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29.七生の事情
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七生は、初めから大和のことが気になっていた。
倖江から鴎澤家の話はよく聞かされていて。写真も見せられていた。とてもいい家族なのだと、倖江は楽しそうに語り。
なかでも、大和の話題は多かった。
笑える話には必ず大和が登場して。写真の中の大和は、いつも満面の笑みで、歯を見せ笑っている。
いつか、会ってみたいな。
明るく前向きで、屈託なく笑う──。七生が好きになるタイプだった。
七生は中学高校と進む頃には、薄々、自分の性的志向に気付いていて。
女の子と遊ぶのは、楽しいし気楽で。デートと称して泊りで遊びにいったことも頻繁にあった。
けれど、手を出す気にはならず。
気が付くと、異性とより同性といる時の方が、ドキドキして意識している自分に気がついた。
そこで、性的自認は男性で、好意の対象も同性なのだと悟ったのだ。
けれど、それを仲のいい女友達には話せても、実際、好意を持った男性には話せず。
長い間、付き合う機会には恵まれなかった。
高校、専門学校を卒業し、保育士になって保育園に勤めて、でも退職して。
そこへ鷗澤家でのハウスキーパーの話が迷い込んできたのだ。
祖母の姉、倖江からその話をもらった時、一も二もなく飛びついた。あの、大和に会えるのだ。飛びつかないはずがない。
それで、実際に大和に会って、思っていた以上に好感が持てた。
大和は分け隔てなく優しく、楽しく気遣いのできる人間で。余計に好感をもち、更に気になって。
気が付いたら、本気で好きになっていたのだ。
ただ、初めから分かっていたこととはいえ、大和は岳と付き合っていて。まさしく相思相愛。入り込む隙などない。
勿論、七生も取って代わろうなどと言つもりはなく。いつ見ても岳は完璧で、自分が太刀打ち出来るような相手ではなかった。
羨ましい。
岳を見てはそう思った。
その為、思いを告げるつもりもなかったのだが──。
岳には、すぐに大和への思いを気づかれ、警戒された。
岳はできる限り自分と大和を二人にはしなかったし、いつも監視の目を光らせていて。
なるべく、大和と関わらせないため、岳は自分といる時間の方を増やしもしたのだ。
岳の徹底的なガードに、逆に七生は思いをつのらせ。
なかなか二人切りになれない事で、大和に会いたい一心と、働く姿を見てみたかった七生は、無理を承知で山に登った。
その際、岳にどう言うつもりなのか指摘され、仕方なく本心を吐露したのだ。
「好きなんです!」
岳に大和をどう思っているのか指摘され、半ば叫ぶように口にしていた。
「…わかってた」
岳はやっぱりと言うように、ため息交じりにそう答え。
「だったら…。どうして今まで放って置いたんですか?」
七生は睨むように岳を見つめる。
「好きになるのは…自由だ。止めろとは言えない。──だから放っていた」
「どうせ成就しないから、ですか?」
余裕な岳にムッとしてそう口にすれば。
「…どうだろうな」
岳は苦笑して見せる。
「僕、真剣なんです。今日だって、その為に無理してここまで来ました…。だって、少しでも一緒にいたいから…。岳さんは、どう思っているんです? 僕の事…」
大和に会いたくて。もっと、その姿を近くで見ていたくて。
七生は無理を押してここまで来た。
そんな自分を、岳はどういうつもりで見ていたのか。ライバルなどと、思ってもいないのだろうが。邪魔な存在だとは思っているだろう。
「少し…、考えさせてくれ」
岳は何か思う所があるらしく、そう答えた。
即答しないとは。
直ぐに出ていって欲しいくらいは、言われると思ったのに。
それを大和は聞いてしまったのだが──七生は知る由もなく。
そして、あの遭難事件。
あの時、七生は言葉通り、大和の為に岳を探しに出たのだ。
あれだけ岳を好きな大和が、どれだけ心配しているか。それなら迎えに行って、文句の一つでも言って連れ戻してこようと。
あれは迂闊だった。山を知らない者の行動で。結局、逆に大和を危険な目にあわせてしまい。
祐二や岳の話から、大和はあのまま朝を迎えていたら、命を落としていた可能性が高かったと告げられたのだ。
自分の軽率な行動で、大好きな大和を危険に晒してしまった。その事実を知って、七生はひどく反省し。
そして、七生の中で、大和は大きな位置を締めていることを、再認識したのだった。
それが、七生の事情だった。
+++
その七生が、大和を窮地に陥れるような事を口にするはずもなく。
電話の向こうの真琴はしばし黙したが。
『…分かった。なら、そう言うことで。倒れた男を発見したのは俺と七生だけだ。俺たちは何も見ていない。ただ、散歩の途中に物音を聞いて偶然、発見した──そう言うことにしておく。藤はもう帰してある』
「すまない。頼んだ」
ひとつ息を吐き出す。夜風が頬を撫でていった。
俺はてっきり、大和が七生になびいているんじゃないかと、思ってたからな。
大和は大和で、来たばかりの七生をずっと気遣っていて。いつも言葉の初めには七生の名前が出た。
フランス人の血も入る七生は、日本人離れした容姿で、美形の部類。大和より小柄で、可愛い。なにより性別を感じさせなかった。これなら大和が気になっても可笑しくはない。
岳は気が気ではなく。
そうして、二人を注視しているうち、七生の大和に対する思いを感じ取った。明らかに大和に特別な感情を抱いている。
七生はいつも大和を見ていたし、何かと頼った。逆に自分をじっと見つめてくる事があり。それは、好意の視線などではなく。
勿論、大和に対して、先輩ハウスキーパーとして、教えを乞うている部分はあったのだろう。だが、それ以上に近い立ち位置に七生は入ろうとしていた。
意識的なのか無意識なのか。
大和はそれを嫌がるふうでもなく。むしろ喜んで対応していた。その殆どは親切心からくるものだろうが。
だいたい、大和はそういったことに鈍いのだ。まさか、思いを向けられているなど、露ほども思っていなかっただろう。
結果、大和に逆の思い違いをさせてしまい。
大和は自分がフラれると思っていたのだ。山での話を立ち聞きすれば、誰でもそう思うだろう。
でも、それまでの岳の態度がいつもと変わらなかったため、混乱してはいたらしい。
心ではそんなはずはないと思っても、実際、七生と岳の会話では、七生へと思いが傾いていると聞こえたのだろうから無理もない。
祐二から山小屋での大和の様子を聞き、すぐに会話を聞かれたのだと気付いた。
このままにしてはおけない。
そう思っていた矢先、あの遭難事件。
学生は無事に救出できたものの、代わりに七生と大和が遭難しかけた。
七生を必死に守った大和。
それは弱いものを守るという思いのほかに、岳の思いが七生に傾いていると知って、何かあってはまずいと、考えた所為もあったのだろう。
大和は優しい。お人好しと言ってもいいくらいだ。
自分を犠牲にしても、好いた相手の大切なものを──誤解だったわけだが──守ろうとした。
自分と置き換えたのだろう。誰しも、好いた相手には生きていて欲しいのだから。
大和が無事で良かった。
本当はあの時、一番に大和を抱きかかえ小屋に戻りたかった。
だが、人の救助に私情は挟めない。あの状況では弱った七生を先に連れていくのが正解だった。
名前を呼んだ時の、大和の顔を今でも思いだす。驚きほっとした表情。そこに泣き出しそうな表情も入り混じって。
本当は、抱きしめてキスしたかった。
どうしても、大和の事となると、正常でいられない。
大和が自分を心から好いているのは分かっているのだが、独占欲が強く出てしまい、結局、疑心暗鬼になってしまう。
こんな自分がいるとはな。
真琴にそこを突かれた時、つっかかったのは、それが事実だからだ。
大和のことになると、まるで嫉妬に狂った人間の様になってしまい、大和の人格など無視して、誰にも会わせず、閉じ込めて居たくなってしまうのだ。
尋常じゃないな。
我に返るとそう思うのだが、もし大和が他の誰かを──そう、想像すると、むくむくとそれが湧き上がってきて、大和を独占したくなるのだ。
それが、今回の件。
誰がみても可愛いと思える七生が現れ。
元々大和はゲイでもバイでもない。岳が好きだからと、それに応えてくれたのだ。
だから、どんなに見目麗しい人物が現れようと、揺らぐことはないと分かっていたのだが、七生が大和を好いていると知って、平常心ではいられず。
大和は誤解していたから、岳と七生だけの時間も許していたが、岳は逆にその方が監視できるし、その間は七生と大和とを離しておけるからと、内心複雑ではあったが七生といる時間を受けれいていたのだ。
『それで──大和は?』
控えめに真琴が問う。
「捕まえられなかった…。知らない車に乗ってった。逃げ足は速いんだ…」
髪をかき上げ苦笑する。
けれど、きっと見つけて見せる。
差し出した手を、掴もうともしなかった。怯えた目でこちらを見て逃げ出して。
まるで、俺を見ていなかった。
追いついた後もこちらを見ようともせず。
大和は──逃げたんだ。
自分から。
理由がなんであれ、その事実は岳の中に影を落とした。
大和を乗せた黒塗りの外車は、既にはるか遠くに移動し、テールランプを僅かに光らせ、角を曲がると視界から消えていった。
倖江から鴎澤家の話はよく聞かされていて。写真も見せられていた。とてもいい家族なのだと、倖江は楽しそうに語り。
なかでも、大和の話題は多かった。
笑える話には必ず大和が登場して。写真の中の大和は、いつも満面の笑みで、歯を見せ笑っている。
いつか、会ってみたいな。
明るく前向きで、屈託なく笑う──。七生が好きになるタイプだった。
七生は中学高校と進む頃には、薄々、自分の性的志向に気付いていて。
女の子と遊ぶのは、楽しいし気楽で。デートと称して泊りで遊びにいったことも頻繁にあった。
けれど、手を出す気にはならず。
気が付くと、異性とより同性といる時の方が、ドキドキして意識している自分に気がついた。
そこで、性的自認は男性で、好意の対象も同性なのだと悟ったのだ。
けれど、それを仲のいい女友達には話せても、実際、好意を持った男性には話せず。
長い間、付き合う機会には恵まれなかった。
高校、専門学校を卒業し、保育士になって保育園に勤めて、でも退職して。
そこへ鷗澤家でのハウスキーパーの話が迷い込んできたのだ。
祖母の姉、倖江からその話をもらった時、一も二もなく飛びついた。あの、大和に会えるのだ。飛びつかないはずがない。
それで、実際に大和に会って、思っていた以上に好感が持てた。
大和は分け隔てなく優しく、楽しく気遣いのできる人間で。余計に好感をもち、更に気になって。
気が付いたら、本気で好きになっていたのだ。
ただ、初めから分かっていたこととはいえ、大和は岳と付き合っていて。まさしく相思相愛。入り込む隙などない。
勿論、七生も取って代わろうなどと言つもりはなく。いつ見ても岳は完璧で、自分が太刀打ち出来るような相手ではなかった。
羨ましい。
岳を見てはそう思った。
その為、思いを告げるつもりもなかったのだが──。
岳には、すぐに大和への思いを気づかれ、警戒された。
岳はできる限り自分と大和を二人にはしなかったし、いつも監視の目を光らせていて。
なるべく、大和と関わらせないため、岳は自分といる時間の方を増やしもしたのだ。
岳の徹底的なガードに、逆に七生は思いをつのらせ。
なかなか二人切りになれない事で、大和に会いたい一心と、働く姿を見てみたかった七生は、無理を承知で山に登った。
その際、岳にどう言うつもりなのか指摘され、仕方なく本心を吐露したのだ。
「好きなんです!」
岳に大和をどう思っているのか指摘され、半ば叫ぶように口にしていた。
「…わかってた」
岳はやっぱりと言うように、ため息交じりにそう答え。
「だったら…。どうして今まで放って置いたんですか?」
七生は睨むように岳を見つめる。
「好きになるのは…自由だ。止めろとは言えない。──だから放っていた」
「どうせ成就しないから、ですか?」
余裕な岳にムッとしてそう口にすれば。
「…どうだろうな」
岳は苦笑して見せる。
「僕、真剣なんです。今日だって、その為に無理してここまで来ました…。だって、少しでも一緒にいたいから…。岳さんは、どう思っているんです? 僕の事…」
大和に会いたくて。もっと、その姿を近くで見ていたくて。
七生は無理を押してここまで来た。
そんな自分を、岳はどういうつもりで見ていたのか。ライバルなどと、思ってもいないのだろうが。邪魔な存在だとは思っているだろう。
「少し…、考えさせてくれ」
岳は何か思う所があるらしく、そう答えた。
即答しないとは。
直ぐに出ていって欲しいくらいは、言われると思ったのに。
それを大和は聞いてしまったのだが──七生は知る由もなく。
そして、あの遭難事件。
あの時、七生は言葉通り、大和の為に岳を探しに出たのだ。
あれだけ岳を好きな大和が、どれだけ心配しているか。それなら迎えに行って、文句の一つでも言って連れ戻してこようと。
あれは迂闊だった。山を知らない者の行動で。結局、逆に大和を危険な目にあわせてしまい。
祐二や岳の話から、大和はあのまま朝を迎えていたら、命を落としていた可能性が高かったと告げられたのだ。
自分の軽率な行動で、大好きな大和を危険に晒してしまった。その事実を知って、七生はひどく反省し。
そして、七生の中で、大和は大きな位置を締めていることを、再認識したのだった。
それが、七生の事情だった。
+++
その七生が、大和を窮地に陥れるような事を口にするはずもなく。
電話の向こうの真琴はしばし黙したが。
『…分かった。なら、そう言うことで。倒れた男を発見したのは俺と七生だけだ。俺たちは何も見ていない。ただ、散歩の途中に物音を聞いて偶然、発見した──そう言うことにしておく。藤はもう帰してある』
「すまない。頼んだ」
ひとつ息を吐き出す。夜風が頬を撫でていった。
俺はてっきり、大和が七生になびいているんじゃないかと、思ってたからな。
大和は大和で、来たばかりの七生をずっと気遣っていて。いつも言葉の初めには七生の名前が出た。
フランス人の血も入る七生は、日本人離れした容姿で、美形の部類。大和より小柄で、可愛い。なにより性別を感じさせなかった。これなら大和が気になっても可笑しくはない。
岳は気が気ではなく。
そうして、二人を注視しているうち、七生の大和に対する思いを感じ取った。明らかに大和に特別な感情を抱いている。
七生はいつも大和を見ていたし、何かと頼った。逆に自分をじっと見つめてくる事があり。それは、好意の視線などではなく。
勿論、大和に対して、先輩ハウスキーパーとして、教えを乞うている部分はあったのだろう。だが、それ以上に近い立ち位置に七生は入ろうとしていた。
意識的なのか無意識なのか。
大和はそれを嫌がるふうでもなく。むしろ喜んで対応していた。その殆どは親切心からくるものだろうが。
だいたい、大和はそういったことに鈍いのだ。まさか、思いを向けられているなど、露ほども思っていなかっただろう。
結果、大和に逆の思い違いをさせてしまい。
大和は自分がフラれると思っていたのだ。山での話を立ち聞きすれば、誰でもそう思うだろう。
でも、それまでの岳の態度がいつもと変わらなかったため、混乱してはいたらしい。
心ではそんなはずはないと思っても、実際、七生と岳の会話では、七生へと思いが傾いていると聞こえたのだろうから無理もない。
祐二から山小屋での大和の様子を聞き、すぐに会話を聞かれたのだと気付いた。
このままにしてはおけない。
そう思っていた矢先、あの遭難事件。
学生は無事に救出できたものの、代わりに七生と大和が遭難しかけた。
七生を必死に守った大和。
それは弱いものを守るという思いのほかに、岳の思いが七生に傾いていると知って、何かあってはまずいと、考えた所為もあったのだろう。
大和は優しい。お人好しと言ってもいいくらいだ。
自分を犠牲にしても、好いた相手の大切なものを──誤解だったわけだが──守ろうとした。
自分と置き換えたのだろう。誰しも、好いた相手には生きていて欲しいのだから。
大和が無事で良かった。
本当はあの時、一番に大和を抱きかかえ小屋に戻りたかった。
だが、人の救助に私情は挟めない。あの状況では弱った七生を先に連れていくのが正解だった。
名前を呼んだ時の、大和の顔を今でも思いだす。驚きほっとした表情。そこに泣き出しそうな表情も入り混じって。
本当は、抱きしめてキスしたかった。
どうしても、大和の事となると、正常でいられない。
大和が自分を心から好いているのは分かっているのだが、独占欲が強く出てしまい、結局、疑心暗鬼になってしまう。
こんな自分がいるとはな。
真琴にそこを突かれた時、つっかかったのは、それが事実だからだ。
大和のことになると、まるで嫉妬に狂った人間の様になってしまい、大和の人格など無視して、誰にも会わせず、閉じ込めて居たくなってしまうのだ。
尋常じゃないな。
我に返るとそう思うのだが、もし大和が他の誰かを──そう、想像すると、むくむくとそれが湧き上がってきて、大和を独占したくなるのだ。
それが、今回の件。
誰がみても可愛いと思える七生が現れ。
元々大和はゲイでもバイでもない。岳が好きだからと、それに応えてくれたのだ。
だから、どんなに見目麗しい人物が現れようと、揺らぐことはないと分かっていたのだが、七生が大和を好いていると知って、平常心ではいられず。
大和は誤解していたから、岳と七生だけの時間も許していたが、岳は逆にその方が監視できるし、その間は七生と大和とを離しておけるからと、内心複雑ではあったが七生といる時間を受けれいていたのだ。
『それで──大和は?』
控えめに真琴が問う。
「捕まえられなかった…。知らない車に乗ってった。逃げ足は速いんだ…」
髪をかき上げ苦笑する。
けれど、きっと見つけて見せる。
差し出した手を、掴もうともしなかった。怯えた目でこちらを見て逃げ出して。
まるで、俺を見ていなかった。
追いついた後もこちらを見ようともせず。
大和は──逃げたんだ。
自分から。
理由がなんであれ、その事実は岳の中に影を落とした。
大和を乗せた黒塗りの外車は、既にはるか遠くに移動し、テールランプを僅かに光らせ、角を曲がると視界から消えていった。
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