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その長い闇の向こうへ 呪術師円城環(全8話)
三枚の札
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成康の祖父は黄泉からいでた悪しきもの、仮に山姥として、それを退治するのに失敗したのだ。成康がまんまと光の外に逃げた後、山姥はおそらく夜半、再び闇が世界を埋めつくしてから黄泉路から居出て成康の実家の寺に向かい、その祖父を食ったのだ。
昔話の失敗したその後など考えてはいなかったが、そもそも山姥は小僧を食うために追ってきた。とすれば物語では語られはしなかったが、小僧も食われてしまったのだろう。つまり小僧は食われる運命だ。
けれども成康の話にはまだ救いがある。
何らかの理由で山姥は成康を食べなかった。成康の祖父と戦い手傷を負ったのかもしれないし、ただの気まぐれかもしれない。
成康の一家が神津から離れて山姥は成康を見失ったのだろう。怪異にはその住処、つまりテリトリーというものがある。成康それを外れるほどに逃げた、そして逃げ切ったのだ。
その後に目印の寺は廃され、成康はそこにいない。そしてどういうものだかはわからないが、三枚の札はまだ生きている。おそらく札が、夢の中で黄泉路を駆ける山姥から成康の位置を秘匿し、遮断しているのだろう。けれども山姥の息遣いが近づいている。だからその守りはおそらくそれほど長くは持たない。
「そういえば『三枚のお札』の季節も秋でしたっけ」
「はい?」
「確か『三枚のお札』では小僧が柿を食いたいといってだだをこねるのです。さて、どうしましょうか」
「どう、とは」
「一つはこのまま何もしない。その三枚のお札はきっと夢の中に出てくる三つの四角です。きっと今も守ってくれているのでしょう」
「守って」
「だから放って置いても夢見が悪いだけで何も起こらないかもしれない。もう一つは抜本的解決を図る。その場合、料金が発生します。そしてお受けするなら一週間以内です。それを超えれば、私は受けません」
「抜本的解決? 料金?」
「ええ。櫟井さんがこの件にどの程度の危機感をお持ちかどうかによるのですが」
環は懐の名刺入れから一番目の仕切りに入った名刺を取り出す。
『呪術師 円城環』
「理屈がわかりましたから、祓うことはできると思います」
「あの、え、本当に?」
成康の表情は未だ半信半疑だ。
「私の本業はライターと自己認識していますが、収入としてはこれが一番大きいんです。けれどもあまりに胡散臭い話ですから強制はいたしません。もし必要であればご連絡下さい。いつもあの喫茶店にいますので。それでは失礼いたします」
ぽかんとした二人を残して早々に環は席をたつ。
こういうことは言葉を重ねれば重ねるだけ、誤謬が交じり信じられなくなるものなのだ。だから検討に必要な情報を伝えた後は、決断は自らがしないといけない。
けれどもおそらく成康はやってくるだろう。夢の中で山姥は近づいている。その吐息を真後ろに感じるほどに。
そうして一週間後、クウェス・コンクラーヴェの環の席に成康は現れた。青い顔をして。
「環さん、お助け下さい」
「まずはお座り下さい」
成康の顔は最初に見た時のように戸惑いや胡乱さなどなく、その表情は必死さが滲み、クウェスのラティスの隙間から降り注ぐ日差しがその深い隈を余計に際立たせた。昨晩の夢ではよほど近づかれたのだろう。
時間を置いて成康から申し入れてきたのだから、これならクーリングオフは発生しないな、と思いながら環は紙を広げる。
「それではまず契約書を作りましょう」
「契約書?」
「はい。後々揉めたくはありません。だからこの人が大勢いる場所なのです。業務内容は調査委託で、今回頂くお金はその着手金と報酬という名目になります」
「はぁ」
環は困惑げな成康の様子には拘泥せず、鞄から契約書式を取り出す。それはA3の一枚物で、裏側には小さな文字でさまざまな条項が記載されていた。環は呪術師として仕事をするときはいつも、この何パターンかあるテンプレートに調査対象の場所と着手金と報酬を記載して使用している。知り合いの探偵が使っているものを流用しているのだ。
困惑する成康を前に、環は一つ一つ条項を読み上げる。
「あの、本当にこの値段でよろしいのでしょうか。もっと高いものと思っていました」
「この特約に記載の通り、将来的に名前を伏せて学術または商業利用させて頂くことを条件としております。それに実費と労働時間と危険性を重ね合わせると今回はその金額で結構です」
そもそも金額なんてあってないようなものなのだ。
櫟井が金を持っていそうで、もっと信心深そうであれば、環はもう少しはふっかけるだろう。ここに記載された金額には、赤字が出ずに後でもめない値段、というだけの意味しかない。
そして成康からネットバンク経由で環の口座に着手金が振り込まれたことを確認した。
「では行きましょう」
「あの、今すぐにですか?」
「ええ、早いほうがいい。そして行くなら確実に夜より昼です」
環の言葉に成康は神妙な顔で頷いた。
環が期限を1週間と決めたのには理由がある。
決断を求めるという意味に加えて、山姥の力が強くなりすぎないうちに、という理由だ。
化け物というものにも旬がある。例えば雪女であれば冬、海坊主であれば夏、というように力が強まる時期がある。そしてこの山姥は秋が旬なのだろう。物語で師匠が小僧に危険だと注意をしたのが秋であり、だからこそ成康の夢の中でも春より秋が間近の今のほうが息遣いが近いのだ。
そうしてたどり着いた辻切下の黄泉路に環は目を見張った。
その奥は真の闇。何も見えないその果てからは生ぬるい風が吹き、環と櫟井がそれぞれ端部を持ちあう紐にかかった鈴をならし、清涼な音がチリンと響いた。
「ここで間違いないのですね」
「わかりません。わかりませんが、確かに夢の出口はこのような形の四角でした」
成康は恐る恐る、目でそのトンネルの入口の四角をなぞる。
環はそのライターという職業柄も、この黄泉路を何度も探したことがある。けれども見つからなかったのだ。ところが今は普通に一般道を直進したらここにたどり着いてしまった。おそらくそれは成康がいるからで、代々この黄泉路を監理してきた櫟井家の血か何かがここに導いたのかもしれない。
昔話の失敗したその後など考えてはいなかったが、そもそも山姥は小僧を食うために追ってきた。とすれば物語では語られはしなかったが、小僧も食われてしまったのだろう。つまり小僧は食われる運命だ。
けれども成康の話にはまだ救いがある。
何らかの理由で山姥は成康を食べなかった。成康の祖父と戦い手傷を負ったのかもしれないし、ただの気まぐれかもしれない。
成康の一家が神津から離れて山姥は成康を見失ったのだろう。怪異にはその住処、つまりテリトリーというものがある。成康それを外れるほどに逃げた、そして逃げ切ったのだ。
その後に目印の寺は廃され、成康はそこにいない。そしてどういうものだかはわからないが、三枚の札はまだ生きている。おそらく札が、夢の中で黄泉路を駆ける山姥から成康の位置を秘匿し、遮断しているのだろう。けれども山姥の息遣いが近づいている。だからその守りはおそらくそれほど長くは持たない。
「そういえば『三枚のお札』の季節も秋でしたっけ」
「はい?」
「確か『三枚のお札』では小僧が柿を食いたいといってだだをこねるのです。さて、どうしましょうか」
「どう、とは」
「一つはこのまま何もしない。その三枚のお札はきっと夢の中に出てくる三つの四角です。きっと今も守ってくれているのでしょう」
「守って」
「だから放って置いても夢見が悪いだけで何も起こらないかもしれない。もう一つは抜本的解決を図る。その場合、料金が発生します。そしてお受けするなら一週間以内です。それを超えれば、私は受けません」
「抜本的解決? 料金?」
「ええ。櫟井さんがこの件にどの程度の危機感をお持ちかどうかによるのですが」
環は懐の名刺入れから一番目の仕切りに入った名刺を取り出す。
『呪術師 円城環』
「理屈がわかりましたから、祓うことはできると思います」
「あの、え、本当に?」
成康の表情は未だ半信半疑だ。
「私の本業はライターと自己認識していますが、収入としてはこれが一番大きいんです。けれどもあまりに胡散臭い話ですから強制はいたしません。もし必要であればご連絡下さい。いつもあの喫茶店にいますので。それでは失礼いたします」
ぽかんとした二人を残して早々に環は席をたつ。
こういうことは言葉を重ねれば重ねるだけ、誤謬が交じり信じられなくなるものなのだ。だから検討に必要な情報を伝えた後は、決断は自らがしないといけない。
けれどもおそらく成康はやってくるだろう。夢の中で山姥は近づいている。その吐息を真後ろに感じるほどに。
そうして一週間後、クウェス・コンクラーヴェの環の席に成康は現れた。青い顔をして。
「環さん、お助け下さい」
「まずはお座り下さい」
成康の顔は最初に見た時のように戸惑いや胡乱さなどなく、その表情は必死さが滲み、クウェスのラティスの隙間から降り注ぐ日差しがその深い隈を余計に際立たせた。昨晩の夢ではよほど近づかれたのだろう。
時間を置いて成康から申し入れてきたのだから、これならクーリングオフは発生しないな、と思いながら環は紙を広げる。
「それではまず契約書を作りましょう」
「契約書?」
「はい。後々揉めたくはありません。だからこの人が大勢いる場所なのです。業務内容は調査委託で、今回頂くお金はその着手金と報酬という名目になります」
「はぁ」
環は困惑げな成康の様子には拘泥せず、鞄から契約書式を取り出す。それはA3の一枚物で、裏側には小さな文字でさまざまな条項が記載されていた。環は呪術師として仕事をするときはいつも、この何パターンかあるテンプレートに調査対象の場所と着手金と報酬を記載して使用している。知り合いの探偵が使っているものを流用しているのだ。
困惑する成康を前に、環は一つ一つ条項を読み上げる。
「あの、本当にこの値段でよろしいのでしょうか。もっと高いものと思っていました」
「この特約に記載の通り、将来的に名前を伏せて学術または商業利用させて頂くことを条件としております。それに実費と労働時間と危険性を重ね合わせると今回はその金額で結構です」
そもそも金額なんてあってないようなものなのだ。
櫟井が金を持っていそうで、もっと信心深そうであれば、環はもう少しはふっかけるだろう。ここに記載された金額には、赤字が出ずに後でもめない値段、というだけの意味しかない。
そして成康からネットバンク経由で環の口座に着手金が振り込まれたことを確認した。
「では行きましょう」
「あの、今すぐにですか?」
「ええ、早いほうがいい。そして行くなら確実に夜より昼です」
環の言葉に成康は神妙な顔で頷いた。
環が期限を1週間と決めたのには理由がある。
決断を求めるという意味に加えて、山姥の力が強くなりすぎないうちに、という理由だ。
化け物というものにも旬がある。例えば雪女であれば冬、海坊主であれば夏、というように力が強まる時期がある。そしてこの山姥は秋が旬なのだろう。物語で師匠が小僧に危険だと注意をしたのが秋であり、だからこそ成康の夢の中でも春より秋が間近の今のほうが息遣いが近いのだ。
そうしてたどり着いた辻切下の黄泉路に環は目を見張った。
その奥は真の闇。何も見えないその果てからは生ぬるい風が吹き、環と櫟井がそれぞれ端部を持ちあう紐にかかった鈴をならし、清涼な音がチリンと響いた。
「ここで間違いないのですね」
「わかりません。わかりませんが、確かに夢の出口はこのような形の四角でした」
成康は恐る恐る、目でそのトンネルの入口の四角をなぞる。
環はそのライターという職業柄も、この黄泉路を何度も探したことがある。けれども見つからなかったのだ。ところが今は普通に一般道を直進したらここにたどり着いてしまった。おそらくそれは成康がいるからで、代々この黄泉路を監理してきた櫟井家の血か何かがここに導いたのかもしれない。
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