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1章 僕の怪談のはじまり ~新谷坂山の口だけ女~

僕という怪談

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 冷んやりとした床の感触と石の固さ、それが僕が意識を取り戻して初めて感じたものだった。
 いてて。なんだか体中が強張ってミシミシと痛い。頭も何だかくらくらする、貧血っぽい感じ。ぼんやり周囲を見回すと、すぐ隣でナナオさんがうつ伏せに倒れていて、でもその背中が呼吸とともに微か上下していたからほっと安心する。
 体を起こして見回すと、先ほどまでいた井戸の底の丸い空間だった。水はすっかり引いていたけど、床は薄く湿って冷たい。そもそもあれが水だったのかはよくわからないけれど。それから転がって僕らを照らす懐中電灯の光以外、星の明かりも何もかも消えて、真っ暗な中で静寂が広がっている。
「気づいたか」
 頭の中に響く声。キョロキョロ見回していると、僕の前にすらりと黒猫が現れた。さっきまでのことを思い出す。
「えっと、君が助けてくれたのかな?」
 あれ? この声。さっきも聞いた声だ。
 低くて艶のある、女の人の声。
「君の声? なんで」
「お主が封印を解いたときに少し認識が混ざったのだ」
「認識? 僕、やっぱり封印を解いちゃったの?」
 心臓が大きくどくんと鳴る。焦る。
 どうしよう。それは凄くまずい。あんなものがたくさん出てしまったらたくさんの人が襲われてしまう。けれども黒猫の声の調子は変わらなかった。
「そうともいえるし、異なるともいえる。お主は封印に穴を開けて私はそれを塞いだのだ」
「塞いだ? じゃあお化けは外に出てはいないの?」
「出たが全てではない」
 
 それから黒猫はここの話をした。
 即身仏の人はこの新谷坂山にたくさんの怪異を集め、自らの命を使って封印した。この新谷坂山全体にはさまざまな怪異が封じ込められていて、この直径5メートル程の部屋の床がその封印のフタになっている。この黒猫は即身仏の人が亡くなった後も、封印がつつがなく効果を発揮することを見守るために作られたそうだ。
 井戸の底に降りた時、僕はここに封印された怪異がどんなものか全く理解していなかった。口だけ女の子の声を聞いて、話が通じたものだから、てっきり話し合えたりするものかと、それほど恐ろしくないものかもしれないと勘違いしていた。
 そんな僕が呑気に手紙を渡したいと言ってしまったから、黒猫は怪異の姿を僕に見せようとした。昔から伝わる血を媒介とした呪いで、僕に封印の内側を見せた。案の定、僕は怪異を見て意思疎通なんて無理だと思った。
「けれどもそちらの者が呪物を持って現れたのだ」
「呪物って?」
「手に持っていたであろう?」
 それは黒猫にとっても想定外のことだった。
 ただの人なら封印の内側に取り込まれたりはしない。けれどもナナオさんは『口だけ女の子』の呪物を持って現れた。だから封印がナナオさんを怪異と認識してナナオさんごと封印の中に飲み込んだ。
 僕とナナオさんの間は封印のふたがあり、人間の僕は通り抜けられない。ナナオさんに到達するには封印のふたを破らないとならない。
「けれどもお主は封印を開放しようとは思ってはおらなんだのだろう? だからお主が通れるだけの小さな穴を開けたのだ」
 既に封印に僕の血が広がっていた。それを起点に、その範囲分だけ封印の一部に穴を開け、その穴から僕はどぼんと封印に落下し、入れ替かわりに水しぶきのように穴からたくさんの怪異が飛び出した。
「逃げた怪異はお主が開けた穴を通って逃げた。からもう一度封印するためにはえにしをつないだお主以外、封印できぬ」
「……僕は封印する力なんてないんだけど」
「しなくても構わぬ」
「えっ。でもその怪異は悪いことをするんじゃないの?」
「するであろうな。けれども我には封印できぬ。どうしようもない」

 封印を解いた時に僕と怪異の間に繋がりができてしまったそうだ。そういえば今は見えないけれど、封印に落下したときにたくさんの繊維のようなものが絡みついた気がする。それが怪異との縁。だから僕でないと再びここに再び封印することはできないようだ。 
「我の役目は封印を守ることで封印から逃げた怪異を再度封印することではない。それから……」
 少しためらうように黒猫は続ける。
「これはお主に無断で行ったことであるが、今お主の4分の3ほどを封印の中に置いてきている」
 そういえばさっきから頭がぼんやりとしている。そして改めて注意を向けると、僕はこの下の、冷たい岩肌の下のさらに向こうに僕がいると感じる。意識して床に触れると僕の腕はとぷんと地面の下、封印の中に潜り込んだ。
「何これ!? 僕は幽霊になったの? ……これって大丈夫なの?」
「幽霊ではないが大丈夫ではない。この封印にとって、お主は封印しうるものとなった。それだけだ。それからこの中の存在について説明する必要があるな」
「存在?」
「お主らはよくわからぬものを妖や怪異と呼ぶが、それはこの世のことわりの外にあるものなのだ」
「外?」
「そうだ。だから妖しい又は怪しく異なると書く。つまり、現世に存在し得ないものの総称である」

 簡単に現世と隠世かくりよというけれど、世界にはたくさんの世界がありその中の一つがこの現世であるという、ただそれだけのこと。
 たくさんの世界は平行・重複して存在し、その垣根をひょいとこえてやってきたもの、僕らが暮らす現世の存在でないものが妖や怪異と呼ばれるそうだ。そういったものの大半はいずれ来た時と同じようにいなくなり、あるいは同化してしまうから大抵は気づかれない。
 けれどもその中で現世に居座り災厄を振りまくものがいる。それを現世から隔離し、現世に出てこないようにしているのがこの封印なのだそうだ。
 この封印は現世にないものを隔離するために作られているから現世のものなら出ることは難しくない。だから封印に落ちた僕もナナオさんも、封印から抜け出ることができた。この封印はコーヒーのフィルターみたいなものなのかな、と思う。
「本来はお主を完全に外に出すことはできるが、既にお主が解放した妖どもと縁がつながっている。だからお主の全てを現世に置くと、縁をたどってすぐに見つかってしまうのだ」
「見つかると、どうなるの」
 尋ねてはみたけれど、先程の封印の内側を覗いた僕は、その答えはわかっていた。
「唯一封印ができるお主を殺そうとするだろう。だから見つからぬよう、そのおおよそをこの下に隠したのだ」
 隠して、本体の僕の居場所をたどれないようにした。
 とりあえずの身の危険は免れたけど、僕は現世の生き物だから現世から離れすぎると変調をきたす。多分このまま僕の大部分を封印の中に置いておくと現世の僕の体はそれほどたたずに維持できなくなって、僕の命はそう長くない。
「どのくらい……?」
「おそらく3年程度で存在が保てなくなるだろう。ただし怪異は地に根を張るものが多い。遠く離れれば追ってくることは少ないゆえ、遠く去るなら体を戻そう。それに怪異も必ず殺しに来るわけではない」
 僕は現世のものなので、今なら封印から出すのはそう難しくはないらしい。
 でもどうするかの前に気になっていたことを尋ねる。

「ねぇ、僕の解放した妖って、……やっぱり人を襲うんだよね?」
「襲うであろうな。襲うからこそここに封印されていたのだ」
「僕は封印ってできるのかな。たとえば何か修行とかして」
「強引にやってやれぬことはないが、お主に才能があるようには思えぬな。それに彼の方のように命を削る。ただお主はお主のやりようですでに怪異を二つ隠世に返している。他の方法があるのやもしれぬ」
「僕が? なんのこと?」
 僕が会った『口だけ女の子』と『口だけお母さん』は、話し合って彼女らの隠世に帰ったらしい。それはどちらかというとナナオさんのおかげなのだろう。
 そうすると、ひょっとしたら話し合いとかで帰ってもらう方法もあるのかもしれない。
 話し合いで? 本当に?
 無理だ。あの『口だけ女』は話し合いなんてとても成立しそうには思えなかった。けれども実際はなんとかなった。なんとかならなくも、ないのかな。

「その、僕のせいで怪異が外に出ちゃったわけでしょう? 僕のせいで不幸が起こるのは嫌なんだ。それに僕だけ逃げ出すのも。それならちょっと頑張ってみたい」
「了承した」
 封印の向こうの僕がすうっと何かに囚われた感じがした。
 遠くに行くといってもあてはない。逃げたとしても怪異は追ってくるかもしれない。追ってきたら、僕は多分殺される。それならここに残って、僕のせいで起こる不幸をできるだけ防ぎながら方法を探したい。なんとなくそう思ったから。それはやっぱり、『口だけ女』に襲われそうになったナナオさんを見てしまったから。同じようにまたナナオさんが襲われるかもしれないから。
 けれどもそう思ったのは、その時点で僕は命が短くなる実感も封印の影響も特別には感じられていなかったからかもしれない。ようはあまりにおかしなことばかり起きすぎて、真剣に考えることができなかった、のかもしれない。
「ならば我も力を貸そう」
「いいの? さっき封印しなくてもいいって言ってたのに」
「我の役目は封印のふたである。封印するものがあるのならば封印する。ここから出たものについては封印できるのはお主であり、封印するかどうかを決めるのもお主だ。お主が望むままに協力しよう」
「そっか、あの、ありがとう。それじゃぁ……ええと、君の名前は?」
「我に名はない。好きに呼ぶが良い」
「えっとそれじゃあ」
 最初会った時のにゃあという鳴き声からと言うと怒られそうだ。
「新谷坂を守ってるからニヤでどうかな。しばらくよろしく」
 僕はニヤに向かって手を差し出す。ニヤは戸惑ったように黒い右足を差し出し、僕の右手に触れた。

 その後、しばらくたってからナナオさんは意識を取り戻した。
「『口だけ女の子』はお母さんと会えて一緒に家に帰ったみたいだよ」
「本当か!? よかったよ!」
 ナナオさんは太陽みたいに眩しい笑顔でニカっと笑った。だからきっと、守らないとだめなんだ。
「それよりちゃんと待っててっていったじゃない」
 ナナオさんが持っていたのは『口だけ女の子』からお母さんに宛てた手紙で、僕が井戸の中にいるときにメモ帳を投げて書いてもらったんだそうだ。
 そうしている間に急に井戸が光って『口だけ女の子』がお母さんがいるって慌てだしたから何かあると思って思わず踏み込んだんだ。
 でも『口だけお母さん』がメモに向かって行ったのも納得だ。子供が書いたものってわかったのかもしれない。そう考えると、きっと共通点や話し合いの余地というものは、ひょっとしたらあるのかもしれない。
「だってさぁ、心配になるじゃん」
「仕方ないなあもう。本当に何かあったらどうするつもりだったんだよ」
「うまくいったんだからいいだろ」

 そんな話をしながら僕らは井戸まで戻り、登った。
 これは正直大変だった。まず、ナナオさんに登ってもらう。
 登り始めたころには井戸の端っこが既に明るくなっていた。明るくなりかけたところで途中で下を見てしまったのも悪かったんだと思う。井戸の底は未だ真っ暗、10メートルって結構高い。降りてくる時はあんなに一瞬だったのに、ナナオさんは怖い怖いとギャーギャーいいながらずいぶん長い時間をかけて登っていった。
 僕はナナオさんを教訓に、目をつぶって汗だくになりながら井戸を登った。明日は筋肉痛間違いなしだ。登り切ると、近くの木の上からこちらを静かに眺めるニヤと目があった。
 参道から東を見ると、景色が夜から朝にかわっていた。あんなに散らばっていた小さな光はすっかりなりをひそめ、南東の海岸から登った太陽が、薄青に晴れた空と光を反射してながらさざめく海、それから白っぽい街並みを静かに照らしている。
 僕らの夜は明けた。
「あっ絵馬!」
 ナナオさんが思い出したように叫ぶ。
「また今度絵馬を持ってこようよ」
「そうだな」
 海から運ばれた爽やかな風が石段から吹き上がり、こうして僕らは日常に戻った。

 その後ニヤは僕の寮の部屋に住みつくようになった。
 新谷坂神社にいなくていいのか聞いたら、本体は封印のところにいて、今僕の目の前にいるのは仮初の姿だから問題ないらしい。僕はニヤにオレンジ色の座布団を進呈した。結構気に入っているようだ。
 こんなわけで僕は新谷坂の怪談に仲間入りをした。
 封印への影響を実感したのは日常に戻ってからだった。
 現世の僕の存在は4分の1になり、その結果、新谷坂で一緒にいたナナオさん、それから藤友君と坂崎さん以外、僕の存在を認識する人はほとんどいなくなった。その他に僕に話しかけてくるのは係とかで僕に何か用がある人くらいだ。
 高校デビューは完全に失敗。
 そんなわけで僕は現世と隠世の狭間で新谷坂の怪異を追うことになる。
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