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第4章 芸術家変死事件
消失した障壁 新しい事件
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「公理さん、一体どうなってる?」
「小藤亜李沙が1階に降りてきた。順調そうだ。ぐぇ。まじか、意味わかんない。ハルまじでクレイジー、ハイパークレイジーサイコ」
「うるさいな、他に方法ないだろ、なんか思いつくのかよ? そういえばうるさいって字は5月の蠅って書くんだぞ?」
「やめて、今その豆知識いらない」
公理さんの手が小刻みに震えている。けれども今止めるわけにはいかないことは公理さんもわかってる。だから手は離されない。
家に入れない以上、俺たちにはなすすべがなかった。だから小籐亜李沙に全てを任せるしかない。今回失敗に終わった場合、その原因を検討して次に活かす。そのためにきちんと顛末を見届けなければならない。見届けられるのは公理さんだけだ。そうしなければ、この夜は終わらない。
幽霊が見えない俺の目には、黒い塊が膨張して縮小したようにしか見えない。けれども次第に、部屋中、もとい家中に溢れていた黒い粒が、その塊に全て集約されていく。被害者でもあり、その本体でもあるたくさんの蠅。
待つ。
ただ、待つしか無い。
時間がやけに長く感じられる。
おそらく今、絵が描かれている。俺には見えない太陽の絵が。
突然、黒い塊となった影が窓に向かい、そしてフィルターに阻まれるように黒い粒は窓にぶつかり室内に飛び散り、俺には何も見えなくなった。
「どうだ?」
「大丈夫。2人は完成した絵を持って出た。よかった。ええと、蠅? はキラキラして空に消えてった」
「呪いは解けたのか?」
「待って。2人はまだいる。……あ。キラキラした。消えた」
繋いだ手の力が緩む。
そうか。
ようやくほっと、暖かい息をつく。
これでこの呪いは解けたのか? これでこのバイアスの構成要素、全ての魂を2人が連れて家から出た、わけだ、よな。空を見上げれば砂糖菓子を打ち上げたような夜空が広がっていた。あの家から抜けてあの空に上るなら、悪くない、気はした。
けれども俺たちには次がある。これからだ。
気合をいれろ。藤友晴希。
次のバイアスの呪いの姿を見定める。
リビングに目を移し、そしてこちらを見つめる目が、細く眇すがめられた。
「柚?」
柚は気怠そうにソファに座りながら振り返り、不審げにこちらを見やった後、一瞬大きく目を瞬いた。
その瞬間、柚の視線が貫通した、気がした。その視線によって俺と柚の間を隔てていた何か、薄い卵の内殻のようなものがパリンと破られたような、そんな感覚がした。
柚はソファから立ち上がり、俺の目をまっすぐに見た。強力な目線に体が硬直する。心臓を握られたような、家の声に匹敵するほどの重量感。
確実に目が、合っている。気のせい……ではないのだろう。
ぞわりと首筋が震える。けれども未だ、不運の予兆は訪れていない。
柚は立ち上がり、リビングの窓をガラリとあける。そして庭に置いてあるサンダルに足を引っ掛け、一歩一歩近づいてくる。踏みしめられて潰れた草の香りがする。その歩みは明確に俺に向かっている。
「あなたは誰?」
「俺は」
その声は平坦だ。そして俺の目をまっすぐ見て話しかけられている。予兆はない。けれども何故だか動けなかった。まるで蛇に睨まれた蛙のように。
柚の暗い目にわずかに困惑が浮かんだ。
「ここは私の家。私の『幸せなマイホーム』」
「俺は」
「出てって」
返事をする間もなく、俺の意識は反転した。テレビのスイッチを切るように。
次に目を開けた時、朝だった。窓の外からチリチリと陽の光が降り注ぐ。時計を見ると7時半。体を起こせばベッドの上で、毛布がかけられていた。ソファで公理さんが寝ている。慌てて体を確認する。
なんだ?
寝た、というか気絶した。それほど長い時間ではないだろう。夢は見ていなかった、気がする。未だ頭はぼんやりとしている。
ええと、そうか、昨晩、越谷泰斗のバイアスを消滅させた、多分。それで柚と目が合って、気絶した。というか追い出された気がする。
柚と目が合ったときの感覚を思い出す。一方的に殴り飛ばされたような気分だった。抵抗、をしようとは特に思っていなかったが、最初に家に呪われた時と似ている。
何故柚に気づかれた?
これまで扉を覗いた時、柚を見ても柚の前を通り過ぎても、気づかれた様子はなかった。なのに今回は気づかれた。柚は明確に俺を見て、その視線が俺まで貫通した。そうだ貫通だ。その時、何かが破れたような感覚があった。何かの障壁が剥がれてしまったような。
何を防いでいた? 柚から俺を?
音を塞いでるんだった。
柚の名前を聞いたとき、家は夢でそう言っていた。
ひょっとしたら家はこれまで、俺を柚の間で何かを塞いでいたのだろうか。よもやそれが俺とリビングの扉の向こうを塞いでいたものじゃないだろうな。慌てて背後の様子に気を向けた。……もともと俺に扉は見えないが、特に異常は感じない。
いずれにせよ、不確定な事項が多すぎる。一つずつピースを埋めていこう。
柚から俺が見えるようになったとして、その効果は何だ。おそらく今後は『扉』の中で柚が干渉してくるということだろうか。今回のように弾き出される可能性がある、のかな。だから家は柚から俺を隠していた?
柚が俺を拒否するのも当然だ。
一人暮らしの家の中に知らない男がいる。それは当然追い出すべきだろう。
そうすると、今後の解呪が困難になった、と考えざるを得ない。困ったな。けど、やれることをやるしか無いのは変わらない。
柚は何故俺に気づいた。いつもと何が違った。
俺は今回、柚が家にいる時にバイアスを消滅させた。橋屋家を解呪して不審死事件が表面化したとき、家の様相は大きく変化した。今回は柚を注視していたから家の中をあまり観察していなかったけど、柚はバイアスの消滅又は変化を感じられるのだろうか。
そういえば最初、不審げにしていて、その後明確に俺に気がついた。柚はその異常の原因を意識的に探し、俺を発見したということ?
わからない。保留だ。
起き上がろうとして鈍い痛みが頭に響く。僅かに目眩がする。
体を確認したところでは、それ以外に異常はなさそうだ。
ベッドから降りればローテーブルの上の走り書きが目に留まる。
『ハル、今は扉が割れている。寝ても大丈夫』
ため息を1つ。これが俺が夢を見なかった理由か。
越谷泰斗の呪いは解かれたのかな。わからない。解かれていなかったとしても、もう1度チャレンジするだけだ。頭を切りかえよう。
呪いが解けていた場合、次はおそらく喜友名晋司。
抽象画の画家。あの家で絵を描いていた。そして公理さんが部屋で見たという『黒い幽霊』はおそらく喜友名晋司だろう。絵を描こうとしていたらしい。そうすると今も描いているのかな。喜友名晋司は何を繰り返している?
不審死事件と違って調べる対象が特定できているのは楽だ。調査に出かけよう。
……でもその前に片付けだな。
部屋の中には飲み散らかしたんだろう惨状が広がっていた。
30分後、図書館で喜友名晋司の名を検索窓に入れてクリックする。
『喜友名晋司』 4121件
並ぶ検索結果をざっと上から眺めた。半分はその絵画に対して。そして残りはその奇妙な死について。
「小藤亜李沙が1階に降りてきた。順調そうだ。ぐぇ。まじか、意味わかんない。ハルまじでクレイジー、ハイパークレイジーサイコ」
「うるさいな、他に方法ないだろ、なんか思いつくのかよ? そういえばうるさいって字は5月の蠅って書くんだぞ?」
「やめて、今その豆知識いらない」
公理さんの手が小刻みに震えている。けれども今止めるわけにはいかないことは公理さんもわかってる。だから手は離されない。
家に入れない以上、俺たちにはなすすべがなかった。だから小籐亜李沙に全てを任せるしかない。今回失敗に終わった場合、その原因を検討して次に活かす。そのためにきちんと顛末を見届けなければならない。見届けられるのは公理さんだけだ。そうしなければ、この夜は終わらない。
幽霊が見えない俺の目には、黒い塊が膨張して縮小したようにしか見えない。けれども次第に、部屋中、もとい家中に溢れていた黒い粒が、その塊に全て集約されていく。被害者でもあり、その本体でもあるたくさんの蠅。
待つ。
ただ、待つしか無い。
時間がやけに長く感じられる。
おそらく今、絵が描かれている。俺には見えない太陽の絵が。
突然、黒い塊となった影が窓に向かい、そしてフィルターに阻まれるように黒い粒は窓にぶつかり室内に飛び散り、俺には何も見えなくなった。
「どうだ?」
「大丈夫。2人は完成した絵を持って出た。よかった。ええと、蠅? はキラキラして空に消えてった」
「呪いは解けたのか?」
「待って。2人はまだいる。……あ。キラキラした。消えた」
繋いだ手の力が緩む。
そうか。
ようやくほっと、暖かい息をつく。
これでこの呪いは解けたのか? これでこのバイアスの構成要素、全ての魂を2人が連れて家から出た、わけだ、よな。空を見上げれば砂糖菓子を打ち上げたような夜空が広がっていた。あの家から抜けてあの空に上るなら、悪くない、気はした。
けれども俺たちには次がある。これからだ。
気合をいれろ。藤友晴希。
次のバイアスの呪いの姿を見定める。
リビングに目を移し、そしてこちらを見つめる目が、細く眇すがめられた。
「柚?」
柚は気怠そうにソファに座りながら振り返り、不審げにこちらを見やった後、一瞬大きく目を瞬いた。
その瞬間、柚の視線が貫通した、気がした。その視線によって俺と柚の間を隔てていた何か、薄い卵の内殻のようなものがパリンと破られたような、そんな感覚がした。
柚はソファから立ち上がり、俺の目をまっすぐに見た。強力な目線に体が硬直する。心臓を握られたような、家の声に匹敵するほどの重量感。
確実に目が、合っている。気のせい……ではないのだろう。
ぞわりと首筋が震える。けれども未だ、不運の予兆は訪れていない。
柚は立ち上がり、リビングの窓をガラリとあける。そして庭に置いてあるサンダルに足を引っ掛け、一歩一歩近づいてくる。踏みしめられて潰れた草の香りがする。その歩みは明確に俺に向かっている。
「あなたは誰?」
「俺は」
その声は平坦だ。そして俺の目をまっすぐ見て話しかけられている。予兆はない。けれども何故だか動けなかった。まるで蛇に睨まれた蛙のように。
柚の暗い目にわずかに困惑が浮かんだ。
「ここは私の家。私の『幸せなマイホーム』」
「俺は」
「出てって」
返事をする間もなく、俺の意識は反転した。テレビのスイッチを切るように。
次に目を開けた時、朝だった。窓の外からチリチリと陽の光が降り注ぐ。時計を見ると7時半。体を起こせばベッドの上で、毛布がかけられていた。ソファで公理さんが寝ている。慌てて体を確認する。
なんだ?
寝た、というか気絶した。それほど長い時間ではないだろう。夢は見ていなかった、気がする。未だ頭はぼんやりとしている。
ええと、そうか、昨晩、越谷泰斗のバイアスを消滅させた、多分。それで柚と目が合って、気絶した。というか追い出された気がする。
柚と目が合ったときの感覚を思い出す。一方的に殴り飛ばされたような気分だった。抵抗、をしようとは特に思っていなかったが、最初に家に呪われた時と似ている。
何故柚に気づかれた?
これまで扉を覗いた時、柚を見ても柚の前を通り過ぎても、気づかれた様子はなかった。なのに今回は気づかれた。柚は明確に俺を見て、その視線が俺まで貫通した。そうだ貫通だ。その時、何かが破れたような感覚があった。何かの障壁が剥がれてしまったような。
何を防いでいた? 柚から俺を?
音を塞いでるんだった。
柚の名前を聞いたとき、家は夢でそう言っていた。
ひょっとしたら家はこれまで、俺を柚の間で何かを塞いでいたのだろうか。よもやそれが俺とリビングの扉の向こうを塞いでいたものじゃないだろうな。慌てて背後の様子に気を向けた。……もともと俺に扉は見えないが、特に異常は感じない。
いずれにせよ、不確定な事項が多すぎる。一つずつピースを埋めていこう。
柚から俺が見えるようになったとして、その効果は何だ。おそらく今後は『扉』の中で柚が干渉してくるということだろうか。今回のように弾き出される可能性がある、のかな。だから家は柚から俺を隠していた?
柚が俺を拒否するのも当然だ。
一人暮らしの家の中に知らない男がいる。それは当然追い出すべきだろう。
そうすると、今後の解呪が困難になった、と考えざるを得ない。困ったな。けど、やれることをやるしか無いのは変わらない。
柚は何故俺に気づいた。いつもと何が違った。
俺は今回、柚が家にいる時にバイアスを消滅させた。橋屋家を解呪して不審死事件が表面化したとき、家の様相は大きく変化した。今回は柚を注視していたから家の中をあまり観察していなかったけど、柚はバイアスの消滅又は変化を感じられるのだろうか。
そういえば最初、不審げにしていて、その後明確に俺に気がついた。柚はその異常の原因を意識的に探し、俺を発見したということ?
わからない。保留だ。
起き上がろうとして鈍い痛みが頭に響く。僅かに目眩がする。
体を確認したところでは、それ以外に異常はなさそうだ。
ベッドから降りればローテーブルの上の走り書きが目に留まる。
『ハル、今は扉が割れている。寝ても大丈夫』
ため息を1つ。これが俺が夢を見なかった理由か。
越谷泰斗の呪いは解かれたのかな。わからない。解かれていなかったとしても、もう1度チャレンジするだけだ。頭を切りかえよう。
呪いが解けていた場合、次はおそらく喜友名晋司。
抽象画の画家。あの家で絵を描いていた。そして公理さんが部屋で見たという『黒い幽霊』はおそらく喜友名晋司だろう。絵を描こうとしていたらしい。そうすると今も描いているのかな。喜友名晋司は何を繰り返している?
不審死事件と違って調べる対象が特定できているのは楽だ。調査に出かけよう。
……でもその前に片付けだな。
部屋の中には飲み散らかしたんだろう惨状が広がっていた。
30分後、図書館で喜友名晋司の名を検索窓に入れてクリックする。
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