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5章 神剣の姿
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玉座の間はひたすら静謐だった。剣に向けられる歓声もなにもなく、ただ全ての者ががまんじりともせず、その剣を注視していた。
「たしかに神剣である。湛盧に勝るとも劣らぬ」
王は目を見開き、堪えるようにそれだけを述べた。
その言葉に不遜にも苛立ちを覚えた。私に対する苛立ちだ。この莫耶剣以上の神剣など存在しない。……けれども私は湛盧剣を見たことがない。だから優劣は述べられぬ。欧冶子も師らと同じく神剣となったのだ。
だから……私は干将が世に二つしかない神剣であると知るのみだ。
「拝命より3年要しました。誠に申し訳ありません」
「よい。よい。これほどの剣だ。何ほどの文句もあろうか。時にそなた、干将と言ったな。それは師の名前ではかったか」
「私が干将を継ぎました。師はもうおりません」
場に鎮痛な沈黙がおりる。それも私を苛立たせた。師らは死をとしてこの剣を鍛え上げたのだ。だからその師は悼むべきものでではない。断じて。むしろ。
「そうか……。惜しい者を無くした。そなたも息災にせよ」
その声に頭を下げて宮廷を辞すと、抜けるような青空が広がっていた。
潮の香りが漂う。呉の国都姑蘇は長江が海に流れ落ちる手前にある。通商の要所で、荒々しい人夫が行き交っていた。私とお師様方が籠もっていた山とはまさに別世界だ。お師様方が神剣となられてから未だ半月と経過していない。けれどもすでに長い年月が経過したように思われた。
これからどうしようか。そんなことをこの青い空を眺めながら思う。二代目といえど神剣を打ち、王に捧げたのだ。刀匠として独り立ちすることもできよう。けれども未だ、そのような気分にはなれなかった。
赤殿も同様だ。神剣というものは、あまりに異常だったのだ。赤殿は私にきっぱりと告げた。
「干将。いや、お前を父上の名で呼ぶのは些か抵抗があるな。しかし剣のことは任せた。無事に父上と母上を王に届けてくれ」
「分かりました。けれども私でよいのでしょうか。赤殿が干将の名を継がずとも」
赤は軽く首をふる。
「干将莫耶を打ったのはお前だ」
確かに最初、私と赤殿はどもに鉄を打っていた。けれどもいつのまにか、赤殿は工房に現れなくなった。
「俺は刀匠になるつもりはない。いや、俺にはこんな世界に足を踏み入れるのはどだい無理なのだ。それが心底わかったよ。俺は畑でも耕してこの家でのんびり暮らすのが向いているのさ。それに……」
赤殿は少しだけ言いよどみ、左右を見渡して私の耳に口を寄せた。
「実はな、子ができたんだよ」
「えっ」
突然の告白に驚いていると、あの山の工房の近くに住む農家の娘といつの間にか懇ろになっていたらしい。
「思えば父上と母上は、もとより人ではなかったのだ。いや、あの生き方は到底俺にできるとは思えん」
赤殿は干将師と莫耶師の子だ。莫耶師は名匠欧冶子の子だ。お師様方は赤殿が道を継ぐことを求めていたのだろう。
けれども人は剣のみに生きるものではなく、お師様方は既に人の生を終えられた。だから……赤殿が自らの道を行くのはそれはそれで一つの人生だろう。……お師様方のあの最後の様子を思えば。
この道は突き詰めれば神に至る修羅の道だ。人の進むべき道ではない。私は到底、自分では極められぬものをその目で見たのだ。だから。だから私もこれから別の道を探すかもしれない。何も剣だけが道ではない。鍋や釜を作って糧を得るというのもまた一つだろう。
終わってみればあれは確かに、天に至り、そして神に至る道であった。
「干将剣は赤殿におまかせしよう」
「えっ待ってくれ。王に納めるのではないのか?」
「師らも神剣を二本を作れとは言われていない。干将剣は見ようによってはその文様は亀裂にも見える。不吉と言われかねない。莫邪剣だけで問題は何もないだろうよ」
そう告げて、私は干将剣を赤殿に押し付けた。干将剣もまんざらでもないのだろうそれを証するように剣の表の模様が揺れた。確かにこれは神の剣。干将師がここに宿っている。
「困ったな。どうしたらいいんだ」
そう言う赤殿を工房に残し、王に剣を捧げた。
とはいえ結局のところ、私はせっかくの技術は捨てきれなかった。確かに、道の果ての神を見たのだ。忸怩と煮え切らぬまま報酬の半金を赤殿に渡した後、残金で新たに別の地で、誰も私を知らない町で工房を作り、ほそぼそと剣を打って暮らしていた。赤殿と違って所帯を持つ甲斐性はなかったのであるが。
それから何もごとも無く五年程が過ぎ、突然舞い込んだ手紙に思わず膝を立てた。
至急参られたし。 干赤
その手紙はしわくちゃで、赤く染まっていた。そして香る嗅ぎ慣れた鉄の臭いがする。そこから漂う濃密な死の香りにいても立ってもいられず車を飛ばした。
一刻も早くとお師様方の工房のあった山まで走る。
足を絡ませながら門を潜り、呆然とした。かつてお師様方とともに暮らした家は見る影もなく傾き倒れ、踏み荒らされ、いや積極的に床板まで剥がされ家探しをされたようだ。一体何がと思いつつそして震える足で奥の間に進むとムワリと血の匂いが漂い、大量の血だまりの上で二つの骸に挟まれて変わり果てた赤殿が座り込んでいた。
いや、踏み入れて、血は既に赤黒く、乾ききっていることがわかった。
「赤殿! どうなされたのです! この惨状は一体!」
「あ、ぁ……干将殿……か。死んでしまったのだ。俺を残して」
赤殿は血まみれになるのも構わず二つの骸を抱き寄せて撫でる。まだ若い女と五歳ほどの男子。
そうか。これが赤殿の奥方と子か。変わり果ててはいるのだろう。未だその恐怖に見開かれたまぶたにそっと手を置き、閉じさせるとその姿は僅かに穏やかとなった。
「あ……干将殿、ありがとう。俺は……。すまない、二人とも」
そう言って赤殿はようやく泣き崩れた。
その隙間にぽつりぽつりと話された事情。赤殿が家に帰ると既にこの惨状で、既に子は事切れ、妻は楚軍、とのみ呟き事切れた。
「楚軍が一体何だというのだ。何故楚軍がここに来るのだ」
干将には思い当たることがあった。
先年、呉は快進撃を続けた。闔閭は楚に攻め入り首都郢を陥落させ、楚王の喉元に剣を突きつけた。あと僅かで楚を攻め滅ぼすことができた。
けれども長年の宿敵である越王允常が呉に攻め入り、允常と謀った闔閭の弟夫概が王を名乗り簒奪しようとした。そのため、闔閭はやむを得ず楚王を追うことを諦めざるを得なかった。そのような中、干将の住む地も騒乱に巻き込まれ、その間、様々な噂を耳にしたのだ。
莫邪剣は雌雄の剣である。それは見るものが見ればわかる。覇王に導く剣。そして諸国の王は手に入れるために相争うだろう。神剣太阿剣のように。
そして干将のもとにも怪しげな男が訪れていた。莫邪剣に対の剣があるのか。客を装ったその男の目つきは鋭い。嘘は隠せそうもない。だからその剣は失われた、とだけ述べた。
「そういえばその男は楚の言葉が混じっていたような気はする」
「まさか……そんな……」
世界が真暗になった。私は思わず、頭を床に打ち付けた。
「どうした?」
「すまない、赤殿。私は店で干将剣の対の剣について尋ねられ、ないと答えたのだ。だからその者が干将剣を探してここに来たのかもしれない。何ということだ」
「……いや、いずれ父上はここにいた。それならばここに来たのだ、やはり」
「そういえば干将剣はいずこに?」
「西側の柱の中に隠してある。何故だかそこだけは壊せなかったらしいな」
赤殿は自嘲しながらその最後に残った柱を崩すと、確かに袱紗があらわれ、その中から懐かしい干将剣が現れた。探し尽くされた中、ここだけが辛うじて無事だったのだろう。支えを失い屋根がズズリと傾く。長くは保たない。
「干将。俺は父上と母上が剣になってから……いや、父上と母上を剣にする、それを俺がやらなければならないってことを自覚してから、この神に繋がる世界とは何と恐ろしいものなのかと戦いた。だから俺はそんな世界からはすっぱりと足を洗ったのだ。いや、逃げ出した」
赤殿はどこを見るともなく見渡し、そして血に塗れた二人の頭を優しく撫でた。けれどもゴゴグと木が大きく傾ぐ音が響く。すぐにでも出なければ倒壊に巻き込まれる。
赤殿の口から世界がひび割れるような乾いた音が響く。
「けれどもそれは違ったのだな。母上は常々言っていた。この世界は神が人に授けたそのままなのだ。人はそのままの姿で欲する者を欲する。それだけなのだ。父上や母上が剣になろうとしたのも、王が剣によって覇道を得ようとしたのも、それは正しく残酷なこの世界のそのままの姿なのだな」
赤殿の瞳は真っ赤に染まり、その言葉は血のように口から滴った。
「赤殿。ここを出よう。とりあえず」
「とりあえず?」
目の前から闇がこぼれ、そこから激烈な怒り、いや、怒りですらない気迫が吐き出された。
「とりあえずとは何だ干将。とりあえずとは。ハハ、とりあえず俺の両親は剣になって、とりあえず俺の妻子は無惨に斬り殺されて、とりあえず……」
「赤殿……」
「何が神剣だ。何が神だ。神とは……そうだ全てだ。俺は許せない。何故」
言に湧き出る怒りを滲ませる赤殿の腕を無理やり引きずり外に出た途端、家は無惨にも崩れ落ちた。赤殿の服は赤かった。血に染まっていた。それは妻子の血と、赤度の自身の耳目から滂沱の如く流れ落ちる血の涙によって。けれども無意識にか赤殿が手に取っていた干将剣はぼんやりと闇を放っていた。
「干将。父上と母上はこれで満足だったのだろうか」
それに私は、答えざるを得なかった。それは魂から発せられた言葉だ。それがよく、わかったからだ。
「俺にはよくわからない。が、お師様方は自ら剣になったのだろうとは思う」
「そう、だよな。剣になれば楚王を殺せるのか」
「赤殿……?」
私は戦いた。
赤殿の瞳に似たものを以前に見た事がある。欧冶子様のことを語る莫邪師の瞳だ。何かに強く訴求されたその瞳は狂気にまみれ、どこか美しかった。
「無理だ赤殿。仮に剣になったとしても楚王に見えることなどできぬ」
そこで複数の足音が聞こえた。ここと反対のこの家の正面からだ。息を潜める。
「参ったな、崩れてやがる」
「お前の家探しが雑すぎるんだよ。それよりどうする。報告するか?」
「もう少し……探すのは無理か。しかし困ったな。干赤は殺せとのご命令だ」
隣でギリと歯が食いしばられる音がした。
「生かして剣を打たせればいいのによ」
「楚王様は神剣を打つような人間が商売もせずに在野にいては困るのさ。あの干将のようにきちんと店を構えて動向がわかるならともかくな」
「違いねぇ。いつの間にか神剣ができてました、じゃたまったものじゃねぇからな」
その言葉に頭を殴られたような気になった。私は……私は店を構えているから襲われなかったのか。
「干将。俺は死ぬ運命らしい」
「何をいう。所在を明らかにすれば、一緒に店を持とう」
けれども、そんな言葉は何の意味も持たない。
「もう手遅れだよ。本当に色々と、な。それに今更そんなことは御免だ。俺の今の望みは妻子の敵を打つことだ。こんなくだらないことで殺された妻子の」
その時、私は干将剣がぼんやりと光っていることに気がついた。そうして干将師の言葉を思い出していた。
「赤が困ったら助けてやってくれ」
「たしかに神剣である。湛盧に勝るとも劣らぬ」
王は目を見開き、堪えるようにそれだけを述べた。
その言葉に不遜にも苛立ちを覚えた。私に対する苛立ちだ。この莫耶剣以上の神剣など存在しない。……けれども私は湛盧剣を見たことがない。だから優劣は述べられぬ。欧冶子も師らと同じく神剣となったのだ。
だから……私は干将が世に二つしかない神剣であると知るのみだ。
「拝命より3年要しました。誠に申し訳ありません」
「よい。よい。これほどの剣だ。何ほどの文句もあろうか。時にそなた、干将と言ったな。それは師の名前ではかったか」
「私が干将を継ぎました。師はもうおりません」
場に鎮痛な沈黙がおりる。それも私を苛立たせた。師らは死をとしてこの剣を鍛え上げたのだ。だからその師は悼むべきものでではない。断じて。むしろ。
「そうか……。惜しい者を無くした。そなたも息災にせよ」
その声に頭を下げて宮廷を辞すと、抜けるような青空が広がっていた。
潮の香りが漂う。呉の国都姑蘇は長江が海に流れ落ちる手前にある。通商の要所で、荒々しい人夫が行き交っていた。私とお師様方が籠もっていた山とはまさに別世界だ。お師様方が神剣となられてから未だ半月と経過していない。けれどもすでに長い年月が経過したように思われた。
これからどうしようか。そんなことをこの青い空を眺めながら思う。二代目といえど神剣を打ち、王に捧げたのだ。刀匠として独り立ちすることもできよう。けれども未だ、そのような気分にはなれなかった。
赤殿も同様だ。神剣というものは、あまりに異常だったのだ。赤殿は私にきっぱりと告げた。
「干将。いや、お前を父上の名で呼ぶのは些か抵抗があるな。しかし剣のことは任せた。無事に父上と母上を王に届けてくれ」
「分かりました。けれども私でよいのでしょうか。赤殿が干将の名を継がずとも」
赤は軽く首をふる。
「干将莫耶を打ったのはお前だ」
確かに最初、私と赤殿はどもに鉄を打っていた。けれどもいつのまにか、赤殿は工房に現れなくなった。
「俺は刀匠になるつもりはない。いや、俺にはこんな世界に足を踏み入れるのはどだい無理なのだ。それが心底わかったよ。俺は畑でも耕してこの家でのんびり暮らすのが向いているのさ。それに……」
赤殿は少しだけ言いよどみ、左右を見渡して私の耳に口を寄せた。
「実はな、子ができたんだよ」
「えっ」
突然の告白に驚いていると、あの山の工房の近くに住む農家の娘といつの間にか懇ろになっていたらしい。
「思えば父上と母上は、もとより人ではなかったのだ。いや、あの生き方は到底俺にできるとは思えん」
赤殿は干将師と莫耶師の子だ。莫耶師は名匠欧冶子の子だ。お師様方は赤殿が道を継ぐことを求めていたのだろう。
けれども人は剣のみに生きるものではなく、お師様方は既に人の生を終えられた。だから……赤殿が自らの道を行くのはそれはそれで一つの人生だろう。……お師様方のあの最後の様子を思えば。
この道は突き詰めれば神に至る修羅の道だ。人の進むべき道ではない。私は到底、自分では極められぬものをその目で見たのだ。だから。だから私もこれから別の道を探すかもしれない。何も剣だけが道ではない。鍋や釜を作って糧を得るというのもまた一つだろう。
終わってみればあれは確かに、天に至り、そして神に至る道であった。
「干将剣は赤殿におまかせしよう」
「えっ待ってくれ。王に納めるのではないのか?」
「師らも神剣を二本を作れとは言われていない。干将剣は見ようによってはその文様は亀裂にも見える。不吉と言われかねない。莫邪剣だけで問題は何もないだろうよ」
そう告げて、私は干将剣を赤殿に押し付けた。干将剣もまんざらでもないのだろうそれを証するように剣の表の模様が揺れた。確かにこれは神の剣。干将師がここに宿っている。
「困ったな。どうしたらいいんだ」
そう言う赤殿を工房に残し、王に剣を捧げた。
とはいえ結局のところ、私はせっかくの技術は捨てきれなかった。確かに、道の果ての神を見たのだ。忸怩と煮え切らぬまま報酬の半金を赤殿に渡した後、残金で新たに別の地で、誰も私を知らない町で工房を作り、ほそぼそと剣を打って暮らしていた。赤殿と違って所帯を持つ甲斐性はなかったのであるが。
それから何もごとも無く五年程が過ぎ、突然舞い込んだ手紙に思わず膝を立てた。
至急参られたし。 干赤
その手紙はしわくちゃで、赤く染まっていた。そして香る嗅ぎ慣れた鉄の臭いがする。そこから漂う濃密な死の香りにいても立ってもいられず車を飛ばした。
一刻も早くとお師様方の工房のあった山まで走る。
足を絡ませながら門を潜り、呆然とした。かつてお師様方とともに暮らした家は見る影もなく傾き倒れ、踏み荒らされ、いや積極的に床板まで剥がされ家探しをされたようだ。一体何がと思いつつそして震える足で奥の間に進むとムワリと血の匂いが漂い、大量の血だまりの上で二つの骸に挟まれて変わり果てた赤殿が座り込んでいた。
いや、踏み入れて、血は既に赤黒く、乾ききっていることがわかった。
「赤殿! どうなされたのです! この惨状は一体!」
「あ、ぁ……干将殿……か。死んでしまったのだ。俺を残して」
赤殿は血まみれになるのも構わず二つの骸を抱き寄せて撫でる。まだ若い女と五歳ほどの男子。
そうか。これが赤殿の奥方と子か。変わり果ててはいるのだろう。未だその恐怖に見開かれたまぶたにそっと手を置き、閉じさせるとその姿は僅かに穏やかとなった。
「あ……干将殿、ありがとう。俺は……。すまない、二人とも」
そう言って赤殿はようやく泣き崩れた。
その隙間にぽつりぽつりと話された事情。赤殿が家に帰ると既にこの惨状で、既に子は事切れ、妻は楚軍、とのみ呟き事切れた。
「楚軍が一体何だというのだ。何故楚軍がここに来るのだ」
干将には思い当たることがあった。
先年、呉は快進撃を続けた。闔閭は楚に攻め入り首都郢を陥落させ、楚王の喉元に剣を突きつけた。あと僅かで楚を攻め滅ぼすことができた。
けれども長年の宿敵である越王允常が呉に攻め入り、允常と謀った闔閭の弟夫概が王を名乗り簒奪しようとした。そのため、闔閭はやむを得ず楚王を追うことを諦めざるを得なかった。そのような中、干将の住む地も騒乱に巻き込まれ、その間、様々な噂を耳にしたのだ。
莫邪剣は雌雄の剣である。それは見るものが見ればわかる。覇王に導く剣。そして諸国の王は手に入れるために相争うだろう。神剣太阿剣のように。
そして干将のもとにも怪しげな男が訪れていた。莫邪剣に対の剣があるのか。客を装ったその男の目つきは鋭い。嘘は隠せそうもない。だからその剣は失われた、とだけ述べた。
「そういえばその男は楚の言葉が混じっていたような気はする」
「まさか……そんな……」
世界が真暗になった。私は思わず、頭を床に打ち付けた。
「どうした?」
「すまない、赤殿。私は店で干将剣の対の剣について尋ねられ、ないと答えたのだ。だからその者が干将剣を探してここに来たのかもしれない。何ということだ」
「……いや、いずれ父上はここにいた。それならばここに来たのだ、やはり」
「そういえば干将剣はいずこに?」
「西側の柱の中に隠してある。何故だかそこだけは壊せなかったらしいな」
赤殿は自嘲しながらその最後に残った柱を崩すと、確かに袱紗があらわれ、その中から懐かしい干将剣が現れた。探し尽くされた中、ここだけが辛うじて無事だったのだろう。支えを失い屋根がズズリと傾く。長くは保たない。
「干将。俺は父上と母上が剣になってから……いや、父上と母上を剣にする、それを俺がやらなければならないってことを自覚してから、この神に繋がる世界とは何と恐ろしいものなのかと戦いた。だから俺はそんな世界からはすっぱりと足を洗ったのだ。いや、逃げ出した」
赤殿はどこを見るともなく見渡し、そして血に塗れた二人の頭を優しく撫でた。けれどもゴゴグと木が大きく傾ぐ音が響く。すぐにでも出なければ倒壊に巻き込まれる。
赤殿の口から世界がひび割れるような乾いた音が響く。
「けれどもそれは違ったのだな。母上は常々言っていた。この世界は神が人に授けたそのままなのだ。人はそのままの姿で欲する者を欲する。それだけなのだ。父上や母上が剣になろうとしたのも、王が剣によって覇道を得ようとしたのも、それは正しく残酷なこの世界のそのままの姿なのだな」
赤殿の瞳は真っ赤に染まり、その言葉は血のように口から滴った。
「赤殿。ここを出よう。とりあえず」
「とりあえず?」
目の前から闇がこぼれ、そこから激烈な怒り、いや、怒りですらない気迫が吐き出された。
「とりあえずとは何だ干将。とりあえずとは。ハハ、とりあえず俺の両親は剣になって、とりあえず俺の妻子は無惨に斬り殺されて、とりあえず……」
「赤殿……」
「何が神剣だ。何が神だ。神とは……そうだ全てだ。俺は許せない。何故」
言に湧き出る怒りを滲ませる赤殿の腕を無理やり引きずり外に出た途端、家は無惨にも崩れ落ちた。赤殿の服は赤かった。血に染まっていた。それは妻子の血と、赤度の自身の耳目から滂沱の如く流れ落ちる血の涙によって。けれども無意識にか赤殿が手に取っていた干将剣はぼんやりと闇を放っていた。
「干将。父上と母上はこれで満足だったのだろうか」
それに私は、答えざるを得なかった。それは魂から発せられた言葉だ。それがよく、わかったからだ。
「俺にはよくわからない。が、お師様方は自ら剣になったのだろうとは思う」
「そう、だよな。剣になれば楚王を殺せるのか」
「赤殿……?」
私は戦いた。
赤殿の瞳に似たものを以前に見た事がある。欧冶子様のことを語る莫邪師の瞳だ。何かに強く訴求されたその瞳は狂気にまみれ、どこか美しかった。
「無理だ赤殿。仮に剣になったとしても楚王に見えることなどできぬ」
そこで複数の足音が聞こえた。ここと反対のこの家の正面からだ。息を潜める。
「参ったな、崩れてやがる」
「お前の家探しが雑すぎるんだよ。それよりどうする。報告するか?」
「もう少し……探すのは無理か。しかし困ったな。干赤は殺せとのご命令だ」
隣でギリと歯が食いしばられる音がした。
「生かして剣を打たせればいいのによ」
「楚王様は神剣を打つような人間が商売もせずに在野にいては困るのさ。あの干将のようにきちんと店を構えて動向がわかるならともかくな」
「違いねぇ。いつの間にか神剣ができてました、じゃたまったものじゃねぇからな」
その言葉に頭を殴られたような気になった。私は……私は店を構えているから襲われなかったのか。
「干将。俺は死ぬ運命らしい」
「何をいう。所在を明らかにすれば、一緒に店を持とう」
けれども、そんな言葉は何の意味も持たない。
「もう手遅れだよ。本当に色々と、な。それに今更そんなことは御免だ。俺の今の望みは妻子の敵を打つことだ。こんなくだらないことで殺された妻子の」
その時、私は干将剣がぼんやりと光っていることに気がついた。そうして干将師の言葉を思い出していた。
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