明治幻想奇譚 〜陰陽師土御門鷹一郎と生贄にされる哀れな俺、山菱哲佐の物語

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長屋鳴鬼 家を鳴らすのはだぁれ?

   怪異の姿

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 4日目。怪異はさらに育っていた。
 怪異が育つと言うのも妙な感じだが、日に日に大きく凶悪になってくる。
 その日、それは遂に、明確に俺の前に姿を表した。そして結論的に、子供とは思えなかった。

 丑三つ時を過ぎる頃、どどんと長屋全体が揺れわたる。昨日と違うところは僅かに障子を開けて月光を迎え入れているところだ。
 背後に気配を感じて急いでその細い光を踏み越えて、光の筋の上に土御門から預かった札を置く。この札は結界になるらしい。それで化け物はこの光を踏み越えられない。聞いた内容を口の中で小さく復唱する。
 俺がさっきまで座っていた場所でもくもくと大きくなってゆく何かに驚きながら俺はずさずさと後退り、気づくと壁に背中を打ち付けていた。そして慌てて左右を見回す。化け物は……正面にしかいない。よし。あとはここで朝まで耐えるだけだ。
 昼間の茶屋での土御門との会話を思い出す。

「月の光の上にこの札を置けばその光の線は結界となります。化け物はこれを簡単には超えてこられません」
「月が出なかったらどうするんだ」
「出るようにしておきます」
「なんだそりゃ?」
「それより複数出るようなら外に逃げてくださいね。そうすれば怪異は姿を消すでしょう」
 姿を、消す?
 確かに昨夜は家から出れば怪異は跡形もなく消え失せた。
「なんでそんなことが言い切れる」
「何を言うのです。山菱君がそういったのではないですか。昨日外に出たらぱたりと異変は失せてしまったと」
「いや、それはそうだが」
 しれっと言われたが、それで納得できるものでもないだろう。そして土御門ははたと、何かに気づいたように頷く。
「そういえばこの長屋の異変をお伝えしておりませんでしたね。家が鳴って化け物を見るのだそうです」
「何?」
「そしてやはり外に出たら何もないのだそうです。だから住んでる人が逃げ出すんですって。だから今山菱君にお願いしたいのは、その化け物がなんなのかを確認して頂くことです」

 目の前の黒く巨大なもの。その姿は闇に紛れてよくわからない。けれどもよくよく目を凝らす。土御門にはよく見てこいと言われている。化け物の代表格といえば鬼だが……。
 そう思えば目の前の何かがいる方向は丁度長屋の丑寅北東の方角だ。鬼がするにはふさわしい方角。
 そう思ってさらに目に力を込める。闇とのそいつの境界線を目でなぞると、筋骨隆々とした体躯が浮かび上がる。確かに鬼と言っても差し障りがない。とても十や十五の子供には見えない。いや、鬼の子供だとするとこういうものなのか?
 そう思って頭部をみるとその巨大な体の上に乗る顔は妙に子供染みている、ような。だが未だ全体はどこか茫洋としている。

 いや、よく考えろ。いなくなったのは子供であって鬼じゃない。だが土御門はそもそも曰く付きの子だと言っていた。曰く付き。つまり鬼子だという可能性も。
 頭が混乱する。この目の前のものはなんだ。よくわからない、わからないが
 そういう目で見れば見るほど、ますます恐ろしさが膨れ上がる。何くそ。負けてなるものか。夏の暑さも相まって体中から滝のように流れ落ちる滝のような汗。いや、大丈夫だ。月光の上に札がある限り、あの鬼はこちらにやってはこれない、んだよな。無意識に早くなる鼓動をそうやって押さえつける。なるべく静かに、気づかれないようにしなければ。
 少なくとも今は入ってこられない。そのはずだ。
 けれど、けれど目の前の鬼はさらにむくむくと巨大になり、すでにその頭は窮屈に長屋の天井に至り、体をぎゅうと折り曲げている。立てば4メートルほどにはなるのでは?
 もし、もしだ。
 この鬼が土御門の予想を超えて強大な存在で、この札が破られたら? そうすると流石にこの体躯差。一撃殴られれば俺なんてそれで終いだろう。
 いよいよ緊張はまし、皮膚の表面は鮫の肌のようにざわつき、ふるふると心の内側の動揺が現れてガタガタと体中が揺れ始める。怯懦きょうだではなく武者震いだと念じて心を奮い立たせる。
 南無三。
 畜生。
 まだか。
 朝はまだなのか。
 朝が来れば。
 ふいに、一番鶏が鳴いた。
 月の明かりがぐらりと揺らいだ。朝が来れば、一番鶏が鳴けば鬼は退散するはずだ。鬼とは、鬼とはそういうもののはずだ。
 静寂。その鶏の声の後には何も続かず、ふと、目を挙げるとそこにはすでに何もいなかった。

 どっと疲れが身体中を覆い、ぐっしょりと汗で着物が濡れているのに気づく。ふう、と息を吐いて水でも浴びようとガラリと外に出た時、妙なことに気がついた。
 フクロウが鳴いている。
 空はまだ暗く月と星が瞬いている。一番鶏は夜明け前に鳴く鳥だが、辺りはまだ静まりかえっていた。
 おかしい。明け方というには静かすぎる。人が起きて動き出すような気配は全くなく全てが眠りに落ちている。よくわからぬまま左右を眺めわたしていると不意に最近よく聞く声が響いた。
「お疲れ様です。流石山菱君ですね。驚きました。さて、一体何がおこりましたか?」
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