色は変わらず花は咲きけり〜平城太上天皇の変

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4章 藤原種継の暗殺

 家持の閑話 死の床

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 結局の所、わしの手に残ったのは萬を数える歌だった。
 陸奥むつ多賀たが城。ここがわしの旅の終着地だ。思えば多くの地を歩き、多くの人と交わり、そして多くと別れた。わしの生涯は結局旅ばかりであったように思われる。

 けれども旅の最後に、良き方と巡り合うことができた。
 早良様。あの方は安積あさか親王と似た清々しき方であった。あの方に多くの歌を捧げた。その御身のお慰めになれば嬉しく思う。
 そして前途も洋々だ。桓武様は藤原どもを切り捨てて新たに都をお造りになられた。誠に愉快痛快。
 これで桓武様を遮るものは何もない。桓武様が盤石な体制を整えられた後は早良様は仏寺に戻られることだろう。最近は早良様も額に皺することが増えたが、田麻呂と仏の話をされる時は何やらずいぶん楽しそうであった。
 わしは仏はよくわからぬ。なにせ神武様の頃から大和の神々に仕えておるのだからな。そう簡単に宗旨替えなどせぬよ。

 ともかく、早良様がご自由になられ、その本懐を全うされることをお祈り申し上げておりますぞ。
 はぁ、はぁ、なにやら息が苦しくなってきた。これが一巻の終わりというやつか。なに、わしの巻は早良様にお預けしたゆえ、これからも続いていくであろうよ。はっはっ……はっぁ。

「お祖父様は楽しそうですね」
「こら! お前なんてことを! 頭首様。申し訳ありません。未だ子供なもので」
「ふぉっふぉっ。子は元気なのが良いのだ、どれ、歌でも……ぐ、く」
「頭首様!」

 喋ると声と共に血が混じる。流石に体にくるわい。今の声は孫かの。
 ……歌か。
 歌といえばわしが巻に収めた最後の歌はわしが因幡守の時に新年の宴で吟じたものであったな。あの正月は大雪が降っていた。新年の大雪は豊年の瑞兆だ。瑞兆といえば長岡への遷都の際も和気清麿殿が吉兆だとガマが二万匹移動するのを見たと奏上されておったな。ふふ、おもしろきことよ。

 おお、もう目も見えぬぞ。暗いな。
 だがわしには光が見える。桓武様の御治世の光の道が。早良様の仏への道が。

 ……思えばわしはこの歌を最後に、長年歌を残すことはしなかった。ままならぬしがらみに雁字搦めとなり、ままならぬ一生であったように思う。けれどもそれももう終わりだ。あとは好きに生きれば良い。もう幾ばくもなくともわしは好きに生きるのだ。
 だがらわしは最後に因幡で吟じたこの歌で御世を言祝ごう。

『新しき 年の始の初春の 今日降る雪の いや重吉事』
 今日新年の初めに初雪が降ったように、積れよ積もれ、良きことよ。

 桓武様は新しき暦を始められるのだ。桓武様と早良様の行く末に、雪の如く良きことが降り積もりますように。良き哉、良き哉。
 ああ、なんだか楽しい気分になっていると小さき頃に父上と一緒に太宰府に暮らしたことがぷかりと思い浮かんできた。強き海の風、豪壮な丈夫。そこに流れる野手あふれるも風雅な歌。
 そうだあれがわしの歌の始まりだった……。

 大伴家持薨去。享年67歳。
 それは異国の暦で785年の8月28日、そして藤原種継が暗殺される1ヶ月ほど前。
 暑い夏が終わり一陣の風が涼しく吹き渡った。
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