Take On Me

マン太

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23.梅雨空

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 時は戻り、マンションのリビング。
 岳は徐ろに口を開くと、組を継ぐ事になったと告げた。

「正式に、組長になるのか?」

 以前、聞いていた話と違う。
 驚いた拍子に殴られた左側頭部に痛みが走って、思わず顔をしかめた。
 横にいた亜貴あきが心配そうな視線を送ってきたが、大丈夫だと手で制する。
 
「そうだ」

 たけるは端的に答えた。亜貴は眉根を寄せ、岳を見つめ。

「兄さん。それ、本気?」

「本気だ。元よりそのつもりで親父のところへ来たんだからな? 組が荒れるのは跡目が決まらないからだ。今回の件も以前の大和の件も、それが原因だ。それを治めるには俺が継げばいいだけのこと。これで亜貴はもう組には関わらせない。自由だ」

 違う。岳は──。

 岳の期限は亜貴の成人までだったはず。
 それを知っているのは、きよしくす真琴まこと。あとは俺だ。
 今回の倫也ともやの襲撃で、話が変わったと言うことなのか。
 
「自由って、そんな…。でも、それって俺の代わりでしょ? ずっと思ってた…。母さんが亡くなった後、父さんが入院してすぐ兄さんが来て。俺が子どもだったから、父さんが無理に呼んだんだって思ってた…。そうでしょ?」

「違う…」

 岳は否定するが。

「違わない! 俺のせいだ…。俺、ずっと思ってた。大人になったら兄さんを手伝おうって…。その覚悟だってある!」

 頬を高揚させ、じっと岳を見据える亜貴に、諭すように口を開く。

「亜貴。俺がここへ来たのは自分の意思でだ。それに俺はお前の代わりじゃない。お前はまだ子どもだ。同じ立場でも何でもない。俺は親父の代わりに継ぐんだ。それだけの話だ」

「でも…!」

 亜貴は尚も言葉をいい募ろうとするが、岳はそれ以上受けつけなかった。

「話はそれだけだ。正式な跡目相続は式をしてからだ。内々にやる予定だが、盃事さかずきごとはきちんとやる。そうなれば俺と関わることはお前の将来にいいことは一つもない。式が終われば亜貴とも、もう会わない事になる」

「えって…なに? それって…」

 亜貴の表情が固まる。

「お前との縁は切る。今後、何があってもお前と俺は一切関係がない。お前を親父の戸籍から外し、母方の籍に入れ、姓も母方を名乗らせる。このマンションも引き払って、別の高校へ移らせる。母方の祖母がまだ健在だ。お前も以前は会っていただろう? 成人までの世話は彼女に頼む予定だ。これはすべて親父も了承済みだ」

 そこまで一気に言うと、亜貴を見つめる。
 亜貴はあまりのことに綺麗なピンク色の唇を開いたまま、呆然と岳を見つめていた。
 俺は思わず身を乗り出すと。

「って、俺は?」

 亜貴がそれなら、俺は──。

 岳はちらとこちらに視線を向けた後、

「大和とも、今後会うつもりはない。家政婦の仕事はここを引き払った時点で終わりでいい。残りの借金は俺が後目を継ぐことでちゃらにする」

「は…? なんだよ。会わないって…。終わりって、そんな──」

 簡単に──。

 待っていて欲しいと言った。一緒にいたいと。

 頭の中が真っ白になる。岳の言葉が上手く頭に入って来なかった。
 
「真琴からちゃんと完済証明を出すようにする。お前の父親の借金は支払完了だ」

「…まてよ。それって、岳と…二度と会えないってことか?」

 ダメだ。ダメだ。全然、理解出来ない。

「そうだ…。俺は暴力団の組長だ。普通の人間がかかわるべきじゃない」

 ぴしゃりと言い切る。

 それは、そうだ。

 けれど、今までの岳との関係はすべてなかったことになるのか? 俺への思いはそんな簡単に切れる事だったのか。
 あの時の岳の言葉や瞳。その後もずっと俺に向けられた好意。

 それらが全部──。

 俺は膝の上で、震える手の平を握り締めると。

「俺は…岳に、家族だって、そう言われて嬉しかった。初めは理解できなかったけど、こうやって食卓囲んで他愛ない日常を過ごせる相手がいるってことが、『家族』なんだって気付いて…。でも、それを続けられないってことなんだな…?」

 一緒に過ごせるという夢もなくなった。
 楠の弟が起こした事件によって、岳との全ての未来が閉ざされた。
 それは、殴られた方がましだと思う結末だった。

「…そうだ」

 岳の声は冷たい。わざとそうしているのだと感じた。

 今更、問い詰めても、岳を苦しめるだけだ。きっと、岳も苦しいに決まっている。
 あと少しでこの世界から抜けられたのに、夢に向かって邁進できたのに。
 また闇に沈むことになる。何もかも、諦めて。
 
 その暗闇で、岳は耐えられるのか?

「…あと、どれくらい一緒に過ごせるんだ?」

 俺の絞り出すような問いかけに。

「式は身内の準備が整い次第だ。親父の体調も良くない。ここ一、二週間の内には終わらせる予定だ。そうだろ? 真琴」

「ああ。なるべく早い方がいい。亜貴も大和も暫くあわただしくなるが、いつも通り過ごしてくれ。亜貴の次の高校も住居もすでに目星はつけている。次の土日に見に行こう。お祖母さんにも連絡を入れておく。せっかくだからゆっくりしてくるといい」

 亜貴は言葉は発せず、ただ、こくりと頷いただけだった。目には涙が浮かんでいる。

 それは、そうなるだろう。

 八歳の頃から今までずっと一緒に生きてきたのだ。それが、突然の別れを宣告され。泣くなと言うのが無理だろう。
 別れたくはない。けれど亜貴には抗う術がないのだ。
 真琴は労りの表情を浮かべながら。

「大和は前のアパートに戻る事になる。手筈は整えてあるよ」

「分かった…。ありがとう、真琴さん…」
 
 抗う術がないのは俺も同じで。
 岳の好意が嬉しかった分、反動が大きかった。

「本当に、お別れなんだな…」

「これで借金は返せたんだ。良かったろ?」

 岳は僅かに口元へ笑みを浮かべて見せたが、俺はまともにその顔を見られなかった。
 俺の目にも涙が溜まっていたからだ。亜貴の事を言ってはいられない。
 零れそうなのをぐっとこらえて、

「…じゃあ、残りの時間は今まで通り過ごせるんだな?」

「ああ…」

 俺はその言葉にすっくと岳を見返した。岳はじっとこちらを見つめている。

 岳が跡を継ぐまでは、家族でいられる──。

「わかった」 

 窓の外、空には梅雨独特の雨雲がかかり始めていた。
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