[R18]トロンプ・ルイユ(旧Ver

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5.薬なしの絶望的なセックスと、その後に訪れた温かい朝食。

映画。デート。それから温かいキス。

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「最近啓介は頑張ってますね」
「少しずつですが」
「そんなに頑張らなくてもいいんですよ」
「いえ、自分にできることはしたいので」

 啓介の元気がない。抱きしめた体がいつもより少し暖かいような。疲れているのかな。今日も遅くまで頑張っていた。頭を抱いてなでる。こうされるのが好きでしょう? 喜んでくれるかな。愛おしい。
 でもやはり少し顔色が悪い気がする。心配だ。
 ……疲れてしまうでしょうか。負担になるのはよくないですよね、きっと。

「今日はやめておきますか?」
「……」

 やはり調子が悪そうだ。抱き寄せる。首筋から啓介の香りがする。
 愛しい啓介。調子が悪いのは悲しいです。

「はやく良くなってくださいね」
「調子が悪いわけでは……」
「そうですか? 何かして欲しいことはありますか?」
「……じゃあ、何かお話をしてください」
「お話?」
「なんでもいいので」
「なんでも」

 なんでもいいお話。こんなお願いは初めてかもしれない。ふふ。子供みたいで可愛い。
 なんの話をしましょうか。お話……お話……。なにか啓介が喜ぶような。
 ……困りました。私の中にはお話なんて。
 困ったな。

「あの」
「ごめんなさい。何も思いつかないんです」
「あの、大丈夫です、ほんとに。そんなに困った顔をしないで」
「本当にごめんなさい」
「あの、じゃあ、かわりに抱きしめていてください」
「わかりました」

 それなら大丈夫。よかった。ほっとため息をつく。よかった。できることがあって。
 啓介の頭の下に手を入れてそのままそっと抱き寄せる。髪の毛が柔らかい。愛おしい。大好き。今日も一緒に眠りましょう。それならできる。少しは喜んでもらえるでしょうか。

「あの、片桐さんが嫌なことはなんですか」
「啓介がいなくなることです」
「他は」
「啓介が嫌がること」
「……俺以外は?」
「そう、ですね……」

 なんでしょうか。
 特に好き嫌いはなかったと思いましたが。
 くるくると頭の中を探してみたけど、なにも思い浮かばない。そもそも私の世界には啓介しかいません。他は全部モノクロで。あまり見分けがつかないのです。
 だから、啓介とずっとそばに、できればずっと一緒にいたい。
 思わず抱き寄せて額に口づけをした。一緒にいたい。好きです、啓介。

「あの、片桐さん?」
「特にないです」
「そう、ですか」
「はい」

 暖かい。気持ちいい。啓介、好きです。一緒にいさせてください。

「あの、俺以外で好きなものは?」
「ありません」
「そう、ですか」

 額に触れると少しひんやりした。
 熱はなさそうです。よかった。
 啓介がすり寄ってきた。可愛い。なるべく力を込めないよう優しく抱きしめる。

 はやく良くなって、またたくさんしましょう。それで、たくさん私を好きになってくださいね。
 頭を撫でる。こうされるのが好きですよね?
 啓介が喜んでくれるのはとても嬉しい。大好きです、啓介。

「今日ははやく寝ましょう?」

◇◇◇

 片桐さんはいつも通り、俺を抱きしめて頭を撫でた。俺も片桐さんを抱きしめた。いつも通り。
 この後30分ほど話をして、俺が薬を飲んでセックスする。

 でもその日はいつもと違って、今日はやめるか、と聞かれた。
 何を? と思って見上げると、片桐さんの瞳が心配そうに揺れていた。
 俺は別に体調が悪いわけじゃなかった。最近気持ちがものすごく沈んでいたけど。そうすると片桐さんは勝手に俺の調子が悪いと勘違いをした。
 不意に訪れた、セックスをしない日。

 して欲しいことを聞かれた。
 して欲しいこと。言うと、ルーチンに組み込まれる。だから、最近は何も言わない。
 でも、したいことはたくさんあった。単純に片桐さんと話がしたい。俺が話せることは既に全て話し終わっていて、もう話題は仕事のことしかなかった。
 だから最近は仕事の話ばかり。仕事と体しかない関係に逆戻り。

 切実に、俺と片桐さんの間に仕事と体以外のものが欲しかった。だから何か話をしてほしいと頼んだ。なんでもいい。
 そういうと、片桐さんは酷く困った顔をした。本当に何でもいいんだけど。会話を投げ返して欲しい。やはり、自分からは何も話してくれない。
 でも、本当に困っているように見えた。前に聞いたときは気が付かなかったけど、それがなんとなくわかった。何か俺がわがままを言って困らせているような気になった。嫌がることをしたいわけじゃないんだ。話がしたかっただけで。だから抱きしめて欲しいと願った。いつも通り。他には『お願い』してもよさそうな無難なことが思いつかない。

 おそるおそる片桐さんのことを聞く。
 はっきりと出る答えと、真剣に悩んでそうに見えるのに全然出てこない答え。この人が俺のことが好きなことは痛いほどわかる、答え。でもやっぱり何か、おかしい。
 本当に、何もないの?
 何か、ないの?

「今日ははやく寝ましょう?」
「あの、もう少し」
「そういえばまだ22時ですね。眠くはないですか?」
「あの、映画とか見ませんか」

 試しに言ってみたその言葉。
 片桐さんは一瞬不思議そうな表情をした。

「映画ですか?」
「眠くなるまでの間だけでいいので」
「いいですよ」
「本当に?」
「ええ、少し待っててくださいね」

 本当に?
 片桐さんとの間のセックス以外の初めての恋人らしい行為。
 呆然とする。求めてやまなかったものが突然降ってきた。舞い上がる。

 体から体温が離れる。
 テレビがベッドの方に向けられる。それから飲み物が冷蔵庫からパタリと出されて2つのコップとともにベッド脇のチェストに置かれる。

「何を見ましょうか」
「片桐さんはどんな映画が好きですか?」
「映画は見ないのでわからないのです。啓介の好きな映画を教えて頂けますか?」
「俺のですか?」
「はい」

 リモコンで映画を検索する。
 俺もそんなに映画に詳しい方じゃないんだけど。ああ、これはどうかな。『アッサム急行』。3人の兄弟がインドを旅する話。選ぶと片桐さんが電気を消す。部屋が暗くなり、テレビの明かりだけがチチチとぼんやり暖かく光っていた。不思議な感じ。
 ああ、本当にデートだ。デートっぽい。嬉しい。片桐さんに思わずキスをする。
 戸惑うような反応。

「啓介、映画を見るんじゃないんですか?」
「いっしょに見ましょう」

 片桐さんの左腕を枕にベッドに横になる。俺の背中と片桐さんのお腹がくっつく。暖かい。幸せだ。片桐さんの右腕を両手で抱き寄せてその甲にキスをする。好き。なんて幸せな触れ合いと時間。……たまに調子が悪いふりをしようかな。そう思うほど願ってやまなかった、ただ一緒にいる時間。
 あまり頭に入らなかったけど映画は進んで、いろいろなことが起きて。

「俺も片桐さんとこういう色々なことがしたいです」
「そうですか。でもインドは少し遠いですね」
「インドまで行かなくても、こんなふうにどこか行ったりとか。そう、思い出。一緒に思い出を作りたい」
「……思い出?」
「あの、片桐さん?」

 いつもより強く抱きしめられて、首筋にキスをされた。なんだか暖かい。
 片桐さんの暖かさがじんわりと俺の体に伝わる。この、優しい時間に涙が出そう。ずっと終わらなければいい。
 片桐さんの手に俺の手を重ねる。前から少し思ってたけど、大きさは同じくらいなのに片桐さんの指の方が少し長い。なんだか、この抱き合っているだけの時間がとても貴重で幸せで。振り向いてキスをしてもいいかな。そう思っていると映画は終わってしまった。

「啓介、そろそろ体を休めた方がいいかと」
「そう、ですか」

 もうお終いか……。枕元のリモコンでテレビの明かりが消されて部屋がまた闇に落ちる。

「あの、このままでもいいですか?」
「このまま?」
「そう、抱きしめ……」

 言って後悔した。この楽しい時間がルーチンに組み込まれてしまうんじゃないかという恐怖。今までは朝起きた時向かい合っていた。明日からは俺はきっとテレビの方を向いたまま目覚めるだろうという恐怖。指先からだんだん冷たくなっていくような、夢が覚めたような気持ち。

「あの、やっぱり向かい合って」

 そう思って片桐さんを振り向こうとすると、そのまま強く抱きしめられた。

「あの、片桐さん?」
「もう少し、このままでいさせてください」

 その瞬間の衝撃。
 片桐さんからセックス以外で何かを求められたのは多分初めてだ。それはとても嬉しかったけど、どうして今のタイミング?  
 よくわからないまま片桐さんの右腕を抱きしめた。片桐さんはとても暖かかった。一緒に映画を見たから距離が縮まった?
 初めて、片桐さんが俺を向いた。俺の心のほうを。なんとなくそんな幻想を抱いた。

「あの、好きです。背中から抱きしめられるのも、向かい合って抱き合うのも、両方。だから」

 どちらかに決めないで。決めて、心を締め出さないで。
 少し考えたり、どうしようかと思ったり、小さくてもいいから片桐さんの心を感じたい。いつも、考えましょう。できれば一緒に。でも俺が言ってしまうと『お願い』になってしまうから。

「ありがとうございます」

 そっと片桐さんが俺の首筋にキスをした。俺は胸に回された片桐さんの右腕を取って口付ける。好きです。
 その日は初めて恋人みたいな感じで抱きしめられたまま、眠りについた気がする。

 でも夜中、苦しそうな声で目を覚ました。
 振り返ると片桐さんが薬を飲んでいた。片桐さん?

「あの、大丈夫ですか?」
「あ……起こしてしまいましたか? お騒がせしてすみません」
「いえ、それより大丈夫なんですか?」
「ええ、よくあることなので」

 よくある……?
 そうなのか?
 片桐さんが少し苦しそうに息を吐いている。いや、俺はいつも気がついたら朝になってる。だから気づかなかっただけ?

「あれ? それは俺が飲んでる薬?」
「ええ。もともと私の常備薬なんです。あ、他の人が飲んでも1錠なら平気ってことは確認しているので安心してください」

 効果はどう考えても医薬部外品の範疇を大幅に超えている。
 診察もせずにOK出すのはおかしくないだろうか。

 これまで副作用はなかったし片桐さんを信用してあえて聞かなかったけど。それによくみると錠剤に識別記号がない。他の錠剤と間違えないように、普通は錠剤に識別記号が印字されている。それがないということはこれは未承認薬?

「大丈夫なんですか?」
「本当に大丈夫です。これは胸の傷の治療をして頂いているところで処方されたものなので。私はその、色々薬に耐性があってなかなか合う薬がないんです。だから私に合わせて作ってもらっていて」
「そう、ですか。何の薬か聞いてもいいでしょうか。嫌ならもちろん構わないんだけど片桐さんに万一何かがあったときに知っておいたほうがいいのかなと思いまして」
「万一。それほど大した薬では……体の緊張を和らげる薬と言いますか」

 和らげる……というレベルでは。いやでも前に片桐さんが薬を飲んだ時は2錠だった。俺と効きが違うんだろう。たくさん飲まないと効かないのはよくないことのような。

「あの、本当に大丈夫なんです。ここに引っ越してからはほとんどなくて」
「そう……なんですか?」
「その、啓介と一緒に暮らし始めてから私はとても幸せなので。不安になることがほとんどなくて。あの、本当に大丈夫なんです。ありがとうございます」

 不安? 精神薬……ではない。飲んでも俺の精神に変化はなかった。
 そうすると単純に体の緊張をほぐす薬、やはり筋弛緩剤系統。あまり飲んでないなら……大丈夫なんだろうか。

「それに今は啓介のほうがたくさんのんでます。大丈夫でしょう?」

 そう言われると何も言えないような。
 なんとなく、それ以上聞きづらかった。
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