明治幻想奇譚 〜陰陽師土御門鷹一郎と生贄にされる哀れな俺、山菱哲佐の物語

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月の足る宮 富士に登った左文字の話(一旦中断中)

物語の跡地

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「こいつは友達の秋月ってんだ。ちょっと相談したい件があってな」
「へぇ、私に? ここではなんでしょうから」
 鷹一郎はあたりを見回しそう告げて、返事も待たずに歩きだす。確かにここはざわざわと学生の往来激しい。
 古式ゆかしき朱塗りの立派な門を抜け、本郷ほんごう通りを南に進んでゆるやかに東に下ると神田明神かんだみょうじんにつきあたる。その境内をさらに奥に進めば鷹一郎いきつけの茶屋が現れる。その暖簾をヒョイとくぐるのに俺はそろそろ慣れてきたが、左文字は俺の袖を引っ張った。
「おい山菱、ここ、茶屋だろ?」
「奥を借りれるから大丈夫だよ」
 以前は俺も大人の男が茶屋だなどと、と最初は少々戸惑ったものだが鷹一郎との付き合いももう2年にはなる。いつのまにか慣れてしまった。奥の茶室は喧騒を離れ、さよさよと涼し気な葉擦れの音が心地よい。春を過ぎてそろそろ夏に近づこうという頃合いだ。
 しばらく待つと熱いほうじ茶と水無月が運ばれてくる。氷に見立てた三角の白いういろうの上に小豆餡が乗っていて、それなりに食いでがある。目玉につられて腹がくぅと鳴る。

哲佐てっさ君は相変わらず品がないですねぇ」
「うるせぇ。腹が減ってるもんは仕方ねぇだろ」
「それよりそちらの、秋月さん、でしたか。村山といえば末代上人まつだいしょうにんから続く由緒正しき修験の方々でしょう? お近づきになれて幸いです」
 歩く途中で簡単な説明だけ鷹一郎にしたものだから、よそ行きの顔であっという間に食いついた。
「はぁ。ご存知なのですか?」
「ええ、勿論。私は神主などもやっておりますので」
 厳密に言えば鷹一郎は現在神主ではないが、卒業すれば地方の神職に修まることが内定しているそうだ。
 いつもはツンとすましている分、にこにこと語る鷹一郎というのはそれなりに珍しく、俺にとっては気持ちが悪い。その末代上人という人物によほど興味があるのだろうか。けれどもこいつの興味のおおよそは、知的好奇心というよりは即物的な物欲で成り立っている。きっとその末代上人の関連で欲しいものでもあるのだろう。
「その末代上人ってなぁどんな奴なんだ」
「哲佐君はご存知ないですか? 末代上人は富士修験の始まりです」
「富士修験?」
「ええ。霊峰富士は昔から修験者が修行を行う場として有名です。末代上人は富士で修行をされた方です」
「修行ねぇ」
 この明治の世界に、随分時代錯誤に聞こえる。
「富士のお山の山頂は現し世ではないのです。本地垂迹ほんちすいじゃくというのはご存知ですか?」
「知らん」
 本地垂迹とは神仏習合のたまもので、神道における八百萬の神々は様々な仏が化身としてこの日の本に現れた姿、つまり権現ごんげんであると考えるそうだ。
 富士権現とも呼ばれる浅間せんげん神社は富士山を御神体として祀っている。そして末代上人は富士を大日如来だいにちにょらいの顕現した姿と考え、その頂上に大日寺を建立した。つまり富士の頂きは仏であり 神そのものなのだ。

土御門つちみかど様はよくご存知ですね」
「ええ。ですから秋月さんが本当に富士に捧げられるのでしたら、その捧げられる対象は霊験あらたかな神仏そのものに対してなのです」
 左文字は目をしばたたかせた。
 おそらくこれまでは『生贄の風習』というだけで、深くは考えてはいなかったのだろう。左文字自身は敬虔な修験の徒、というわけでもなさそうだから。
「そういえば、そうですね」
 僅かに混乱した風情で、左文字はそう答えた。
「ええ。そしておそらく秋月さんが最後のお役目です」
「……どうしてそう言い切れるのです?」
「おそらくこの風習は次回、つまり33年後までは保ちません。文明というものに駆逐されてしまうでしょう。叶うことなら哲佐君を身代わりにして頂ければ」
「ちょっと待てぃ」
 身代わり。
 その言葉はいかにも俺に似合っている。だからあまり耳にしたくない。
 俺は世にも稀なる『生贄体質』というものらしいからだ。世の魑魅魍魎には俺がとても美味そうに見えるらしく、俺を見つければ襲ってくる、らしい。未だに半信半疑なところもあるが、こいつと知り合って2年余り、俺の頭は既に碌でもない思い出に埋め尽くされていた。その代わりに仕事として十分な給金を貰っているものだから、決して不満を言える関係ではないのだが。
 とはいえそんなことを預かり知らぬ左文字には意味のわからぬことだろう。既にその前の水無月の皿は手持ち無沙汰に空になっていた。
 そして俺の怨嗟は無視され話は続く。

「それで儀式の危険性についてお知りになりたいということでしょうか」
「知りたい、というほどでもないような。儀式自体は特に危険はございませんので」
「なるほど、現在は噴火しておりませんものね。ところでその儀式は見学ができるものですか」
「そうですね……登山自体がそれなりに厳しいことはさておき、そういえば特に禁止はされておりません。敢えて公開もしておりませんが」
 高一郎は目を輝かせた。
「それは素晴らしい。上人の遺物などを見つけた場合、それは取得してもよろしいのでしょうか」
「……本当によくご存知ですね。どうでしょうか。もともとは埋めた方のものではあるのでしょうが、既にはるかに昔のことですし」
「鷹一郎、お前はその遺物というのが欲しいのか?」
 鷹一郎は僅かに口を開けて心外だという顔で俺を見つめ、土瓶を手に取り茶を注ぐ。綺麗に金継のなされたどっしりとした黒瓶から、柔らかなほうじ茶の香りが立ち上る。
「哲佐君は本当に失礼ですね。古くからの儀式を終わらせるには作法が必要なのです」
「終わらせるってなどういうこったい?」
「秋月さんが最後でしょうから。きちんと終わらせなくては秋月さんが困るでしょう?」
「私が?」
 鷹一郎はたまにこんな、木で鼻をくくるような話し方をする。鷹一郎の中では何かの筋が通っているのだろうけれど、余人にはさっぱりわからない理屈が。
「後が続かないのであれば捧げられたままになってしまう。だからこの千年にわたる物語をやり直しましょう」
「やり直し?」
「なに、報酬は目を瞑っていただければそれで結構です」
 煙に巻かれるようなやりとりで何となく論点がずらされた気はする
 けれどもともあれ千年にわたる生贄の儀式。確かに左文字は平安から続く儀式と言っていた。そう考えるなんだか随分おどろおどろしく、少しばかり腰がひけてくる。鷹一郎が俺を見て、にこりと気持ち悪く微笑んだ。
 鷹一郎がそこまで気にするということは、既に俺にとっての問題はその内容ではない。適切な対価が支払われるかどうか、だ。
「哲佐君もお手伝い下さいますよね?」
「いくら払う」
「これは全て私の手出しですからねぇ……本番の山登りには20円出しましょう。それまでは日に応じて通常の日当、最終的な報酬は成果に応じて」
 左文字は唐突なその大金の額にポカンと口を開けた。
 大卒の銀行員の初任給が10円という時代だ。
 富士登山と言っても東京からの行き来を考えれば10日程を確保すれば事足りる。往復の間も別途日当が出るわけで、更に成功報酬が予定されている。つまりその報酬は常識的に破格に過ぎる。
 けれどもこれは俺の危険手当てに等しい。やはり相応には、危険なのだろう。なにせ富士に登るというのならば。
「あの、それは一体どういう?」
「私1人での登山は現実的ではありませんので、哲佐君にお手伝いをお願いするのです」
「その、私は山菱君に相談しただけで、お金をお支払いするつもりは」
「勿論です。哲佐君の日当は私がお支払いしますのでお気になさらず。それから事前に調査をしたく存じます。ちょうどメンデンホール先生が夏に富士登山を企画されておりますから、そこに紛れ込みましょう」
 トマス・メンデンホールは東京大学の物理学教師で、アメリカから招聘されたいわゆるお雇い外国人だ。本郷校舎に作られた理学部観象台の観測主任に昨年から就任し、気象観測を行っている。星学を専門としている鷹一郎は、本日ちょうどこの観象台を訪れていたらしい。
 それでメンデンホールはこの夏、富士山頂で重力の測定やら様々な実験を行う予定だそうだ。
 設えられたように星の巡りが良すぎる気がするのは何故だろう。
「随分念入りだな」
「何、偵察です。秋月さんの御一族は登山道の管理をされているのでしょう? 当然強力荷運び兼案内人も伝手がございますよね」
「それは、まぁ」
須走すばしり村から登る計画なのですが、強力ごうりきの方のお手配を頼めますでしょうか」
「須走の御師に頼めばよろしいのでは? そちらの方が人数が格段に多いですよ。村山はその……最近寂れておりますので」
 左文字は理解が追いつかないようで、首を傾げる。
 村山口は富士南麓の根元宮村山浅間神社から北上するルートで、古くから修験者や関西からの参拝者の登山口として栄えてきた。一方の須走口は富士東麓の東口本宮東口本宮富士浅間神社から西進するルートで、須走口は富士講を中心とした関東からの参拝者の登山口として栄えてきたという歴史があるそうだ。
 勢力争いでもあるのだろうか。
「仰ることは御尤もですが、メンデンホール先生の登山は実験を予定しております。ですから少々勝手が異なるのです」
 富士山の高さを測量するために、重い実験機器を運ぶ必要があるそうだ。分解したとしても天文経緯儀などは鉄でできている。
「観測を予定しておりますから機器が壊れては意味がない。慎重に運んでいただく必要があります。御師町の強力の方々は普段は参拝者の荷物程度しか運ばれないでしょう? 修験をされている村山の方々のほうが適任と思いまして」
「おそらくより鍛えてはおりますね」
 左文字はようやく得心したように頷いた。
 左文字の体格からも鍛え抜いていることがわかる。その全身は鋼の如くで、今のようにきちんとした上下を身にまとっていなければ、よく車夫や工夫に間違われているのだ。
「それに二十年前、英国公使のオールコック氏の案内をされたのは村山の方々でしょう? 幕府からの人手もあって百人ほどで村山口から登られたと聞いております。メンデンホール先生も外国の方ですので、多少なりとも慣れた方々の方が有難いのです」
「そういえば、そのようなことがあったと村の人間から聞いておりますね。確かに二十年前であれば今も現役の者がおりましょう」
「支払いは大学が致しますから、多少高くても結構でしょう」
 左文字の一族の奇習の相談のはずなのに、いつのまにやら鷹一郎を中心に、この夏富士山に登る計画が立っていた。何故だ。
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