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幽霊の種 呪術師円城環(全5+1話)
1.祭りで出会った奇妙な男
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小学5年の夏の終わり。
研司は友人の柿山虹彦と百夜神社の夜祭りに出かけた。
百夜神社は百夜山の上にある。
研司と虹彦はその入り口たる長い石段前で待ち合わせ、同時に空を見上げた。夕暮れが終わりを告げ、その燃え盛る鮮烈なオレンジ色が西の山に沈むのと引き換えに、その陽と同色の提灯が石段沿いに次々と灯り初めて夜の闇にふわりと浮かび上がっていく。その誰彼の変化はあたかも異界への誘いのように思えた。
その提灯の続く狭い階段を登り切ると、大きな赤い鳥居が見える。そこをくぐった参道沿いの左右には夜店が所狭しと並んでいた。金魚掬い、クレープ、射的、たこ焼き。
「研ちゃんいくら持ってきた?」
「1500円」
「おお。金持ち」
綿菓子を買って、屋台で買ったお面を被る。お面から眺める景色は狭く、通常とは少し違うのだ。ふと、明るい屋台の裏に目が行く。そこは研司の頭の上でたくさん踊る提灯の明かりも届かず、薄暗く闇に沈んでその先は何も見えないことに気がつく。あたかもこの屋台の一画にしか世界はない。その外側には何もない。そのように思わせる世界を切り取る闇が広っていた。
少々不安になり、けれども気を取り直して人気の少なくなった屋台をめぐり、虹彦とヨーヨー釣りを見つけて300円を払う。そしてその釣る糸がぷつりと切れた時、再びざわりと空気が泡立った。
何事かと水風船がくるくる回る水面から目線を上げると、キィンという妙な耳鳴りがした。先程まではまだパラパラと人がいた参道には誰もいない。
そろそろ境内で神主が奉納舞を踊る時間だ。だからみんなそちらに移動したのだろう。そう思って振り返ったけれども、つい今し方まで隣でヨーヨーを釣っていたはずの虹彦もいなくなっていた。
「虹彦? おい、どこいった」
あわてて立ち上がって左右を見渡すと、後ろからカタリと音がした。振り向くと石畳の上にただ、1つの影がポツリと佇んでいた。
そうしていつのまにやら屋台と提灯の明かりはそのまま、人はだれもいなくなっていた。屋台の店主さえも。何かがおかしい。一体何がおこっている? 虹彦はどこに行った。
突然、提灯がぐらりと揺れて世界がぼやけた。全てが磨りガラスを通して見ているかのように曖昧だ。けれども石畳の上に1つある影だけは、揺れていなかった。
その時、その影に恐怖を覚えるべきだったのかもしれない。けれどもそのたくさん浮かぶ提灯のぼんやりとした明かりにふわりと照らされ、頭に不自然に大きな被り物をしてくっきりと世界に浮かびあがるその存在は、奇妙に愉快に見えたのだ。
「坊ちゃん、種はいかがですか」
「種? 何の種だ」
「さて、どんな実がなるのでしょう。それは植えてみればわかりますとも」
「売り物の内容もわからないのかよ」
そのかぶりものの男は大仰に両手を上げ、何と何と、と叫ぶ。その芝居がかった姿が妙に苛立つ。
「言葉が足りませんでしたね失敬。こちらは幽霊の種でございます」
「幽霊?」
言うに事欠いて幽霊?
けれどもその男の広げた手のひらに並ぶ小さな煌めく粒たちは星の瞬きにも似て、この世のものとも思えぬほど美しかった。
「幽霊に種なんてあるわけないだろ」
「おや? 坊っちゃんはまだご存知ない?」
「当たり前だ。幽霊は人が死んだらなるものだ」
「ええ。もちろんです。ですからあらかじめ、幽霊になるようこの種を人に植えておくのですよ」
「人に?」
「ええ。幽霊にするには人から幽霊を生やさなければなりません。そうしないと効率的に収穫できませんからね」
「幽霊を? 生やす?」
「そうです。坊っちゃんは習っていないのですね、幽霊の作り方を」
男はその大きな頭をわずかにかしげた。
幽霊の作り方?
馬鹿馬鹿しい話だ。そもそも俺は幽霊なんて信じちゃいない。
「初めてでしたらお試しにひとつ差し上げましょう。これを人間に植えなさい。そうすれば、その人間にこの種が根を張り、収穫時に幽霊が実ります」
「幽霊が?」
男は俺の手のひらに種をそっとひとつ載せた。
それは吸い込まれるようなエメラルド色にキラキラと輝く種だった。
「研ちゃんどこいってたんだよ」
「どこってお前こそ」
不意に聞こえた虹彦の声に種から目を上げ振り返ると、ざわめきが急に耳に流れ込んで来た。先程までの無人がなんだったのかと思うほど、ざわざわと人が行き交っている。そして再び振り返っても、頭の大きな男は既にいなかった。
「おい、研ちゃんまじで大丈夫か?」
「あ、ああ。それより奉納舞はもう終わったのか?」
「何言ってんだよ。これからだよ。早く行こうぜ」
虹彦は俺の手を引き、窮屈な人混みに割り込み、時には人の足元を潜り、舞台の最前面に出る。ヒョルルと響く細い笛の音に導かれ、篝火の間を抜けて神社の奥から面を被った神主が現れる。
そして幻想的な舞が終わって虹彦の手を離した時、受け取ったはずの種はどこにもなかった。
「だから全部夢だった、と思ったんだ」
研司は友人の柿山虹彦と百夜神社の夜祭りに出かけた。
百夜神社は百夜山の上にある。
研司と虹彦はその入り口たる長い石段前で待ち合わせ、同時に空を見上げた。夕暮れが終わりを告げ、その燃え盛る鮮烈なオレンジ色が西の山に沈むのと引き換えに、その陽と同色の提灯が石段沿いに次々と灯り初めて夜の闇にふわりと浮かび上がっていく。その誰彼の変化はあたかも異界への誘いのように思えた。
その提灯の続く狭い階段を登り切ると、大きな赤い鳥居が見える。そこをくぐった参道沿いの左右には夜店が所狭しと並んでいた。金魚掬い、クレープ、射的、たこ焼き。
「研ちゃんいくら持ってきた?」
「1500円」
「おお。金持ち」
綿菓子を買って、屋台で買ったお面を被る。お面から眺める景色は狭く、通常とは少し違うのだ。ふと、明るい屋台の裏に目が行く。そこは研司の頭の上でたくさん踊る提灯の明かりも届かず、薄暗く闇に沈んでその先は何も見えないことに気がつく。あたかもこの屋台の一画にしか世界はない。その外側には何もない。そのように思わせる世界を切り取る闇が広っていた。
少々不安になり、けれども気を取り直して人気の少なくなった屋台をめぐり、虹彦とヨーヨー釣りを見つけて300円を払う。そしてその釣る糸がぷつりと切れた時、再びざわりと空気が泡立った。
何事かと水風船がくるくる回る水面から目線を上げると、キィンという妙な耳鳴りがした。先程まではまだパラパラと人がいた参道には誰もいない。
そろそろ境内で神主が奉納舞を踊る時間だ。だからみんなそちらに移動したのだろう。そう思って振り返ったけれども、つい今し方まで隣でヨーヨーを釣っていたはずの虹彦もいなくなっていた。
「虹彦? おい、どこいった」
あわてて立ち上がって左右を見渡すと、後ろからカタリと音がした。振り向くと石畳の上にただ、1つの影がポツリと佇んでいた。
そうしていつのまにやら屋台と提灯の明かりはそのまま、人はだれもいなくなっていた。屋台の店主さえも。何かがおかしい。一体何がおこっている? 虹彦はどこに行った。
突然、提灯がぐらりと揺れて世界がぼやけた。全てが磨りガラスを通して見ているかのように曖昧だ。けれども石畳の上に1つある影だけは、揺れていなかった。
その時、その影に恐怖を覚えるべきだったのかもしれない。けれどもそのたくさん浮かぶ提灯のぼんやりとした明かりにふわりと照らされ、頭に不自然に大きな被り物をしてくっきりと世界に浮かびあがるその存在は、奇妙に愉快に見えたのだ。
「坊ちゃん、種はいかがですか」
「種? 何の種だ」
「さて、どんな実がなるのでしょう。それは植えてみればわかりますとも」
「売り物の内容もわからないのかよ」
そのかぶりものの男は大仰に両手を上げ、何と何と、と叫ぶ。その芝居がかった姿が妙に苛立つ。
「言葉が足りませんでしたね失敬。こちらは幽霊の種でございます」
「幽霊?」
言うに事欠いて幽霊?
けれどもその男の広げた手のひらに並ぶ小さな煌めく粒たちは星の瞬きにも似て、この世のものとも思えぬほど美しかった。
「幽霊に種なんてあるわけないだろ」
「おや? 坊っちゃんはまだご存知ない?」
「当たり前だ。幽霊は人が死んだらなるものだ」
「ええ。もちろんです。ですからあらかじめ、幽霊になるようこの種を人に植えておくのですよ」
「人に?」
「ええ。幽霊にするには人から幽霊を生やさなければなりません。そうしないと効率的に収穫できませんからね」
「幽霊を? 生やす?」
「そうです。坊っちゃんは習っていないのですね、幽霊の作り方を」
男はその大きな頭をわずかにかしげた。
幽霊の作り方?
馬鹿馬鹿しい話だ。そもそも俺は幽霊なんて信じちゃいない。
「初めてでしたらお試しにひとつ差し上げましょう。これを人間に植えなさい。そうすれば、その人間にこの種が根を張り、収穫時に幽霊が実ります」
「幽霊が?」
男は俺の手のひらに種をそっとひとつ載せた。
それは吸い込まれるようなエメラルド色にキラキラと輝く種だった。
「研ちゃんどこいってたんだよ」
「どこってお前こそ」
不意に聞こえた虹彦の声に種から目を上げ振り返ると、ざわめきが急に耳に流れ込んで来た。先程までの無人がなんだったのかと思うほど、ざわざわと人が行き交っている。そして再び振り返っても、頭の大きな男は既にいなかった。
「おい、研ちゃんまじで大丈夫か?」
「あ、ああ。それより奉納舞はもう終わったのか?」
「何言ってんだよ。これからだよ。早く行こうぜ」
虹彦は俺の手を引き、窮屈な人混みに割り込み、時には人の足元を潜り、舞台の最前面に出る。ヒョルルと響く細い笛の音に導かれ、篝火の間を抜けて神社の奥から面を被った神主が現れる。
そして幻想的な舞が終わって虹彦の手を離した時、受け取ったはずの種はどこにもなかった。
「だから全部夢だった、と思ったんだ」
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