Take On Me

マン太

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31.空は高く

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大和やまと、身体はもう大丈夫なのかい?」

 アパートの部屋を出た所で、呼び止められ振り返る。季節は秋の気配が漂う頃。空が随分高く見える。
 声の主はアパートの家主、隣の部屋のおばあちゃんだ。
 丁度、朝の散歩と植木の水やりを終えた所らしい。ジョウロ片手に心配げな様子。今年、八十歳となるが腰も曲がらず、ぴんしゃんとしている。
 俺のいない間に、おばあちゃんの孫が大学へ進学し、アパートの空いた部屋へ入っていた。もう昔程、側で見守る必要はない。

「大丈夫! もう完璧!」

 ぐっと腕を曲げて力こぶなんかを作って見せる。Tシャツの上にブルーグレーのトレーナーを重ね着し、ジーンズを履いたカジュアルな出で立ち。
 これから真琴まことと会う予定だった。
 仕事はまだ始めていないが、そろそろ無理のない範囲でやろうかと考えている。
 俺は倫也ともやに襲われたその後ひと月、意識が戻らなかった。
 傷はなんとか塞がったものの、依然重傷であり、なにより大量の出血により、ショック状態になっていたのだという。
 ほんの僅か、あと少し遅ければ俺はあちらの世界へ旅立っていたらしい。
 その後、更に二ヶ月入院して。
 俺の入院費及び治療費は弁護士の洲崎すざき真琴名義で支払いがあった。俺が退院した時はすべて支払いが終わっていて。
 俺は慌てて連絡をした。
 すると、真琴は笑んだ声で当たり前だと言い。その金は全て鴎澤おうさわから出たものだと言った。

『あいつに頼まれてな。しかし、俺が出したっていいくらいだ』

 バカなことをと突っ込んだが。

 『あいつ』こと、たけるはその後、姿を見せなかった。たったの一度も。
 一度だけ、病室の入口に贈り主の分からない花が置かれていた事があったが、それが岳からだったのかは分からない。
 岳は忙しくそれ所ではないだろう。わざわざ合間を縫って来る必要もない。
 それは俺の望んだことでもあり、分かっていたのだが、やはり寂しいものがある。
 最後に話した時の、岳の声を俺は何度も思い出すことでそれに耐えた。
 もう最後だろうと、俺は照れずに言ってのけたのだ。

 『愛してる』

 素面の俺だったらまず、言えなかっただろう。
 もう、これで最後になるかも知れない。正直、覚悟したから言えた言葉で。
 助けを呼ばなかったのは、岳が襲われる危険も去ることながら、泣き叫んで助けを呼ぶより、岳の声を聞いていたかったからだ。
 『俺もだ』そういった岳の声を俺はしっかりと覚えている。

 だから大丈夫。

 岳は今はきっと大事な時だ。それに忙しいはず。俺に関わってる時間はないだろう。

 それに、迎えに来るって、言った。

 俺は心の中で呪文のようにその言葉を繰り返す。一年でも二年でも俺は待つつもりだ。
 真琴に岳の話を聞くと、少し言葉を濁したが、とりあえず元気ではやっている様子。

「ならいいや。ありがとう」

 それで通話を切って数週間。夏の盛りは過ぎたが、まだ日差しはきつい。
 俺は溜まらず、せめて遠くからでも姿を見たいと、岳の様子を聞くため真琴に電話をかけていた。結局、俺は我慢できなかったのだ。
 アパートから離れた駅近くの喫茶店で、真琴と待ち合わせる。
 真琴は相変わらずスーツ姿かと思ったが、今日は薄手の白のコットンセーターとパンツスタイルと言う、ラフな私服姿だった。
 聞けば、今は鴎澤組の弁護士はしていないのだと言う。

「どうして? 岳の秘書も兼ねてただろ?」

 アイスカフェオレにストローをつけながら、驚きを隠せず真琴を見る。真琴はいい薫りのするコーヒーを手の中で揺らしながら。

「岳は…今、そこにはいない。辞めたんだ。鴎澤組もたたまれた」

「へ? 何いって…。だって岳はそこで頑張ってるって…」

「そこにはいない」

 いや。確かに真琴は頑張ってはいると言ったが、鴎澤組で、とは言わなかった。

 しかし、じゃあどこで何をしているんだ?

 俺が驚きの余り言葉を継げずにいると、真琴は小さくため息をついた後。

「あいつは今、プロの写真家の弟子になって、そこで働いている…」

「写真…。じゃあ、本当に組はなくなって、岳も自由になったんだな?」

「そうだ。きよしさんは残りの時間を、岳の母親、波瑠子はるこさんと過ごすと決めた。それで組に関わるものを全てくすに託し、畳んだんだ」

「でも、じゃあ、どうして…」

 会いにこないのだろう?

 俺の疑問を見透かした真琴は表情を曇らせると。

「あいつは、大和を救えなかったことを悔やんでな。あわせる顔がないと、そう言ってた…」

「そんな…。でも、もう俺は回復したし、怪我だって治った。岳がそんな風に思うことはないだろ?」

「だが、奴は頑なでな。大切なものを守れなかった自分を責めている。自分に大和を迎えに行く資格はないと」

「んだよ。それ…」

 痛くないはずの腹の傷跡が痛んだ気がした。

「俺、生きてんだぜ? こうして、真琴さんとも話が出来てる。なのに、なんで岳は会おうとしない? 俺を見ないんだ…。もう、そんな気がないってことか…?」

「すまない。大和…」

 真琴に問いかけた所で答えられるはずもない。

「ごめん…。真琴さんに言うことじゃないな」

 俺はずっと信じて待ってたのに。
 とっくに岳はそこから降りていたのか。
 俺一人、舞台にあがったまま、岳の来るのを待っていたなんて。

「…バカみたいだな。俺。ホント」

 膝の上で手を握りしめる。

「大和がそんな風に思うことは何もない。悪いのはあいつだ。何時まで経っても話に行こうとしない。自分で話にいけと行ったんだ。せめて、無事な顔くらい見てこいと」

「でも、岳は…」

 会う気がないのだ。

 俺はクッと唇を噛み締めたあと。

「じゃあ、俺が行く。はっきり、岳の言葉で聞きたい。俺をどう思ってるのか…。俺はずっと好きだって、言ったんだ。それは今も変わらない。例え岳が俺の事を忘れても、俺はずっと好きなんだ…」

 そう。俺はずっと岳が好きだ。一番なんだ。

 真琴相手に詰め寄っても意味がない。当の本人に会って話さなければ、終わりも何もないのだ。

「…分かった」

 真琴は仕方ないと、今の岳の居場所を教えてくれた。岳には知らせるなと口留めされていたらしい。
 本来なら、岳が会いに行くべきなのにと言いながら。
 岳は今、師事している写真家の持つ仕事場兼自宅を借りているらしい。
 写真家は各地や世界を巡っているため、そこを岳に任せたのだという。岳はそこで助手や自分でも仕事をこなしていると教えてくれた。

「岳は心を閉ざしてる。前より悪いな…。まるで大和を失ったと思ってる。手を伸ばせばすぐ届くのにな…。大和、結果がどうなろうと、俺は君の友人のつもりでいる。今まで通り気楽に連絡してくれ」

 真琴は別れ際、そう言って俺の肩を軽く抱き寄せる。少しだけ辛そうな顔を見せたが、直ぐに身体を離すと、

「じゃあ、また」

 そう言って手を振り、その場を後にした。

+++

 そして、俺は今、その家の前にいた。
 和洋館とでも言うのか。モルタルの壁に緑色の屋根。今は余り見ない建物だ。
 確か亜貴もそんな家に住んでいるはずだった。
 亜貴といえば、無事新しい高校にも馴染み、祖母や時折訪れる真琴、そしてふじまき(!)とも会っているらしい。
 亜貴は亜貴でマイペースに楽しんでいるのだろう。亜貴はああ見えて強い。
 問題は岳だ。
 大きななりをしているくせに、どこか臆病なところがあるとは、真琴の談だったが。
 ずっと自分を押さえて生きてきた結果だろうか。石橋を叩いても叩いても渡らない所があると、真琴がぼやいていた。
 真琴には自分の来訪は告げないでくれと頼んである。言えばどこかへ逃げてしまうかも知れないからだ。
 呼び鈴を押そうか躊躇っていると、聞き覚えのある声が庭先から聞こえてきた。
 見れば玄関脇から、芝生の中にそこへと続く道が出来ている。

 岳の声だ。

 聞き間違うはずがない。

 驚くだろうか? 迷惑な顔をするだろうか? 

 それでも怯むつもりはない。
 俺は浮き脚だつ心を押さえて、踏みしめる様にして一歩一歩進んだ。

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