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その長い闇の向こうへ 呪術師円城環(全8話)
逆城の黄泉路の噂
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「背中からやってくる息遣い、というのは多くの伝承のパターンで悪いものです。なんといいますか、私が最初に話を聞いた時点で想像したのは黄泉平坂です」
「黄泉? それって伊弉諾を伊弉冉が追っかけたやつ?」
友人は首を傾げた。
「そうです。真っ暗な黄泉の国から逃げてくる。けれどもこれは神道の神話で仏寺に直接関係ありません」
「それは……そうですね。それにそもそも黄泉平坂なんてこの辺にないでしょう?」
「この逆城には黄泉に繋がる道の噂がいくつかあるんです」
急に友人は慌てふためく。
「え、あれ? 逆城の黄泉路ってマジな話なんですか?」
「さぁ、どうでしょう。私はライターなのでそういう話はよく聞くんですよ」
その問に、環はわずかに首を傾げて答えた。
日本神話に連なる多くの説話では、黄泉平坂というのは出雲、つまり島根県松江市にその入口があると言われている。
けれどもあの世への入り口は、実際はわりとどこにでもある。山や海というものは古くから日本全国で彼岸と此岸の境目とされて祀られている。そしてこの逆城には黄泉に繋がる7本の路がある、というのが何年か前に都市伝説として騒がれてたのは記憶に新しい。全部知ったら死ぬというよくある噂とともに。
その中で最も有名なものと言えば、そう思って環は丁度開いていたアルバムの中に写っていた池を差す。
「そうですね。たとえばこの結び池。ここが黄泉につながっているという噂があるでしょう? 今は辻切ヒルズに丘の上協会が移築されて、この池が真下に見える関係で縁結びの池なんて綺麗に言われてはいますが、逆城にお住まいなら昔使われていた名前というのは聞いたことはありますか?」
「本当かどうかは知らないが、咽び池って聞いた」
「なんだそれ?」
「ああ、櫟井は引っ越したから知らないか? うーん、引っ越した直後くらい? あそこの池の色が赤くなったっていう噂があってさ」
「赤く?」
「公にはプランクトンの繁殖っていうことになっていますけどね」
「うん、でも子どもなんてそんなの信じないじゃん?」
友人は訳知り顔で頷く。
「それと同じ頃、学校でさ、誰かが咽び泣く声が何日も響き渡ったとかいう噂が流れたの」
「それで咽び池? 気持ち悪いな」
成康の顔が陰る。部屋の温度がじわりと下がったように感じたのは気の所為ではないのかもしれない。
湖沼は富栄養化によって池が赤くなる、いわゆる淡水赤潮という現象が発生することがある。そういうことになっている。
当時の子どもはそれを信じず、誰かが泣くような声が聞こえたというさらに古い噂に乗ったのだろう。咽び池の更に古い噂はより酷い。結び池の北東、逆城の西には江戸時代に古い刑場跡があった。そこで打首になった刀を洗ったのが結び池で、親類縁者がそこで咽び泣いたことに由来する、という噂が昭和初期に出ている。
その当時の噂では、結び池の中に刑死した者がそのまま投げ入れられ、池が赤く染まって地獄と繋がったという噂もある。事実、近辺に刑場は存在していた。
けれども環は死体を投げ入れたという噂は恐らく事実ではないだろうとは思っている。湖沼を死体の捨て場にすれば疫病が流行りかねない。流石にそんな対処はしないだろう。燃やすか埋めるはずだ。
それにそもそも環の知識では、黄泉と繋がっているのは結び池ではない。
「まぁそんなわけで結び池は黄泉路に繋がっていると言われています」
「そういや櫟井、お前この遠足の時に行方不明になっただろ」
「え、そうだったかな」
「その話、詳しく覚えていますか?」
「ほら、この写真、奥で先生が集まってるだろ?」
その指し示す写真の手前には敷物を敷いて弁当を広げた小学生が何人か笑っていたが、その奥の柿のような木の下では、教師と思しい人間が集まっていた。小さくてよくわからないが、なにやら深刻そうな雰囲気が見て取れる。
「そんなニュースありましたっけ。子どもが行方不明になれば大事件でしょう?」
「わりとすぐに見つかったんですよ。それで友達がいなくなったのに何故見てなかったんだとかめっちゃ理不尽に怒られた。だからよく覚えてるよ」
「どこで見つかったんです?」
「トンネルの前だって言ってたな。そんな危ないところにいたら、そりゃ怒られるだろ。だからその後に俺らめっちゃ注意されたもん。勝手にどっかいくなって。櫟井、お前覚えてないの?」
「そういやめっちゃ怒られたような気がするけど、うーん」
「ひでぇ」
そんな呑気なやり取りを目の前に、環の頭の中では様々な情報が錯綜していた。
結び池のあたりでトンネルといえば通常は神津新道トンネルだ。それは比較的新しい、辻切ヒルズの直下と貫く幹線道路のトンネル。交通量が多く、子どもが歩くのは極めて危険。だからトンネルと聞いて新道トンネルと結びつけるのは当然といえば当然だ。
けれども見つかったのは本当に新道トンネルなのか?
辻切ヒルズのには3本のトンネルがある。新道トンネル、既に存在しない旧道トンネル、そして逆城の黄泉路。
「それは本当に新道トンネルでしたか?」
「黄泉? それって伊弉諾を伊弉冉が追っかけたやつ?」
友人は首を傾げた。
「そうです。真っ暗な黄泉の国から逃げてくる。けれどもこれは神道の神話で仏寺に直接関係ありません」
「それは……そうですね。それにそもそも黄泉平坂なんてこの辺にないでしょう?」
「この逆城には黄泉に繋がる道の噂がいくつかあるんです」
急に友人は慌てふためく。
「え、あれ? 逆城の黄泉路ってマジな話なんですか?」
「さぁ、どうでしょう。私はライターなのでそういう話はよく聞くんですよ」
その問に、環はわずかに首を傾げて答えた。
日本神話に連なる多くの説話では、黄泉平坂というのは出雲、つまり島根県松江市にその入口があると言われている。
けれどもあの世への入り口は、実際はわりとどこにでもある。山や海というものは古くから日本全国で彼岸と此岸の境目とされて祀られている。そしてこの逆城には黄泉に繋がる7本の路がある、というのが何年か前に都市伝説として騒がれてたのは記憶に新しい。全部知ったら死ぬというよくある噂とともに。
その中で最も有名なものと言えば、そう思って環は丁度開いていたアルバムの中に写っていた池を差す。
「そうですね。たとえばこの結び池。ここが黄泉につながっているという噂があるでしょう? 今は辻切ヒルズに丘の上協会が移築されて、この池が真下に見える関係で縁結びの池なんて綺麗に言われてはいますが、逆城にお住まいなら昔使われていた名前というのは聞いたことはありますか?」
「本当かどうかは知らないが、咽び池って聞いた」
「なんだそれ?」
「ああ、櫟井は引っ越したから知らないか? うーん、引っ越した直後くらい? あそこの池の色が赤くなったっていう噂があってさ」
「赤く?」
「公にはプランクトンの繁殖っていうことになっていますけどね」
「うん、でも子どもなんてそんなの信じないじゃん?」
友人は訳知り顔で頷く。
「それと同じ頃、学校でさ、誰かが咽び泣く声が何日も響き渡ったとかいう噂が流れたの」
「それで咽び池? 気持ち悪いな」
成康の顔が陰る。部屋の温度がじわりと下がったように感じたのは気の所為ではないのかもしれない。
湖沼は富栄養化によって池が赤くなる、いわゆる淡水赤潮という現象が発生することがある。そういうことになっている。
当時の子どもはそれを信じず、誰かが泣くような声が聞こえたというさらに古い噂に乗ったのだろう。咽び池の更に古い噂はより酷い。結び池の北東、逆城の西には江戸時代に古い刑場跡があった。そこで打首になった刀を洗ったのが結び池で、親類縁者がそこで咽び泣いたことに由来する、という噂が昭和初期に出ている。
その当時の噂では、結び池の中に刑死した者がそのまま投げ入れられ、池が赤く染まって地獄と繋がったという噂もある。事実、近辺に刑場は存在していた。
けれども環は死体を投げ入れたという噂は恐らく事実ではないだろうとは思っている。湖沼を死体の捨て場にすれば疫病が流行りかねない。流石にそんな対処はしないだろう。燃やすか埋めるはずだ。
それにそもそも環の知識では、黄泉と繋がっているのは結び池ではない。
「まぁそんなわけで結び池は黄泉路に繋がっていると言われています」
「そういや櫟井、お前この遠足の時に行方不明になっただろ」
「え、そうだったかな」
「その話、詳しく覚えていますか?」
「ほら、この写真、奥で先生が集まってるだろ?」
その指し示す写真の手前には敷物を敷いて弁当を広げた小学生が何人か笑っていたが、その奥の柿のような木の下では、教師と思しい人間が集まっていた。小さくてよくわからないが、なにやら深刻そうな雰囲気が見て取れる。
「そんなニュースありましたっけ。子どもが行方不明になれば大事件でしょう?」
「わりとすぐに見つかったんですよ。それで友達がいなくなったのに何故見てなかったんだとかめっちゃ理不尽に怒られた。だからよく覚えてるよ」
「どこで見つかったんです?」
「トンネルの前だって言ってたな。そんな危ないところにいたら、そりゃ怒られるだろ。だからその後に俺らめっちゃ注意されたもん。勝手にどっかいくなって。櫟井、お前覚えてないの?」
「そういやめっちゃ怒られたような気がするけど、うーん」
「ひでぇ」
そんな呑気なやり取りを目の前に、環の頭の中では様々な情報が錯綜していた。
結び池のあたりでトンネルといえば通常は神津新道トンネルだ。それは比較的新しい、辻切ヒルズの直下と貫く幹線道路のトンネル。交通量が多く、子どもが歩くのは極めて危険。だからトンネルと聞いて新道トンネルと結びつけるのは当然といえば当然だ。
けれども見つかったのは本当に新道トンネルなのか?
辻切ヒルズのには3本のトンネルがある。新道トンネル、既に存在しない旧道トンネル、そして逆城の黄泉路。
「それは本当に新道トンネルでしたか?」
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