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1章 光仁天皇の二つの家族
父上と母上の暮らし
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父上の語るそのあまりの恐ろしさと後ろ暗さに、私はその言葉に大人しく従い、複雑なことはあまり考えず、都ともあまり関連を持たずに生きていた。おそらく父上がそのように取り計らってくれたのだろう。
そもそも父上に会う機会もそれほど多くはなかったのだ。私は母上のもとで暮らし、ときおりこの家に父上が通うという暮らしであったから。
それに私は都におわす父上の正妻、託基様とお会いしたこともほとんどない。
貴族の婚姻とは政だ。高位の貴族になるほどその婚姻は役割として、仕事としての意味合いが深まる。
父上も天武様の娘であるけど母君の身分が低い託基皇女様を正妻とされていた。父上はこの婚姻は父上の身を宮中に縛り付けて身動きがとれないようにするためだと言うが、私にはよくわからなかった。結局父上は母上のもとに通い、私からみても幸せそうに過ごしていたのだから。
父上は自らの思う相手と結婚できたのだろう。
そして父上が皇族の端くれであるにもかかわらずそのような浮き草の生活を送れたのは、ひとえにお祖母様の身分が低く、皇位の継承など論外の位置にいたからなのだ。
何故なら父上が語った吉野の盟約で誓われた大津皇子様は、その母君の位が草壁様と同じ程に高くしかも有能で有られた。だから天武様が亡くなられてすぐ、鸕野讃良様によって弑されてしまっていたのだから。
色々言われるところもあるが、身近に接した父上と母上は子の私から見ても幸せそうであった。
『大原のこのいち柴のいつしかとわが思ふ妹に今夜こよひ逢へるかも』
(大原のこの揺れる柴のようにいつあなたに会えるだろうと思っていたら、今夜貴方に会えました)
母上に贈られる父上の歌は、雅と世界の美しさ、それから私が感じる父上の明るくも爽やかな感情に満ちあふれていた。この小さな家で、確かに父上はお2人以外の何者からも切り離されて愛に満ちた幸せな生活を過ごしていたのだ。
血なまぐさい政争など、あの時以来父上から感じることもなかった。だから宮中のことなどよく知らず、のんびりと田舎で過ごす私にとってはいつしか父上の言葉もうっすらと霞んでいった。
父上はあれ以降、都のことを話すことはなく、爽やかで雅であったから。
けれどもそれは父上が生きていたときのこと。やはり父上は私を守ってくれていたのだ。
父上が亡くなったのは私が8歳の時だった。
父上という後ろ盾を失った私の立場はとても頼りのないものだった。急に足元が崩れ去ったのだ。
貴族社会では役職につくにも婚姻を行うにも、父母の地位が最も重視される。辛うじて皇族であった父上が亡くなり、私が頼れるのは母上とその一族だけとなった。
母上の父君である紀諸人は従五位下。貴族と呼ばれるための最も下の身分である。時の朝廷で権力を奮っているのは藤原四家だ。率直に言えば藤原氏以外で位階を上り詰めることは困難だ。そんなことも父が亡くなって初めて知った。
私が叙爵したのは29歳の時だ。従四位下に叙爵された。位階制度によって天皇の子は皇子、孫は王である。二世王の蔭位は従四位下と一応は定められている。
私は皇族といっても端の端。かろうじて皇族と呼ばれるだけの存在で、誰も私の存在を顧みられることもなかった。それでもそのような身に覚えのないものが突然降ってきた。そして、それでも私の生活はさして変わらなかった。
「白壁殿。叙爵おめでとうございます」
「母上。ありがとうございます。とは言っても何が異なるのかはわかりませんね」
「息災であることがなによりなのですよ」
ささやかな宴が家で催され、ほそぼそと祝われた。位階を得たといっても天武系列の王とは異なり何らかの役職につくこともなく、そもそもこれまで都に上ることすらほとんどなかったのだ。
だから叙爵を受けた後も都には知り合いも寄るべもなく、野の家に戻るだけだ。
豪族貴族とはいえ母上の一族は都にとって後ろ盾にならないほど取るに足らない。だからそのまま私は埋没していくはずだった。
そして真実、私はそれで良いと思っていた。
父と母のように日々を気楽に穏やかに暮らせればそれで。
なぜならそのころ、私にも妻がいたからだ。妻は元々は家にいた召使いだ。もともと格式張った家ではない。いつのまにかそのような関係になっていた。
妻の新笠はかわいらしい女だった。
もともと百済からの渡来民、官吏である和乙継の娘だ。母上の父、つまりお祖父様ははそれでも従五位の官位をもっている。けれども和乙継はそれすらもない。やはり朝廷に対しては何の後ろ盾にもなりはしない。私に取ってはお似合いだ。
私は父上の言いつけ通りに都ではなく、日々、野山や景色の移り変わりを新笠と眺めた。
愛しい新笠に和歌を送り、庭を眺めて過ごしたりと毎日を平穏に暮らした。私も父上にとっての母上のように、生涯愛すべき人を見つけたのだ。そう思っていた。
そんな田舎暮しと穏やかな人生に、本当に私は満足していた。昇進や位階といった生き馬の目を抜く世界とは離れて何不自由ない暮らしだ。
「あなた様には忙しい暮らしは似合いませんもの」
「そうだな、そうだよな」
「無役でもよいではありませんか。ほそぼそと緩やかに暮らしましょう」
しっとりと暮れなずむ夕日を眺めながら、新笠は確かにそう呟いた。
そんな暮らしを続ける中で、新笠との間に能登という女子と山部という男子も生まれた。それ以降も何も変わることなく家族仲良く暮らしていたのだ。それは小さくても、幸せな暮らし。
しかし転機。転機が訪れてしまった。
そもそも父上に会う機会もそれほど多くはなかったのだ。私は母上のもとで暮らし、ときおりこの家に父上が通うという暮らしであったから。
それに私は都におわす父上の正妻、託基様とお会いしたこともほとんどない。
貴族の婚姻とは政だ。高位の貴族になるほどその婚姻は役割として、仕事としての意味合いが深まる。
父上も天武様の娘であるけど母君の身分が低い託基皇女様を正妻とされていた。父上はこの婚姻は父上の身を宮中に縛り付けて身動きがとれないようにするためだと言うが、私にはよくわからなかった。結局父上は母上のもとに通い、私からみても幸せそうに過ごしていたのだから。
父上は自らの思う相手と結婚できたのだろう。
そして父上が皇族の端くれであるにもかかわらずそのような浮き草の生活を送れたのは、ひとえにお祖母様の身分が低く、皇位の継承など論外の位置にいたからなのだ。
何故なら父上が語った吉野の盟約で誓われた大津皇子様は、その母君の位が草壁様と同じ程に高くしかも有能で有られた。だから天武様が亡くなられてすぐ、鸕野讃良様によって弑されてしまっていたのだから。
色々言われるところもあるが、身近に接した父上と母上は子の私から見ても幸せそうであった。
『大原のこのいち柴のいつしかとわが思ふ妹に今夜こよひ逢へるかも』
(大原のこの揺れる柴のようにいつあなたに会えるだろうと思っていたら、今夜貴方に会えました)
母上に贈られる父上の歌は、雅と世界の美しさ、それから私が感じる父上の明るくも爽やかな感情に満ちあふれていた。この小さな家で、確かに父上はお2人以外の何者からも切り離されて愛に満ちた幸せな生活を過ごしていたのだ。
血なまぐさい政争など、あの時以来父上から感じることもなかった。だから宮中のことなどよく知らず、のんびりと田舎で過ごす私にとってはいつしか父上の言葉もうっすらと霞んでいった。
父上はあれ以降、都のことを話すことはなく、爽やかで雅であったから。
けれどもそれは父上が生きていたときのこと。やはり父上は私を守ってくれていたのだ。
父上が亡くなったのは私が8歳の時だった。
父上という後ろ盾を失った私の立場はとても頼りのないものだった。急に足元が崩れ去ったのだ。
貴族社会では役職につくにも婚姻を行うにも、父母の地位が最も重視される。辛うじて皇族であった父上が亡くなり、私が頼れるのは母上とその一族だけとなった。
母上の父君である紀諸人は従五位下。貴族と呼ばれるための最も下の身分である。時の朝廷で権力を奮っているのは藤原四家だ。率直に言えば藤原氏以外で位階を上り詰めることは困難だ。そんなことも父が亡くなって初めて知った。
私が叙爵したのは29歳の時だ。従四位下に叙爵された。位階制度によって天皇の子は皇子、孫は王である。二世王の蔭位は従四位下と一応は定められている。
私は皇族といっても端の端。かろうじて皇族と呼ばれるだけの存在で、誰も私の存在を顧みられることもなかった。それでもそのような身に覚えのないものが突然降ってきた。そして、それでも私の生活はさして変わらなかった。
「白壁殿。叙爵おめでとうございます」
「母上。ありがとうございます。とは言っても何が異なるのかはわかりませんね」
「息災であることがなによりなのですよ」
ささやかな宴が家で催され、ほそぼそと祝われた。位階を得たといっても天武系列の王とは異なり何らかの役職につくこともなく、そもそもこれまで都に上ることすらほとんどなかったのだ。
だから叙爵を受けた後も都には知り合いも寄るべもなく、野の家に戻るだけだ。
豪族貴族とはいえ母上の一族は都にとって後ろ盾にならないほど取るに足らない。だからそのまま私は埋没していくはずだった。
そして真実、私はそれで良いと思っていた。
父と母のように日々を気楽に穏やかに暮らせればそれで。
なぜならそのころ、私にも妻がいたからだ。妻は元々は家にいた召使いだ。もともと格式張った家ではない。いつのまにかそのような関係になっていた。
妻の新笠はかわいらしい女だった。
もともと百済からの渡来民、官吏である和乙継の娘だ。母上の父、つまりお祖父様ははそれでも従五位の官位をもっている。けれども和乙継はそれすらもない。やはり朝廷に対しては何の後ろ盾にもなりはしない。私に取ってはお似合いだ。
私は父上の言いつけ通りに都ではなく、日々、野山や景色の移り変わりを新笠と眺めた。
愛しい新笠に和歌を送り、庭を眺めて過ごしたりと毎日を平穏に暮らした。私も父上にとっての母上のように、生涯愛すべき人を見つけたのだ。そう思っていた。
そんな田舎暮しと穏やかな人生に、本当に私は満足していた。昇進や位階といった生き馬の目を抜く世界とは離れて何不自由ない暮らしだ。
「あなた様には忙しい暮らしは似合いませんもの」
「そうだな、そうだよな」
「無役でもよいではありませんか。ほそぼそと緩やかに暮らしましょう」
しっとりと暮れなずむ夕日を眺めながら、新笠は確かにそう呟いた。
そんな暮らしを続ける中で、新笠との間に能登という女子と山部という男子も生まれた。それ以降も何も変わることなく家族仲良く暮らしていたのだ。それは小さくても、幸せな暮らし。
しかし転機。転機が訪れてしまった。
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