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鎮華春分 桜に囚われた千代の話

   桜の便り

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 源三郎が走り去った後の上がりかまちに腰を掛けると、源三郎の奥方が奥から茶を運んできた。その湯呑からもわずかに桜の香りがした。
 改めて見回したその家の中は、村長の家というにはこじんまりとしていたが、見える範囲は綺麗に整えられていた。アヘンや高級生薬を売って得られた金で贅沢をしているようには思われなかった。
 ふと目をやると、土間の隅に小さな桜が生えていた。黒く節くれたその幹に花や蕾はついていなかったが、確かに桜と思われた。あの見覚えのある桜。
 そういえばと見渡せば、やはりこの家全体からはもあの桜の妖の気配がした。この村全体が深く囚われているのだろう。千代だけではなくこの村全体が。
 そして蚊の鳴くような声がする。
「あの、お客様に申し上げることではないとは存じておりますが、主人は白桜はくおう様に千代を捧げるつもりはございませんでした。ですから、あまりお責めにならないで頂きたいのです」
「あの桜は白桜様というお名前なのですね」
「白桜様はこの村をずっと守られていたのです」
「えぇ、この村の方の認識は存じ上げております。先程は失礼な物言いとなり、誠に申し訳ございません」
 この鷹一郎という男はその秀麗な面で気遣うような素振りも出来はするのだ。
「いえ、私どもも何度も話し合いは繰り返しておりました。本当に何度も」
 ふうと顔を上げた奥方の顔にはその懊悩おうのうの形に深く皺が刻まれ、青ざめてはいたものの、かつては美しかったのだろうなという面影を忍ばせていた。
 あの桜の領域で見た千代に通じるものがある凛とした面影。

「そして反対する者は村を出ていき、残った私どもも前回の巫女の時には生まれていなかった若い女は、千代をはじめ全員村から出しました。そうすれば、村に残った者の中から巫女が選ばれたとしてもすでにその恩恵を受けた者の中から選ばれると、そう思ったのです」
「それなのに村外にいたはずの千代さんが巫女に選ばれてしまった」
「ええ。そして千代は自ら戻ってきたのでございます」
「自分から生贄になったってのか!? そんなものはな、そんな状況に置かれなけりゃ」
 気づけば思わず叫んだいた。誰だって好き好んで生贄になりたいわけがない。どうしようもないから、そこに収まらざるを得ないのだ。
 桜の園で見た千代の気丈な姿が思い浮かんでいた。そんな俺を鷹一郎は呆れたような目で見る。
「哲佐君、そんなことはこの方も重々ご理解されておられます。それよりやはり生贄は白桜様が指定されるのですね」
「そうです。白桜様に選ばれた者には桜の便りが届くのです」
 奥方の話によれば、生贄の時期になるとその者の周りに季節外れの桜の花弁の幻が舞い始めるという。最初は一枚、二枚がチラチラ舞う。それが足元に薄く貯まるほどになると死人が出始める。
 俺たちが中郡医師に聞いたこの病の症状は異常だった。
 罹患した者はある日突然体が硬直して動かなくなり、食べ物を受け付けなくなる。そしてやがて水も受け付けなくなり、1日ほどであっという間に衰弱して死に至る。体中から全ての水分が失われたように干からびるそうだ。恐ろしい死に様。

 源三郎は死人が出たことを千代に知らせなかった。そして逆城南と逆上村の間には逆城神社があり、岐の神が弾いて千代の足元に桜は届かなかったのだ。
 千代に知らせが届いたのは8人目が病に倒れた時だ。若干7歳の恒太郎つねたろうという男児だった。幼少の折、千代に背負われた男児だ。症状が現れた時、その両親が探しに探して千代を見つけ出して頼み込んだ。
 いや、正確にいうと恒太郎の両親は村外に出た女性全員を訪ねて回り、村に戻って欲しいと頼み込んだのだ。そして千代が村に入った途端に春風が吹き、その足元に沢山の花びら絡みつくように見えた、そうだ。あたかも探し求めていた獲物をようやく捕まえたがごとく。
 そして千代が戻った時にはちょうど恒太郎が事切れ、そしてその次に千代の母、つまり目の前の奥方が病に侵された。
「あの子は私のために捧げられたようなものなのです。私どもはもう私ども以外からは犠牲を出さないと決めておりましたのに」
 そう言って奥方は目を伏せ、鷹一郎はそれには構わず奥方の手を取った。
「本当に病は生贄が捧げられれば、跡形もなく治るのですね」
「え、ええ」
「そのことにつきまして不思議に思われたことはありませんか?」
「あの、どういうことでしょう」
 鷹一郎は奥方の目をじっと見たが、その目はただ、揺れるばかりだった。
「お任せ下さい。千代さんが生きていれば私、いえこの哲佐君が何としても助けます。そしてこの因習を終わらせます。もう誰の犠牲にもならないように」
「そんなことが本当に? どうぞ、どうぞお頼み申し上げます。何卒、何卒」
 やっぱ俺?
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