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1章 光仁天皇の二つの家族

 称徳天皇の暗殺

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 全てが終わってから、私はその顛末を耳にした。
 その会議に私が含まれていなかったのは当然といえば当然ではあるものの、そのような大きな物事が進行していることに私は気づいていなかった。あるいは目を閉じ耳をふさいでいたのかもしれない。
 後から様々な伝手や囁きを通じて聞いた会議はこのようなものであった。

 称徳様が崩御めされた日、それは深い闇の夜だった。
 宮廷奥深くの室では燭台の炎がゆらゆらと蠢き、参集者の背後にくろぐろとした影を伸ばしていた。誰にも見られてはならぬ。誰にも聞かれてはならぬ。そのような秘密の場だ。
 時折獣の声が物寂しく響く中、それをかき消すような叫びにも等しい声が響いた。

「この勅はどういうことだ!!」
吉備きび殿、お静かに」
「静かにだと!? どの口がいう! そもそもこの勅は主らの偽作であろうが! 恥を知れ!」

 中納言であった白壁王を除き、そこには左大臣藤原永手ながて、右大臣吉備真備まきびを始めとして参議以上のこの国の重臣歴々が居並んでいた。そして口角に泡を飛ばす吉備真備を冷ややかな目で見つめていた。

「吉備殿。そもそも最初に称徳様の偽勅を出されたのは貴殿ではござりませんか」
「それはッ! それは貴様らが次の天皇は文室ふんや殿であると誓ったからだッ。よもや違いはあるまいな!」
「はて、何のことでしょうかな。そもそも先年の宇佐八幡宮うさはちまんぐうのご宣託の件で危機感を持たれたのは吉備殿もご同様でしょう。このまま放置すればどうなっていたとお考えか」

 ぎりりと吉備の歯が軋む。その大凡が白く染まった髪を振り乱し、吉備は目の前の飄々とした様子の永手を睨みつけていた。
 文室大市おおちは天武様の孫で現在も参議である。真備は次の天皇が文室であるという前提でこのはかりごとに加わったのだ。その推戴のための勅も既に用意されていたはずだ。けれども今、この室で開けられたその勅は文室ではなく別の者が指定されていた。

 先年、称徳様は宇佐八幡宮に道鏡どうきょうを次の天皇とするよう託宣を出させたのである。弓削ゆげ道鏡は物部もののべの出であり、つまりは臣下である。臣下が天皇となる。その行為は都に激震をもたらした。そのような行いがあって良いはずがない。
 その企みは和気清麻呂わけのきよまろの機転によって防がれたが、あってはならぬことなのだ。
 その結果、清麻呂は称徳様の勘気にふれ、別部穢麻呂わけべのきたなまろと改名させられた。

 そもそも道鏡は称徳天皇の病快癒の祈祷をした折より親しく侍り、真備とともにその持ち前の頭脳で称徳様を助けてきた。そして称徳様とともに国体を強化し、日の本を私物化しようとする藤原に対抗して改革を推し進めてきた。だから真備は道鏡への信頼については全く揺らいではいなかったが、こと皇統については容認できなかったのだ。

 吉備家は稚武彦命わかたけひこのみことを祖とする古い豪族である。皇統に従い、それを守る立場にある。
 真備は唐で留学生として学び、帰国して以降は従八位の身分から称徳様の御代で位階を登りつめ、右大臣、そして正二位まで極めて生え抜きである。道鏡とともに称徳様を支えるこの国の中心を担ってきた。
 けれども真備はこの日の本は唐とは文化が異なることは、その長い宮仕えで身にしみていた。そうして称徳様の行いは少し前に藤原仲麻呂なかまろが自ら天皇になろうと画策したものと本質的には同じであることも。

 皇家とはその血筋を持って正とする。ただでさえ、同じ血筋のなかでこれほどの争いが起きるのだ。誰でも天皇となれるのであれば、流される血はどれほどのものであろう。
 つまり称徳様が強引に道鏡を天皇位につけようとすれば、それはこの国全ての反発を招き、廃される。それは仲麻呂の乱で身にしみているはずだ。

 しかしこと、ご自分のことになるとわからないものなのかもしれない。
 称徳様はお歳をめされる度にそのご意思は強固となっている。称徳様は宇佐八幡後も何が何でも道鏡を天皇位につけようとする様子が見て取れた。もともと勘気の強い方だ。次は別の手を使うだろう。そして結局、結局称徳様は廃されるのだ。
 真備にはその未来が見えていた。だからこそ、いっそのことと思い、そして称徳様の名誉をお守りするために藤原の謀に乗ったのだ。仲麻呂を廃した時と同様に。 
 真備の声が響き渡る。

「それでもこれはッ! この勅は!」
「役割分担でしょう。吉備殿が800の兵で宮中を警護して道鏡との接触を防ぐうちに藤原がその他に手を回すと」
「しかし称徳様は確かに、確かにご自身も最後には文室様を次の天皇ということでご納得されたのですぞ!」
「確か雄黄ゆうおう……でしたかな」

 その冷ややかな永手の言葉に真備がピタリとその動きを止め、静かに目を細めて永手を凝視した。
 突如ビョウと大きな風が吹いて御簾を大きく揺らし、それを受けていくつかの燭台が倒れて床に転がった。荏油の広がる匂いが漂う。その火は大きく揺らぎながらもその前に立つ真備の姿を羅刹の如く下から照らし上げた。
 室内に小さな叫び声と、慌ただしく燭台を直すばたばたとした音が聞こえる。

 正倉院に収められた雄黄砒素硫化物は、遣唐使である真備らが使用方法とともに唐より持ち帰ったものだ。火をつければ無味無臭の毒を生じる。

「正直に申し上げますと、真備殿は下手を打たれたのです。これまでこのような事・・・・・にはご縁がなかったのでしょう? こういった物事は堂々と行わなければ」
「……どういうことだ」
「称徳様が病へお倒れになられてから、称徳様にお目見えできたのは貴殿の妹御の由利命婦ゆりのみょうぶだけですな。そうして信心深い称徳様にもかかわらず一切のご祈祷をなされなかった。そば近くにいたはずの道鏡を廃してまでも。そして宮中を囲んでいたのは吉備殿の手勢です。これが外からどう見えるか、おわかりか」

 ゆっくりとそう述べる永手の口角はわずかに上がっていた。
 称徳様が病を得られてから亡くなられるまで、4ヶ月ほどの時間がある。けれどもその間、病快癒の祈祷は一度もなされなかった。聖武様の時は126人もの看病禅師を招かれ、全国の寺院で祈願をさせたというのに。

 つまり真備は最終的なところで藤原を信じることができなかったのだ。そもそもこの都を貪り民を困窮させているのは藤原である。真備と道鏡はこれまでの半生、藤原の力を削ぐことに注力してきたのだ。
 万全を来しすぎたために外側からは不自然さが浮き彫りになっていた。謀というものに精通していなかった真備は、その時初めてそのことに気づいたのである。

「……長生の弊長生きしたばかりに還ってこの恥に遭うかえって恥をかいた

 真備は一堂を射殺すが如く眺め渡し、再び悲鳴が漏れる。それに何の動揺も表さなかったのは永手だけだった。
 この時、真備は齢75であった。
 誰よりも真っ直ぐに背筋を伸ばし、堂々と一直線に室から歩き去った。以降、真備の姿を宮中で見ることはなかった。
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