで注意深く観察する。
故郷を出る前には気が付かない発見がたくさんあった。

「嬉しそうだな」

 そう言われてハッとした。僕は微笑んでいた。

「そうですね。全てが懐かしくて……」

 そう考えながら無意識に視線を地面に向けていた。
すると猫の鳴き声が聞こえた。

「二回三毛猫だったのに今度は黒猫か」

「迷信を信じるタイプか?」

「まさか。かわいいと思いますよ」


 実家に向かう途中でふと思った。いや、忘れていた。

「連絡してなかったな。でも、もう近いし、いっか」

「きっと驚くだろうな……」

「多分そんな事はないですよ。結構淡白な両親なので。
あ、お互いに嫌いとかそういうのじゃないですよ。仲はいいです」

 キミさんから返答がないので言葉を続けた。

「なんかあれですね……家に近づくほど不思議な感じです」

 彼女に向かってそう言うと珍しく笑顔ではなかった。少し寂しそうだった。

「キミさん?」

 一軒家が見えてきた。
少し照れくさい。そのため門にあるインターホンを鳴らしてしまった。


「はーい、どちらさまですか?」

 母の声だった。懐かしい。思わず笑顔になった。

「あー。僕だよ。龍之介。久しぶり……良かった。鍵なくてさ」

「え? ぁ……え……?」

「ずっと連絡いれてなくてごめん。帰って来たよ」

「………………龍之介?」

 家の中からドタバタと音が響いた。
そして、両親が近づいている音が聞こえる。
ドア越しに大声が聞こえる。
さすがに連絡しなかった事に怒っているようだ。

 ドアが開いた瞬間、怒りの形相をした父が現れた。
そして、力強く握っていたくつべらをカランと落とした。

「りゅ……龍之介……」

「た、ただいま。連絡してないのは謝るけど。そんなに驚く事ないだろ……」

 両親は困惑した表情で僕の隣のキミさんを見た。
しかし、直視する事はなく、目を逸らしていた。

「彼女は旅先で出会ったキミさん」

「え……あ……ぁあ……」

「? どうしたんだよ、体調が悪いのか? キミさんに失礼だろ……」

 キミさんがなんとも言えない表情になっていた。

「善い。それよりも水無瀬が中に居るんだろう?」

 その言葉に父が驚き、口を開いていた。
僕もびっくりしていた。

「あ、ああ……どうしてそれを……」

「え? 沙弥加がいるのか!! なっ、なんで……!!」

「龍之介……先に童だけ入って話をしてもよいか?」

「え……そ、それは」

 返答する間もなく彼女は両親と一緒に家の中に入った。
僕は一人外に取り残された。

「なんなんだいったい……なんで沙弥加がここに。
なんでそれを知ってるんだ……ッ」



 四半刻ほど経つとドアが開いた。先頭にいたのは沙弥加だった。
最後に会った時は冷たかったのに、今は目や顔を赤くして泣いている。

 僕は困惑していた。一番気にかかったのは彼女のお腹が膨らんでいた事だ。
頭の中がぐちゃぐちゃで上手く言葉がでない。

 いつしか彼女は泣き笑いに変った。そして、言葉を発した。

「おかえりなさい」

「……た、ただいま」


 そのまま招かれるように家に入るとキミさんがいた。
こっそりと耳打ちをした。

「なにを話してたんですか?」

「内緒だ」

 予想通りの返答だったが、思わず頭をかいた。
一番不可解なのは沙弥加だ。
しかし、この温和な雰囲気がそれを指摘する事を躊躇わせる。

 逆に沙弥加は沢山の質問をしてくる。
ここに来るまでにどこに行ったか、
どんな景色を見て、なにを思ったか。
何度も何度も聞いてきた。

 彼女は不思議と僕の言葉をオウム返しする。
いつもとは少し違う。
なによりも母には驚いた。動画を撮り始めたからだ。
なんでもさっき使い方を習ったらしい。
さすがに少し恥ずかしくなった。

 夕飯は地鶏めしや天ぷら、
がめ煮。久しぶりのご馳走に自然と笑顔になる。
風呂にゆっくりと浸かっていた時、
キミさんがドア越しに話しかけてきたので驚いた。

「な、なんですか……」

「明日の昼ごろに家を出る。それまでに仲直りしておけよ」

「いやいやいや、折角実家に帰ってきたんだからもっとゆっくりと……」

「仲直りをしておけよ」

「わ、分かりましたよ」

 少しだけ声が低くなった。ちょっと怖いので了承する。
風呂から上がると、布団が二つ並んでいた。恐らく彼女が隣なのだろう。
急に緊張してきたので庭に出た。するとキミさんが月を眺めていた。

「怖いか?」

「……はい、少しだけ……」

「……お主との旅。長い様で短い期間だったが楽しかった」

 意外な言葉に唖然と立ち尽くす。つい笑ってしまった。

「どうしたんですか急にっ。似合わないですよ」

 キミさんも僅かに笑いながら言う。

「ふふ、確かにな……」

 謎の人物。不思議な体験。いや、これは手を伸ばせば近くにある体験だった。
キミさんとずっと一緒にいるわけではない。それをふと考えた時、僕も言葉にした。

「僕も楽しかったですよ。最高の思い出になりました」

「それは良かった」


 その後、沙弥加と話した。彼女も謝る。僕も悪いところがあったのだと謝った。
思ったよりもすんなりと仲直りできた。胸につっかえていたものが取れた気がする。

「ねぇ、一つだけ約束して」

「え…………わ、分かった。それは絶対に守る」

 簡単な約束だった。
しかし、簡単なのに。そのはずなのに。
それを口にするのが難しかった。

 僕は力を入れて、それを口にした。すると彼女は笑顔になった。



 翌日、朝食を食べていると通学の時間帯になると弟も家にきた。
どうやら慌てているようだ。
マラソンでもしていたかのように肩で息をしている。
疲労しているのがすぐに分かった。

「どうしたんだよわたる。そんなに慌てて……」

「あ、兄貴っ……」

 渉は目に涙を浮かべ、笑顔になった。

「おいおい。泣くことないだろ……確かに久しぶりだけどさ……」

「はっ!! 元気そうでなりよりだ!!」

「ああ、元気だ。お前もな」

「ああ!!」

 そこから皆で話していると、お昼になった。
余りにも楽しかったので気が付かないフリをしようと思った。
しかし、僕は何故かそれを口にしてしまった。

「あ、そろそろ時間だ……」

「……」

 皆が一斉に静まり返った。キミさんが静寂を切り裂く。

「行こうか。龍之介」

 椅子から立ち上がった時、沙弥加も立ち上がり近づく。
そして、密着するかしないかの位置で背中に腕を回した。

「愛してるわ」

 急に言われて驚いた。少し照れくさい。
だがそれにしっかりと返した。

「僕も愛しているよ」

 そこでふとある事に気が付いた。片付けられている食器。
その中の一食分だけまったく食器があった。

「あ……」

 その先を言わせないようにとキミさんが立ち上がる。
その時、頬に水が流れ落ちた。

 ずっとその場に立っていた。
体感は長時間突っ立っていたと思っているが、実際には数十秒ほどだっただろう。
そして、僕はそこから一歩前に進んだ。

「父さん、母さん……」

 一人一人しっかりと顔を見つめた。
皆もそれに答えてしっかりと見つめ返した。

「……今まで育ててくれてありがとうございました」

 それを聞いて限界だったのか、声に出して泣き始めた。

「……渉……体に気を付けろよ」

「ああ……色々あったけど楽しかったよ。兄貴……」

「僕もだ」

 そして、彼女の方を向く。

「沙弥加一緒にいてくれて……ありがとう……」

「ううん。こっちこそありがとう……」

 最後にキミさんの方を向いた。

「キミさんにはいくら感謝してもしきれません……本当になんとお礼を言ったらいいか……」


「龍之介。お礼だと言うのなら笑顔を見せてくれはしないか……それが一番嬉しいものだ」

 頑張って笑顔を作る。キミさんは満足そうにうなずいた。
そして、僕はドアを開けて外へと歩き出す。



 玄関に複数の嗚咽がこだまする。その間にも時は流れる。
ある時、沙弥加がキミから視線を逸らして改めてお礼をいった。

「連れてきてくれてありがとうございました……」

「なに。少し縁があっただけ……」

 ここまで思考が追いつかなかった渉。少しだけ冷静になったため問いかける。
彼はどこか怯えていた。

「貴方はいったい……その……こんな事を言うのもあれですが……どこか……」

 キミは穏やかな口調で言う。

「皆まで言わずともよい。お主の直観は正しい」

「ッ……」

 渉は彼女への質問を止めて話を変える。

「…………あ、兄貴は大丈夫でしょうか?」

「龍之介なら大丈夫。きっと上手くやる……さて童もそろそろ」


 別れの言葉を発しようとした次の瞬間には女性はもうそこに居なかった。

「……キミ……さん?」

 四人はその場で立ち尽くす。渉は半分放心状態で言う。

「……こんな事があるんだな」

 沙弥加は優しい顔になり、お腹を愛おしそうに摩る。

「きっとまたどこかで……」



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