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宵闇の口 県庁舎に現れた鵺の話
朝ぼらけ
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結局の所、巨大狸にしか見えぬジャコウネコは道すがらミケと名付けられ、鷹一郎が宮司を務める土御門神社奥の鎮守森に住み着くことになった。
県庁舎のある神津から土御門神社のある辻切西街道まではそれなりの距離がある。時間は幸い丑三つ時。冬の朝の明けは遅い。だから夜のうちに歩いて戻ろうという話になり、俺が昼に張ったばかりの提灯を掲げてなるたけ早足に歩いたものだ。
けれども漸く土御門神社に辿り着くころにはすっかり夜が明けていた。
「やっぱ妙だな」
「朝になってしまいましたからねぇ、姿が丸見えです。この辺りまでくれば会う人は顔見知りが多いですから構わなくはあるのですがね」
鷹一郎の嘆息というものはそれなりに珍しい。
朱色の単と狩袴の上に白い狩衣、烏帽子を纏う陰陽師の姿のその隣に1メートルはある巨大な狸。なんだか出来過ぎている。ミケはふんふんと地面をかぎながら尻尾を左右にふりつつ悠長に歩いている。
陽の光の下で見るとその姿は更になんだか間が抜けていた。でかいが背に乗れたりしないかな?
「だから嫌なんですよ。本当は宿で着替えるつもりだったのに、ミケがいると宿に入れません、全く」
「俺だって全身が生ゴミ臭ぇよ。とっとと風呂に入りてぇ。けどこいつはお前の趣味には丁度いいんじゃねぇのか」
「変わったものを集めるのは趣味といえば趣味なのですけれど、獣では意思疎通が難しいですからねぇ。せめて人語を解せればいいのですが」
鷹一郎はこのような奇妙な事物や呪物を集めるの習性がある。だから祓えば終いであるのに俺が生贄となって危険に晒される。カラスが光り物を集めるようなもので、止められはしない。けれどもそれで破格の金をもらっているのだから否やとは言い難い。
「それにしてもこいつはどこから来たのかね?」
「ジャコウネコというものは緬甸や越南に住むと聞きますから温かいところからきたのでしょうね。つまり臥亜とかそのあたりだろう」
「随分遠くから来たんだな。日の本にうまく慣れるのかね」
「冬は厳しいでしょうね。そういえばジャコウネコ自体は平安のころから日本に輸入されているのですよ」
古い記録では百錬抄。平清盛が後白河院にジャコウネコを持参したとある。少し遅れて藤原定家の明月記にも、インコとジャコウネコを送られインコは鳴かないしジャコウネコは猫に似ていると記載されているらしい。
俺には猫より狸に見える。そういえばずっと気になっていた。
「お前がこいつの正体に気づいたのはいつなんだ?」
「ヒントは哲佐君に頂いたのですよ。十二支には狸がいないのです。だから鵺の実体は鳥の声という不確かなものではなくて狸という実体があるのかなと」
「やっぱりネコじゃなくて狸だよな、この姿は」
「陽の下で見るとね。結局はね、何事も明らかにしてしまうから不確かなものが不確かでいられなくなるのです」
「不確か?」
「ええ、陰陽師が昼日中に歩いていればちんどん屋でしょうが。ミケもよく見れば奇妙な生き物というだけで、ただの外来種の何かに成り下がるのです」
それはいいことなのか、悪いことなのか。
ともあれミケは『病を運ぶ妖』というわけのわからぬ存在から脱し、土御門神社奥の森に住むただの獣になりはてたのだ。あの森には鷹一郎が捕まえてきたわけのわからないものがわんさといる。見ようによっては本格的に化物になった気はしなくもない。その方が良いような、気はするが。
「世の中にはね、よくわからないまま留めておくことに意味があることも多いのです」
「よくわからないまま?」
「そう、この子はたまたま県庁舎を根城にしたから妖になってしまった。だから退治されなければならなくなった。けれどもそうでなければ近くの山にでも住んでいたのでしょう」
県庁舎の北側には四風山が広がっている。県境をまたぐ大山地で、土御門神社の鎮守森は比肩しようもないほど広いのだ。
「昨年銀座大蔵屋前に灯ったアーク灯というものはそりゃあ明るく闇夜を切り裂いたそうですが、強い光というのはまたその影で濃い闇を産むものです。あまりに物事を詳らかにしすぎると、静かに生きていたものたちまでもが駆逐され、かえって強度に訳のわからぬものを溜め込む結果になりかねません」
「なんだか妙に感傷的だな」
「科学の光というものは幽けきものや怪しきものの存在を許しません。私のこの力もね。そしてその傾向はますます顕著になり、100年も経てば化物なんてすっかり存在しえない世界になるでしょうね」
「そりゃあ俺が食いっぱぐれるな」
「そんなことよりそのように世界が切り離されてしまうと私の思い人にお会いするのが困難になってしまうじゃないですか」
「結局それか」
鷹一郎の強い力の源も、鷹一郎が妖と力を集めるのもその『思い人』のためらしいが、鷹一郎からその話を聞くたびにいつもそいつは実在するのかよと疑問に思うのだ。どの方向から考えても眉唾ものだ。それを考えると陰陽師という存在自体も最早眉唾ものになり始めている。
ともあれ事件は解決し、鷹一郎に大金が舞い込み俺も種銭にあやかれるのだ。嫌やはない。
その後ミケは土御門神社奥にひっそり住み着き、胡頽子を食べて口を真っ赤にする様子がたまに立ち入る住民を驚かせているそうだ。けれどもあの神社の周辺で変なことが起こるのはいつものことで、様々な意味で鷹一郎が守っているからミケが追われることもないだろう。
そして守られていない俺が一文なしになって禄でもない仕事を抱え込むのはそう遠くはなかった。
畜生。
了
県庁舎のある神津から土御門神社のある辻切西街道まではそれなりの距離がある。時間は幸い丑三つ時。冬の朝の明けは遅い。だから夜のうちに歩いて戻ろうという話になり、俺が昼に張ったばかりの提灯を掲げてなるたけ早足に歩いたものだ。
けれども漸く土御門神社に辿り着くころにはすっかり夜が明けていた。
「やっぱ妙だな」
「朝になってしまいましたからねぇ、姿が丸見えです。この辺りまでくれば会う人は顔見知りが多いですから構わなくはあるのですがね」
鷹一郎の嘆息というものはそれなりに珍しい。
朱色の単と狩袴の上に白い狩衣、烏帽子を纏う陰陽師の姿のその隣に1メートルはある巨大な狸。なんだか出来過ぎている。ミケはふんふんと地面をかぎながら尻尾を左右にふりつつ悠長に歩いている。
陽の光の下で見るとその姿は更になんだか間が抜けていた。でかいが背に乗れたりしないかな?
「だから嫌なんですよ。本当は宿で着替えるつもりだったのに、ミケがいると宿に入れません、全く」
「俺だって全身が生ゴミ臭ぇよ。とっとと風呂に入りてぇ。けどこいつはお前の趣味には丁度いいんじゃねぇのか」
「変わったものを集めるのは趣味といえば趣味なのですけれど、獣では意思疎通が難しいですからねぇ。せめて人語を解せればいいのですが」
鷹一郎はこのような奇妙な事物や呪物を集めるの習性がある。だから祓えば終いであるのに俺が生贄となって危険に晒される。カラスが光り物を集めるようなもので、止められはしない。けれどもそれで破格の金をもらっているのだから否やとは言い難い。
「それにしてもこいつはどこから来たのかね?」
「ジャコウネコというものは緬甸や越南に住むと聞きますから温かいところからきたのでしょうね。つまり臥亜とかそのあたりだろう」
「随分遠くから来たんだな。日の本にうまく慣れるのかね」
「冬は厳しいでしょうね。そういえばジャコウネコ自体は平安のころから日本に輸入されているのですよ」
古い記録では百錬抄。平清盛が後白河院にジャコウネコを持参したとある。少し遅れて藤原定家の明月記にも、インコとジャコウネコを送られインコは鳴かないしジャコウネコは猫に似ていると記載されているらしい。
俺には猫より狸に見える。そういえばずっと気になっていた。
「お前がこいつの正体に気づいたのはいつなんだ?」
「ヒントは哲佐君に頂いたのですよ。十二支には狸がいないのです。だから鵺の実体は鳥の声という不確かなものではなくて狸という実体があるのかなと」
「やっぱりネコじゃなくて狸だよな、この姿は」
「陽の下で見るとね。結局はね、何事も明らかにしてしまうから不確かなものが不確かでいられなくなるのです」
「不確か?」
「ええ、陰陽師が昼日中に歩いていればちんどん屋でしょうが。ミケもよく見れば奇妙な生き物というだけで、ただの外来種の何かに成り下がるのです」
それはいいことなのか、悪いことなのか。
ともあれミケは『病を運ぶ妖』というわけのわからぬ存在から脱し、土御門神社奥の森に住むただの獣になりはてたのだ。あの森には鷹一郎が捕まえてきたわけのわからないものがわんさといる。見ようによっては本格的に化物になった気はしなくもない。その方が良いような、気はするが。
「世の中にはね、よくわからないまま留めておくことに意味があることも多いのです」
「よくわからないまま?」
「そう、この子はたまたま県庁舎を根城にしたから妖になってしまった。だから退治されなければならなくなった。けれどもそうでなければ近くの山にでも住んでいたのでしょう」
県庁舎の北側には四風山が広がっている。県境をまたぐ大山地で、土御門神社の鎮守森は比肩しようもないほど広いのだ。
「昨年銀座大蔵屋前に灯ったアーク灯というものはそりゃあ明るく闇夜を切り裂いたそうですが、強い光というのはまたその影で濃い闇を産むものです。あまりに物事を詳らかにしすぎると、静かに生きていたものたちまでもが駆逐され、かえって強度に訳のわからぬものを溜め込む結果になりかねません」
「なんだか妙に感傷的だな」
「科学の光というものは幽けきものや怪しきものの存在を許しません。私のこの力もね。そしてその傾向はますます顕著になり、100年も経てば化物なんてすっかり存在しえない世界になるでしょうね」
「そりゃあ俺が食いっぱぐれるな」
「そんなことよりそのように世界が切り離されてしまうと私の思い人にお会いするのが困難になってしまうじゃないですか」
「結局それか」
鷹一郎の強い力の源も、鷹一郎が妖と力を集めるのもその『思い人』のためらしいが、鷹一郎からその話を聞くたびにいつもそいつは実在するのかよと疑問に思うのだ。どの方向から考えても眉唾ものだ。それを考えると陰陽師という存在自体も最早眉唾ものになり始めている。
ともあれ事件は解決し、鷹一郎に大金が舞い込み俺も種銭にあやかれるのだ。嫌やはない。
その後ミケは土御門神社奥にひっそり住み着き、胡頽子を食べて口を真っ赤にする様子がたまに立ち入る住民を驚かせているそうだ。けれどもあの神社の周辺で変なことが起こるのはいつものことで、様々な意味で鷹一郎が守っているからミケが追われることもないだろう。
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