雨よ降れ 備中高松城の戦い

Tempp

文字の大きさ
上 下
4 / 5

6月4日 宗治陣営 晴乞い

しおりを挟む
 6月3日、深夜にもかかわらず会談が持たれ、宗治は秀吉の譲歩を耳にした。しとしとと雨のそぼ降るわずかな雲間に朧に現れる月に照らされた小舟はゆらゆらと漂い、恵瓊はあたかも幽鬼のように高松城にたどり着く。
「宗治殿。秀吉はそう申しましたが、毛利は必ずあなたをお守りする所存です」
 宗治は僅かに頭を振る。
「その御心、誠にかけがえ無く存じます。けれどもどうかこの書状を豊臣殿にお持ちください」
「しかし!」
 止めようとする恵瓊に対し、宗治は深く頭を下げた。
「主家の大事に私如きを重んじて頂けたこと、望外のことでございます。私の命で主家とこの城の兵の命が助かるのであれば安いものです」
「しかし……」
 恵瓊はその覚悟の浮かんだ瞳に二の句を告げなかった。僅かな燭が焚かれた室内に、静かに月光が差し込んでいる。
御両三殿毛利輝元、吉川元春、小早川隆景はお許し下されぬでしょう。ですから私は上意に背き、明日、腹を切ります。その代わりこの城の者を必ず毛利本陣にお送り頂くよう、豊臣殿にお頼み申します」
 何とか思い止めようとする恵瓊に、宗治は柔らかく書を押し付けた。その書は自らと兄弟ら4人の首と引き換えに、城内の命を嘆願するものだ。結局宗治は主家の援軍を頼らず、それどころか迷惑を掛けぬようにはかろうとしている。恵瓊はその心に思わず涙し、その跡を僅かな明かりが照らした。
 恵瓊は三殿の期待と異なり、秀吉の言が覆らないであろうことはその身で感じていた。先程までの会談は、それほどの気迫を持って行われたからだ。けれども確かに、三殿は宗治の切腹を諾とはいえまい。その立場からも、心情からも。
「私はこれからも貴殿と馬を並べたかったのです」
 宗治がわずかに頷くのが、その影の動きから感得された。だからこそ、恵瓊は震える手でその書状を受け取るしかなかった。
 毛利方としても豊臣方になにか急ぐ事情があるのだろうとは認識していたが、今は和睦を飲むしかなかった。来島水軍が織田に寝返り、その制海権を失いかけていた。これから信長軍が来る。信長の死の報を持たぬ毛利としては、講和は絶対だ。
 その夜、真夜中にも関わらず小舟が忙しく往来した。

 翌朝、宗治は家族と家臣を集めた。
「皆のもの、毛利様と織田との間で和睦がなった」
 途端に家臣の顔に明るさが戻る。城の周りに水で溢れたのは半月あまりのことだが、雨はますます激しくなり城内も胸高ほどまでは水没している。食料も欠け、秀吉軍の監視によって補充は絶望的だった。夏の始めとはいえ水浸しの生活は病を呼び、倒れる者も相次いだ。皆、疲れ果てていた。
 だからそれは、紛れもなくこの城内の者にとっては朗報だった。抱き合って喜んだ。宗治の家族以外には。
「この雨もいずれ上がる」
「父上!」
「日の下で、正しく生きよ」
 父子は背筋を伸ばし、その目にはわずかに涙が滲み、けれどもわずかに微笑んでいた。
 和睦がやむを得ないこと、そしておそらく、宗治の命が俎上に上がっていることは幼いとはいえわかっていた。そして、秀吉が自身を憎んでの所業ではなくむしろその信義ゆえであることと、それこそが戦国の習いであることも。

 宗治は前日深夜、秀吉から送られた酒肴で家族と主だった家臣を集め、小さな別れの宴を行った。その時にすでに、涙は流し終わっていた。
 宗治は城内の清掃を命じ、見苦しくないよう身なりを整えて秀吉が迎えによこした小舟り、杯を干し、舞う。高松城前にぷかりとういた小舟に全ての耳目は集中し、誰もが息を呑んだ。宗治を見つめる視線には最早、憐憫や悲哀は浮かんでいなかった。宗治の舞う姿は人とは思えぬほど堂々とし且つ優美であり、その生き様が現れていたからだ。

 浮世をば 今こそ渡れ 武士のこの渡世を今こそわたり名を残すのだ
 名を高松の 苔に残してこの高松の城に苔むすほどに続く名を

 その句を残して静かに宗治が腹を切り、同行の3名が同様に息絶えるのを秀吉陣営は無言で、そして予想外の毛利陣営は止める間もなく見守った。
 こうして一つの戦が終わった。
 しばらくして、まさにその小舟に一条の光が雲間から差し込んだ時、既に秀吉はその場を後にしていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

漆黒の碁盤

渡岳
歴史・時代
正倉院の宝物の一つに木画紫檀棊局という碁盤がある。史実を探ると信長がこの碁盤を借用したという記録が残っている。果して信長はこの碁盤をどのように用いたのか。同時代を生き、本因坊家の始祖である算砂の視点で物語が展開する。

腐れ外道の城

詠野ごりら
歴史・時代
戦国時代初期、険しい山脈に囲まれた国。樋野(ひの)でも狭い土地をめぐって争いがはじまっていた。 黒田三郎兵衛は反乱者、井藤十兵衛の鎮圧に向かっていた。

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原

糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。 慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。 しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。 目指すは徳川家康の首級ただ一つ。 しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。 その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。

猿の内政官の息子 ~小田原征伐~

橋本洋一
歴史・時代
※猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~という作品の外伝です。猿の内政官の息子の続編です。全十話です。 猿の内政官の息子、雨竜秀晴はある日、豊臣家から出兵命令を受けた。出陣先は関東。惣無事令を破った北条家討伐のための戦である。秀晴はこの戦で父である雲之介を超えられると信じていた。その戦の中でいろいろな『親子』の関係を知る。これは『親子の絆』の物語であり、『固執からの解放』の物語である。

水野勝成 居候報恩記

尾方佐羽
歴史・時代
⭐タイトルを替えました。 ⭐『福山ご城下開端の記』もよろしくお願いします。 ⭐福山城さま令和の大普請、完成おめでとうございます。 ⭐2020年1月21日、5月4日に福山市の『福山城築城400年』Facebookでご紹介いただきました。https://m.facebook.com/fukuyama400/ 備後福山藩初代藩主、水野勝成が若い頃放浪を重ねたあと、備中(現在の岡山県)の片隅で居候をすることになるお話です。一番鑓しかしたくない、天下無双の暴れ者が、備中の片隅で居候した末に見つけたものは何だったのでしょうか。 →本編は完結、関連の話題を適宜更新。

if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜

かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。 徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。 堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる…… 豊臣家に味方する者はいない。 西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。 しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。 全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。

強いられる賭け~脇坂安治軍記~

恩地玖
歴史・時代
浅井家の配下である脇坂家は、永禄11年に勃発した観音寺合戦に、織田・浅井連合軍の一隊として参戦する。この戦を何とか生き延びた安治は、浅井家を見限り、織田方につくことを決めた。そんな折、羽柴秀吉が人を集めているという話を聞きつけ、早速、秀吉の元に向かい、秀吉から温かく迎えられる。 こうして、秀吉の家臣となった安治は、幾多の困難を乗り越えて、ついには淡路三万石の大名にまで出世する。 しかし、秀吉亡き後、石田三成と徳川家康の対立が決定的となった。秀吉からの恩に報い、石田方につくか、秀吉子飼いの武将が従った徳川方につくか、安治は決断を迫られることになる。

けもの

夢人
歴史・時代
この時代子供が間引きされるのは当たり前だ。捨てる場所から拾ってくるものもいる。この子らはけものとして育てられる。けものが脱皮して忍者となる。さあけものの人生が始まる。

処理中です...