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恋の矢 久我山医院の薬草園
いたずらな風と新しい目覚め
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広道は今にも閉じそうな寝不足の目で実道を睨む。そして実道はそれを受け止め、広道を観察する。つまり、交渉の可能性だ。
「そこが問題だ。前提として、1つ取り除かねばならぬ不確定な事象がある。それは広道、お前だ。お前は何故動いている」
「何?」
「お前は私の記録からこの事象のその機序を既にある程度理解したのだろう? 重症者を眠りにつかせ、代わりに病を治す。その体の働きを増強し、回復を早める」
広道は頷いた。
広道が確認したところでは、本来よりよほど早く皮膚が繋がり、体内に血管が造成され、正しく身体が運行している。この回復の現象が生じたのは広道の患者からだ。広道の患者は極めて重体な者ばかりで、当然のように昏睡し、そして急激に回復している。
そして実道は広道を指差す。
その次の実道の言葉に広道は困惑した。
「お前の顔色を見れば、お前は倒れてしかるべきだ。なのに何故倒れない。そして内科の人間で一番最初に眠りについたのは重症な人間ではない。寝たきりの人間が眠りについたのは、おそらく最後だ」
それは広道も実通の記録から認識していた。
一割の例外だ。けれども広道にもその原因はわからなかった。
「私はね、あたりをつけた。昏睡をした人間の行動を調べたのだ」
「行動?」
「そうだ。最後に行き着いたのは、その患者がどのような者かだ。内科で一番先に倒れたのは、最も直近、お前を見て気絶した患者だ。広道」
その言葉に伊予は目を丸くした。
「そういえば……。確かにそうです。最初は広道兄さんを見て気絶したのかと思いました」
「おい」
「広道兄さんを見て気絶した人たちが一番最初に倒れています」
「そういうことだ。何故だか広道、お前は昏倒から除外されている。そして昏倒と治療はお前が関与した者を中心として広がっている。お前はどうやって患者を選定している。いや、どうやって操っている」
その実通の予想外の言葉に、広道も僅かに目を開いた。
「操っている、だと?」
「昏倒させ、回復させる患者を選んでいるのはお前だ、広道」
広道は困惑した。けれどもその内容を吟味し、客観的には広道が行ったと思われてもしかたがないのかもしれないと考えた。
「俺にわかるわけがないだろう」
その時、広道の耳に声が聞こえた。鈴のなるような声だ。
『君たちは実に優秀だねぇ、おっと、お静かに』
思わず声を発そうとした広道は思いとどまり、口の中で、誰だ、と小さく呟く。
『君たちは先週うちから草木をもってったろう? そこの神だ』
「祟りか」
『違う違う。持ってってもらう分にはかまわないが、少し手違いがあってね、それをもとに戻そうと思うのだが、念のためその結論でよいか確認をしに来た。ここに植えたのは君たちのようだからな』
「何故俺に聞く。……凛が昏睡してるからか」
『まぁ、そうともいうね。さて、どうする』
その神と名乗る涼やかな声は、医学的常識に基づけば否定すべきなのだろう。事実、広道はこの現象は高い確率で拾うによる幻聴であると結論付けている。そしてその名乗りから、その根本原因が常城神社での野草の採取であることを連想する。そこからその薬草に幻覚作用があり、不慣れな下働きが凛の作る料理に混入した可能性をはじめ、様々な合理的な可能性を脳裏で計算する。けれどもそれ以外の非合理の可能性も、排除はしないのが広道なのだ。
自らが観測できない常ならぬ現象が生じた可能性、そして最終的にその原因となる何者かが存在したとしても矛盾しないとの仮説をも立てる。そもそもがこの昏倒と超回復こそも、そして自らが扱う病すら、常ならぬ現象なのだ。
「実道。お前の結論はこの昏睡の効果は回復力の増強、なのか」
「……そうだな。ああ、お前が先程気にした通り、もともとないものは回復はしない」
広道は心のなかで頷いた。結局広道にとってこの不可解な現象がどのような理屈でもって回復するのかといった機序は、意味がない。
「やっぱりお前を説得をするのは無理か」
広道の瞳をまっすぐ受けて、実道は諦めたように呟いた。
この昏倒は病を治す。けれども欠損は病ではなく、元より目玉のない凛は回復のしようがない。つまり、この昏倒の効果が回復を求めるものであるのならば、凛は永遠に目を覚まさない。治すべき対象を見失っているからだ。
「切る」
『それには及ばない』
その瞬間、耳をつんざくような音がして、広道は思わず耳を塞いだ。見れば伊予も塞いでいて、けれども実道は不思議そうに突っ立っていた。そしてその視線が広道の頭上にふわりと持ち上がる。広道が振り返れば、薬草園に生え伸びた巨木は生き急ぐように次々と新芽を生やして燃えるように狂い咲き、そしてついには萎びていき、気がつけば元の密林のような状態に戻っていた。
実道は残念そうに呟いた。
「何かが終わってしまったね。何もかもが唐突だ。せめて研究がしたかったのだがな。それで広道、結局何だったんだ」
「俺にもわからん。けれどもこれで凛は目覚めるだろう」
「そうだね、残念だ」
そうして医院は通常に戻った。奇跡的な回復という結果が残された分、それはそれで一つの騒ぎになるのだが、これはまた別の話だ。
常城神社ではいつもどおり、ぽかぽかとした日差しが降り注いでいた。
「吾輩が射たもののせいなのでしょうか」
「そうだね。お前は最初にあの子らが持っていた草木を、そして次はあの地面を射た。そこから生えた木々は最初はあの男を見、その望みを叶えようと女の目を治そうとしたが治せず、代わりに男の関与し治そうとした全てを治そうとしたのだろう」
少彦名は最後のひと押しをしたのが自分の加護であるのだろうことは、話すつもりはなかった。
「あの医院は大変賑わっております。そのままでもよかったのではないので御座らぬか」
少彦名は巨木を思い出し、あれは実に見事だったと思い直す。
「クピト、人というものはな、あるがままというのが一番面白いのだよ。けれども人の子らを随分と騒がせてしまったな。この落とし前はどうつけるべきか」
「少彦名様、そのような場合はこのように申せばよいのです」
もし私たち影法師がお気に召さなければ、こうお考え下さい。そうすればすべて円く納まりましょう。皆様方は今までずっと居眠りをされ、その間にいろいろな幻をご覧になったのです。
Fin
注記:シェイクスピアの真夏の夜の夢は、真夏ではなく夏至前なので、季節はそれにのりました。
「そこが問題だ。前提として、1つ取り除かねばならぬ不確定な事象がある。それは広道、お前だ。お前は何故動いている」
「何?」
「お前は私の記録からこの事象のその機序を既にある程度理解したのだろう? 重症者を眠りにつかせ、代わりに病を治す。その体の働きを増強し、回復を早める」
広道は頷いた。
広道が確認したところでは、本来よりよほど早く皮膚が繋がり、体内に血管が造成され、正しく身体が運行している。この回復の現象が生じたのは広道の患者からだ。広道の患者は極めて重体な者ばかりで、当然のように昏睡し、そして急激に回復している。
そして実道は広道を指差す。
その次の実道の言葉に広道は困惑した。
「お前の顔色を見れば、お前は倒れてしかるべきだ。なのに何故倒れない。そして内科の人間で一番最初に眠りについたのは重症な人間ではない。寝たきりの人間が眠りについたのは、おそらく最後だ」
それは広道も実通の記録から認識していた。
一割の例外だ。けれども広道にもその原因はわからなかった。
「私はね、あたりをつけた。昏睡をした人間の行動を調べたのだ」
「行動?」
「そうだ。最後に行き着いたのは、その患者がどのような者かだ。内科で一番先に倒れたのは、最も直近、お前を見て気絶した患者だ。広道」
その言葉に伊予は目を丸くした。
「そういえば……。確かにそうです。最初は広道兄さんを見て気絶したのかと思いました」
「おい」
「広道兄さんを見て気絶した人たちが一番最初に倒れています」
「そういうことだ。何故だか広道、お前は昏倒から除外されている。そして昏倒と治療はお前が関与した者を中心として広がっている。お前はどうやって患者を選定している。いや、どうやって操っている」
その実通の予想外の言葉に、広道も僅かに目を開いた。
「操っている、だと?」
「昏倒させ、回復させる患者を選んでいるのはお前だ、広道」
広道は困惑した。けれどもその内容を吟味し、客観的には広道が行ったと思われてもしかたがないのかもしれないと考えた。
「俺にわかるわけがないだろう」
その時、広道の耳に声が聞こえた。鈴のなるような声だ。
『君たちは実に優秀だねぇ、おっと、お静かに』
思わず声を発そうとした広道は思いとどまり、口の中で、誰だ、と小さく呟く。
『君たちは先週うちから草木をもってったろう? そこの神だ』
「祟りか」
『違う違う。持ってってもらう分にはかまわないが、少し手違いがあってね、それをもとに戻そうと思うのだが、念のためその結論でよいか確認をしに来た。ここに植えたのは君たちのようだからな』
「何故俺に聞く。……凛が昏睡してるからか」
『まぁ、そうともいうね。さて、どうする』
その神と名乗る涼やかな声は、医学的常識に基づけば否定すべきなのだろう。事実、広道はこの現象は高い確率で拾うによる幻聴であると結論付けている。そしてその名乗りから、その根本原因が常城神社での野草の採取であることを連想する。そこからその薬草に幻覚作用があり、不慣れな下働きが凛の作る料理に混入した可能性をはじめ、様々な合理的な可能性を脳裏で計算する。けれどもそれ以外の非合理の可能性も、排除はしないのが広道なのだ。
自らが観測できない常ならぬ現象が生じた可能性、そして最終的にその原因となる何者かが存在したとしても矛盾しないとの仮説をも立てる。そもそもがこの昏倒と超回復こそも、そして自らが扱う病すら、常ならぬ現象なのだ。
「実道。お前の結論はこの昏睡の効果は回復力の増強、なのか」
「……そうだな。ああ、お前が先程気にした通り、もともとないものは回復はしない」
広道は心のなかで頷いた。結局広道にとってこの不可解な現象がどのような理屈でもって回復するのかといった機序は、意味がない。
「やっぱりお前を説得をするのは無理か」
広道の瞳をまっすぐ受けて、実道は諦めたように呟いた。
この昏倒は病を治す。けれども欠損は病ではなく、元より目玉のない凛は回復のしようがない。つまり、この昏倒の効果が回復を求めるものであるのならば、凛は永遠に目を覚まさない。治すべき対象を見失っているからだ。
「切る」
『それには及ばない』
その瞬間、耳をつんざくような音がして、広道は思わず耳を塞いだ。見れば伊予も塞いでいて、けれども実道は不思議そうに突っ立っていた。そしてその視線が広道の頭上にふわりと持ち上がる。広道が振り返れば、薬草園に生え伸びた巨木は生き急ぐように次々と新芽を生やして燃えるように狂い咲き、そしてついには萎びていき、気がつけば元の密林のような状態に戻っていた。
実道は残念そうに呟いた。
「何かが終わってしまったね。何もかもが唐突だ。せめて研究がしたかったのだがな。それで広道、結局何だったんだ」
「俺にもわからん。けれどもこれで凛は目覚めるだろう」
「そうだね、残念だ」
そうして医院は通常に戻った。奇跡的な回復という結果が残された分、それはそれで一つの騒ぎになるのだが、これはまた別の話だ。
常城神社ではいつもどおり、ぽかぽかとした日差しが降り注いでいた。
「吾輩が射たもののせいなのでしょうか」
「そうだね。お前は最初にあの子らが持っていた草木を、そして次はあの地面を射た。そこから生えた木々は最初はあの男を見、その望みを叶えようと女の目を治そうとしたが治せず、代わりに男の関与し治そうとした全てを治そうとしたのだろう」
少彦名は最後のひと押しをしたのが自分の加護であるのだろうことは、話すつもりはなかった。
「あの医院は大変賑わっております。そのままでもよかったのではないので御座らぬか」
少彦名は巨木を思い出し、あれは実に見事だったと思い直す。
「クピト、人というものはな、あるがままというのが一番面白いのだよ。けれども人の子らを随分と騒がせてしまったな。この落とし前はどうつけるべきか」
「少彦名様、そのような場合はこのように申せばよいのです」
もし私たち影法師がお気に召さなければ、こうお考え下さい。そうすればすべて円く納まりましょう。皆様方は今までずっと居眠りをされ、その間にいろいろな幻をご覧になったのです。
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