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鎮華春分 桜に囚われた千代の話
神津湾の夕焼け
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茶屋の前の狐坂に目を移すと、丁度ゆっくりと登る黒っぽい羽織姿にこれまた黒の角袖外套、それかららくだの中折れ帽子がにじみ出るように現れた。それがこちらに気づいてペコリと頭を下げた。
ああ、こいつは……。
みているだけでひどく悲しさを溢れさせるその気配になんだか酷く嫌な気分になる。
「お初にお目にかかります。赤矢誠一郎と申します。東京の鍵屋殿にご紹介賜りまして……」
「まあまあ堅苦しい挨拶はやめにしましょう。私は土御門鷹一郎と申します。こちらは助手の山菱哲佐君」
軽く会釈をする。
鍵屋というのは帝都で知り合ったおかしな何でも屋だ。ひたすらに人脈が広いものだから、時折こんな話が引っかかる。ひとおりの挨拶を済ませて赤矢は静かに席についた。
「赤矢さんはここに通われて長いんですか?」
「ええそうですね。1年ほどになります。ちょうどこの二東山のふもとの逆城南で建築の仕事をしておりますので」
「なるほど。今、逆上村のあたりの地図を見ていたのですが問題の桜林というものが見当たりません」
「桜林ですか?」
赤矢は目を地図に近づけて村の周囲を見渡し、改めて鞄から眼鏡を取り出して再度あたりを見回した。
「確かに書いてはありませんね、桜林とは。それにこの辺りの人も桜林などないというのです。けれどもわたしは確かに見たのです」
「あなたが見たことを疑っているわけではありません。ただ場所がわからねば行きようがないと思いましたので」
「なるほど。そうですね……この辺りです」
赤矢が指さしたのは梅林のさらに奥且つ逆上村の奥。地図上には何かの木がぽつりぽつりと記載されている地点。ふうん。
「桜林の広さはどのくらいなのですか?」
「広さ? そうですね、それほどの広さでは……手紙にも記載致しましたが、地に雪があるところとないところがございました。雪がない範囲はせいぜい二十メートル四方でしょうか。けれども桜はまだ咲いておりませんでした。ですからひょっとしたら林の範囲はもっと広いかもしれませんし、狭いのかもしれません」
「どうやって桜と認識されたのです? 咲いてはいなかったのでしょう?」
「……そう言われると些か不安になってしまいます。けれども私はそこは確かに桜林だ、そのような確信があったのです。千代も桜林と言っておりましたし、確かに桜の香りがしたような……」
赤矢と名乗る男は顎を擦りながら、何だか自信がなくなってきました、と寂しそうに独りごちた。
悲しんでいるのだなぁ。俺なんて一人やさぐれて飲んだくれの毎日なのに。この赤矢の様子が俺のようなやさぐれと違ってやけに人間味が溢れているような感じ、思わず声をかけようとしたところを鷹一郎に遮られる。
まぁ、俺が口を出してもこじれるだけか。
その後、千代さんの容姿やら好み、どんなものが好きかと言った仔細に話は移る。今風のすらりとした美人だったらしい。
「ありがとうございます。ところでこの茶屋が千代さんが働かれていた茶屋でよろしいのですよね」
「ええ、そうです。時間がある時は丁度この席で千代の仕事の終わりを待って、山の麓の下宿まで送って行きました」
赤矢の視線につられて南側の海を眺める。
丁度時刻は黄昏。西にある山々に落ちる夕日が水面をオレンジと黒に染めあげる。二東山の南の神津湾の内側はすっかり茜色に染まり、その表面を笹の葉のような小舟が何艘か黒く漂っていた。そのさらに奥、開港場と外国人居留区のあるあたりには大きな黒船が一艘係留されている。それらの合間にチロチロとした銀色の波間と黒いカモメの影が浮く。
この光景を夕毎に眺めていたのだろう。赤矢の半分赤く照った顔は懐かしそうに眉をゆがめ、そして悲しさを耐えるように口を引き結んでいた。やはりその様子は、やけに人間じみて見えたのだ。
鷹一郎は丁度外に出てきた女給に声をかける。とたんに女給は頬を染めた。さっき鷹一郎が店に入った時もそうだが、俺の風貌を見たときとの反応とずいぶん違ってなんだかむしゃくしゃするぜ。
「前にここにいた千代さんという方はご存知ですか」
「ええと、はい。けれどもその頃、私は千代さんがお休みの時に働いておりましたから、良くは存じません。店主を呼んで参りましょうか」
しばらくして出てきた五十絡みの店主に尋ねると、千代の人となりは先程赤矢から聞いたものとほとんど同じだった。
千代が去年の秋に実家に戻って以降、この茶屋にもうんともすんとも連絡がないようだ。とはいえ店主も忙しい。女給というものはちょくちょく変わる。だから気にはなってはいたものの、わざわざ千代の実家を尋ねに伺ったりはしていない。
「ところで赤矢さんはよく見えられていたんですか」
「ああ、赤矢さんなぁ。千代とねんごろのようだったなぁ。3日に1度はわざわざここまで登ってきてな、そうだな今頃の時分だよ。この茶屋は暮れまでだから、ようこの席で千夜の仕事終わりを待っとりましたなぁ」
店主の顔も赤矢の顔と同じように紅に染まる。
店主はふう、となんとも言えない息をつく。
「それじゃあ店じまいがあるんで」
店内に戻る背中も夕陽を浴びて赤く、思い出を滲ませていた。振り返ると赤矢は未だに見るともなく海の方を眺めている。
「赤矢さん、それではまた改めて。日時につきましてはお知らせ致しますが、今と同じ時刻にお会いしましょう。次は逆上村の入り口で」
「わかりました。何卒、何卒千代をお願いいたします」
鷹一郎はじっと赤矢を見つめて口を開く。
「念のため申し上げますが、全てがあなたの思うようになるとは限りません。あなたの一番の願いは千代さんの居所の確認、二番目は千代さんの無事ということでよろしゅうございますね?」
「もちろんです。何卒お頼み申し上げます」
鷹一郎の問いに赤矢は一瞬狼狽えたようだった。いったい他に何があるのだ、その目はそう物語っている。
そして赤矢の背中が闇に溶け切る頃にはすっかり幽けき日は落ちて、あたりは夕闇に浸されていた。
ああ、こいつは……。
みているだけでひどく悲しさを溢れさせるその気配になんだか酷く嫌な気分になる。
「お初にお目にかかります。赤矢誠一郎と申します。東京の鍵屋殿にご紹介賜りまして……」
「まあまあ堅苦しい挨拶はやめにしましょう。私は土御門鷹一郎と申します。こちらは助手の山菱哲佐君」
軽く会釈をする。
鍵屋というのは帝都で知り合ったおかしな何でも屋だ。ひたすらに人脈が広いものだから、時折こんな話が引っかかる。ひとおりの挨拶を済ませて赤矢は静かに席についた。
「赤矢さんはここに通われて長いんですか?」
「ええそうですね。1年ほどになります。ちょうどこの二東山のふもとの逆城南で建築の仕事をしておりますので」
「なるほど。今、逆上村のあたりの地図を見ていたのですが問題の桜林というものが見当たりません」
「桜林ですか?」
赤矢は目を地図に近づけて村の周囲を見渡し、改めて鞄から眼鏡を取り出して再度あたりを見回した。
「確かに書いてはありませんね、桜林とは。それにこの辺りの人も桜林などないというのです。けれどもわたしは確かに見たのです」
「あなたが見たことを疑っているわけではありません。ただ場所がわからねば行きようがないと思いましたので」
「なるほど。そうですね……この辺りです」
赤矢が指さしたのは梅林のさらに奥且つ逆上村の奥。地図上には何かの木がぽつりぽつりと記載されている地点。ふうん。
「桜林の広さはどのくらいなのですか?」
「広さ? そうですね、それほどの広さでは……手紙にも記載致しましたが、地に雪があるところとないところがございました。雪がない範囲はせいぜい二十メートル四方でしょうか。けれども桜はまだ咲いておりませんでした。ですからひょっとしたら林の範囲はもっと広いかもしれませんし、狭いのかもしれません」
「どうやって桜と認識されたのです? 咲いてはいなかったのでしょう?」
「……そう言われると些か不安になってしまいます。けれども私はそこは確かに桜林だ、そのような確信があったのです。千代も桜林と言っておりましたし、確かに桜の香りがしたような……」
赤矢と名乗る男は顎を擦りながら、何だか自信がなくなってきました、と寂しそうに独りごちた。
悲しんでいるのだなぁ。俺なんて一人やさぐれて飲んだくれの毎日なのに。この赤矢の様子が俺のようなやさぐれと違ってやけに人間味が溢れているような感じ、思わず声をかけようとしたところを鷹一郎に遮られる。
まぁ、俺が口を出してもこじれるだけか。
その後、千代さんの容姿やら好み、どんなものが好きかと言った仔細に話は移る。今風のすらりとした美人だったらしい。
「ありがとうございます。ところでこの茶屋が千代さんが働かれていた茶屋でよろしいのですよね」
「ええ、そうです。時間がある時は丁度この席で千代の仕事の終わりを待って、山の麓の下宿まで送って行きました」
赤矢の視線につられて南側の海を眺める。
丁度時刻は黄昏。西にある山々に落ちる夕日が水面をオレンジと黒に染めあげる。二東山の南の神津湾の内側はすっかり茜色に染まり、その表面を笹の葉のような小舟が何艘か黒く漂っていた。そのさらに奥、開港場と外国人居留区のあるあたりには大きな黒船が一艘係留されている。それらの合間にチロチロとした銀色の波間と黒いカモメの影が浮く。
この光景を夕毎に眺めていたのだろう。赤矢の半分赤く照った顔は懐かしそうに眉をゆがめ、そして悲しさを耐えるように口を引き結んでいた。やはりその様子は、やけに人間じみて見えたのだ。
鷹一郎は丁度外に出てきた女給に声をかける。とたんに女給は頬を染めた。さっき鷹一郎が店に入った時もそうだが、俺の風貌を見たときとの反応とずいぶん違ってなんだかむしゃくしゃするぜ。
「前にここにいた千代さんという方はご存知ですか」
「ええと、はい。けれどもその頃、私は千代さんがお休みの時に働いておりましたから、良くは存じません。店主を呼んで参りましょうか」
しばらくして出てきた五十絡みの店主に尋ねると、千代の人となりは先程赤矢から聞いたものとほとんど同じだった。
千代が去年の秋に実家に戻って以降、この茶屋にもうんともすんとも連絡がないようだ。とはいえ店主も忙しい。女給というものはちょくちょく変わる。だから気にはなってはいたものの、わざわざ千代の実家を尋ねに伺ったりはしていない。
「ところで赤矢さんはよく見えられていたんですか」
「ああ、赤矢さんなぁ。千代とねんごろのようだったなぁ。3日に1度はわざわざここまで登ってきてな、そうだな今頃の時分だよ。この茶屋は暮れまでだから、ようこの席で千夜の仕事終わりを待っとりましたなぁ」
店主の顔も赤矢の顔と同じように紅に染まる。
店主はふう、となんとも言えない息をつく。
「それじゃあ店じまいがあるんで」
店内に戻る背中も夕陽を浴びて赤く、思い出を滲ませていた。振り返ると赤矢は未だに見るともなく海の方を眺めている。
「赤矢さん、それではまた改めて。日時につきましてはお知らせ致しますが、今と同じ時刻にお会いしましょう。次は逆上村の入り口で」
「わかりました。何卒、何卒千代をお願いいたします」
鷹一郎はじっと赤矢を見つめて口を開く。
「念のため申し上げますが、全てがあなたの思うようになるとは限りません。あなたの一番の願いは千代さんの居所の確認、二番目は千代さんの無事ということでよろしゅうございますね?」
「もちろんです。何卒お頼み申し上げます」
鷹一郎の問いに赤矢は一瞬狼狽えたようだった。いったい他に何があるのだ、その目はそう物語っている。
そして赤矢の背中が闇に溶け切る頃にはすっかり幽けき日は落ちて、あたりは夕闇に浸されていた。
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