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十日間の関係 side 浅井樹
5日目(2)
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「……言いづらいことなら無理に話さなくてもいいですよ」
樺島は迷うように視線を彷徨わせた。その探るような視線は、俺を観察しているように感じる。なんとなく、その視線にお互いのちょうどいい距離感というものが侵食されている気がする。初めて不快に思った。
「俺はいままでの関係が良いんです。重い話ならパスさせてください」
樺島の俺を見る視線は、やはりいつもの樺島のものとは違うように感じる。けれどもこの話を聞かなければ、きっと樺島の言うように、この話はいつもの日常に紛れてしまうのだろうとも思う。きっと、樺島と寝ることのない毎日に戻って。自分の手を見つめる。誰かの手を握ることができたのなんで、いつぶりだろう。
樺島の手は嫌じゃなかった。
俺はあまり他人に触れられたくはない。それが面倒な自体を齎すことが多いからだ。話をする分には何も問題ない。それは普通のことだから。けれども他人に触れることは気が引けた。
人間関係というものを発展させることがとても苦手だ。だからそれに関わりそうなだいたいの出来事を忌避していた。例えば一緒に何処かに出かけたり、手を繋いだり、キスをしたり、それから深い話をすること。俺はどう転んでもその話を受け止められない。だから結局、それらは俺の経験上、良い結果を産まないことだ。だからあまり、聞きたくない。
けれども樺島の手のひらは温かかった。人間の手って温かいんだなとふと思って、これまでその温かさというもの自体を気持ち悪く感じていたのを思い出す。
樺島と手を繋ぐことがなくなる。それならそれで別にいい。でも多分、樺島が何かを話したとしてもこれまでのように俺に何も求めないのなら、きっと平気かもしれない。思い返しても樺島から何かを求められたことはなかった。
「わかった。じゃあ」
「でももし、先生が話したいなら聞きますよ」
聞くだけなら。きっとそれは嫌なことじゃない。なんとなくそう思った。樺島は相変わらずじっと俺を見つめ、そして話し始めた。
「俺は5日後に復調するけれど、多分また死ぬと思う」
そう思っていたはずだけれど、その内容に混乱した。
「な、なんで?」
「絵がかけなくなるからだ。5日前、樺島成彰は絵が描けなくなったから、死んだ」
「……ちょっと、言ってることがわからない。それは何かの冗談ですか?」
樺島は真面目な顔で俺を見て、そして横に首をふる。確かに冗談を言っている空気じゃない。けど言ってることがメチャクチャだ。樺島が死ぬ。それは確かに5日前には有りえた。
もとに戻るということは、回復するという意味ではなく死ぬ前に戻る、ということなのか? 死に向かっていた樺島に戻るということ?
けれどもスランプは脱したのでは? 描けなくなったから死んだなら、また描けなくなれば死ぬ?
あの日見たメモが気にかかる。あのメモは俺と樺島の関係を大きく踏み越えるものだ。
急に空気が薄くなった気がした。上手く頭が働かない。まるで俺まであの日に戻ったかのように。
そして再び目を閉じて、樺島は背筋をまっすぐ伸ばした。それから目を開くと同時に、空気がすうと冷えていく気がした。俺を見つめた樺島の瞳は冷たくはなかったけれどどこか平板で、それまでと何か違うように感じた。
「信じてもらえるかわかりませんが、私は樺島成彰ではありません。そして私は樺島成彰にとっての禁忌を犯してしまいました」
「私? それは……どういう意味ですか?」
突然の口調の変化に混乱する。その声は淡々として、温度を持っていなかった。
「樺島成彰が5日前に海で溺れて死んだ時、つまり生命維持機能の喪失が確実になった時、私は彼にこの体を譲ってほしいと願い、彼は了承しました。その条件は、あなたとの暮らしをもとの通り継続することです。私は体を受取り、樺島成彰を再生しようとしました」
ちょっと何を言っているのかわからない。
「先生、やはり一度病院で検査したほうが……」
「樺島成彰は認識と記憶がとても近い人間でした。私が初めてあなたに会った時、あなたの問いに対応する必要が生じました。私は樺島成彰の認識を探り、あなたをその認識の中で呼び慣れていた樹と呼びました」
呼び慣れていた? そんなはずはない。樺島に樹と呼ばれたことはない。
海。記憶が呼び起こされる。あの海で最初に樺島が発した言葉は確かに樹だった。
「改めて記憶を探してみましたが、樺島成彰が記憶の中であなたを樹と呼んだことはありませんでした。そして一緒に寝たり、キスしたことはありませんでした」
その樺島の口から溢れる音からは、どこか機械じみた単調さを感じる。
「それは、そうですが……さっきも言った通り嫌ではないですよ」
「私たちは通常、対象となる生物に潜り込む時補助人格を作成し、最適化のための一定の期間を設けて記憶と行動を把握し、より良い再生を目指します。通常は客観的にはしばらく行方不明または植物状態の期間を経て補助人格が基礎となる対象者の人格を新たに再構築し、その後少々実地での慣らしの期間を経て、対象者は日常に戻ります」
「その……先生が何を言っているのかわかりません」
けれどもその違和感を思い出していた。海にいた時の樺島の話し方だ。あの時もこのように丁寧語だった。頭のどこかがチカチカする。
「つまり先生は、先生じゃ、ない?」
「私は厳密には樺島成彰ではありません。一時的に構築された補助人格です。しかし5日もすれば補助人格たる私の意識は消滅し、もとの樺島成彰に戻ります」
「意味がわからない。じゃああなたは誰なんです。幽霊とか?」
樺島はゆるやかに首を振る。樺島とは違うプリセットされたような仕草で。
「私はあなたたちの言葉では宇宙人という言葉がもっとも近しいでしょう。この星の死に瀕した生物の許可を得て観測システムを設置し、この星を観測します」
「宇宙……人? 地球を征服しようとか?」
我ながら荒唐無稽な話だ。だから樺島のこの話はきっとなにかのジョークだ。けど。樺島はこんなふうな冗談を言う人間じゃない。
「いいえ。私はこの世界より高次の世界の観測媒体です。この世界に実体を持ちませんし、征服という関係にたちません。あなたがたも2次元で描かれたものを征服したいとは思わないでしょう? ……基本的には」
その話す内容はよくわからないが、これは樺島ではない。そう感じる。
「それじゃ……5日前から先生は先生じゃないってこと……ですか?」
樺島は迷うように視線を彷徨わせた。その探るような視線は、俺を観察しているように感じる。なんとなく、その視線にお互いのちょうどいい距離感というものが侵食されている気がする。初めて不快に思った。
「俺はいままでの関係が良いんです。重い話ならパスさせてください」
樺島の俺を見る視線は、やはりいつもの樺島のものとは違うように感じる。けれどもこの話を聞かなければ、きっと樺島の言うように、この話はいつもの日常に紛れてしまうのだろうとも思う。きっと、樺島と寝ることのない毎日に戻って。自分の手を見つめる。誰かの手を握ることができたのなんで、いつぶりだろう。
樺島の手は嫌じゃなかった。
俺はあまり他人に触れられたくはない。それが面倒な自体を齎すことが多いからだ。話をする分には何も問題ない。それは普通のことだから。けれども他人に触れることは気が引けた。
人間関係というものを発展させることがとても苦手だ。だからそれに関わりそうなだいたいの出来事を忌避していた。例えば一緒に何処かに出かけたり、手を繋いだり、キスをしたり、それから深い話をすること。俺はどう転んでもその話を受け止められない。だから結局、それらは俺の経験上、良い結果を産まないことだ。だからあまり、聞きたくない。
けれども樺島の手のひらは温かかった。人間の手って温かいんだなとふと思って、これまでその温かさというもの自体を気持ち悪く感じていたのを思い出す。
樺島と手を繋ぐことがなくなる。それならそれで別にいい。でも多分、樺島が何かを話したとしてもこれまでのように俺に何も求めないのなら、きっと平気かもしれない。思い返しても樺島から何かを求められたことはなかった。
「わかった。じゃあ」
「でももし、先生が話したいなら聞きますよ」
聞くだけなら。きっとそれは嫌なことじゃない。なんとなくそう思った。樺島は相変わらずじっと俺を見つめ、そして話し始めた。
「俺は5日後に復調するけれど、多分また死ぬと思う」
そう思っていたはずだけれど、その内容に混乱した。
「な、なんで?」
「絵がかけなくなるからだ。5日前、樺島成彰は絵が描けなくなったから、死んだ」
「……ちょっと、言ってることがわからない。それは何かの冗談ですか?」
樺島は真面目な顔で俺を見て、そして横に首をふる。確かに冗談を言っている空気じゃない。けど言ってることがメチャクチャだ。樺島が死ぬ。それは確かに5日前には有りえた。
もとに戻るということは、回復するという意味ではなく死ぬ前に戻る、ということなのか? 死に向かっていた樺島に戻るということ?
けれどもスランプは脱したのでは? 描けなくなったから死んだなら、また描けなくなれば死ぬ?
あの日見たメモが気にかかる。あのメモは俺と樺島の関係を大きく踏み越えるものだ。
急に空気が薄くなった気がした。上手く頭が働かない。まるで俺まであの日に戻ったかのように。
そして再び目を閉じて、樺島は背筋をまっすぐ伸ばした。それから目を開くと同時に、空気がすうと冷えていく気がした。俺を見つめた樺島の瞳は冷たくはなかったけれどどこか平板で、それまでと何か違うように感じた。
「信じてもらえるかわかりませんが、私は樺島成彰ではありません。そして私は樺島成彰にとっての禁忌を犯してしまいました」
「私? それは……どういう意味ですか?」
突然の口調の変化に混乱する。その声は淡々として、温度を持っていなかった。
「樺島成彰が5日前に海で溺れて死んだ時、つまり生命維持機能の喪失が確実になった時、私は彼にこの体を譲ってほしいと願い、彼は了承しました。その条件は、あなたとの暮らしをもとの通り継続することです。私は体を受取り、樺島成彰を再生しようとしました」
ちょっと何を言っているのかわからない。
「先生、やはり一度病院で検査したほうが……」
「樺島成彰は認識と記憶がとても近い人間でした。私が初めてあなたに会った時、あなたの問いに対応する必要が生じました。私は樺島成彰の認識を探り、あなたをその認識の中で呼び慣れていた樹と呼びました」
呼び慣れていた? そんなはずはない。樺島に樹と呼ばれたことはない。
海。記憶が呼び起こされる。あの海で最初に樺島が発した言葉は確かに樹だった。
「改めて記憶を探してみましたが、樺島成彰が記憶の中であなたを樹と呼んだことはありませんでした。そして一緒に寝たり、キスしたことはありませんでした」
その樺島の口から溢れる音からは、どこか機械じみた単調さを感じる。
「それは、そうですが……さっきも言った通り嫌ではないですよ」
「私たちは通常、対象となる生物に潜り込む時補助人格を作成し、最適化のための一定の期間を設けて記憶と行動を把握し、より良い再生を目指します。通常は客観的にはしばらく行方不明または植物状態の期間を経て補助人格が基礎となる対象者の人格を新たに再構築し、その後少々実地での慣らしの期間を経て、対象者は日常に戻ります」
「その……先生が何を言っているのかわかりません」
けれどもその違和感を思い出していた。海にいた時の樺島の話し方だ。あの時もこのように丁寧語だった。頭のどこかがチカチカする。
「つまり先生は、先生じゃ、ない?」
「私は厳密には樺島成彰ではありません。一時的に構築された補助人格です。しかし5日もすれば補助人格たる私の意識は消滅し、もとの樺島成彰に戻ります」
「意味がわからない。じゃああなたは誰なんです。幽霊とか?」
樺島はゆるやかに首を振る。樺島とは違うプリセットされたような仕草で。
「私はあなたたちの言葉では宇宙人という言葉がもっとも近しいでしょう。この星の死に瀕した生物の許可を得て観測システムを設置し、この星を観測します」
「宇宙……人? 地球を征服しようとか?」
我ながら荒唐無稽な話だ。だから樺島のこの話はきっとなにかのジョークだ。けど。樺島はこんなふうな冗談を言う人間じゃない。
「いいえ。私はこの世界より高次の世界の観測媒体です。この世界に実体を持ちませんし、征服という関係にたちません。あなたがたも2次元で描かれたものを征服したいとは思わないでしょう? ……基本的には」
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