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そのノート、小説につき
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ぽかぽかと差し込む春の陽気が眠気を倍加させていた。
あくびをかみ殺す。正直なとこ、この日本史の授業はつまらない。なにせ教科書の内容を教師がただ、喋るだけなのだ。だから耳から耳へ聞き流していた。それでちらりと眺めた隣の奴のノートの文字列にぎょっとした。
『僕は人を殺めたかもしれない』
少し乱れた字でそう始まっていた。
何事だと思ってバクリと波打つ心臓を落ち着かせながら次の行を覗いて、なんだと胸をなでおろす。
『何故ならパウルはピクリとも動かなかったから』
それでノートからその持ち主である原町に目を移す。その表情はいつも通りぼんやりしていて、やはり人を殺した告白をするようにはみえない。
俺は原町の隣の席だが、原町をよく知らない。なにせまだ高2のクラス替え直後で、自己紹介で文芸部と聞いたくらいだ。文芸部か。そういえば来月に文化祭がある。だからその原稿でも書いてるのかも。そうに違いない。
なにせ名前が変だ。
英語読みのポールならまだましで、パウルという名前はいかにも芝居がかった外国名だ。他にもシャザリンとか、名前と思しきカタカナが並んでいた。
そうすると俄然、続きが気になってきた。なにせこの授業は筆舌に尽くし難く暇なのだ。
断片的に盗み見る内容では、主人公は学校に通っているらしく、ひょんなことでパウルと諍いになったらしい。ノートの半分は原町の腕の影に隠れて見えない。心持ち身を乗り出せば、バランスを崩してガタリと机が音を立て、その音で振り向いた原町と目が会った。目頭が隠れるほどのマッシュショートの隙間に揺れる瞳は明らかに狼狽え、パタリとノートは閉じられ目を逸された。
気まずい授業の後。とっとと帰ろうとしたけれど、切羽詰まった声に呼び止められた。
「須走、俺のノート見たのか?」
「あ、うん、ごめん」
原町の眉根に力がこもる。やっぱ勝手に覗くのはダメだよな。
俺もたまにTikTakに変な動画晒してるけど、中途半端な知り合いにら見られるのが一番嫌だ。だから言い訳のように本当のことをつぶやく。
「中身、誰にも言わないから。でも見た感じ面白そうだった」
「面白い……?」
「う、うん。原町で隠れて半分くらいしか見えなかったけど」
「半分?」
しまった。半分とか言わなきゃよかった。半分しか見てないのに面白いかわかるかってやつだ。気まずい。
「いきなり人を殺めたかもって書いてあってちょっとビクッとした」
「……そっか。全部は見てないんだな」
原町は何度か目を瞬かせた後、怒りと安堵が混じりあったような複雑な表情で浅く息を吐く。その隙にそそくさと帰ろうと試みたけれど、待てよという妙に鋭い声に再び捕まる。
振り返れば教室には既に俺たち2人以外、誰もいない。ただ茜色の西日が窓から差込み、俺たちと教室の影を際立たせていた。原町の口元は夕日が照りつけ、その口角だけが淡く微笑んでいた。原町は表情が動かない奴だ。笑ったのを見るのは初めてかもしれない。
その何か妙に迫力のある笑みに何か悪いことをした気分になって、やっぱりずいぶん落ち着かなくなった。
「リアリティが足りないんだよ」
「リアリティ?」
「そう、本当に殺した感じがしないんだ。だからビクッとしたって聞いてさ。そこにはリアリティがあったのかなと思って。つまり怖かったってことだろ」
「ああ、まぁそうだな」
怖いというよりびっくりした感だけど。一体何なのっていう。寧ろ今の原町の方がホラーだ。
「それ以外の部分は?」
「それ以外……っていってもさ、お前の体で隠れてあんま見えなかったんだよ」
「……そうか。もしよかったらさ。意見くれないかな。どうしたらもっとリアリティが出るか」
正直な所、中途半端に続きは気にはなっていた。
だから安請け合いすると、最新のやつ、と言って原町はノート二冊を鞄から取り出し、手渡された。表紙に上、下と書いてある。分量にギョッとしたが、薄い大学ノートだからと気を取り直す。
ぱらりと開けばやはり『この僕は人を殺めたかもしれない』から始まる文章。原町の字は四角四面で、普通の文庫ばりには読みやすかった。
話は主人公のジョゼが倉庫でパウルの死体を見つける場面から始まる。
パウルはジョゼが片思いするシャザリンの従兄弟だ。シャザリンとパウルは付き合っているわけではないが、従兄弟だからよく一緒にいるし話をしている。ジョゼはその風景が許せなかった。
だからジョゼはパウルを殺そうと思った。
「仲良くしてたから殺そうと思った?」
「変かな。でも人を殺したくなる理由なんて他の人にはわからないだろうし。どうしようもない衝動っていうか」
「そういうもの?」
「須走もそうなってみればわかるよ」
そう言って、原町はあの妙に迫力のある薄い笑顔を浮かべ、俺は固まった。なんか、聞いちゃまずいことを聞いた気分。
随分飛躍のある話だとは思ったけれど、その唐突さが俺には理解できない原町の理屈から生まれたのだとしたら、そこに妙なリアリティというものを感じなくはない。
原町に言われるまでもなく嫌なやつは理由もなく嫌だし、それが嵩じれば殺したいほど嫌いになる、ものなのかもしれない。
いずれにせよジョゼは死体発見前日の夜、パウルを倉庫に呼び出しバットで殴った。けれどもその後、怖くなって逃げた。パウルはそれでも追ってこようとしていて、だから無事だと思っていた。
けれども翌日、死体となったパウルの首にはジョゼの預かり知らぬ、締められたと思しき跡があった。ジョゼはパウルの首を絞めてはいない。パウルの死因は絞殺だ。だから自分は関係ない。そう思った。
けれども昨日の夜は暗かった。だから、ジョゼがパウルを襲う前にすでに存在した絞殺痕を見つけられていなかったのかもしれない。誰かが殺し損ねたパウルを自分が殺したのか、自分が殺し損ねたパウルを誰かが殺したのか。
「これ、おかしくない?」
あくびをかみ殺す。正直なとこ、この日本史の授業はつまらない。なにせ教科書の内容を教師がただ、喋るだけなのだ。だから耳から耳へ聞き流していた。それでちらりと眺めた隣の奴のノートの文字列にぎょっとした。
『僕は人を殺めたかもしれない』
少し乱れた字でそう始まっていた。
何事だと思ってバクリと波打つ心臓を落ち着かせながら次の行を覗いて、なんだと胸をなでおろす。
『何故ならパウルはピクリとも動かなかったから』
それでノートからその持ち主である原町に目を移す。その表情はいつも通りぼんやりしていて、やはり人を殺した告白をするようにはみえない。
俺は原町の隣の席だが、原町をよく知らない。なにせまだ高2のクラス替え直後で、自己紹介で文芸部と聞いたくらいだ。文芸部か。そういえば来月に文化祭がある。だからその原稿でも書いてるのかも。そうに違いない。
なにせ名前が変だ。
英語読みのポールならまだましで、パウルという名前はいかにも芝居がかった外国名だ。他にもシャザリンとか、名前と思しきカタカナが並んでいた。
そうすると俄然、続きが気になってきた。なにせこの授業は筆舌に尽くし難く暇なのだ。
断片的に盗み見る内容では、主人公は学校に通っているらしく、ひょんなことでパウルと諍いになったらしい。ノートの半分は原町の腕の影に隠れて見えない。心持ち身を乗り出せば、バランスを崩してガタリと机が音を立て、その音で振り向いた原町と目が会った。目頭が隠れるほどのマッシュショートの隙間に揺れる瞳は明らかに狼狽え、パタリとノートは閉じられ目を逸された。
気まずい授業の後。とっとと帰ろうとしたけれど、切羽詰まった声に呼び止められた。
「須走、俺のノート見たのか?」
「あ、うん、ごめん」
原町の眉根に力がこもる。やっぱ勝手に覗くのはダメだよな。
俺もたまにTikTakに変な動画晒してるけど、中途半端な知り合いにら見られるのが一番嫌だ。だから言い訳のように本当のことをつぶやく。
「中身、誰にも言わないから。でも見た感じ面白そうだった」
「面白い……?」
「う、うん。原町で隠れて半分くらいしか見えなかったけど」
「半分?」
しまった。半分とか言わなきゃよかった。半分しか見てないのに面白いかわかるかってやつだ。気まずい。
「いきなり人を殺めたかもって書いてあってちょっとビクッとした」
「……そっか。全部は見てないんだな」
原町は何度か目を瞬かせた後、怒りと安堵が混じりあったような複雑な表情で浅く息を吐く。その隙にそそくさと帰ろうと試みたけれど、待てよという妙に鋭い声に再び捕まる。
振り返れば教室には既に俺たち2人以外、誰もいない。ただ茜色の西日が窓から差込み、俺たちと教室の影を際立たせていた。原町の口元は夕日が照りつけ、その口角だけが淡く微笑んでいた。原町は表情が動かない奴だ。笑ったのを見るのは初めてかもしれない。
その何か妙に迫力のある笑みに何か悪いことをした気分になって、やっぱりずいぶん落ち着かなくなった。
「リアリティが足りないんだよ」
「リアリティ?」
「そう、本当に殺した感じがしないんだ。だからビクッとしたって聞いてさ。そこにはリアリティがあったのかなと思って。つまり怖かったってことだろ」
「ああ、まぁそうだな」
怖いというよりびっくりした感だけど。一体何なのっていう。寧ろ今の原町の方がホラーだ。
「それ以外の部分は?」
「それ以外……っていってもさ、お前の体で隠れてあんま見えなかったんだよ」
「……そうか。もしよかったらさ。意見くれないかな。どうしたらもっとリアリティが出るか」
正直な所、中途半端に続きは気にはなっていた。
だから安請け合いすると、最新のやつ、と言って原町はノート二冊を鞄から取り出し、手渡された。表紙に上、下と書いてある。分量にギョッとしたが、薄い大学ノートだからと気を取り直す。
ぱらりと開けばやはり『この僕は人を殺めたかもしれない』から始まる文章。原町の字は四角四面で、普通の文庫ばりには読みやすかった。
話は主人公のジョゼが倉庫でパウルの死体を見つける場面から始まる。
パウルはジョゼが片思いするシャザリンの従兄弟だ。シャザリンとパウルは付き合っているわけではないが、従兄弟だからよく一緒にいるし話をしている。ジョゼはその風景が許せなかった。
だからジョゼはパウルを殺そうと思った。
「仲良くしてたから殺そうと思った?」
「変かな。でも人を殺したくなる理由なんて他の人にはわからないだろうし。どうしようもない衝動っていうか」
「そういうもの?」
「須走もそうなってみればわかるよ」
そう言って、原町はあの妙に迫力のある薄い笑顔を浮かべ、俺は固まった。なんか、聞いちゃまずいことを聞いた気分。
随分飛躍のある話だとは思ったけれど、その唐突さが俺には理解できない原町の理屈から生まれたのだとしたら、そこに妙なリアリティというものを感じなくはない。
原町に言われるまでもなく嫌なやつは理由もなく嫌だし、それが嵩じれば殺したいほど嫌いになる、ものなのかもしれない。
いずれにせよジョゼは死体発見前日の夜、パウルを倉庫に呼び出しバットで殴った。けれどもその後、怖くなって逃げた。パウルはそれでも追ってこようとしていて、だから無事だと思っていた。
けれども翌日、死体となったパウルの首にはジョゼの預かり知らぬ、締められたと思しき跡があった。ジョゼはパウルの首を絞めてはいない。パウルの死因は絞殺だ。だから自分は関係ない。そう思った。
けれども昨日の夜は暗かった。だから、ジョゼがパウルを襲う前にすでに存在した絞殺痕を見つけられていなかったのかもしれない。誰かが殺し損ねたパウルを自分が殺したのか、自分が殺し損ねたパウルを誰かが殺したのか。
「これ、おかしくない?」
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