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二年間の関係 side 樺島成彰

1年と1か月前(4)

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 バーベキューは夕方にお開きになり、夕食を食べて帰るといった手前、手持ち無沙汰になった。家に帰れば樹はいるんだろうか。なんとなくそう思えば足はショップの集まる方に向く。
 普段あまり出歩くことはないけれど、ふらふらと彷徨くのは嫌いじゃない。いくつかのショップを見て回り、夕食代わりにケバブをつまんで紅茶屋でおすすめの茶葉を買う。樹は比較的紅茶が好きなようだけれど、紅茶以外も色々と飲む。
 そういえば樹は何か好きなものはあるんだろうか。ついでに小さなケーキを買った。樹は甘いものが結構好きだ。俺も好きだけど、好みは少し違っていて。俺はどちらかというとショートケーキとか生クリームたっぷりな奴が好きだけど、樹はザッハトルテとか濃縮した甘い奴が好きだ。
 そんなことを思いながら家に帰れば、電気はついていた。そうしてソファから振り向いた樹は、俺の首元で視線を止めた。それで、エリーがキスマークを付けていたのを漸く思い出す。
「えっと、あの、これは、酔っ払った勢いでさ」
成彰さん先生、それ、しばらく跡になるやつです」
「あ、あ。そうかな」
「つけた直後なら冷やせばいいけれど、しばらく経ってるなら温めたほうがいいですよ」
「ああ、ありがとう」
 なんとなく居たたまれなくなって洗面に移動すれば、思ったよりその跡は黒くなっていた。入れ墨みたいで少し気持ち悪かった。けれどもこれはしばらくすれば消える。シンクにお湯をためて浸かる。温めれば、消えるのかな。
 樹は俺のキスマークに、特に何の感情も動かしていなさそうだった。揺れはほとんどない。やっぱり樹は変わらない。俺はこのままの生活を続けたい。
「成彰さん、エッチしてくるんじゃなかったの」
 顔を上げれば樹の蜃気楼が見下ろしていた。
「風呂まで入ってくるなよ」
「ごめん。……他は何も見えなくてさ」
 蜃気楼はふわりと目をそらす。気がとがめてでもいるんだろうか。風呂にまで来ておいて?
 けどいつもは、いつもは樹が帰ってくる前に風呂に入る。絵を描いた後、時間がなければ軽くシャワーを浴びる。それでさっぱりして飯を作って。
「そのまま外向いてて」
「いいけど。恥ずかしいの?」
「恥ずかしい、とかじゃないんだけどさ。そういや、俺は樹とつきあってるって話になってるからナンパは難しいよ」
「ああ、そう。まあ、そうかも」
 首筋に触れる。触った感じだけではもうわからない。肉体的な接触、か。エリーは美人だったと思う。あそこに来てる女の半分くらいはモデルで、大抵は美人が多い。見てれば多少興奮はする。でもなんだか、とても面倒くさそうだ。
「風俗とか行ってみようかな」
「風俗?」
「行ったことないけどさ」
「それならいっそ、俺じゃだめ?」
「え?」
 声に振り向けば、樹は言った通りにドアの方を向いていた。
「俺はどうも、そのためにいるわけだし」
 細い首筋、華奢な肩周り。あそこにいた女の誰よりも綺麗かもしれない。手を伸ばして、すり抜ける。
「そもそも触れないじゃないか」
「でも別に、俺をおかずにすればいいじゃん」
「自分で?」
「脱いでみようか?」
 ぼんやりと見ていれば樹はシャツのボタンを外し、上着を脱ぐ。薄い背中に肩甲骨が浮かぶ。フラッシュバックする。
「やめてくれないかな」
「駄目?」
「気持ち悪いだろ? 一緒に住んでるやつにそんな目で見られるとか」
 樹は振り返り、俺の目を見た。スラックスは履いていたけれど、上半身は裸だ。海で見たあの時のままのその体は、妙な色気がある。
「成彰さん。俺は樹本人じゃないよ」
「姿は全く同じだよ」
「じゃあ本人に聞いてみればいい。気にするかどうか」
「何て聞けばいいんだよ」
 本当に。体を洗ってもキスマークは消えなかった。そうしてリビングに戻れば、樹は変わらずテレビの前に座っていた。歌番組が流れている。

「紅茶とケーキを買ってきたんだ」
「ありがとうございます」
 お湯を沸かして新しい茶葉の缶を開ける樹のうなじは、風呂場で見たものと変わらないように思える。今は樹の蜃気楼は樹に重なっている。けれど、今茶を淹れているのは蜃気楼じゃなくて樹だ。なんとなく、区別はついた。
 あの蜃気楼は俺が見ている俺の妄想だ。だから眼の前の樹じゃない。そんなことはわかっている。
「ウバですね。結構好きです」
「お店の人がおすすめしてた」
 次第に薔薇のような淡い香りが広がっていく。心が少し、平穏になる。あの蜃気楼は樹とは別物だ。だからといって。
「嫌なことでもあったんですか?」
「え?」
「そんな顔をしてるから」
「そんなことは、ないけど。ちょっとよくわからないことがあってさ」
 樹はわずかに首を傾げた。蜃気楼があんなことを言ったものだから、少し意識をしてしまう。理性的に考えて、俺は樹と、したいわけでは、ない。でも、きっと誰かとはしたいんだろう。それは否定しがたいし、自分を誤魔化す意味もない。これはきっと生理的なもだ。
 ケーキの上に塗られたクリームは口の中でふわりととけた。なんとなくあの蜃気楼を思い出す。樹と蜃気楼は違うものなのか? 聞いてみたらだって?
 テレビを見ればどこかで見たことがあるような顔が並んで踊っている。
「あのアイドル、結構好きなんだよね」
「そうですか」
「でも俺が好きだと思ってるのはテレビに写ってる姿でさ、本当の本人がどんな人かってわかんないじゃん」
「そうですね」
「……でも好きなままでいいと思う?」
 樹の視線に重ねて、蜃気楼が俺を見つめる視線を感じる。
「いいんじゃないですか。ストーカーとかにならなければ」
 樹の声はいつもより淡々と聞こえた、きがする。
「ああ、そんなつもりは更々ないんだよ。見てるだけ。たださ、その、ネタにしたりとかさ。それってアイドル本人にとっては気持ち悪いかな?」
「アイドルの仕事ってそういうものでは?」
「そっか。そのもし、浅井君がアイドルだったら、そんなファンは嫌い?」
 樹がくすりと微笑んだ。
「さぁ。変なことを聞きますね。知らないなら、別にいいんじゃないですか?」

 いい、のかな。
「本人もいいって言ってたんだから、いいんじゃないですか?」
 ベッドに座る樹はやっぱりいつもと変わらない。そういえば樹は本人も蜃気楼も、ほとんど変化しない。
「気がとがめる。俺は別に樹じゃなくていいんだ」
「風俗に行くほうがいい? 俺は真っ暗な中で成彰さんが寝てる間じっとしてるより、一緒にいてくれるほうがいいんだけど」
 真っ暗の中で。それはどれほど。心が痛い。これはきっと罪悪感だ。俺がしてしまったことに対して、俺に対する。
 でも。でも、きっと、樹は気にしない。それ以前に俺にそういった意味での関心はないだろう。
「いいのかな」
 まるで言い訳みたいだ。
「さぁ。いいんじゃないですか?」
 その顔は樹と同じなのに。
「……おいで、樹」
 これは樹じゃない。ただの俺の中で反射する幻だ。それだけだ。
 呼べば樹は近づいて、少し背伸びをして俺の唇に口をつけた。ふわりとした熱でそれを感じた。そうして俺を抱きしめた。扇風機の風が当たるようにその感触を感じる。これでいいのかはちっともわからない。
「よかった」
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