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3章 僕と紅林邸の怪談 ~雨谷かざりの繰り返される日々~
紅林治一郎の回想
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紅林治一郎は、ザァザァと降る雨の中、自宅2階の書斎から新谷坂山を眺めていた。
治一郎の娘は体が弱く、肺炎を患っていた。不治の病。
新谷坂山の中腹には療養所があり、娘がそこに入所していた。
……わしが16年ほど前に東京に住んでいた時、家の前に赤ん坊が捨てられていた。わしが建築家だと聞き、金があると思って置いて行ったのだろう。無関係な親せきどもはこぞって反対していたが、わしは引き取ることに決めた。
誰も身寄りのないこの子のことが、自分と重なってみえたのだ。
わしは田舎の豪農の3男として生まれた。安政3年のことだ。
わしの生まれる少し前に日米和親条約が締結され、日本は開国の道を歩み始めた。年号もくるくると変わり、やれ開国だ、鎖国だと日本国中が大騒ぎをしていた時代である。
とはいえ、わしが生まれたのは田舎だ。不穏な風のうわさは流れてくれど、そのような世情は田舎者にはさほど関係ないように思えた。
わしは小さい頃から本が好きだった。家の農業の手伝いの傍ら土蔵の本を読んで育った。しかし跡取りでもない3男であるわしは家を継げるわけでもない。わしは12の時に親戚の伝手をたよって東京で大工の棟梁に弟子入りすることになった。
そのころはちょうど祐宮殿下が天皇に即位あそばされ、江戸の名称が東京に改められたころである。日本の首都たる東京は、その頃のわしには随分きらきらしく見えた。
とはいえ、なれぬ大工仕事は身にこたえる。体に鞭打ちながら、それでも田舎に逃げ帰らなかったのは理由がある。わしはその仕事と師匠の技をひどく気に入っていたのだ。
わしが弟子入りした師匠は当世風にいえば、欧風建築の大家であった。
師匠は気難しい人ではあった。だがわしは字が読めたおかげかかわいがられたのだと思う。
師匠はとても誇り高い人で自分の技術に強い自信を持っていた。もともと師匠は江戸の神社仏閣をはじめとした木造建築の棟梁であったと聞くが、西欧から入ってきた石造りの建物を研究し、また異人の技師に頼み込み、研鑽を重ねたそうだ。
師匠は日本の木の技術と西欧の石の技術をこねあわせ、これまでにない堂々としつつもまるで夢か幻のような優美さを兼ね備えた建物を作り出していった。それはまさに新しいものを生み出す力強さにあふれていたが、一方ひどく非現実的な光景のようにも思えた。
師匠の名は世間に響き渡った。だがその頃からわしの人生は少しずつ傾いていった。
実家の両親と兄弟の訃報がとどいた。大雨が降り、川が決壊して全て流されたそうだ。
決壊の話を聞いた時にはすでに両親・兄弟の葬儀も終わった後であった。名もよく知らぬ親戚から両親の田畑をよこせという手紙が何通も舞い込んだ。わしもいまさら農作業などわからぬ。面倒だからくれてやれと何やら送られてきた書面に判子を押して送り返したら、音沙汰はなくなった。
不幸は重なる。まだ40ほどの若さで師匠は亡くなった。流行り病である。あっという間のことだった。
流行り病にかかる前から師匠には予感はあったようで神社やなにやらのまじないに傾倒していたが、結局間に合わなかった。
わしは学がないぽっと出の田舎者である。わしの建築は田舎臭いだの師匠に贔屓されただの、あることないこといろいろ言われるのだ。下手に出て機嫌をとることもできたのかもしれぬが元来偏屈なわしには困難であった。
わしは東京で一人、頼るものもなく働かざるをえなくなった。
だがわしには師匠の残した技術がある。それを頼りにわしはなにくそと思い仕事を続けた。わしは師匠にあやかり名を紅林に変えた。そのおかげか、いつしかいっぱしの建築家としてそこそこに名が売れるようになっていった。
くだんの女児がわしのもとに現れたのはちょうどその頃である。
頼るものもなく必死に働きようやく一息つけるようになったわしは、急に人寂しくなったのだ。女児はわんわんと泣き喚くばかりだったが、その頼りなさがわしにはたまらなく愛おしく思えた。
わしはその子に太陽によりそわれるように幸福に生きてほしいと『ひより』という名をつけた。
子供のことはわからん。わしは家政婦を雇い世話はまかせた。たまに様子を見てもどのように扱えば良いのかわからぬ。恐る恐るその小さな手に指をのばすと意外なほど強い力で握り返され、驚いて部屋に逃げ帰った。
とーたま、と呼ばれるようになる頃には目に入れても痛くないとはこのことか、と思えた。
だが幸せは長くは続かなかった。
ひよりは8歳の時に結核を発症したのである。死病だ。治療方法はなく空気の良いところで療養するしかなかった。
ゼェゼェと苦しそうに息を吐くひよりを見てすぐに東京の自宅を引き払い、評判の良い療養所があるという新谷坂に引っ越した。
口さがないものは、やれ逃げただの負け犬だの色々言っていたが、かまうものか。
わしはひよりをその療養所にいれた。
山の綺麗な空気がよかったのかひよりはなんとか持ち直した。
わしは療養所の麓の土地を買い、家を建てた。
南向きの療養所からよく目立つよう屋敷は漆喰で白く塗り固め、気分が明るくなるようにと屋根は青く塗った。まわりの住民には妙な家だといわれたが、なにかまうものか。ひよりが少しでも慰められるよう庭師と相談して庭も整えた。
ひよりは体調が良い時には家まで降りてくることができた。そんな時には庭のベンチでぽかぽかとした日差しを楽しんだ。
痩せてはいたがだんだんと大きくなる娘の成長は喜ばしかった。とても。
しかし、そんな時間ももう終わった。
昨日ひよりが亡くなった。最後には哀れに痩せ細り、ホゥ、と小さなため息をつくとともに、すべての息を吐き尽くしたというかのように静かに息を引き取った。
今はひよりを引き取る準備のために家に戻ってきたところだ。
わしの手から幸せは全てこぼれ落ちてしまった。もうなにも残っていない。
こうなってしまったからにはもう何も未練はない。ひよりのために建てたこの家と一緒に全て燃やしてしまおうか。ひよりと一緒に灰になれば一緒に天国に行けるやもしれぬ。あるいは来世でも巡り合えるかも知れぬ。
もう何もないのだ。わしにはもう、ひよりしか。
もう一度、療養所のある新谷坂山を眺めた。
暗く冷たい雨に遮られ今は何も見えない。なにもないぽっかりした闇がわしを見つめているように感じられた。
◇◇◇
僕は今日のことをものすごく後悔していた。どん底とはこのこと。
自室のベッドで頭をかかえながら自己嫌悪に陥る。
はぁ、本当、どこで間違ったんだろう?
胃が……すごく痛い。しくしくする。
明日はむしろ巻き戻ってほしい。巻き戻っていないと合わせる顔がないよ。
ニヤは僕の部屋の定位置、ベッド脇のオレンジ色の座布団の上に横たわってしっぽをパタパタさせていた。
恐怖の感情から怪異が生じることもある。都市伝説なんかはその典型。だからニヤは人の感情が匂いとしてなんとなくわかるらしい。ニヤは新谷坂で生じた痛ましい匂いや苦しい匂いなんかをたどって僕を怪異のもとに案内する。
「ニヤ、雨谷さんはお父さんのことが好きだよね?」
「そうだな」
もう一度目を閉じる。
さっきの雨谷さんを思い浮かべる。
『紅林邸で男の人の幽霊が出るんだって。雨谷さんのお父さんだったりするのかな? 雨谷さんを見守っているのかも』
雨谷さんの様子が変わったのは『お父さん』が『見守っている』というところだった気がする。
お父さんが見守るのが怖いの? まさかDVを受けていたとか。でも雨谷さんはお父さんのことをすごく好きそうだった。好きだけど怖がっている?
「ニヤ、雨谷さんはお父さんが怖いのかな? お父さんに虐待されていたとか」
ニヤは座布団に顔を伏せる。
「……我にはよくわからぬが、アマガイに恐れの感情はないように思う。どちらかといえばあの感情は……お主がたまに抱いている『義務感』というものに近しいだろうか?」
義務感?
僕が義務感を感じているのは新谷坂の封印のことだ。今も雨谷さんを助けたいという気持ちの半分くらいは僕が拡散した呪いをなんとかしなきゃいけないという義務感が占めていると思う。
義務ということは雨谷さんはしないといけないことがある?
絵を描くこと? 絵は描いているよね? 僕が話しかけたから絵を描く時間が減ったとか?
でもこういってはなんだけど誘って断られたことはない。
「アマガイは我と同じく役目のある傀儡だ。それが好きでやっていることだ。気にすることはないのではないかね?」
ニヤの話はわかりづらい。
ニヤの役目は新谷坂の怪異の封印だけど、ニヤ自身は怪異が封印されようとされまいとどちらでもかまわない。封印するものがあれば封印するしなければしない。その役目を放棄してはいないけれど積極的には義務を果たさないってことになるのかな。
でも雨谷さんの義務って何だろう。それはわからないけどそもそも僕と雨谷さんは事情が違う。
ニヤは雨谷さん自身が巻き戻しを望んでいるって言っていた。けれども僕が新谷坂の封印を解いたことが関係ないはずがない。ひょっとしたらループしているせいで何かの役目が果たせてないのかもしれない。
そんな中で勝手に雨谷さんの事情に押し入って一方的に傷つけてしまった。やっぱり放っておくわけにはいかないよ。
でも考えても考えても、いい考えは全然浮かばなかった。
だんだん重くなってきた頭としくしく痛む胃を抑えながらとりあえず眠ることにした。
リモコンでピッと部屋のライトを消すと黒猫のニヤはすっかり見えなくなったけど息遣いは感じる。僕もゆっくりまぶたを閉じた。
その日、雨谷さんとお父さんがベンチでお弁当を食べている夢を見た。雨谷さんのお父さんはとても満足そうにしていたけど、雨谷さんは嬉しそうにしながらもどこか少し遠い目をしていたように思う。
治一郎の娘は体が弱く、肺炎を患っていた。不治の病。
新谷坂山の中腹には療養所があり、娘がそこに入所していた。
……わしが16年ほど前に東京に住んでいた時、家の前に赤ん坊が捨てられていた。わしが建築家だと聞き、金があると思って置いて行ったのだろう。無関係な親せきどもはこぞって反対していたが、わしは引き取ることに決めた。
誰も身寄りのないこの子のことが、自分と重なってみえたのだ。
わしは田舎の豪農の3男として生まれた。安政3年のことだ。
わしの生まれる少し前に日米和親条約が締結され、日本は開国の道を歩み始めた。年号もくるくると変わり、やれ開国だ、鎖国だと日本国中が大騒ぎをしていた時代である。
とはいえ、わしが生まれたのは田舎だ。不穏な風のうわさは流れてくれど、そのような世情は田舎者にはさほど関係ないように思えた。
わしは小さい頃から本が好きだった。家の農業の手伝いの傍ら土蔵の本を読んで育った。しかし跡取りでもない3男であるわしは家を継げるわけでもない。わしは12の時に親戚の伝手をたよって東京で大工の棟梁に弟子入りすることになった。
そのころはちょうど祐宮殿下が天皇に即位あそばされ、江戸の名称が東京に改められたころである。日本の首都たる東京は、その頃のわしには随分きらきらしく見えた。
とはいえ、なれぬ大工仕事は身にこたえる。体に鞭打ちながら、それでも田舎に逃げ帰らなかったのは理由がある。わしはその仕事と師匠の技をひどく気に入っていたのだ。
わしが弟子入りした師匠は当世風にいえば、欧風建築の大家であった。
師匠は気難しい人ではあった。だがわしは字が読めたおかげかかわいがられたのだと思う。
師匠はとても誇り高い人で自分の技術に強い自信を持っていた。もともと師匠は江戸の神社仏閣をはじめとした木造建築の棟梁であったと聞くが、西欧から入ってきた石造りの建物を研究し、また異人の技師に頼み込み、研鑽を重ねたそうだ。
師匠は日本の木の技術と西欧の石の技術をこねあわせ、これまでにない堂々としつつもまるで夢か幻のような優美さを兼ね備えた建物を作り出していった。それはまさに新しいものを生み出す力強さにあふれていたが、一方ひどく非現実的な光景のようにも思えた。
師匠の名は世間に響き渡った。だがその頃からわしの人生は少しずつ傾いていった。
実家の両親と兄弟の訃報がとどいた。大雨が降り、川が決壊して全て流されたそうだ。
決壊の話を聞いた時にはすでに両親・兄弟の葬儀も終わった後であった。名もよく知らぬ親戚から両親の田畑をよこせという手紙が何通も舞い込んだ。わしもいまさら農作業などわからぬ。面倒だからくれてやれと何やら送られてきた書面に判子を押して送り返したら、音沙汰はなくなった。
不幸は重なる。まだ40ほどの若さで師匠は亡くなった。流行り病である。あっという間のことだった。
流行り病にかかる前から師匠には予感はあったようで神社やなにやらのまじないに傾倒していたが、結局間に合わなかった。
わしは学がないぽっと出の田舎者である。わしの建築は田舎臭いだの師匠に贔屓されただの、あることないこといろいろ言われるのだ。下手に出て機嫌をとることもできたのかもしれぬが元来偏屈なわしには困難であった。
わしは東京で一人、頼るものもなく働かざるをえなくなった。
だがわしには師匠の残した技術がある。それを頼りにわしはなにくそと思い仕事を続けた。わしは師匠にあやかり名を紅林に変えた。そのおかげか、いつしかいっぱしの建築家としてそこそこに名が売れるようになっていった。
くだんの女児がわしのもとに現れたのはちょうどその頃である。
頼るものもなく必死に働きようやく一息つけるようになったわしは、急に人寂しくなったのだ。女児はわんわんと泣き喚くばかりだったが、その頼りなさがわしにはたまらなく愛おしく思えた。
わしはその子に太陽によりそわれるように幸福に生きてほしいと『ひより』という名をつけた。
子供のことはわからん。わしは家政婦を雇い世話はまかせた。たまに様子を見てもどのように扱えば良いのかわからぬ。恐る恐るその小さな手に指をのばすと意外なほど強い力で握り返され、驚いて部屋に逃げ帰った。
とーたま、と呼ばれるようになる頃には目に入れても痛くないとはこのことか、と思えた。
だが幸せは長くは続かなかった。
ひよりは8歳の時に結核を発症したのである。死病だ。治療方法はなく空気の良いところで療養するしかなかった。
ゼェゼェと苦しそうに息を吐くひよりを見てすぐに東京の自宅を引き払い、評判の良い療養所があるという新谷坂に引っ越した。
口さがないものは、やれ逃げただの負け犬だの色々言っていたが、かまうものか。
わしはひよりをその療養所にいれた。
山の綺麗な空気がよかったのかひよりはなんとか持ち直した。
わしは療養所の麓の土地を買い、家を建てた。
南向きの療養所からよく目立つよう屋敷は漆喰で白く塗り固め、気分が明るくなるようにと屋根は青く塗った。まわりの住民には妙な家だといわれたが、なにかまうものか。ひよりが少しでも慰められるよう庭師と相談して庭も整えた。
ひよりは体調が良い時には家まで降りてくることができた。そんな時には庭のベンチでぽかぽかとした日差しを楽しんだ。
痩せてはいたがだんだんと大きくなる娘の成長は喜ばしかった。とても。
しかし、そんな時間ももう終わった。
昨日ひよりが亡くなった。最後には哀れに痩せ細り、ホゥ、と小さなため息をつくとともに、すべての息を吐き尽くしたというかのように静かに息を引き取った。
今はひよりを引き取る準備のために家に戻ってきたところだ。
わしの手から幸せは全てこぼれ落ちてしまった。もうなにも残っていない。
こうなってしまったからにはもう何も未練はない。ひよりのために建てたこの家と一緒に全て燃やしてしまおうか。ひよりと一緒に灰になれば一緒に天国に行けるやもしれぬ。あるいは来世でも巡り合えるかも知れぬ。
もう何もないのだ。わしにはもう、ひよりしか。
もう一度、療養所のある新谷坂山を眺めた。
暗く冷たい雨に遮られ今は何も見えない。なにもないぽっかりした闇がわしを見つめているように感じられた。
◇◇◇
僕は今日のことをものすごく後悔していた。どん底とはこのこと。
自室のベッドで頭をかかえながら自己嫌悪に陥る。
はぁ、本当、どこで間違ったんだろう?
胃が……すごく痛い。しくしくする。
明日はむしろ巻き戻ってほしい。巻き戻っていないと合わせる顔がないよ。
ニヤは僕の部屋の定位置、ベッド脇のオレンジ色の座布団の上に横たわってしっぽをパタパタさせていた。
恐怖の感情から怪異が生じることもある。都市伝説なんかはその典型。だからニヤは人の感情が匂いとしてなんとなくわかるらしい。ニヤは新谷坂で生じた痛ましい匂いや苦しい匂いなんかをたどって僕を怪異のもとに案内する。
「ニヤ、雨谷さんはお父さんのことが好きだよね?」
「そうだな」
もう一度目を閉じる。
さっきの雨谷さんを思い浮かべる。
『紅林邸で男の人の幽霊が出るんだって。雨谷さんのお父さんだったりするのかな? 雨谷さんを見守っているのかも』
雨谷さんの様子が変わったのは『お父さん』が『見守っている』というところだった気がする。
お父さんが見守るのが怖いの? まさかDVを受けていたとか。でも雨谷さんはお父さんのことをすごく好きそうだった。好きだけど怖がっている?
「ニヤ、雨谷さんはお父さんが怖いのかな? お父さんに虐待されていたとか」
ニヤは座布団に顔を伏せる。
「……我にはよくわからぬが、アマガイに恐れの感情はないように思う。どちらかといえばあの感情は……お主がたまに抱いている『義務感』というものに近しいだろうか?」
義務感?
僕が義務感を感じているのは新谷坂の封印のことだ。今も雨谷さんを助けたいという気持ちの半分くらいは僕が拡散した呪いをなんとかしなきゃいけないという義務感が占めていると思う。
義務ということは雨谷さんはしないといけないことがある?
絵を描くこと? 絵は描いているよね? 僕が話しかけたから絵を描く時間が減ったとか?
でもこういってはなんだけど誘って断られたことはない。
「アマガイは我と同じく役目のある傀儡だ。それが好きでやっていることだ。気にすることはないのではないかね?」
ニヤの話はわかりづらい。
ニヤの役目は新谷坂の怪異の封印だけど、ニヤ自身は怪異が封印されようとされまいとどちらでもかまわない。封印するものがあれば封印するしなければしない。その役目を放棄してはいないけれど積極的には義務を果たさないってことになるのかな。
でも雨谷さんの義務って何だろう。それはわからないけどそもそも僕と雨谷さんは事情が違う。
ニヤは雨谷さん自身が巻き戻しを望んでいるって言っていた。けれども僕が新谷坂の封印を解いたことが関係ないはずがない。ひょっとしたらループしているせいで何かの役目が果たせてないのかもしれない。
そんな中で勝手に雨谷さんの事情に押し入って一方的に傷つけてしまった。やっぱり放っておくわけにはいかないよ。
でも考えても考えても、いい考えは全然浮かばなかった。
だんだん重くなってきた頭としくしく痛む胃を抑えながらとりあえず眠ることにした。
リモコンでピッと部屋のライトを消すと黒猫のニヤはすっかり見えなくなったけど息遣いは感じる。僕もゆっくりまぶたを閉じた。
その日、雨谷さんとお父さんがベンチでお弁当を食べている夢を見た。雨谷さんのお父さんはとても満足そうにしていたけど、雨谷さんは嬉しそうにしながらもどこか少し遠い目をしていたように思う。
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