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二年間の関係 side 樺島成彰

8か月前(3)

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 気分はひどく落ち込んでいた。思い返せば俺は普段、落ち込むということはあまりない。前にスランプになった時以来か。あの時は酷かった。頭の中がぐちゃぐちゃになった。あのままだと俺も死んでいたかもしれない。
 あの時描いてたのは鳥だった。小さい頃に飼っていたインコだ。俺の頭にやってきたのは小学生の頃に死んだインコだ。朝起きたら、死んでいた。何で死んだのかはわからない。突然死んだ。
 本当に何で死んだのかわからなかった。だから、描いた。
 そのインコのことを思い出したのは、何かのパーティで昔飼っていた動物の話になったからだ。その時にいた女が犬を彼氏が殺したっていうんだ。だから俺のインコもひょっとしたら俺が殺したのかもしれないと思い出して。
 特に何かした覚えはないけれど、もっとよく見ていれば死ななかったんじゃないかとか、ちゃんと餌をやっていただろうかとか頭に浮かんだ。それはもう、ずいぶん昔の話で思い出せないことだ。ただ、籠の底で横になって足を上に上げているインコの姿だけが思い浮かんだ。

「樺島さん? 大丈夫ですか? 随分顔色がお悪い」
 その声に目を上げれば、中垣内が見下ろしていた。随分とぼんやりしていたらしい。気づけば少し寒い。エアコンが効きすぎているのかと思ったけれど、恐らく冷えたのだろう。嫌な汗をかいている。中垣内は丸椅子を引き出して俺が腰掛けるベッドの前に座る。
「多分大丈夫です、昔を思い出していまして」
「そうですか。鎮静剤飲まれます?」
「……いや、大丈夫です。今は平気ですから」
 鎮静剤を飲むと、頭が回らなくなる。イライラは少し収まるけれど、うまく絵が描けない。絵。けど、今は絵がかけないわけじゃない。
「ところでどうされます? 少しお話でもしていきますか?」
「話……」
 頭の中が妙にぽっかりとしている。話をするにも、酷く中途半端だった。
 これまで酷く困った時に中垣内に話をすれば、なんとなく自分の中で道のかけらみたいなものが浮かんだ。他のカウンセラーにかかったこともあるけれど、その人たちは俺の頭の中がわかるわけがないのにわかったようなふりをして言葉を濁す。この中垣内は変な俺に同情したりはしないけれど、何を話しても一緒に考えてようとはしてくれる。
「特にこれといって困っていることはなくて」
「そうですか。ではお茶でも飲みます?」
「お茶?」
「ええ、雑談でも」
 雑談……。そういえば雑談というものを最近はしていなかった。樹は本人も蜃気楼も、雑談といった話をすることはない。以前の同居人とは今日何をしたとか何があったとか、どうでもいいことを話していた。
「俺は……」
「話すことは頭の整理にもなります。それにもちろんお代は頂きますので」
「いい商売だ」

 薄笑いを浮かべる中垣内についてカウンセリング室に入れば、すで紅茶が用意されていた。
 ふと、中垣内の絵が目に入る。絵を描く前は中垣内にどんな印象を持っていただろう。日本で生まれ育ったらしいがハーフの風貌は、日本人に囲まれていた俺にはもともとわかりにくかった。なんとなく容姿の系統はお互い少しだけ日本人離れしていて親近感はある。けれどもなんとなく、その瞳の奥には何も映っていない気はする。
 けど、カウンセラーというものはもともとそういうものかもしれない。話を聞いているように見えて、聞き流している。きっとカウンセラーにとって誰も彼も同じなんだ。それは中垣内も同じだ。けれど、中垣内はその内容にもう少し踏み込んで色々聞いてくる。いつか中垣内が零したけれど、本当はやってはいけないことらしい。だからこのクリニックは高い。
 最初はそういうふうに色々聞いてくるのが気味が悪かった。けれどもそういう人間だとわかれば、気にならなくなった。俺がどうやって絵を描いているのかはわかっていないだろうけれど、中垣内は俺が絵を描く時に何をしているかはおおよそ理解している。
「今日は天気が良かったですね」
「そうですね」
 ゆっくりとかき混ぜられる紅茶から甘い香りがたつ。
「時間単位でお金を頂きますから、いつでも中断していただいても、何も話さなくても結構ですよ」
「そんなことを言われると、何か話したくなってくる」
 中垣内は肩を竦めた。
 けど、何を話したらいいんだろう。さっき倒れたこと。
「樹のことを考えたら、気持ちが悪くなったんだ」
「そうなんですね」
 そう。思い出したのは蜃気楼じゃなくて本物の樹で、俺の絵が好きだと言っていた。俺の絵は樹に好かれているのかと思うと、まんざらでもない気分になってくる。思い浮かんだのはあの海の絵だ。あの、蜃気楼のいない絵。じわりと心が痛んだ。あの絵を樹にプレゼントするとどうだろうか。蜃気楼のいないあの家。
「樺島さん、大丈夫ですか?」
「え?」
「真っ青です」
 そういえば、なんだかまた気持ちが悪くなっていた。胃がむかむかする。
「よくわかりませんが、絵のことを考えると気持ち悪くなるみたいです」
「それは……大変ですね」
「そんなに酷くはないから、少し様子を見ることにします。そこまで酷くはないです。この前の時みたいな感じではないから」
 この前にスランプになったときとは少し違う気がする。あのどんどん狭い箱に押し込められていくような嫌な感じはしない。
「念の為、お薬を出しておきます。ご希望の場合は飲んでから、私に連絡してください。いつでもお伺いしますので」
「……はい」
 コートを羽織って受付でカードを差し出せば、受付の女性が奥から箱を取り出す。先ほど預けた箱とは違い、潰れてはいなかったので不思議に感じる。
「中垣内からです。同じザッハトルテです」
「え」
「有名ですよね、この店」
 小さな箱を受け取る。そういえば、ここは受付も無表情だ。
 そうだ、今日はこれを買いに来てたんだ。それからボルシチ。でも外を見れば、随分と日が傾いていた。今からでは煮込む時間が足りないかもしれない。仕方がない。帰りのスーパーでハヤシライスのルーを買って、なんとか夕食に間に合わよう。あれならすぐ作れるから。
 そうして家に帰ってきたころにはだいぶん薄暗く、居間は冷たく無人だった。
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