[R18]トロンプ・ルイユ(旧Ver

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6.見てしまった片桐さんの体の傷、それから気づいた心の痕。

幸せ。そう、そんな言葉じゃ表せない。

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 朝、パンと目玉焼きを焼く。今日は俺が朝食を作る日。
 会社と俺の家を往復する毎日の片桐さんにとって唯一のプライベートは大切と思ってあえて聞かなかったこと。
 昨日の今日で不自然だと思われるかもしれないけど、俺はもう片桐さんに傷ついてほしくない。片桐さんを幸せにしたい。多分俺は片桐さんの本当の心を聞いていない。だから多分こんなに遠い。片桐さんのかわりにあの傷が叫んでいるような気がする。秘密をあばくつもりはないのだけど。
 片桐さんに触れていたい。片桐さんは本当はどうしたいんだろう。
 これは聞いてもいいことなんだろうか、それとも。

「そういえば片桐さんは日曜は何をしているんですか?」
「日曜ですか?」
「たまにはデートしませんか? もし用事がなければ明日にでも」

 ちょうど明日は日曜。少し緊張しながらコーヒーを並べる。
 ぎこちなくはないだろうか。

「明日はもう予定が入っていて。あの、仕事の関係なんです」

 仕事?
 嘘をついている様子はない。日曜も片桐さんは働いている? でも片桐さんならありそうな話だ。申し訳ない。
 でもそれならあの傷はどこで。
 日曜以外に俺と離れるタイミングなんてあるだろうか。
 文字通り、俺と片桐さんは朝から晩まで一緒にいる。

「でもせっかくなので明日は少し時間をずらしてもらいます。午前はどこかに出かけましょう。その代わり、帰りが多分少しだけ遅くなります」
「わかりました。どこに行きましょう」
「啓介の行きたいところに」
「……映画でも見に行きますか?」

 映画。この間家で見た映画。一緒に出掛けるようになったきっかけ。
 これなら嫌がられは、しないような。

「わかりました」
「何がいいかな。そうだ、コメディとかどうでしょう、楽しい気分になるやつ」
「お任せします。楽しみですね」

 片桐さんの様子は本当に楽しそうだった。
 でもこれも、俺が『楽しい気分になるやつ』って言ったからじゃ、ないよね?
 本当は片桐さんはどうしたいんだろう。そっと手の甲の表面を撫でると片桐さんは優しく微笑んだ。

 選んだコメディはほどほどに面白くて、一緒にポップコーンを食べて、真っ暗な映画館でこっそり手を触れると、繋ぎ返してくれて、それはとても嬉しかった。ほんの少しだけ距離が近くなったような気はする。
 この後は本当に仕事なんだろうと思う。片桐さんはいつもと同じようにスーツを着ていたから。

「あの、日曜まで仕事をしてるって知らなくて。俺も手伝います、というか本来俺がすべきことでしょう?」
「大丈夫ですよ。私用も兼ねてますしそんなに大変なところじゃないですから。啓介はゆっくり休んで下さい」
「あの、どこにいくんですか?」
「アスティナ技研ぎけんです」

 思ったより普通に返事があった。
 そこは確かに片桐さんではないとだめかもしれない。
 アスティナ技研は親父の代から繋がりの深い製薬会社で、取扱品には専門知識が必要だ。確か片桐さんはうちの会社に親父が引き抜く前はアスティナ技研にいたはずだ。だからこの会社関係は片桐さんじゃないとわからないことも多い。それに、親父もここの取引は片桐さんにまかせていたようだし元の会社なら片桐さんに変なことはしないような気はする。
 でも何か引っかかる。
 そういえば引き継ぎ時も片桐さんにまかせきりで、挨拶に伺うどころか直接訪問したこともない。

「一度ご挨拶に伺ったほうがいいでしょうか」
「ここはお任せ頂いてもいいかと思いますが、その方がよろしければ」
「では、お願いします」

 なんだか普通に同意された。
 やはり関係ないのだろうか。

 その日、いっしょに昼食を食べてから別れて、片桐さんは夜遅くに帰ってきた。特に妙な様子はない。遅かったからセックスはせずに抱き合って寝た。注意深く背中を撫でる。少し厚手の生地を通してわずかに感じる凹凸に変化はなさそうだった。でも、増えているなら触っただけでは気が付けないだろう。

 寝息を立てる片桐さんの唇にそっと唇を合わせると、片桐さんはピクリと動いて目が開いた。寝が浅い。いつもは俺が先に意識を手放すから寝ている片桐さんを見る機会は少ない。いつもこうなのかな。

「見ないから背中触ってもいいですか」
「いいですよ」

 抱きしめて、上衣の裾から背中に手を入れる。ざらざらしている。片桐さんも同じように俺の服をめくって手を入れてきた。今日は俺も服を着ていた。何も言わずに同じことをしてくれるということは、これは多分片桐さんのしたいことなのかな。なんだか嬉しい。俺に向けられる片桐さんの気持ち。大切にしたい。
 『抱きしめて欲しい』なんて絶対に言うものか。

「啓介、おやすみなさい」
「おやすみなさい」

 軽くキスをして片桐さんは目を閉じた。しばらくすると静かで安定した呼吸音が聞こえる。安らかなように思える。少なくとも何か悪いことがあったようには感じないけど。
 そっと唇に触れる。首筋をなでる。大丈夫、起きない。奇麗な首。そのまま服越しに鎖骨に触れる。わずかに眉が動く、けど目は開かれない。そのまま首回りの布をそっと手前に引いて覗き込んですぐに手を離す。いいわけのように顎の線を撫でて抱きしめる。
 増えていた。少しだけ。
 少しだけど、昨日の光景は目に焼き付いていて、その少しの違いがわかった。
 頭を抱き寄せられて少し震える手で撫でられる。

「気持ち悪いですよね」
「気持ち悪くないですよ。大好きです、片桐さん」
「ありがとうございます」

◇◇◇

 裸で抱き合って寝た朝、啓介の様子が少しおかしいことに気がついた。
 心配そうに私を見ていた。
 日曜のことを聞いてきた時、やっぱり見たんだなと思った。
 ちょうど今、首に近いところに絵を描いていたところだったから。

 でも特に嫌がってる様子はなかった。不思議。
 多分全体は見ていないのだろう。アイマスクのすき間とかからチラリと見えたのかもしれない。ふぅ。
 もう少し首の長い服を用意しようと思った。でも今日はバタバタしていて時間がなくて。

 家に帰って啓介とベッドに入る。2日続けて何もしない日。明日も早い。こういう日もたまにはいいのかな。
 啓介は背中を直接触りたいと言う。いいですよ。でも気持ち悪くはないですか?
 少しどきどきしていると啓介はざらざらした私の皮膚にそっと触れた。背中は温度も感覚もよくわからないけど、押されているのは圧迫感で少しわかる。なんだか気持ちいい。落ち着きます。気持ち悪がられないのが不思議な気分。気持ち悪がられてない、んですよね?
 恐る恐る、私も啓介の背中を触る。均整が取れた筋肉に沿った奇麗な凹凸。すべすべした皮膚。滑らかで奇麗。指先に何も引っかからない普通の皮膚。素敵。クリスマスの日に初めて見て、とても奇麗だと思った。啓介は全部奇麗だ。私と違って宝石のよう。愛しい。大好き。

 目を閉じていると唇に啓介が触れた。鎖骨に触れられた時、緊張した。見られたいか見られたくないかと言うと、見られたくはない。見られたら嫌われる。
 これまで何人かに肌を見せたら嫌われた。というより怖がられた。だからアスティナ技研に仕事で寄った時に研究員をしている弟と相談して、傷を覆うように絵を描くことにした。カバーアップという技術。傷の上から絵を書いて不自然に見えないようにしたり別の意味を持たせたりする。だから私も今、古い傷の上に絵を描いている。

 でも昨日から見られてもいいと思っていた。
 もともと隠すのはなんだか啓介に嘘をつくようで、それは不誠実だなと思っていた。なのに裸で抱きしめてもらえた。まさかそんな日が来るなんて思いもしなかった。だからもう、十分。
 その結果、啓介が私のものでなくなってしまっても、仕方がない。私がこうなのはもう動かし難いことなので。ずっと一緒にいたいから、隠せないし隠し事はしたくない。でも、やっぱり無理だろうと思っていた。それほど私の体は醜い。

 そう思っていたのに、啓介は私の肌を見て、見たのに私を抱きしめた。
 その瞬間の私の気持ちは、羽が生えたよう、としか言い表せない。
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