10 / 18
冬をわたしに side紫帆
4月20日 葭始生
しおりを挟む
4月20日 晴れ時々雨 葭始生るころ
よわよわしく漂う葦がそっとその芽を吹き始める季節。
春は記憶に残らない。記憶に残るのは夏へのいざない。
とうとう来た。大義名分が。
熱力学の第1回目の授業の日。
授業をとっていれば質問をしに行っても何ら問題はない。話しかけても不自然はない。
今日は朝早くに自然に目を覚ました。私の頭より先にわたしの心臓があの人を求めたのだろう。ふうと息を整えて身だしなみを整える。変なところはないだろうか? 鏡の前でキョロキョロと確認する。わからない。あまり自分の容姿を気にしたことがなかったから。困惑する。
その教室を開けるとざわめきに溢れていた。見ると9割5分は男子学生で、おそらく女性というだけで私に視線が集まった。あの人にもこんなふうに私を見てほしい。
そう思って真ん中の端あたりの目立たない席に着いた。万一あてられたら何も答えられないから。熱力学の薄い教本を買ってみたけど、文系の私には何が何だかさっぱりわからなかったから。
予鈴がなって少しあと、カラリと教室の扉が開き運命の人が現れた。
心臓が射抜かれる。やはり入学式の時に会ったあの人だ。パズルのピーズがパチリとはまるように、私の世界は現実と整合した。私の運命はあの人に出会うものとして形作られていて、あの人は私のものなのだ。それははるか昔から決められていたこと。おそらく私が生まれる前から?
そんな思いを抱いているのに、あの人は教室の席の方を一切見なかった。淡々と講義を始め、レーザーポインタでプロジェクタに写された資料を示す。あの人は誰も見ていなかった。私も見ていなかったけど、この教室の他の誰をもあの人は視界に写さなかった。そのことに妙な安心を覚えた。
授業は淡々と進み、意味がわからないながらも私の耳はその音声を記憶する。心地よく耳に染み入るその声。でも他の人の耳にも届いていると思うと少し腹立たしい。あの人の全ては私のものなのに。
そうしているうち、まもなく90分が経過しようとしたとき、ふいにあの人は私を振り向いた。目があった。少し驚いたようにその瞳孔を広げたのがわかった。私の視線はその目に吸い込まれ、何も写さなくなった。全くの静寂。全くの暗闇。世界のすべてがこの視線に収束する。優しく暖かく凍りつく時間。
気がつくとその人は私の目の前にいて、私にそっと口づけた。その瞬間、まるでスイッチが押されたかのように世界は再び色を取り戻して、私は呼吸を再開した。
「私は春夜 紫帆」
「僕は雪村 成」
なりって読むんだ。珍しい名前。
それからまたキスをした。私を気遣うような優しいキス。ふいに窓の外から雷が聞こえる。冬を追いやる春の不確かな嵐。その稲光は私を不安定にさせた。成の目を見る。目があう。その目は冬の湖のように静かで私を固定する。優しそうな瞳。成にとっても私は運命だったんだ。深く納得した。
成は私の手をとって微笑んだ。ここが私の居場所。
よわよわしく漂う葦がそっとその芽を吹き始める季節。
春は記憶に残らない。記憶に残るのは夏へのいざない。
とうとう来た。大義名分が。
熱力学の第1回目の授業の日。
授業をとっていれば質問をしに行っても何ら問題はない。話しかけても不自然はない。
今日は朝早くに自然に目を覚ました。私の頭より先にわたしの心臓があの人を求めたのだろう。ふうと息を整えて身だしなみを整える。変なところはないだろうか? 鏡の前でキョロキョロと確認する。わからない。あまり自分の容姿を気にしたことがなかったから。困惑する。
その教室を開けるとざわめきに溢れていた。見ると9割5分は男子学生で、おそらく女性というだけで私に視線が集まった。あの人にもこんなふうに私を見てほしい。
そう思って真ん中の端あたりの目立たない席に着いた。万一あてられたら何も答えられないから。熱力学の薄い教本を買ってみたけど、文系の私には何が何だかさっぱりわからなかったから。
予鈴がなって少しあと、カラリと教室の扉が開き運命の人が現れた。
心臓が射抜かれる。やはり入学式の時に会ったあの人だ。パズルのピーズがパチリとはまるように、私の世界は現実と整合した。私の運命はあの人に出会うものとして形作られていて、あの人は私のものなのだ。それははるか昔から決められていたこと。おそらく私が生まれる前から?
そんな思いを抱いているのに、あの人は教室の席の方を一切見なかった。淡々と講義を始め、レーザーポインタでプロジェクタに写された資料を示す。あの人は誰も見ていなかった。私も見ていなかったけど、この教室の他の誰をもあの人は視界に写さなかった。そのことに妙な安心を覚えた。
授業は淡々と進み、意味がわからないながらも私の耳はその音声を記憶する。心地よく耳に染み入るその声。でも他の人の耳にも届いていると思うと少し腹立たしい。あの人の全ては私のものなのに。
そうしているうち、まもなく90分が経過しようとしたとき、ふいにあの人は私を振り向いた。目があった。少し驚いたようにその瞳孔を広げたのがわかった。私の視線はその目に吸い込まれ、何も写さなくなった。全くの静寂。全くの暗闇。世界のすべてがこの視線に収束する。優しく暖かく凍りつく時間。
気がつくとその人は私の目の前にいて、私にそっと口づけた。その瞬間、まるでスイッチが押されたかのように世界は再び色を取り戻して、私は呼吸を再開した。
「私は春夜 紫帆」
「僕は雪村 成」
なりって読むんだ。珍しい名前。
それからまたキスをした。私を気遣うような優しいキス。ふいに窓の外から雷が聞こえる。冬を追いやる春の不確かな嵐。その稲光は私を不安定にさせた。成の目を見る。目があう。その目は冬の湖のように静かで私を固定する。優しそうな瞳。成にとっても私は運命だったんだ。深く納得した。
成は私の手をとって微笑んだ。ここが私の居場所。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
機織姫
ワルシャワ
ホラー
栃木県日光市にある鬼怒沼にある伝説にこんな話がありました。そこで、とある美しい姫が現れてカタンコトンと音を鳴らす。声をかけるとその姫は一変し沼の中へ誘うという恐ろしい話。一人の少年もまた誘われそうになり、どうにか命からがら助かったというが。その話はもはや忘れ去られてしまうほど時を超えた現代で起きた怖いお話。はじまりはじまり
適者生存 ~ゾンビ蔓延る世界で~
7 HIRO 7
ホラー
ゾンビ病の蔓延により生きる屍が溢れ返った街で、必死に生き抜く主人公たち。同じ環境下にある者達と、時には対立し、時には手を取り合って生存への道を模索していく。極限状態の中、果たして主人公は この世界で生きるに相応しい〝適者〟となれるのだろうか――
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
Catastrophe
アタラクシア
ホラー
ある日世界は終わった――。
「俺が桃を助けるんだ。桃が幸せな世界を作るんだ。その世界にゾンビはいない。その世界には化け物はいない。――その世界にお前はいない」
アーチェリー部に所属しているただの高校生の「如月 楓夜」は自分の彼女である「蒼木 桃」を見つけるために終末世界を奔走する。
陸上自衛隊の父を持つ「山ノ井 花音」は
親友の「坂見 彩」と共に謎の少女を追って終末世界を探索する。
ミリタリーマニアの「三谷 直久」は同じくミリタリーマニアの「齋藤 和真」と共にバイオハザードが起こるのを近くで目の当たりにすることになる。
家族関係が上手くいっていない「浅井 理沙」は攫われた弟を助けるために終末世界を生き抜くことになる。
4つの物語がクロスオーバーする時、全ての真実は語られる――。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
オーデション〜リリース前
のーまじん
ホラー
50代の池上は、殺虫剤の会社の研究員だった。
早期退職した彼は、昆虫の資料の整理をしながら、日雇いバイトで生計を立てていた。
ある日、派遣先で知り合った元同僚の秋吉に飲みに誘われる。
オーデション
2章 パラサイト
オーデションの主人公 池上は声優秋吉と共に収録のために信州の屋敷に向かう。
そこで、池上はイシスのスカラベを探せと言われるが思案する中、突然やってきた秋吉が100年前の不気味な詩について話し始める
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる