色は変わらず花は咲きけり〜平城太上天皇の変

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1章 光仁天皇の二つの家族

 そのころの情勢

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 式家が藤原四家の中でも立場が弱いのには理由がある。

 そもそも藤原家は天智様とともに台頭した。
 天智様と共に大化の改新を果たされた中臣鎌足なかとみのかまたりは大功を得て藤原と氏を変えた。その子である不比等ふひとには四人の男子があった。
 不比等はそれぞれの子になん家、ほっ家、式家、きょう家を建てさせた。それまで公卿大臣、大納言中納言、参議及び三位以上の貴族は一家につき一人という定めであったのに、それで九つの公卿の席のうち四公卿を藤原氏で占めさせた。
 それがちょうど聖武様の御代の初めころで、藤原家はまさに権勢を振るっていた。

 けれども私が28のころ737年だが、突然、四家の当主である不比等の息子たちが四人そろって流行病天然痘で没した。

 この頃の私はいまだ官位も得ておらず、山野で暮らしていた。だから宮中の動きになど興味はなかったのだが、それでも身の回りでも多くの者が倒れ、病の犠牲者はそこかしこに起こり、往来まで死体が溢れていた。都など死体は捨て置かれ、腐臭が漂っていると聞いた。
 都の人口の半数は絶えようという勢いだ。
 そして四当主の死を招いた流行病は長屋ながや王の祟りであるとまことしやかに語られていた。

 四家は確かに藤原家に不都合な長屋王を罠にはめて殺したのだ。
 当時、藤原家は権勢を極めるため、皇統に自らの血を食い込ませようとしていた。聖武様は御母堂の藤原宮子みやこ様を大夫人だいぶにんと呼ぶ詔を出したが、長屋王はそのような尊称はなく違法であると上奏し、これを阻止したのだ。
 皇統を保持しようとする長屋王と自ら政治を行おうとする藤原家の争いは陰日向に熾烈となる。
 そして基王の死に際し藤原家は皇家への影響を永続させるため、それまで皇后は皇族のみであったところを聖武様の夫人である藤原家の光明子こうみょうしを皇后としようと目論んでいた。

 藤原を弱めたい長屋王の反対は火を見るより明らか。
 それを疎ましく思った四家は長屋王が謀反を計画しているという偽の告発した。そのために長屋王は自死し、長屋王の妻子郎党もその後を追った。
 けれども長屋王は無実であり、この全てを殺し尽くすような勢いの病はその祟りではないかと囁かれた。
 無念で非業の死を遂げたものほど強き祟りとなる。だからその長屋王の祟りで四家の当主が全て滅んだのではないかと。

 当主が全て死に絶えたため、四家はそれぞれ跡継ぎをたてた。各家の長男は若く、南家の藤原豊成とよなりが33歳で最高齢。京家の浜成はまなりは未だ13歳という若さだった。藤原氏だけで政治を担うにな人員が足らず一時的に藤原家は弱体化していた。
 そのため藤原家以外の勢力、皇統と藤原一族に追い落とされた地方豪族といった勢力が臣籍降下した橘諸兄たちばなのもろえを中心として息を吹き返してきたのである。

 その折に式家当主となった藤原広嗣ひろつぐは橘諸兄を排斥するよう求めて失敗し、討伐されたばかりだ。それに伴い多くの式家の関係者が処罰された。だから式家は四家の中でも立場が弱かった。

 綺羅綺羅しき者の考えることは権力への訴求である。いかに自らが中枢に立って権力を振るうか、だ。
 宮殿とは、美しく飾り立てられた外側とは大きく異なり、内実はひどく血生臭く、怨霊渦巻く場所なのだ。けれどもそれは仕方がない。今の世とはそのようなものだから。
 閉塞、閉塞、閉塞、圧死。
 だから皇位継承という手駒を使い、皇族を表に立てて殺し合い、勢力を拡大する。
 権勢を得なければ、貴族ではなく人ではない。

 つまり、後から考えると雄田麻呂は藤原四家の中で式家の一発逆転を狙っていたのだ。
 宮中の主流は永手をはじめとした藤原北家の影響強い天武系列である。そこで雄田麻呂は天智系列の私を表に立てて新しく天智系列の権力構造を確立し、そこで権勢をふるおうと考えていたのだろう。
 そしてちょうどそのころ、孝謙様、そのときは武力によって重祚2度めの即位されて称徳しょうとく天皇となられていたが、称徳様は皇家以外から天皇を擁立しようとしていた。流石にそれは許されないというのは貴族の共通認識だった。だから代わりの新しい天皇を建てるには都合が良かったのだ。

 何故称徳様が皇家以外から天皇を立てようとされたのか、そのお考えは政の中心から大きく離れていた私にならばわからなくもない。
 結局、ここのところの皇家というのは代が変わるごとに藤原家を始めとする貴族と共に、または手駒とされて兄弟親族間で殺し合い、乱や変を繰り広げていた。
 称徳様のご治世の間だけを考えても、天武様の孫である道祖ふなど王を擁立しようとした橘奈良麻呂の乱がおき、道祖様のご兄弟である塩焼しおやき王を擁立しようとした藤原仲麻呂ふじわらのなかまろの乱がおきている。結局の所は自ら殺し合い身を食いあった結果、天武様のお血筋が絶えてしまった。
 その末に一生誰とも逢瀬を重ねることができない立場が運命づけられた称徳様は皇家が愚かしく思えたのであろう。

 称徳様にはお子がおられない。その天皇というお立場から誰とも関係を持ってはならぬのであるから当然だ。
 つまり称徳様はただお一人。どの皇統も、称徳様のお身内ではあられない。だから先進である中国にならい、血筋を離れて最も優れた者が王となる徳治政治を行おうとされた、というのは一つの理にも叶うのだろう。
 称徳様は当時の最先端である中国の思想にはお詳しかった。そして周りを固める仏教勢力もこれを後押しした。
 けれども結局そのお考えは皇家の身中に深く住まう藤原家によって潰えた。藤原家は外戚となることによって権力をほしいままにしようとしていた。称徳様は寄生虫のごとく財と栄華を集め、皇室を傀儡としようとした藤原家を抑えようとしたのだ。
 だから藤原家にとって、帝の血筋を離れた新しい権力構造ができてしまっては困るのだ。
 その帰結が神護景雲4年西暦770年8月4日の称徳様の突然の崩御なのである。
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