Take On Me 3

マン太

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43.帰宅

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「た、ただいまぁ」

 少し間の抜けた帰還だったと思う。
 玄関ドアを開け、出迎えにでた面々にひょこりと頭を下げて見せた。なんだかバツが悪い。
 岳とともに家に戻ったその日。日曜日午前中、皆家に揃っていた。
 亜貴も真琴も七生も。
 一番初めに出て来たのは、真琴。次いで七生だ。二人とも玄関先で俺を見て、一瞬固まった。

「久しぶり過ぎて、忘れられた、か…?」

 照れ臭さもある。後ろ頭を掻きつつそう口にすれば。

「そんなわけないだろう? ずっと待っていた…。お帰り大和」

 そう言って真琴が相好を崩す。
 七生は口を押えたまま、その場へへたり込んだ。二階の自室から脱兎の如く駆け下りてきた亜貴は、真琴も七生も飛び越えて、俺の顔を見るなり、飛びつく様に抱きついて来る。

「良かった──」

 頬を首元に擦り付けて来た。
 俺は年長者としての体面を保つため、何とか倒れずにググッと堪え、それを抱き止めると──ここの所、亜貴の成長は目覚ましい。高校三年生にして、また身長が伸びたのだ──ポンポンとその背を叩く。

「心配かけてごめんな。──七生も」

 亜貴の向こうでへたり込む七生に声をかけた。

「良かったです…。本当に無事で」

 顔をくしゃくしゃにして涙ぐむ七生。そんな様は相変わらず可愛いの一言に尽きる。
 皆に心配をかけさせた。申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

「大和、怪我はないの?」

 亜貴が尋ねて来た。

「おう。この通り、どこも──な?」

「すぐに帰って来ないから心配したんだ。兄さんが何処かに連れてったみたいで…」

 恨みがましい目で、俺の背後に立つ岳を見た。岳は何も言わない。素知らぬ顔だ。俺は言葉を濁しつつ。

「はは。ちょっと休養してたんだ。こっちも騒がしかったからさ。ほら、続きはリビングで。七生も」

「はい…」

 抱きついていた亜貴の身体を起こし、七生も促す。七生は真琴の手を借りて漸く立ち上がった。本当に腰が抜けたらしい。
 あの後──詳しくは端折るが、岳の波状攻撃の後の事だ──俺は一週間ほどあの山小屋で岳と共に過ごし、ほとぼりが冷めたからと言う岳の言葉に、下山したのだった。
 下山途中、俺は改めて岳の体力に感心した。
 山小屋からの道はそれなりに急峻な箇所もあって、良く眠りこけた俺を背負子に背負って上がったものだと思う。流石元大学山岳部部長。

「こんな所、よく上がったよな? 俺もよく起きなかったよな?」

「誰にも渡したくなかったからな。俺も必死だった。それに──申し訳ないが、少し眠ってもらった」

「へ?」

「車で飲んだだろ? 紅茶。あれに薬を仕込んだ」

「薬…」

「睡眠薬だ。途中で起きられても困るからな。大和がうんと言うまで、あそこから出さないつもりだった」

 淡々と言ってのける岳の顔には、表情が浮かんでいない。まるで能のお面のよう。

「…こえー。岳、こえー」

「言ってろ。俺に惚れられたんだ。それくらい、覚悟しとけ」

「お、俺だって! なめんなよっ!」

「誰もなめてなんかいない──いや、舐めたか?」

 少し思案した後、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべこちらを見てくる。

「?!! こ、こんな時にそんな話、すんじゃねぇっ!」

 げしげしと、急峻な坂道を下り終えた所で、岳のケツを蹴る。

「って。お前、そんな態度取ってどうなるか、わかってんのか?」

「う、うるせぇっ! あんなこと、二度とさせねぇ! あう、あ、あんな──」

 思いだして全身の体液と言う体液が沸騰して熱くなる。岳はそんな俺を見て大いに笑った。
 理由はともあれ、笑う岳を見られたのなら、俺は幸せで。
 そんなこんなで、今漸く帰宅したのだ。

 亜貴と七生がリビングに入った所で、

「大和はこの通り無事だ。心配かけたな? 真琴…」 

 岳の強い視線が向けられる。真琴は真琴で、それをかわすように肩をすくめて見せると。

「かけ過ぎだ。タケ、お前のせいで余計な心配が増えたからな? その分の迷惑料はもらうつもりだ」

 言った真琴の視線が、チラと俺に向けられたのだが──当の俺は全く気付かず。岳の眉間にシワが一本、現れる。

「…どう言うつもりだ?」

 岳の言葉には答えず、真琴はフンと鼻先で笑うと、

「大和、とにかく中に入って休んでくれ。疲れただろう?」

「うん。真琴さん、その、本当に…ごめんな」

 俺の背を軽く支えるようにして、リビングへと導く。

「気にしなくていい。大和が無事だったなら、それでいいんだ。大和こそ大変な目にあったんだからな?」

 ホント、真琴さんは優しい。

 思わずホロリとなりそうになった所を、遮るように岳が割り込んで来た。背後からグイと俺の肩を掴んで、

「ほら、早く中に入れ。俺がコーヒー淹れる」

「ん」

 そんな様子に真琴はため息をつくと。

「まったく。相変わらずだな?」

 すると岳は真琴をチラと見て、

「変わるつもりはないな。迷惑料はほかで払う。お前もいい加減諦めろ、真琴…」

「まだ、分からないさ」

 岳は眉間にもう一つシワを増やしたあと、しばし真琴と睨み合ったが、唐突に笑い出した。真琴も笑う。

「…日常にもどったな?」

 そう言うと、岳は俺と真琴の背を押しリビングへと入った。

 そう。これが俺の日常。俺の居場所だ。

+++

 いつもの日々が戻った。
 俺は以前の様に家事炊事洗濯に精を出す。七生は次の職が決まり、ここでの手伝いは終わりを迎えていた。
 いよいよ最後の日、いつものように七生も交え岳やスタッフと共に軽い昼食を済ませると、その片づけを七生と共にしていた。
 俺が食器を洗い、七生が拭き上げる。これも今日でお終いかと思うと寂しさはあるが、それも仕方ない。新たな生活の始まりなのだから。

「七生、次はフランス料理の店で働くって?」

「はい。実はおじいちゃんの所で修行していた人の店なんです。ここで、料理作ってたら結構楽しくて。また、美味しいって言われるような料理作れたらなって。美味しいと笑顔になるでしょ? あれって、結構嬉しくて…」

「だよな? おいしいもん、食べると幸せーってなるもんな。七生なら大丈夫だって。何時もおいしかったし。もっとパワーアップできるな? 楽しみにしてる」

「はい! …僕、大和さんに美味しいって言ってもらえるのが、一番嬉しかったです」

「そうか? だって、ほんと、七生の料理おいしかったし。絶対店で食べるよりおいしいって──」

「ね、大和さん…」

「ん?」

 食器を洗い終え、タオルで水分を拭き取ると、七生に向き直る。
 七生は手にしていた布きんをくしゃくしゃに握り締めていた。やや俯いて、何かを堪えるように口を引き結んでいる。

「…どうした? 七生」

「あの、僕…。僕─…」

「うん?」

 これは何かある。

 俺は真面目に向き合おうと、顔を覗き込みしっかり七生を見つめた。すると、七生は決心したように、大きく息を吸い込んだ後。

「大和さんっ…!」

 唐突に両肩を掴まれ抱きしめられた。
 俺とそう変わらない七生の顔がすぐ頭の横にある。
 ふわりと甘い薫り。
 既に部屋中に置かれたルームフレグランスは、七生の仕事の終了に合わせるように終わりの時期を迎え、その殆どを七生の手によって片付けられていた。残っているのはトイレと、洗濯用の洗剤くらいだ。
 七生はぎゅっと抱きしめると。

「僕…大和さんが好き──です」

 は──へ?

「でも…その、岳さんがいるし、僕の出番はどこにもなくて…」

「お、おお、おう…」

 そうだ。俺には岳がいる。

 俺は動揺する。変な汗をかき出した。

「ただ、初めてちゃんと人を好きになって、この気持ちだけは大事にしたくて…。受け取ってもらえないのは──分かってます。ただ気持ちだけは伝えようって…」

「そ、そうだった──のか…」

 正直、驚いた。
 俺はずっと岳のことを好いているのだと思っていたのだ。
 途中で例の山での遭難後、岳にそれは違うと諭され。いつか七生が話すだろうとは言われていたが。

 まさか──。

 が、本音だった。

 いや。だって俺だし。

 真琴や岳、亜貴ならいざ知らず。何処にでもいそうな、一般的、平均的な男子で。道を歩いたって誰も振り返ったりしない。なのに。

「ごめんなさい。…驚かせて。でも、気にしないで下さい。これで、もう次に切り替えますから!」

 そう言って身体を起こした七生は、照れた様に笑みを浮かべて見せる。でも顔は半泣きだ。
 それさえ可愛く見えるのだから、羨ましいことこの上ない。

「七生にそんな風に思われてたなんて、気付かなかった…。確かに七生の思うような好意は返せないけど。でも、俺みたいなの、七生が好いてくれたのは、正直、嬉しい…。だって、俺全然格好良くないだろ? 見た目モブだし。平凡だし。──でも、そう言うんじゃないんだよな? …ありがとうな。七生」

 そう言って、まだ俺の肩に手を置いたままの七生を見つめ返した。
 まるで少女漫画の主人公張りの睫毛の長さに黒目の大きさ。フランス人の血も入っているせいだろう。
 見た目だけじゃなく、ちょっとそそっかしくて目の離せない七生。性格もかわいい。これならすぐに次の出会いがあるはず。

 てか、ホント、俺のどこが良かったんだろう?

 謎でしかない。まあ、それは岳に対しても言える事だが。
 七生も黙って見返してくるが。

「七生…?」

「最後に──お別れの挨拶、してもいいですか?」

「あ? って、まだ──」

 お別れは今日だがここを出るのは明日の朝で、それに、数日後、改めてお疲れ会を催す予定で。

 それに、これで終わりってわけじゃ──。

 そう考えている間に、肩に置かれた手にくっと力が入り、唇に柔らかいものが触れた。
 七生の唇だ。
 それは触れるだけだったが、時間的には長く感じた。
 半分開け放たれた窓からは鳥のさえずりが聞こえてくる。すっかり秋支度を整えた庭からは枯葉の甘い香りがした。

 七生。

 それから七生はゆっくりと唇を離し、伏せていた長い睫毛の端を素早く指で拭うと。

「──えへ。お別れの挨拶、よく外国の人はやるでしょ? おじいちゃんと別れる時も、よくやるんです…」

「お、おおう…」

 再び、動揺する。
 七生の目の端はそれでも濡れていて。
 その気持ちは充分分かる。俺だって、岳に別に好きな奴がいて、片思いに終わったなら。切なさは計り知れない。

「じゃ、僕。自分の部屋の片付けしてきますね? まだちょっと残っていて──」

「七生!」

 さっと踵を返して向こうを向いた七生を俺は引き留める。
 今度は俺が七生の手を取って引き寄せると、思いっきり抱きしめてやった。
 きっと普通の奴ならギブアップするくらいの強い奴だ。

「…七生なら、きっと大丈夫。もっと幸せになる。ずっと、応援してる」

「……っ」

 七生が泣き止むまで、俺は結局、ホールドしたままで。
 最後はちょっと苦しいと笑われて、それで漸く腕の力を緩め、七生を解放してやった。
 
+++

 その次の日、七生は元気に笑顔で帰って行った。岳が送ろうかと言ったが、せっかくだから馴染んだ風景を見ながら帰りたいと、丁寧に辞退され、結局、玄関先でその背が見えなくなるまで、皆で見送った。
 最後まで残ってその背を見届けていると、同じく残っていた岳が、

「惜しいことをしたな?」

「へ?」

「…最後だから、許した。けど、次はない」

 岳はそう言うと、俺の頭にぽすりと手を置いてから、中へと戻っていく。

「は? ええっ? って、岳! まさか──」

 み、見られてた!?

「ま、待てって! 見てたのか? 昨日の、その──」

 俺は慌ててその背を追った。

「最後の日に告白するんだろうなとは思ってたからな? 大和の気持ちを疑ったわけじゃないが、パートナーとして、気になるのは当然だろう? 俺より若くてかわいい奴に告白されて、よろめかない方が可笑しい」

「あ! お前、拗ねてるだろ? な? ったく、俺をなんだと思ってんだよ!」

「…抱きしめた癖に」

 ちらとこちらに恨みがましい視線を送ってきた。岳は全部、見ていたらしい。

 っとに、こいつは──。

「おうおう! やっぱり疑ってんじゃねぇかよ! いいか、俺は岳の事が一番で、他に目を移してる余裕なんてないんだ。いい加減、分れよ!」

「じゃあ、ここで証明してみせてくれ。俺が一番だって」

「!」

 くっと俺は唇を噛みしめ、岳を見上げた後。猫なら唸りだしていただろう。
 腕を広げて見せた岳に、俺は飛びつくように抱きついて、首元を引き寄せると、うちゅっと音がしそうなくらい、唇を押し付けた。
 もちろん、外国映画にかならず挿入されている濃厚ラブシーンにも負けないくらい──と、自分では思っている──キスをする。
 いや、これはいつも岳がしてくるのを、マネただけだが。
 トレースするように、岳の動きを思い出しながら、長いキスをする。
 息が上がった所で漸く唇を離すと。

「…こんなの、岳だからするっ。他の奴とか、考えられない」

 どうだ。まいったか。

 鼻先でそう告げれば。
 しっとり潤んだ岳の眼差しが、俺に落とされる。岳は俺の頬に手を滑らせ、そのまま髪を優しく撫でると。

「…午前の仕事、休みにしていいか?」

「ふざけんなっ!」

 岳は俺の腰をしっかり支え、抱き上げる。

「仕方ない…。夜まで我慢する…」

 かなり残念な顔をしてみせ、そう口にする。とにかく、俺の意図は伝わったのだろう。
 と、前方からとっくに家に戻った筈の亜貴の声がした。

「ちょっと! そこ、いい加減、にしてよ! 家の前! みんな見てる!」

 玄関から顔を覗かせ、怒鳴る亜貴の声にハッと我に返ると、自宅兼事務所に、入るに入れずにいる、スタッフ三名がいた。

「あ…はは…」

 俺は完熟トマト並みに赤くなると、すぐに岳から離れようとするが、ぐいとそれを岳が引き留めた。

「終わるまで待っててくれたことには感謝だな? すまなかったな。これも大事なスキンシップなんだ」

 悪びれもなくそう言うと、岳は皆の為に道を開けた。もちろん、俺は抱きかかえられたままだ。

「いつまで、新婚気分なんだっての! さっさと枯れちゃえばいいのに!」

 亜貴はそう言い捨てると、家の中へと戻って行った。岳はふうと大袈裟にため息をついて見せ。

「亜貴も、すっかり口が悪くなったな…。いったい誰に似たんだ? それに、いい加減、慣れるべきだな」

 そう言い放ち、俺を漸く解放する。俺は岳を睨みつけながら。

「途中から、誰の背を見て育ったと思ってんだ?」

 俺の問いに岳は笑うと、急に声を潜め、思案して見せた後。

「さて。…もしかしたら、真琴かな?」

「て、お前だろっ!」

 俺は岳の腹に軽いパンチを食らわせた。
 ははっと声を上げて岳は笑うと、俺の背を支えるようにして家の中に戻った。

 穏やかで賑やかな一日の始まりだ。

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