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2章 藤原縄主とその妻
side 縄主 藤原広嗣の乱
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位階は有限だ。少し前まではその多くを藤原とその縁者で占めていた。
今それを占めるのは、古くからの豪族や知識はあるが身分の低いものたちだ。藤原の世ではこの地位にいるはずもない者たち。
それでも死体が溢れる惨状を目の当たりにした都人には一定の理解を得られている。けれども少し離れると旧来の価値観が持続し、藤原と藤原でないのとでは大きな差がでるのだ。とくに筑前などは都から遥かに離れている。藤原の縁者でないと知れれば侮られる。
だからこそ藤原、特にある程度の年齢の広嗣でなければ重しにならない。
けれどもやはり、上手くはいかなかった。
問題はここからだ。
月の出ない夜、私は真備を自宅に呼んだ。
「やはり戦しか方法はないのか」
「ありませんな。ここが機でしょう。新しい体制を印象付けるには絶好の機会です」
「しかし私は藤原とことを構えたいわけではないのだ」
「逆です、諸兄様。今しか藤原を抑えるタイミングはありません。時が経つにつれ、いずれ藤原は力を増してくるでしょう」
その精悍な面持ちは絶対の自信を滲ませている。
確かに藤原は今は弱体化している。しかしそれは重鎮が一度に死んだからだ。何らかの罪科があった為ではない。だから排斥する理由などないし、今後衰える見込みもない。
更に次世代は確かに存在するし、それは間もなく力をつけて台頭してくるだろう。そして何より聖武様の皇后は藤原が総力をあげてその座につけた光明子で、後ろ盾となっている。
けれどもこれまでのこの国の実態を見るに、藤原は自らが栄えるようにこの国の制度を整え、巧妙にこの国や皇家の財産が藤原に流れるようにしてきた。だからその流れを止めるには今さらに弱らせるしかない。ここで止めなければこの国は長屋王殿が危惧した通り、皇家ではなく藤原の国となってしまうだろう。
「諸兄様、よろしいですか。何とかすべきはこの国なのです。広嗣殿のご主張はもっともなのです。諸人に受け入れられるものです。だからこそ、封じなければならない」
それもある程度は予想はしていたことだ。
今のこの国、つまり私が最も重用しているのはこの真備と玄昉だ。2人とも遣唐使だ。玄昉は仏教を深く学び、現在この国に蔓延る祟りの鎮静を一手に担っている。そしてこの真備は18年もの間、経書と史書、天文に兵学や音楽を広く学び、唐においても知識人として名を馳せたという手腕で、この国の実務を一手に担っている。
この幅広く実務的な知識というものがこの人手不足の折にどれほど重要かは言を俟たない。
一方で新しい登用は見ようによっては藤原以外の皇族豪族に官位をばら撒き、藤原を排除しているように見える。これまで藤原の縁者であれば出世できていたのがその保証がなくなった。
さらに一昨年から昨年にかけて、諸国の悪徳な国司を処断し郡司の定員を削減する詔が出され、郷里制の里を廃止し行政を簡素化した。また、陸奥や大宰府等以外の兵士を廃止し、防人も停止、地元の一般の民の登用に務めた。
つまり諸国に根を張り民を収奪していたものほど、放逐され処断された。行く先は目に見えている。徒党を組んで賊となり乱をなす。
そもそもこの大きすぎる変革は突然で、反発も大きいだろう。それを表すように一昨年秋にも日が欠けて直後に地が揺れた。
その不安が人身の不満を呼び、その不満はやがて噴出し、国が乱れる。つまり広嗣の言っていることは間違ってはいない。
「広嗣殿の言を入れるわけにはいかないことはご認識でしょう」
「勿論だ。貴殿らを除けば国は立ち行かぬ。そして藤原にばらまく金がない」
そもそも何故こうなっているかというと金がないからだ。
長屋王の祟りを鎮めるための寺社建立と各地での法要に莫大な金がかかっている。護国のためにこの出費は削れない。必要経費だ。足りないほどだ。そして民を慰撫するために税を免除し、恩赦を出している。つまり税収が減る。
そうすると削れるところを削るしかない。そしてそれが各地で私服を肥やす国司郡司であり、彼らが中抜する金を税収として上げなければ国が回っていかぬ。そして直近の必要性が僅かに低い軍備だ。
けれども広嗣はこの根本的な構造が見えていない。それはおそらく、実務として国を回す経験がある者が今の藤原の内にだれもいないからだろう。
だから広嗣を太宰に送るのは一つの賭けだった。それはどちらに転んでもよい賭けだった。
特に太宰は防人の廃止によって旧来防人をしていた者が禄を得られなくなった。だから不満が渦巻いている。そうして結果的に、広嗣は彼らを抑えるのではなく、朝廷に改善を求めた。到底受け入れがたい改善を。
受け入れられるとでも思っていたか。受け入れたらどうなるか、受け入れなければどうなるか、彼我の立場を広嗣は深く考えたのだろうか。
真備の論は明快だ。
「広嗣殿はよい見せしめになる。この道を選んだのは広嗣殿です。対新羅などと金が係る話も潰せます」
「余計な反発をうまぬか」
「事前に相談した通りでしょう。このままじわじわと不満が高まり対処し得ない乱となるよりはまだ小さいうちに目を摘むべきです。そして広嗣殿の行く末を大きく広め、諸兄殿、今の朝廷にしっかりとした力があることと朝廷に叛逆したらどうなるかを世に知らしめるのです」
真備の眼力は常に変わらぬ。広嗣を太宰に送るかどうか相談したときからかわらぬ。
その時からこの決断は揺るぎない。
真備のその果断な姿勢は恐ろしくもあり、しかしまさにこの倭の国に必要なものである。
「わかった。では予定通り大野東人に行かせよう。東海・東山・山陰・山陽・南海の五道から1万7000人を挑発するのだ」
そこからは電光石火だった。
広嗣の上奏は8月29日であったにも関わらず9月3日には聖武様が勅を下して予め話を通していた東人によって軍が動き、翌4日には予め選定していた筑紫出身の隼人24人を召し出して位階を授けてその案内とし、翌5日には佐伯常人、阿部虫麻呂を新たに任命して出立させた。
広嗣は寝耳に水の所に攻め立てられたのだ。
気づいたときには拠点となりうべき豊前はすでに東人の手に落ち、あとは潰走するばかり。新羅に逃げようとしたところを風邪に遮られて捕らえられた。
そしてこの乱の情勢は国に有利なようこれまでになく詳細に広報され、国史にも記載されてた。これほど詳細に記載された国史など無いだろう。広嗣を悪し様に記載するのは気がひけるが、真備は今後の目を摘むためにやるなら徹底的にやるべきだ、との意見を入れた。
その後やはり人心のざわつきは継続したが、聖武様が各地を慰撫され、なんとか事なきを得たという状況なのだ。
このように、当時の式家の長であった広嗣殿は逆賊に落とされた。
宇合様の長男広嗣殿とその四男綱手殿は唐津で切られ、次男宿奈麻呂と五男田麻呂は縁坐して流罪となった。三男清成殿は行方不明だ。
式家で生き残った男児は当時8歳の雄田麻呂と7歳の蔵下麻呂だけである。式家が力を盛り返すには時間を要するだろうし、その間に北家や南家が式家を抑えるはずだ。
真備は彼らも流そうと主張したが、流石にそれは憚られた。突然の年若い2人の苦しみを思えば慚愧に絶えぬが、今は国の危急だ。これより他にしようがない。そもそも広嗣殿が太宰を抑えていたならば、このようなことにはならなかったはずだ。他にやりようはなかったのか。
「これで後顧の憂いはなくなりましたな」
悔悟する私に真備は朗らかに述べた。
恨みを買うのであれば相手を殺し尽くす。そうすれば後腐れがない。それが大陸の考えであり、我が国は未だ生ぬるいという。
けれども私はそこまで非道にはなれなかったのだ。
今それを占めるのは、古くからの豪族や知識はあるが身分の低いものたちだ。藤原の世ではこの地位にいるはずもない者たち。
それでも死体が溢れる惨状を目の当たりにした都人には一定の理解を得られている。けれども少し離れると旧来の価値観が持続し、藤原と藤原でないのとでは大きな差がでるのだ。とくに筑前などは都から遥かに離れている。藤原の縁者でないと知れれば侮られる。
だからこそ藤原、特にある程度の年齢の広嗣でなければ重しにならない。
けれどもやはり、上手くはいかなかった。
問題はここからだ。
月の出ない夜、私は真備を自宅に呼んだ。
「やはり戦しか方法はないのか」
「ありませんな。ここが機でしょう。新しい体制を印象付けるには絶好の機会です」
「しかし私は藤原とことを構えたいわけではないのだ」
「逆です、諸兄様。今しか藤原を抑えるタイミングはありません。時が経つにつれ、いずれ藤原は力を増してくるでしょう」
その精悍な面持ちは絶対の自信を滲ませている。
確かに藤原は今は弱体化している。しかしそれは重鎮が一度に死んだからだ。何らかの罪科があった為ではない。だから排斥する理由などないし、今後衰える見込みもない。
更に次世代は確かに存在するし、それは間もなく力をつけて台頭してくるだろう。そして何より聖武様の皇后は藤原が総力をあげてその座につけた光明子で、後ろ盾となっている。
けれどもこれまでのこの国の実態を見るに、藤原は自らが栄えるようにこの国の制度を整え、巧妙にこの国や皇家の財産が藤原に流れるようにしてきた。だからその流れを止めるには今さらに弱らせるしかない。ここで止めなければこの国は長屋王殿が危惧した通り、皇家ではなく藤原の国となってしまうだろう。
「諸兄様、よろしいですか。何とかすべきはこの国なのです。広嗣殿のご主張はもっともなのです。諸人に受け入れられるものです。だからこそ、封じなければならない」
それもある程度は予想はしていたことだ。
今のこの国、つまり私が最も重用しているのはこの真備と玄昉だ。2人とも遣唐使だ。玄昉は仏教を深く学び、現在この国に蔓延る祟りの鎮静を一手に担っている。そしてこの真備は18年もの間、経書と史書、天文に兵学や音楽を広く学び、唐においても知識人として名を馳せたという手腕で、この国の実務を一手に担っている。
この幅広く実務的な知識というものがこの人手不足の折にどれほど重要かは言を俟たない。
一方で新しい登用は見ようによっては藤原以外の皇族豪族に官位をばら撒き、藤原を排除しているように見える。これまで藤原の縁者であれば出世できていたのがその保証がなくなった。
さらに一昨年から昨年にかけて、諸国の悪徳な国司を処断し郡司の定員を削減する詔が出され、郷里制の里を廃止し行政を簡素化した。また、陸奥や大宰府等以外の兵士を廃止し、防人も停止、地元の一般の民の登用に務めた。
つまり諸国に根を張り民を収奪していたものほど、放逐され処断された。行く先は目に見えている。徒党を組んで賊となり乱をなす。
そもそもこの大きすぎる変革は突然で、反発も大きいだろう。それを表すように一昨年秋にも日が欠けて直後に地が揺れた。
その不安が人身の不満を呼び、その不満はやがて噴出し、国が乱れる。つまり広嗣の言っていることは間違ってはいない。
「広嗣殿の言を入れるわけにはいかないことはご認識でしょう」
「勿論だ。貴殿らを除けば国は立ち行かぬ。そして藤原にばらまく金がない」
そもそも何故こうなっているかというと金がないからだ。
長屋王の祟りを鎮めるための寺社建立と各地での法要に莫大な金がかかっている。護国のためにこの出費は削れない。必要経費だ。足りないほどだ。そして民を慰撫するために税を免除し、恩赦を出している。つまり税収が減る。
そうすると削れるところを削るしかない。そしてそれが各地で私服を肥やす国司郡司であり、彼らが中抜する金を税収として上げなければ国が回っていかぬ。そして直近の必要性が僅かに低い軍備だ。
けれども広嗣はこの根本的な構造が見えていない。それはおそらく、実務として国を回す経験がある者が今の藤原の内にだれもいないからだろう。
だから広嗣を太宰に送るのは一つの賭けだった。それはどちらに転んでもよい賭けだった。
特に太宰は防人の廃止によって旧来防人をしていた者が禄を得られなくなった。だから不満が渦巻いている。そうして結果的に、広嗣は彼らを抑えるのではなく、朝廷に改善を求めた。到底受け入れがたい改善を。
受け入れられるとでも思っていたか。受け入れたらどうなるか、受け入れなければどうなるか、彼我の立場を広嗣は深く考えたのだろうか。
真備の論は明快だ。
「広嗣殿はよい見せしめになる。この道を選んだのは広嗣殿です。対新羅などと金が係る話も潰せます」
「余計な反発をうまぬか」
「事前に相談した通りでしょう。このままじわじわと不満が高まり対処し得ない乱となるよりはまだ小さいうちに目を摘むべきです。そして広嗣殿の行く末を大きく広め、諸兄殿、今の朝廷にしっかりとした力があることと朝廷に叛逆したらどうなるかを世に知らしめるのです」
真備の眼力は常に変わらぬ。広嗣を太宰に送るかどうか相談したときからかわらぬ。
その時からこの決断は揺るぎない。
真備のその果断な姿勢は恐ろしくもあり、しかしまさにこの倭の国に必要なものである。
「わかった。では予定通り大野東人に行かせよう。東海・東山・山陰・山陽・南海の五道から1万7000人を挑発するのだ」
そこからは電光石火だった。
広嗣の上奏は8月29日であったにも関わらず9月3日には聖武様が勅を下して予め話を通していた東人によって軍が動き、翌4日には予め選定していた筑紫出身の隼人24人を召し出して位階を授けてその案内とし、翌5日には佐伯常人、阿部虫麻呂を新たに任命して出立させた。
広嗣は寝耳に水の所に攻め立てられたのだ。
気づいたときには拠点となりうべき豊前はすでに東人の手に落ち、あとは潰走するばかり。新羅に逃げようとしたところを風邪に遮られて捕らえられた。
そしてこの乱の情勢は国に有利なようこれまでになく詳細に広報され、国史にも記載されてた。これほど詳細に記載された国史など無いだろう。広嗣を悪し様に記載するのは気がひけるが、真備は今後の目を摘むためにやるなら徹底的にやるべきだ、との意見を入れた。
その後やはり人心のざわつきは継続したが、聖武様が各地を慰撫され、なんとか事なきを得たという状況なのだ。
このように、当時の式家の長であった広嗣殿は逆賊に落とされた。
宇合様の長男広嗣殿とその四男綱手殿は唐津で切られ、次男宿奈麻呂と五男田麻呂は縁坐して流罪となった。三男清成殿は行方不明だ。
式家で生き残った男児は当時8歳の雄田麻呂と7歳の蔵下麻呂だけである。式家が力を盛り返すには時間を要するだろうし、その間に北家や南家が式家を抑えるはずだ。
真備は彼らも流そうと主張したが、流石にそれは憚られた。突然の年若い2人の苦しみを思えば慚愧に絶えぬが、今は国の危急だ。これより他にしようがない。そもそも広嗣殿が太宰を抑えていたならば、このようなことにはならなかったはずだ。他にやりようはなかったのか。
「これで後顧の憂いはなくなりましたな」
悔悟する私に真備は朗らかに述べた。
恨みを買うのであれば相手を殺し尽くす。そうすれば後腐れがない。それが大陸の考えであり、我が国は未だ生ぬるいという。
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