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1章-3 逃げるか、逃げないか
この領域の歴史
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この領域の、特に100年に1度のメンテナンスの日は、他の領域とは決定的に異なるのだ。わしは目の前に散らかる大量の皿から、窓の外の夜空に見えるであろう大きな月を思い浮かべた。
この食堂の軒の上に並んだ青い瓦のさらに上に浮かぶ大きな月は魔女の居城。とはいってもあれは魔女の目も兼ねていて、魔女は領域内のすべての事象を見張っている。
この領域が無法なのに平和なのは理由がある。
「魔女が何のためにいるかはお主も知っておろう?」
「ええと、その場所の魔力を管理するため?」
「そうだ。昔この領域には非常に魔法の扱いに長けた者が生まれたことがある。それでその者がおった国が戦争を始めたのだ」
「へー」
「その国は瞬く間に他の領土を侵略し、あっという間にこの領域の7割を支配した。その時点でこの領域の3割の者が戦火で死んだ」
「たいへんだね」
他人事よなぁ。
ラヴィはむしゃむしゃと花の香りを漂わせる鳥の足を齧りながら、上の空で聴いておる。
「普通はこうなる前に魔女が関与するのだ」
「なんで?」
「強い魔法というのはそれだけで魔力を大量に消費するものだ。魔力の過剰消費は魔力の欠乏を生み、領域の魔力バランスを崩す。だから普通であれば、魔女が関与して裁定したり、無理やり戦争を終わらせたりする」
「ふうん?」
「けれどもこの領域の魔女は極めて面倒臭がりでな、その段に至っても関与しなかった。それでその魔法使いは魔女のお墨付きを得たとでも思ったのであろうな。極大魔法という、そうだな、お主は知らんだろうが、ものすんごい魔力を消費する魔法を行使しようとしたのだ」
ハーブチキングリルの皿が片付けられて、次の皿が運ばれてくる。
山鹿のステーキの香ばし草添え。そしてそれは見る間にラヴィの口に飲み込まれて、新しい皿が用意された。こやつの胃袋も十分魔法同義に思える。
「そのうちその者の魔力消費が魔女の許容量を超えたのか、魔女はその魔法使いの国を焼き払った。これでこの領域の民がさらに4割消えた」
「えっ全部で7割も?」
「それで魔女は、誰もいなくなったその国のあったところに魔法を操れる魔物の群れを生やした。魔力を消費しないでいると、魔力が溜まりすぎてバランスが壊れるからな。ここの魔女は魔力の消費と生産の管理を行えればよいというだけで、その実態には興味が無いのだ。人が滅ぼうとそうでなかろうと」
「ええーじゃあ魔物料理とかたくさんある?」
「ない。というか何故そういう発想に至るのだ? そもそも魔法を使える魔物というのはだいたい恐ろしく強くてな。人間と魔物の殺し合いが始まって残り3割の人間が1割まで減ったとき、ようやくこの領域に平穏が取り戻された訳だ」
「なんか大変」
暖簾に腕押しとはこのことだろうなあ。
「本当に大変なことなのだぞ、これは。それでこの領域の国々は協定を結んだのだ。協定の内容は至極単純。『戦争を目論んだ国はその国民全てを処刑し、その領土は他の国で均等に分ける』。人を全て滅ぼせば魔女はまた空き地に魔物を生やすだろう。けれども人の地のままにして時折魔法を行使すれば、魔女が魔物を生やすことはない」
「へえ」
「……へぇって疑問に思わぬのか? どうやって『目論んだ』かどうかがわかるか」
「どうやるの?」
思わずため息が出る。
この領域でのことは全て魔女の目が記録している。
この領域では何かあれば月が記録している、と認識されているが、正確に言えばこの領域内で魔力のふれる全ての事象があの月の中に記録され、管理されている。そしてこの領域の各国から1名ずつ、記録官が月に常駐してこの領域内の全ての記録を閲覧し、自国他国問わず戦争の目論見を発見した場合、そのような目論見をした個人とその国に警告を発する。
「個人に?」
「雑談をしていて、たまたま戦争になったらとかそんな話になることもあるだろう? それだけで国を滅ぼしていたのでは埒があくまい」
「ねぇ記録が見放題ってことは、どこのお店のご飯が美味しそうとかわかるの?」
「お主はそういう発想だけは豊かだな。だが一度月に上がった者は二度と地上には降りられぬ。だから美味い飯屋をみつけても食べにいけぬ」
「つまんない」
ラヴィは頬をふくらませた。
月に上がった者はその時点で人ではなくなるのだがな。
そしてこのシステムは、この領域の国々にとっても都合が良かった。月から降りてきてしまうと、月で知った国家機密や高度な技術が自国ではなく他国に流出するかもしれないのだから。
「そしてそのうち、この記録は戦争以外にも様々なことにも利用されることになる」
「様々なこと?」
「そう、例えば犯罪が起こった時のその下手人探しや、国内資源の探索などだ。それぞれの国が派遣した調査官は他の調査官と調整の上で情報を開示する。だからこの領域は『無法』であるにも関わらず国家間相互の監視が効果的に働くため、他の領域より安全なのだ」
けれどもこの領域の『真の無法』期間。その短い一晩の間、魔女の目はその全ての機能を停止する。だからこの期間に何をやっても何がおこなわれてもその記録は残らず、追われることもなく、『真の無法』となる。
だからその期間、この領域の多くの者は家の中に閉じこもるのだ。
「だから何が起こっても……」
「あれ? ラヴィ君じゃないか。エグザプトに向かったんじゃないのかい?」
「アイネお兄さん?」
「それにしても相変わらずよく食べるねぇ」
帽子の端から見上げると、船で別れたアイネ・グレイスが机の上の惨状を眺め渡して呆れた声を出したところだった。
この食堂の軒の上に並んだ青い瓦のさらに上に浮かぶ大きな月は魔女の居城。とはいってもあれは魔女の目も兼ねていて、魔女は領域内のすべての事象を見張っている。
この領域が無法なのに平和なのは理由がある。
「魔女が何のためにいるかはお主も知っておろう?」
「ええと、その場所の魔力を管理するため?」
「そうだ。昔この領域には非常に魔法の扱いに長けた者が生まれたことがある。それでその者がおった国が戦争を始めたのだ」
「へー」
「その国は瞬く間に他の領土を侵略し、あっという間にこの領域の7割を支配した。その時点でこの領域の3割の者が戦火で死んだ」
「たいへんだね」
他人事よなぁ。
ラヴィはむしゃむしゃと花の香りを漂わせる鳥の足を齧りながら、上の空で聴いておる。
「普通はこうなる前に魔女が関与するのだ」
「なんで?」
「強い魔法というのはそれだけで魔力を大量に消費するものだ。魔力の過剰消費は魔力の欠乏を生み、領域の魔力バランスを崩す。だから普通であれば、魔女が関与して裁定したり、無理やり戦争を終わらせたりする」
「ふうん?」
「けれどもこの領域の魔女は極めて面倒臭がりでな、その段に至っても関与しなかった。それでその魔法使いは魔女のお墨付きを得たとでも思ったのであろうな。極大魔法という、そうだな、お主は知らんだろうが、ものすんごい魔力を消費する魔法を行使しようとしたのだ」
ハーブチキングリルの皿が片付けられて、次の皿が運ばれてくる。
山鹿のステーキの香ばし草添え。そしてそれは見る間にラヴィの口に飲み込まれて、新しい皿が用意された。こやつの胃袋も十分魔法同義に思える。
「そのうちその者の魔力消費が魔女の許容量を超えたのか、魔女はその魔法使いの国を焼き払った。これでこの領域の民がさらに4割消えた」
「えっ全部で7割も?」
「それで魔女は、誰もいなくなったその国のあったところに魔法を操れる魔物の群れを生やした。魔力を消費しないでいると、魔力が溜まりすぎてバランスが壊れるからな。ここの魔女は魔力の消費と生産の管理を行えればよいというだけで、その実態には興味が無いのだ。人が滅ぼうとそうでなかろうと」
「ええーじゃあ魔物料理とかたくさんある?」
「ない。というか何故そういう発想に至るのだ? そもそも魔法を使える魔物というのはだいたい恐ろしく強くてな。人間と魔物の殺し合いが始まって残り3割の人間が1割まで減ったとき、ようやくこの領域に平穏が取り戻された訳だ」
「なんか大変」
暖簾に腕押しとはこのことだろうなあ。
「本当に大変なことなのだぞ、これは。それでこの領域の国々は協定を結んだのだ。協定の内容は至極単純。『戦争を目論んだ国はその国民全てを処刑し、その領土は他の国で均等に分ける』。人を全て滅ぼせば魔女はまた空き地に魔物を生やすだろう。けれども人の地のままにして時折魔法を行使すれば、魔女が魔物を生やすことはない」
「へえ」
「……へぇって疑問に思わぬのか? どうやって『目論んだ』かどうかがわかるか」
「どうやるの?」
思わずため息が出る。
この領域でのことは全て魔女の目が記録している。
この領域では何かあれば月が記録している、と認識されているが、正確に言えばこの領域内で魔力のふれる全ての事象があの月の中に記録され、管理されている。そしてこの領域の各国から1名ずつ、記録官が月に常駐してこの領域内の全ての記録を閲覧し、自国他国問わず戦争の目論見を発見した場合、そのような目論見をした個人とその国に警告を発する。
「個人に?」
「雑談をしていて、たまたま戦争になったらとかそんな話になることもあるだろう? それだけで国を滅ぼしていたのでは埒があくまい」
「ねぇ記録が見放題ってことは、どこのお店のご飯が美味しそうとかわかるの?」
「お主はそういう発想だけは豊かだな。だが一度月に上がった者は二度と地上には降りられぬ。だから美味い飯屋をみつけても食べにいけぬ」
「つまんない」
ラヴィは頬をふくらませた。
月に上がった者はその時点で人ではなくなるのだがな。
そしてこのシステムは、この領域の国々にとっても都合が良かった。月から降りてきてしまうと、月で知った国家機密や高度な技術が自国ではなく他国に流出するかもしれないのだから。
「そしてそのうち、この記録は戦争以外にも様々なことにも利用されることになる」
「様々なこと?」
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けれどもこの領域の『真の無法』期間。その短い一晩の間、魔女の目はその全ての機能を停止する。だからこの期間に何をやっても何がおこなわれてもその記録は残らず、追われることもなく、『真の無法』となる。
だからその期間、この領域の多くの者は家の中に閉じこもるのだ。
「だから何が起こっても……」
「あれ? ラヴィ君じゃないか。エグザプトに向かったんじゃないのかい?」
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