色は変わらず花は咲きけり〜平城太上天皇の変

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4章 藤原種継の暗殺

 side桓武 薄氷

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 五百枝王は俺の姉上、小さな頃は同じ家で一緒に暮らしていた能登内親王の息子だ。つまり俺にとっては甥である。24歳とまだ若い。しかし、俺の子らとは違って成人はしている。
 姉の薨去と同時に父光仁天皇の孫として、五百枝の妹の五百井女王いおいじょおうとともに従四位に上った。そして五百枝は侍従となり、先々年に右兵衛府の長となった。
 主に宮城門を守る役目である。種継を射殺した伯耆は左近衛府、牡鹿は右近衛府の所属であり、両近衛府はともに宮内を守る役目である。

 実行犯の処刑。それ自体は、問題がない。
 どちらにせよ処刑だ。
 しかし今回の暗殺は偶発的ではなく計画的なものだ。俺がこの長岡を離れていたときを狙って周到に起きた。必ず裏がある。
 何故俺の戻りを待たずに斬首した? 五百枝が仕組んで口封じに実行犯を始末した?

 五百枝王が?
 何故だ。いや、可能性は嫌というほどわかる。何者かに唆された可能性だ。能登は俺の同母姉だ。小さな頃、共に育った。俺が血縁で信用できるのは同母血族のみだ。注意は払っていたが、五百枝の周りには胡散臭い輩は本当にいなかっただろうか。
 五百枝王の父は市原王いちはらおうで志貴皇子の曾孫だ。市原王は天皇であった父の甥。五百枝はその市原王と天皇であった父の娘である能登姉上の子だ。
 天皇の娘と婚姻した天智様の玄孫との子。どことなく、井上と他戸の構図が思い浮かぶ。背筋から何やらヒヒヒという悪しき声が聞こえたようだ。
 祟りがここまで、追ってきたか。

 だが首を振る。それにしてはおかしい。
 種継が殺される理由がわからぬ。天皇位が欲しいのであれば殺すなら第一は私と早良、第二は安殿を筆頭とする私の子だろう。
 それを狙わず種継を殺すということは、狙いはおそらく遷都自体だ。だから暗殺という穢れた行いでこの都を穢すのだ。
 遷都を妨害したい勢力。つまりは平城の宮の貴族や仏教勢力。けれども種継はここ長岡に縁があるとしても、既に造影は決定され、建築が進められている。種継の立場は造営責任者にすぎない。種継がいなくなってもそれを誰かが引き継ぐのみだ。ここに都を立てると決めたのは俺なのだから。
 それならば五百枝に皇位を簒奪するような意思はないかもしれない。誰かに重罪だから早く処刑したほうが良いと唆されただけ、とか。少しだけ、胃の腑が落ち着く。身内を疑いたくは、ない。

 けれどもそうするの狙いは何だ。俺の敵は平城の貴族と仏教勢力。
 俺の周りでそれに強固に連なる者はおそらく一人しかいない。早良しか。そして俺は早良が種継を殺すはずがないということを嫌というほど知っている。
 早良と種継の二人は宮の構造やら守りやら何やらでは意見が食い違うことも多くあった。だが長岡への遷都、もっといえば俺の地位の安定という意味では意見は合致していた。そもそも早良は俺の立場を安定させて、とっとと仏寺に戻りたがっていた。

 官吏は語るべきことはすでに語り終わり、次の命を待って深く頭を垂れていた。誰が糸を引いているかといった推測は述べぬ。ただ命に従うだけだ。
 けれども、この官吏の態度から、根源につながる者は先程の部屋の内にいたのだ。室内を灯す燭の火が揺れ、その影の内入った表情は最早見えぬ。じじ、と背後で炎が揺れた。

「五百井と……早良に接触する者を監視せよ」

 そして次の会議では、早良を除く側近が集められた。

「首謀は、早良だ」
「何をおっしゃいます? そんなはずがありません」
「そうだな。そんなはずはない。しかし首謀者はいるのだ。いなければならない」

 結局のところ、迅速に行われた捜査から論理的に導かれた結論では、種継暗殺の首謀者は早良である。
 なぜなら暗殺の首魁は春宮太夫大伴家持であるからだ。早良は春宮太子である。

 近衛の伯耆と中衛の牡鹿に指示ができる立場として、右衛門大尉である大伴竹良たけら、そして竹良の兄弟である大伴継人つぐひとを尋問し、捕縛した。そして両人は家持に指示され早良の許可を得て種継を暗殺したと述べた。そのように証言した。
 仏寺の移築を許可せぬ長岡京への遷都を妨害するため、その責任者である種継の暗殺を春宮太夫である家持に命じ、家持は継人や竹良に立案を命じ実行させた。

「そんな馬鹿なことがあるはずがありません! 主上はそれをお信じになられるのですか!?」
「では、誰が首謀者であるというのだ! 証言が揃ってしまったのだ!」


 客観的に見て早良は現在も仏寺勢力勢力の代表である。
 そして竹良と継人の証言から次々と逮捕された者も、春宮少進であり大伴の支族でもある佐伯高成さえきたかなり、春宮主書頭多治比浜人たじひはまひと、東宮亮紀白麻呂きのしろまろ、東宮学士であり造東大寺次官林稲麻呂はやしいなまろといった春宮と仏寺の関係者だ。
 そうでなければ先程の大伴継人、大伴竹良、大伴真麿呂おおともままろ大伴湊麻呂おおともみなとまろといった大伴の血族。
 そればかりだ。春宮と大伴。それ以外の者の姿など欠片も見えぬ。
 そして早良と家持は春宮と春宮太夫春宮の責任者。これ以上の繋がりなどあろうか。これを否定できる繋がりなどあろうか。
 この理屈に反論が出来ぬ。

 だからこそ早良は無関係である。
 なぜなら家持は先年亡くなっている。家持は大伴の当主だ。竹良と継人は逆らえぬ。だから竹良や継人は、すでに亡くなっている家持が首魁であると主張した場合、責任追及のしようはないとでも考えたのだろう。すでに死んでいるのだから責任を押し付けるには最適だ。あるいはそのように唆されたのかもしれぬ。

 竹良や継人を裏で操っているであろう大和貴族や仏寺勢力にとっても大伴のせいにするのは都合がいい。
 大和貴族、もっというと藤原家にとって地方豪族である大伴家など邪魔なだけの存在だ。潜在的にいなければいないほどよい。誰も大伴を助けたりしない。仏寺勢力にとって早良は自らを謀った恨み深いものなのかも知れぬ。早良を助けたりしない。
 そして逮捕者の多くがあまりにも早く処罰されたため、裏に存在する藤原家や仏の関係者の足取りなど全く掴めなかった。

 だから早良は無関係であるけれども首謀者で、家持は無関係ですでに亡くなっていていても首魁なのだ。
 吐く息がひどく熱い。
 目的は単純で、俺の力を削ぐことだ。俺の両腕である種継と早良を葬り去った。

 思考がぐるぐるぐるぐると頭の中を動き回る。だが一向に解決策を導き出すことはできない。
 秋だというのに嫌な汗が滲む。
 問題は種継は正三位。大納言相当であることだ。
 その暗殺には落とし前をつけなければならない。
 種継暗殺の首謀者は早良であり、首魁は家持である。

「早良は説得に応じぬのか」
「それが……一言命じたとだけ仰って頂ければと申し上げたのですが」
「早良は俺を信用できぬのか? 一言、認めれば穏便に済ませるとも告げたのだな?」
「既にそのような問題ではありますまい。なんと申し上げてよろしいのか、早良様は正気を失われております」

 これを、これをなんとか覆す糸口が……全く見えぬ。
 認めてさえいれば出家させるだの軟禁するだの、やりようはいくらでもあるものを。
 ぬめりをもった空気が俺の周りをうねっている。ああ、平城ではいつも感じていた奴らだ。腹ただしく、懐かしい。不意に自嘲が込み上げる。この長岡に居を移してからはあまり感じなくなっていた、妬み、恨み、欲望、そして無明。明かりの見えぬ深く濃い闇が俺を底なし沼に引きずり込もうとするその腐臭漂うかいなを。
 嫌だ。嫌だ。種継を失った。この長岡で新しい風を吹き込ませた種継を。
 だから風が……風が止み闇が堆積し始めたのか。

 俺は再度、なにか事態を打開する方法を求めて俺の腹心全ても含めて官吏を全てを取り調べた。
 その中には必ずしも俺の全てに賛同するわけではない者もいた。それはそうだ、当然だ。みな自らの家族や一族を背負ってここにいるのだから。けれども種継を暗殺してまで遷都を妨害する利益がある者は見当たらなかった。当然ながら早良も含めてだ。
 いや、早良が遷都を妨害するはずがないことを俺は誰よりも知っている。俺が気の進まぬ様子の早良を無理やり口説き落として利用したのだから。

 早良に合わせる顔がなかった。
 永手と百川が父上を天皇に、百川が俺を太子につけたように、俺が早良を太子につけたのだ。そして。そうだ、その差は何だ。早良は井上や他戸と同じように知らぬ間に嵌められた。
 俺と早良は何が違う。一体何が。

 真っ暗な中で冷たい川面に張られた薄氷。
 わずかな水の流れる音で、そこに川があることを知っている。
 恐る恐る足を伸ばし、割れぬことにホっと息を付く。力を少し入れ間違えただけで、足の置き場が少しずれただけで、あっという間に真っ暗な川面に落ち、助けを呼ぶことも出来ず流されていくしかない。この川の先は地獄に繋がっている。

 種継が死んだ。だから代わりに誰かを殺さなければならない。それが落とし前。
 そうしなければ舐められる。舐められれば川は渡れぬ。俺は俺の力を示し、川を渡りきらなければならぬのだ。この川を渡り始めたときに橋桁は既にはずされ、もう戻ることなどできぬのだ。

 そう考えれば、早良はその覚悟はあったのか。
 いや、なかったのだろう。早良は太子であるより僧であった。常に御仏にすがり、暗き闇に灯を灯そうとしていた。もとの生活に戻りたがっていた。
 違う、そうじゃない。そうじゃないのだ、早良よ。都というものは既に御仏の救いの手が届く場所ではないのだ。すでに、ここは何も見えぬ、光の届かぬ地獄なのだ。こここそが無明。

 早良も、おそらく父上が天皇位についたときに橋桁を外され、戻れぬ道に足を踏み入れ、そして踏み抜いたのだ。その薄氷を。
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