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3章 私たちが立脚するファンタジーという名のままならない現実

戦えば怪我をする、そんなことに改めて気づく

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「あの、ソル。その、コルディセプスは大丈夫なの?」
「ん……? ああ、聞いてたのか呪文」
「うん」
「ええと、多分、大丈夫」
「多分?」

 アレクとジャスティンの治療が一段落した時に私はソルに尋ねた。
 ソルはどう言ったものかな、とひとりごちて、体からわさわさ生えている枝をナイフで切り始めた。
 それで何事もない、大したことがないように言うんだ。
 損傷という意味ではソルが一番大きい。
 私は『幻想迷宮グローリーフィア』でのソルとアレクのデータはコンプリートしている。ふたりともゲームにおけるレベルが40を超えるあたりになると習得し始めるスキルがある。アレクは剣技で、多分冒険と戦闘の中で培われてそのレベルになってようやく取得されるものだろう。
 けれどもソルは賢者だ。冒険の進度ではなくレベルで術式を獲得するってことは、例えば冒険の中で術式を知るというよりは、その術式自体は幻想迷宮グローリーフィアに潜る前からすでに知っていて、ゲームでは安定して使用できるレベル40になるまで実質使用できないようになっていた、そんな代物だったとしたら。
 そしてこのファンタジーな現実にはレベルという目に見えるパラメータは存在しない。だから、使うだけならいつでも使える、としたら。

 ソルが行使した呪文のゲームでの名称は『コール・オブ・コルディセプス』。コールの名を冠する7つの呪法のうちの1つ。
 ゲーム画面の異常なゲージの減り具合。それはすなわち時間制限ということだろう。レベル40になってようやく使える呪文。『幻想迷宮グローリーフィア』でフレイム・ドラゴンが倒せる推奨レベルは28程度。しかもコルディセプスの習得開放下限はレベル44だったと思う。きっと使える状態では全然なかったんだ。

 この魔法はコルディセプスという寄生植物の種をその身に宿し、その肉体を苗床にして圧倒的な防御力を誇る神樹になる、のだ。そしてレベルが高ければ高いほどその強度は増す。
 呪文によってソルはコルディセプスと一体化する。だからコルディセプスが傷つけばその依代であるソルもそのまま傷つく。
 最後に見た緑の巨人はボロボロに焼け落ちるところだった。そのダメージは直接ソルが受けるもの。だから通常で考えればソルが生きているはずがない。けれどもソルはこの術式が制御できていなかった。コルディセプスはソルを圧倒し、ソルを支配しかけていた。たから、そのダメージの大半はコルディセプスのほうが負い、全てがソルに還元されたわけではなかった。
 だから今、かろうじて生きている。コルディセプスはソルの中で暴走し、今、ソルの体の半分弱が神樹に乗っ取られたままの状態だ。

「まあ、生きてりゃどうとでもなる。俺は賢者だからな」

 ソルはそう言って笑った。それに一番最初に立ち直ったのはソルだった。
 もさもさと体中から葉や枝を生やして魔力ポーションを何本も飲みながら、アレクとジャスティンに治癒の呪文を唱え続け、私もバフを掛け続け、1時間くらいたってようやく2人の息が安定してきたときのこと。
 
「ええと。まあ正直にいうとチキンレースだ」
「……」
「今もこいつの根っこは俺の中に伸びていてめちゃめちゃ痛ぇ。それで何もしなきゃ全部乗っ取られる。けど俺も俺で抵抗してる。その、この呪文は俺が使うにはちょっとばかし修行が足りなかったんだよ。まあそのおかげで多分いま生きてるんだけどな。それで理論的には俺がこれを制御できるくらい修練を積めばこいつらを駆逐できる、つまり追い出せるはずなんだ」
「あの」
「……マリー、心配すんな。これは俺が弱いせいだ。だからこれは俺のせい。俺はできることをしただけだ。後悔はしていない。気に病むなよ、みんなで生き残れたんだから。次はもうちっとましになるようがんばるよ。俺はマリーを守ると決めたから」

 ソルはそう言いながら私の頭をわしわし撫でた。
 何と言っていいかわからなかった。
 私が無茶な作戦を立てたから。きっとなんとかなると思って。そう、きっとなんとかなる、なんて何の根拠もない。

 私たちが2組にわかれた場合、フレイム・ドラゴンがどちらに飛んでくるかわからなかった。そしておそらく何度かは飛んできてしまったのだろう。
 私は来ない可能性にかけた。来ることについて考えることを放棄した。でもソルは来る可能性の存在を等しく検討した。ソルではフレイム・ドラゴンを防ぐことができない。だから飛んできてもなんとか対応できるように対処した。それがコルディセプス。

 私はみんなが怪我をするかもしれないと思った。そして怪我をしなければいいと思った。そしてそこで考えるのをやめて、そしてみんな怪我をした。もっと酷い結果、そうだ、みんな死んでしまう結果だって普通にあったというのに、私は。
 ここは、ゲームじゃない。セーブ地点に戻れるゲームじゃ。

「マリオン様。本当に大丈夫ですか?」

 気がつくとテーブルに朝食が並んでいた。
 やわらかくふかふかして穀物のいい香りのするパン。それから新鮮なサラダ。ふんわりと漂うベリーの混じった甘酸っぱいお茶。
 日常。
 明るい窓からちらちらと透明な日差しが優しく部屋を照らしている。その先のベランダの外はすでに冷たい風が吹いていてもうすぐ冬が訪れる。そこから眺める街の風景はきっと冬支度に忙しく、慌ただしい日々が過ぎているのだろう。
 たくさんの人にとってのたくさんの日常。
 通常の時間の流れ。
 昨日は今日に繋がり、今日は明日に繋がる。そしてその営みはとても緩やかに続いていて、失敗したから一旦リセット、なんてない、日常。

 アレクとジャスティンはほぼ同じくらいに意識を取り戻し、私を見て大丈夫かと尋ねた。何のことかわからなかった。
 2人が指したのは私が手に火膨れを作っていたこと。こんなものは水でもかけておけばすぐ治るのに。実際ポーションを振りかければすぐに治った。ソルは気づかなくてごめんと言った。

 2人は意識を取り戻したものの動けるようになるにはもう少し時間がかかった。
 その間に私とソルは手分けしてフレイム・ドラゴンの素材の目ぼしいものを剥ぎ取る。目や、心臓。それから炎を吐くための炎袋。それから羽の一部と爪、角、皮膚を少し。
 私は何もできない。こんなことしか。
 せめてこれを治療費にあてて。

 今も宿でソルはアレクの看病をしているはず。
 私の見通しが悪かったから。
 それでも私の目の下でカトラリーは動き、食べ物を口に詰め込んでいる。
 ジャスティンがおかわりのお茶をポットからカップに注ぐ。また、ふわっと香りが広がる。

 ダンジョン。
 日常。
 ダンジョン。
 日常。
 ダンジョン。
 日常。
 ダンジョン。

 そう、これはゲームではなく私の日常。
 なんだかよくわからないこの営み。
 フレイム・ドラゴンを一日で倒すのは不可能ではない。
 そのための方法は複数ある。
 技術を開発してその鍛えた装備と武力でフレイム・ドラゴンを凌駕すること。
 財力を高めてフレイム・ドラゴンに有効なアイテムを買い揃えてフレイム・ドラゴンを倒すこと。
 単純に、フレイム・ドラゴンを圧倒できるほどレベルを、つまりパーティの強さを上げること。
 そして、ダイスを振ること。

 その中で私はダイスを振ってしまった。
 一番やってはいけない手段をとってしまったんだ。
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