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雨
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雨が降っている。
それと同時に私の中で何にそろりと忍び込む足音が聞こえる。タイムリミットが迫っている。
そう、私がこの街にたどり着いてから、ずっと雨が降っていた。
この国の人に雨のことを尋ねても、要領を得ない。
「ライル、雨が降っていますね」
「雨?」
「ええ、雨が」
恋人に、話しかけた。
空を眺めると、どこからともなく降り注ぐ霧のような細い雨。それがゆたゆたと私の髪や服を濡らしていく。目の前のライルも空を見上げて、髪や服を濡らしている。それが何かおかしいだろうか、という不思議そうな表情で。
この国は常に雨が降っているから、その身にまとう服は雨を前提としたものだ。雨を弾く薄い服を着ていて、傘という特別なものをもちあわせていない。常に雨をその身に受けて生活している。
この国に雨という意味は存在しない。
この国には常に雨が降っている。雨が降っていないことはない。
だからこの、水滴が常時降り続ける状態を現す名前はない。
名前というものは他と区別するためにわざわざつけるものだから。
だからこの国で雨を認識できるのは私だけだ。
私は晴れの国から来た。
この雨の国とは逆で、私の国では雨というものは存在しなかった。
だから私は雨というものの存在をこの国で強く実感した。
不思議なものだ。
それはしとしとと、そう、どこかから、見上げてけぶるこの空のはるか高みから落ちてくる。
まるで何かに不思議な力に包まれているかのように。
雨。
私はこの国に来る前にも、雨というものの存在とその名前自体は知っていた。探し求めていたものだから。
私の国は水を求めていて、私の国の学者たちはその方法を随分長く模索していたから。そして私の国に時折訪れる旅人から、どうやら私の国以外では雨というものが降り、そしてこの世界のどこかには水が無尽蔵に降り続ける『雨の国』があるらしいと聞いたから。
雨の国。そこに行けば私たちはこのような暮らしを続けなくても良くなるのだろうか。ぽつりぽつりとそのような未来を求めるけれど、それは切なる願いのような、茫洋とした願いのような、よくわからないものだった。
例えば生きるのに空気が必要ない。そうすると便利だろう。けれどもそれを必死で求めるほどには特に困ってもいないのだ。その程度には安定していた。だから『空気がある』という状況がどういう意味なのかいまいちピンとこないように。
これは私たちの国以外では忌まれることであるようだから言葉を濁してきたけれど、やはりはっきり述べることにする。言い繕うのはよそう。
水分というのは生きるために不可欠だ。けれども私たちの国には外には水はなかったのだ。……だから私たちは血をわけあって暮らしていた。私たちがそれぞれ有する水を。私たちの国の生物のおおよそはそのような生態を持っていた。
血というものは生きていれば湧いてくる。他の生き物を狩って肉を得て、その肉で自らの体の中で血を作り、それをお互いわけて暮らす。それはずっと昔から続いていて、特に疑問も思っていなかった。そういうもので、ずっとそのように暮らしていたから。
けれどもある時、異なる国の使者が私の国に訪れた。
血を飲み合うのは汚れた行いである。何故飲むのか。そう問われた。
何故……。誰も答えられなかった。
それは何故水を飲むのかと同じ問いだからだ。
喉が乾くから。生きるのに必要だから。
そう答えると、その使者は顔をしかめて言い放った。
-貴様らは呪われている。
-そのような汚れた生き物は滅ぶべきだ。
私たちは困惑した。
他にどうせよというのだ。では、何で喉を潤せばよいと?
この国には血より他に水はないのだ。この晴れ渡った国には。
私たちは僻地でひっそりと暮らしていた。
その住処を離れる者などいなかったはずだ。
だから何も問題は起こっていないはずだ。他の国、使者の国へは何も影響はないはずだ。
……私たちはお互いを信頼して、お互いがいないと生きていけなかった。それで長年平和に、静かに暮らしていただけなのに。
そのしばらく後、その国は私たちの国を滅ぼすために攻めてきた。
今思えばそれは口実だったのかもしれない。ここは山の奥で、彼らの欲しがる資源というものがあったようだから。それから彼らは私たちの国を支配する『晴れ』というものをとても大切に思っていたようだ。滑稽なことにそれが私たちのような血を分ける暮らしをもたらしている意味を実感することもなく。
けれども攻めてきた兵士たちの表情には侮蔑と恐れが溢れていた。
だから少なくとも彼らは本当に私たちは滅ぶべきだと思っていたのかもしれない。
そうだ、私たちは呪われている。私たちは晴れにとても愛されていた。
先祖代々の言い伝えがある。私たちの性質について。それは『晴れの呪い』。私たちが在るところに太陽も存在する。
だからひっそり生きていたのだ。この血を動かすことなく山奥でひっそりと。その呪いを拡散させないように。
なのに。
結局のところ私たちの国は使者の国に攻められて、私たちは散り散りに逃げた。
その瞬間、晴れの呪いはこの国以外にその陰を広げ始めた。彼らのいうところの光を。私たちの住処で足を止めていたその触肢が。
私たちは散り散りに逃げ、そして、その結果、多くの国が滅んだ。
私も滅ぼした。
私たちが場所を移動すると晴れの呪いがゆるやかにその後を追いかけてくる。
タイムリミットを示すその足音が。
晴れが追いつくまでのその足音が。
呪いは移動した私たちを追いかけてくる。そうして追いついたら動きを止めるのだ。これはそういった、呪いなのだ。彼らの国では呪いではなく恵みという言葉で残っていたようだ。
『ない』状態では『ある』を実感できない。『ある』状態では『ない』状態がわからないのと同じように。
それと同時に私の中で何にそろりと忍び込む足音が聞こえる。タイムリミットが迫っている。
そう、私がこの街にたどり着いてから、ずっと雨が降っていた。
この国の人に雨のことを尋ねても、要領を得ない。
「ライル、雨が降っていますね」
「雨?」
「ええ、雨が」
恋人に、話しかけた。
空を眺めると、どこからともなく降り注ぐ霧のような細い雨。それがゆたゆたと私の髪や服を濡らしていく。目の前のライルも空を見上げて、髪や服を濡らしている。それが何かおかしいだろうか、という不思議そうな表情で。
この国は常に雨が降っているから、その身にまとう服は雨を前提としたものだ。雨を弾く薄い服を着ていて、傘という特別なものをもちあわせていない。常に雨をその身に受けて生活している。
この国に雨という意味は存在しない。
この国には常に雨が降っている。雨が降っていないことはない。
だからこの、水滴が常時降り続ける状態を現す名前はない。
名前というものは他と区別するためにわざわざつけるものだから。
だからこの国で雨を認識できるのは私だけだ。
私は晴れの国から来た。
この雨の国とは逆で、私の国では雨というものは存在しなかった。
だから私は雨というものの存在をこの国で強く実感した。
不思議なものだ。
それはしとしとと、そう、どこかから、見上げてけぶるこの空のはるか高みから落ちてくる。
まるで何かに不思議な力に包まれているかのように。
雨。
私はこの国に来る前にも、雨というものの存在とその名前自体は知っていた。探し求めていたものだから。
私の国は水を求めていて、私の国の学者たちはその方法を随分長く模索していたから。そして私の国に時折訪れる旅人から、どうやら私の国以外では雨というものが降り、そしてこの世界のどこかには水が無尽蔵に降り続ける『雨の国』があるらしいと聞いたから。
雨の国。そこに行けば私たちはこのような暮らしを続けなくても良くなるのだろうか。ぽつりぽつりとそのような未来を求めるけれど、それは切なる願いのような、茫洋とした願いのような、よくわからないものだった。
例えば生きるのに空気が必要ない。そうすると便利だろう。けれどもそれを必死で求めるほどには特に困ってもいないのだ。その程度には安定していた。だから『空気がある』という状況がどういう意味なのかいまいちピンとこないように。
これは私たちの国以外では忌まれることであるようだから言葉を濁してきたけれど、やはりはっきり述べることにする。言い繕うのはよそう。
水分というのは生きるために不可欠だ。けれども私たちの国には外には水はなかったのだ。……だから私たちは血をわけあって暮らしていた。私たちがそれぞれ有する水を。私たちの国の生物のおおよそはそのような生態を持っていた。
血というものは生きていれば湧いてくる。他の生き物を狩って肉を得て、その肉で自らの体の中で血を作り、それをお互いわけて暮らす。それはずっと昔から続いていて、特に疑問も思っていなかった。そういうもので、ずっとそのように暮らしていたから。
けれどもある時、異なる国の使者が私の国に訪れた。
血を飲み合うのは汚れた行いである。何故飲むのか。そう問われた。
何故……。誰も答えられなかった。
それは何故水を飲むのかと同じ問いだからだ。
喉が乾くから。生きるのに必要だから。
そう答えると、その使者は顔をしかめて言い放った。
-貴様らは呪われている。
-そのような汚れた生き物は滅ぶべきだ。
私たちは困惑した。
他にどうせよというのだ。では、何で喉を潤せばよいと?
この国には血より他に水はないのだ。この晴れ渡った国には。
私たちは僻地でひっそりと暮らしていた。
その住処を離れる者などいなかったはずだ。
だから何も問題は起こっていないはずだ。他の国、使者の国へは何も影響はないはずだ。
……私たちはお互いを信頼して、お互いがいないと生きていけなかった。それで長年平和に、静かに暮らしていただけなのに。
そのしばらく後、その国は私たちの国を滅ぼすために攻めてきた。
今思えばそれは口実だったのかもしれない。ここは山の奥で、彼らの欲しがる資源というものがあったようだから。それから彼らは私たちの国を支配する『晴れ』というものをとても大切に思っていたようだ。滑稽なことにそれが私たちのような血を分ける暮らしをもたらしている意味を実感することもなく。
けれども攻めてきた兵士たちの表情には侮蔑と恐れが溢れていた。
だから少なくとも彼らは本当に私たちは滅ぶべきだと思っていたのかもしれない。
そうだ、私たちは呪われている。私たちは晴れにとても愛されていた。
先祖代々の言い伝えがある。私たちの性質について。それは『晴れの呪い』。私たちが在るところに太陽も存在する。
だからひっそり生きていたのだ。この血を動かすことなく山奥でひっそりと。その呪いを拡散させないように。
なのに。
結局のところ私たちの国は使者の国に攻められて、私たちは散り散りに逃げた。
その瞬間、晴れの呪いはこの国以外にその陰を広げ始めた。彼らのいうところの光を。私たちの住処で足を止めていたその触肢が。
私たちは散り散りに逃げ、そして、その結果、多くの国が滅んだ。
私も滅ぼした。
私たちが場所を移動すると晴れの呪いがゆるやかにその後を追いかけてくる。
タイムリミットを示すその足音が。
晴れが追いつくまでのその足音が。
呪いは移動した私たちを追いかけてくる。そうして追いついたら動きを止めるのだ。これはそういった、呪いなのだ。彼らの国では呪いではなく恵みという言葉で残っていたようだ。
『ない』状態では『ある』を実感できない。『ある』状態では『ない』状態がわからないのと同じように。
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