Take On Me

マン太

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7.精を出す

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 それから、俺は気合を入れて仕事に精を出した。特に食事に関して。
 と言っても作るのは有り触れたメニューで。
 定番になりつつあるハンバーグにカレーに肉じゃが、シチュー。
 餃子に麻婆豆腐に、青椒肉絲。煮魚にムニエル、ホイル蒸し。意外に受けのいいガパオにカオマンガイ。
 レシピは素人ぜんとしているが、できる限り丁寧に調理した。魚料理の次は肉料理。野菜もバランス良く取る。
 初めのうちは、時折だったたけるの来訪も、ひと月、ふた月経つうちに徐々に増え。最近では週の半分は顔を見せていた。
 季節も初めて出会った頃は秋の最中、十月だったと言うのに、春の薫りも目立つ季節になってきている。
 今晩は豚肉のチャプチェ風。春雨に甜麺醤、コチュジャンが効いている。
 それを大皿に盛って各自取り皿に取る様にしてある。後は水菜と豆腐のサラダ。ひじきの煮物に、箸休めの漬け物はカクテキ。
 ひじきの煮物は隣に住んでいたばあちゃん直伝だ。甘じょっぱい味つけが俺の好みだが、これは好き嫌いが分かれるかもしれない。
 そういえば、こういったレシピは皆、住んでいたアパートの住人から教わってきた気がする。たまに余ったからとおすそ分けをもらって、そのついでにレシピを教わって。
 ネパール人もブラジル人も中国人もいた。あとは韓国にタイにイタリアに、スペインに。
 家賃の安いアパートは異文化が入り混じっていた気がする。みな、どうしているのだろうか。

「いつも済まないな。大和やまと君」

 洲崎すざきに声をかけられ我に返る。
 最近、時折ではあるが夕食には洲崎も加わるようになっていた。

「いや。一人増えようが二人増えようが問題ない。てか、ごく普通のメシだし。洲崎さん、何時もこんなんでいいんで?」

「おい、こら。俺たちはこんなの食わされてるって事か?」

 からかうような口調のたけるに、俺は違うってと訂正を入れる。

「洲崎さんも岳にしても、こう、高級料亭で毎日スゲェもん食ってんじゃないかってさ」

 俺の勝手な想像だ。しかし、洲崎は笑うと。

「そんなのはごくまれだし、だいたい食べてもろくに味を覚えていないな。けれど、ここで食べる食事は美味しいしほっとするよ」

「はぁ。ほっとねぇ」

 俺が首を傾げていると、岳がご飯茶碗をこちらに差し出して来る。おかわりだ。

「どれくらい盛る?」

「軽くでいい。…そうだな。俺もここだと食が進む」

「ホイ。そういうもんか?」

 軽くもった茶碗を岳に手渡すと。

「そういう事だ」

 受け取りながら岳は笑った。
 その間、亜貴は大抵無言で食している。元々口数が少ない方なのか内弁慶なのか。

「亜貴、お代りは?」

「いらない」

 素っ気ない返事が返って来るが、既に二杯は食べていた。大皿に盛ったおかずも、大半は亜貴が消費している。

「今日もホットミルクでいいか?」 

「同じでいい。…ねぇ兄さん」

 再度素っ気なく俺の問に答えた後、岳を見て言い辛らそうに口を開いた。上目遣いが見ているだけなら可愛いのだが。

「たまには一人で出歩きたいんだけど…」

「ダメだ。前にも言ったが、今は特に用心しないといけない。どうしても行くなら、まきふじをつける。それ以外は認めない」

「……」

 亜貴は唇を噛みしめる。

 この年だしな。

 それは遊びに出たいだろう。どうやら不服らしいが、大好きな岳の指示は絶対らしい。口答えはしない。
 どうしてここまで厳しくするのか。
 以前も、危ないからと言っていたが。あれから随分経つ。それでも未だにそれは変わらないのだろうか? 

「話はここまでだ。分かったか?」

「…分かった」

 亜貴は渋々自室へと戻っていった。

+++

 夕食も食べ終わり片付けも済むと、カフェオレ片手に、リビングのソファに向かった。
 夕食後は、リビングのソファで会話をしながら寛ぐのが日課になっていた。
 大抵は俺と岳だけだが、そこに洲崎が加わる事もある。
 先に休んでいた岳と洲崎は、コーヒー片手に他愛もない話しをしていた。
 俺は岳の向かいの空いた場所へと座る。
 隣には洲崎がいた。岳の視線がちらとこちらに向けられる。
 俺はその視線を受けつつ、おもむろに口を開いた。

「なあ。そんなに岳の周りは危険なのか?」

「亜貴の事か?」

 岳は視線を落とし、手の中のカップを軽く揺らす。

「まあ。ちょっと可哀そうかなって」

 すると岳は少し考える様にしながら。

「以前からだが、組の中がゴタゴタしててな。とばっちりが亜貴にいかないとも限らない。前にも言ったが、亜貴にはごく普通の生活を送って欲しいと思ってる。この状況が既に普通じゃないのも理解しているが、それでも、できるだけ巻き込まないよう安全な場所に置いておきたいんだ」

「タケはブラコンだからな?」

 横から洲崎が茶々をいれるが。

「言ってろ。亜貴は小さい頃、母親が亡くなってな。葬式の時、ポツンと座る背中見てさ。こっちの世界にいかせちゃいけないって思ったのが初めだな。亜貴にはごく普通に幸せになって欲しい。高校出て大学出て、どこかの企業でもなんでも好きな仕事見つけて就職して。日向ひなたの道を歩いて欲しいんだ」

 そう口にした岳の表情は何処か曇る。

「そっか…。てか、さ。それって岳がそうしたかったてことか?」

 俺の問いに岳がはっとしたようにこちらを見つめてきた。

 おっと。地雷を踏んだか?

 でも、そんな気がしたのだ。どこか辛さを堪えてる様にも見えた表情に。
 しかし、すぐに自嘲気味な笑みを浮かべると。

「…そういうわけじゃない。ただ、まともな道でないことは確かだからな。知っているだけに、亜貴にはそうなって欲しくないだけだ」

 日向の道。
 なら、岳はずっと闇を歩いていると言う事なのか。

 なんだかそれも。

「好きでやってるって訳じゃないんだな…」

 ぽつりと呟くと、またしても岳が目を瞠ってこちらを見てくる。

 っと。また余計な事を言ったか?

「ごめんっ、なんか俺──」

「いいや。気にするな。…ちょっと驚いただけだ」

 岳は視線をそらし、コーヒーを飲み干すと。

「さて。俺は部屋で片付ける仕事がある。真琴、お前もそろそろ帰る時間だろう? たまには早く帰って休めよ」

「そうだな。これを飲んだら帰る」

 手元のカップにはまだ半分ほどコーヒーが残っていた。岳は立ち上がってキッチンへと向かうと、カップをシンクに置き、

「じゃあ、おやすみ」

「ああ。うん。おやすみ…」

 俺の返事に口元に少しだけ笑みを浮かべて見せると、そのまま自室へと戻って行った。
 どことなく、いつもと違う様子の岳に俺は。

「洲崎さん。俺、なんか余計なこと言ったかな?」

「いや。ズバリ言われて、驚いただけだろう。そんな素振り、ほとんど表には見せていないからな? 部下にそんな気配を感じさせたら、誰もついてこなくなるだろう」

「じゃあ、やっぱり…」

「本意じゃない。元々、あいつは学生時代、カメラマン志望だったんだ。師事する師匠も見つけてこれからって時に、急に父親を名乗る男に呼び出され、軌道を修正せざるを得なかった。母親はそれまで一言も父親について語らなかったらしい。岳の母親は未婚で産んだんだ。認知はされているがな。岳は突然、正妻の葬儀に参列させられ、そこで弟の存在を知った。筋ならその弟が継ぐべき所だがまだ幼い。父親も病を得てな。仕方なく跡を継ぐと決めたんだ」

「道理でなんか…。あんまりそれらしくなって言うか──」

「そうか? あれでも外に行くとそれなりだぞ。大学時代は山岳部で、元々山岳カメラマンを目指していたからな? 厳しい自然の中に身を置いた事もある。そういう強さが役に立っているんだろう。ここではまったく以前の岳の様に過ごしているが…」

 洲崎はそのほとんどを知っている様だった。俺は好奇心から、

「あの、洲崎さんは──」

真琴まことでいいよ」

 柔らかく笑む洲崎にじゃあ、と言い直す。

「真琴さんは、いつから岳達と付き合ってるんで?」

 眼鏡のブリッジを上げた後。

「そうだな。タケとの出会いは小学校の頃だ」

「小学校? 今何歳なんだ?」

「二十九歳だ。岳も同じだな。その後も中学、高校、大学。大学は学部が違ったが、全て一緒だった。付き合いは二十年以上だな」

「へぇ~! 長いな…。ってその、失礼かもだけど、もしかして、岳と…?」

 無粋な質問ではあるが、それだけ付き合いが長いと言う事は、岳の性的嗜好も知っているわけで。
 ここまで付き合が長いとそう言うことも十分あるかと思ったのだが。
 しかし、真琴は笑うと。

「まぁ、昔はあったかもしれないが、今はもう、ないな。後にも先にも、同性で好きになったのはタケだけだ。あの頃は自分の思いがどういうものか分かっていなくてな。今思えば恋愛対象の好きというより、憧れが強かった。限られた環境特有の、一過性のものでもあったしな」

「へぇ…」

 真琴は照れ臭そうに笑うと。

「昔の話だ。今あいつとどうこうなりたいとは思わない。あるのは強い信頼と忠誠心と言ったところか。ただ、生涯の支えになれればとは思っている。あいつは弱みを見せないからな? そういう奴には誰かついていないと、いつかぽきりと折れてしまうだろうと思ってな。それで側にいる選択をした」

「それで秘書に?」

 真琴は頷く。

「もともと、弁護士志望だったんだが、タケが組を継ぐと知って進路変更した。とは言っても、そっちもやりながらだから一石二鳥だったわけだが」

「友だちの為に、自分の将来も変えたのか…」

「友だち、という括りなのかな…。俺の中では家族に近いものがあるな。タケを放っては置けなかった。俺も過保護なんだろう」

 真琴は笑う。
 というか。ヤクザの弁護士兼秘書なんて。真っ当な将来を棒に振ったに等しいだろう。岳のいった様に、一生日の当たる場所には出られなくなる。

「俺達の仕事ははっきり言って汚い。だからこそ、亜貴にはここへ堕ちてきて欲しくないんだろう。だが…」

「なんかあんのか?」

「そうだな。亜貴は…ある程度、全て受け入れている気はするな」

「受け入れている?」

「自分の環境も状況もすべてな。それからどうするか、腹は決まっている気がするんだ。亜貴とたまに話すとな」

「真琴さんはもう一人の兄貴みたいなもんなんだな?」

「亜貴が八歳の頃から知っているからな? 岳がいないときは俺が面倒を見ていたし。鴎澤兄弟との付き合いは長いな」

 何かを思い出すように視線を遠くへ向けた。

「岳はこのまま組を継ぐのか?」

「そうだな。色々あるが…。表向きはそうなっている。追々、タケが話すだろう」

「表向きね。何にしても全部、亜貴のため、か…」

 切なくなるな。

 大事な弟の為、自分を犠牲にしてまで幸せにしようとするとは。普通なら、まずは自分の幸せを望むだろうに。

「だが、タケを可哀そうな目で見ないでやってくれるか? それが自分の選択だと腹をくくっている。望んだ道だとね。もう、嫌嫌やっているわけじゃない」

「…わかった」

 真琴の言う様に、それが本人の選択なら、俺がどうこう言う筋合いはないだろう。

 それに、俺こそ本当の外野だ。

 一年もしない内にここを出される身。彼らの中には組み込まれない存在だ。色々、口を出す資格は無い。

 前に家族だと思っているっていってたけど。

 やっぱり彼らと同列ではないのだ。
 俺はひっそりと身を潜めて、家政婦に徹するのが得策だろう。

「大和君?」

 黙り込んだ俺を不審に思った真琴が声をかけてきた。俺は何でもないと首を振ると。

「さて。食器かたづけて、亜貴のホットミルクでも用意するか。あ、岳も飲むのかなぁ」

 腰を上げてキッチンヘ迎えば。

「そうだな。頃合いを見てカフェオレでも持っていけば喜ぶだろう。それが仕事とは言え、気遣ってくれて助かる。俺ばかりじゃタケも飽きるだろうからな?」

 亜貴や岳専用にしているカップを手に取りながら。

「でも、俺は結局、部外者だからさ。それもいるまでの間だけだ。真琴さんのようにずっと付き合って行く訳じゃない。気遣えるのも一時だけで…。いなくなればきっと、岳だって亜貴だって忘れていく」

 卑下しているわけじゃない。本当の事だ。
 いなくなった当初は寂しく思ったとしても、それも一時の事。ほんの僅かな時間を過ごしただけの霞んだ存在になるのだ。

 わかってる。

 俺はどう見ても主人公と絡む顔でもキャラでもない。
 しかし、真琴の眉間にはシワがよる。

「大和君。君はそんな風に自分の事を思っているのか?」

「いや。だって、本当にそうだって。俺も色々バイトしてきたけど、辞めたあと暫くは付き合いがあっても、そのうち連絡しなくなって、ああ、あんな奴もいたなって、そんな程度になってく…。でも、それが当たり前だ。俺はここに借金を返すため雇われた人間だ。ちゃんと役割を理解してる」

 つい、岳の言葉に甘い夢を見てしまったが、俺は真琴や亜貴の様に岳に関わっていくような存在ではないのだ。
 亜貴や真琴との出会いの話を聞いてそう思った。

 でも、ここにいる間はきっちりと家政婦としての役割を果たす。

 それが借金をこれで免除してくれた岳への恩返しだ。

「…大和君」

「真琴さんも気を付けて帰れよ? 組の周辺が荒れてるんだろ? 亜貴だけが危ないって訳じゃないだろうし。って、心配は必要ないか?」

「そんなことはないよ。ありがとう」

 真琴は何か言いたげではあったが、しかし、口をつぐむと。

「また、夕食にお邪魔させてもらう。それじゃあ」

 立ち上がった真琴を玄関まで送っていく。

「あ! そうだ。真琴さんの苦手な食べ物は? 聞いとかないとって思ってたんだ」

 靴を履く手を止めた真琴は。

無花果いちじく…」

「へぇ。無花果。それならどうやっても食卓には上がんねぇな。でもどうして?」

「あの、食感がな。グニャリというかグシャリというか…。味もハッキリしないし。ドラゴンフルーツもそうだが」

「はは。なんか意外とカワイイ所あるんだな? あんがとな。絶対出さない様に気をつけるな」

 笑う俺を見て、真琴も頬を緩ませる。

「…岳の気持ちが少し分かるな」

「なに?」

 笑っていて真琴の呟きを聞きそびれた。

「いや。何でもない。おやすみ、大和」

「おう。真琴さんもな。おやすみ」

 見送りに玄関に立つ。
 手を上げてさよならをすると、それに真琴も返してくれた。
 玄関ドアが閉まって、そこで初めて呼び捨てにされた事に気がつく。
 打ち解けたと言うことだろう。どこかこそばゆさを感じる。

「さて。ミルクミルクっと」
 キッチンへと戻り、冷蔵庫から牛乳パックを取り出す。

 それにしても。

 改めて岳らとの立ち位置の違いを思い知らされ、胸に寂しさを感じた。

 俺は結局、モブなんだ…。

 彼らの傍らには立てない。

「ああっ! もう、やめだ! こーゆーのっ」

 その思いを振り払うように、さっさとホットミルクとカフェオレの準備を進めた。
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